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イタリアの歴史 - Wikipedia

イタリアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イタリアは、地中海に面した半島であり、アルプス=ヒマラヤ造山帯の活動によって出来た。イタリアに人類が出現したのは旧石器時代である。

目次

[編集] 概史

[編集] ローマ以前

紀元前8世紀ローマの建設以前のイタリアの状況について判明していることは少ない。ただ一つの例外は、イタリア半島の先端やシチリア島など「マグナ・グラエキア」と呼ばれる地域に移住してきたギリシャ人の歴史であるが、同地域でのちに重要な都市となるシラクサやタレントゥム(現在のターラント)が建設されたのはローマと同じ頃である。

ギリシャ人は別として、他のイタリア半島の住人にはエトルリア人がいた。かれらの文明は現在のトスカーナ州を中心にその隣接地域にまで広がっていた。その他にも、ラテン人や現在のラツィオ州にいたサビーニ人、またイタリア南部の山岳地帯、特にカンパニアモリーゼにいたサムニウム人、さらにオスキー人やウンブリア人がいた。

紀元前390年には、ガリア人として知られるケルト人によってローマは侵入され、略奪された。

[編集] ローマの時代

詳細は古代ローマ参照

[編集] ローマの建設

伝説によるとローマ紀元前753年ロムルスレムスによって建設された。王政によって統治されていたが(王政ローマ)、紀元前509年、7番目の王タルクイニウス・スペルブスが追放されて、共和政ローマが成立した。

当時の共和国には二つの統治組織があった。一つは貴族の有力者や政治家たちによって構成される元老院で、もう一つは富裕な市民によって運営される市民集会(民会)であった。貴族と平民の間の対立や紛争は共和国の重要な政治的問題となっていたが、元老院はいくつか譲歩をしながら、常にうまく乗り切っていた。

[編集] ポエニ戦争による版図の拡大

続く数世紀の間、ローマは領土の拡張政策をとり始め、ウェイイの町やラテン人、サムニウム人の同盟を次々と打ち負かしていった。

ローマは戦争に勝利した後もたいていは敗者を完全に服従させようとはせず、ローマの優位性を受け入れさせ、ローマを構成する同盟国として扱った。この賢明なやり方がローマが拡大できた理由の一つとなっている。たとえば、トスカーナカンパニアにあったエトルリア人やギリシャ人の弱小都市は、ローマに立ち向かって戦争するよりも、ローマの保護を求める方を選んでいる。

紀元前280年から紀元前272年にかけて、ギリシャ人の都市タレントゥムとの戦いに勝利したローマはイタリア半島を実質的に統一した。そして、最も危険な敵であったフェニキア人の植民都市カルタゴ(現在のチュニス近く)と対決することとなった。

紀元前3世紀半ばからほぼ1世紀を通じて戦われた3度のポエニ戦争は、ローマの完全な勝利に終わった。第一次ポエニ戦争紀元前264年-紀元前241年)と第二次ポエニ戦争紀元前218年-紀元前202年)により、カルタゴはシチリア島サルデーニャ島コルシカ島ヒスパニアの植民都市などほとんどの領土を失い、第三次ポエニ戦争紀元前149年-紀元前146年)でも敗北して都市は破壊された。特に第二次ではカルタゴのハンニバルのイタリア半島侵攻によってローマは窮地に陥ったが、ローマ軍将軍大スキピオによって勝利に導きかれ、ローマの覇権の礎を築くのである。

紀元前2世紀には、ローマは西地中海一帯のほとんどを支配するようになり、その影響力は急速に東方へと及び始めていた。紀元前1世紀、ローマはヘレニズムの流れを持ったマケドニア王国セレウコス朝を滅ぼし、全地中海の覇者となった。

[編集] 内乱とカエサル

ローマ共和国の統治機構は、都市国家のそれから生まれたものであり、広大な帝国を統治するのにふさわしいものではなかった。それゆえ、ローマ内部やイタリアの同盟諸市には不平不満が高まり、元老院はこれに対し繰り返し軍隊を動員して抑圧しようとした。しかし広大な領土を共和政で維持するには厳しく、元老院も硬直し支配力は弛緩し、紀元前139年にローマを揺るがす大反乱が起きた(シチリア島奴隷反乱)。これを鎮圧したものの、腐敗したローマ共和政は行き詰まりを見せ始めていた。この腐敗した共和政を改革しようとティベリウス・グラックスが護民官となり政治改革を押し進めようとしたが、腐敗した元老院と対立し、紀元前133年、その支持者と共に殺された。犠牲者300人を出すこの流血事件によって、ローマは混迷の時代を迎え、内乱の1世紀が始まるのである。紀元前121年弟のガイウス・グラックスもまた元老院と対立し失脚、数千人と言われる支持者も処刑された。しかしグラックス兄弟の改革は、後にカエサルによって実現されるのである。

その後軍人出身の執政官ガイウス・マリウスによって軍制改革が行なわれ、一定の成功を収めたものの、ローマ軍は弱体化し、同盟都市から同盟市戦争を起こされ、譲歩を余儀なくされた。しかもこの軍制改革によって、ローマ軍団は有力将軍らの私兵と化し、後の権力闘争の一端となってしまうのである。

紀元前88年、ついに内乱は、ローマ軍団同士の閥族派のルキウス・コルネリウス・スッラと平民派のガイウス・マリウスの対決という内戦状態に陥りローマの混迷は頂点に達する。ローマ人の犠牲者は6年間で数万人となった。内戦後スッラは独裁官となり、元老院を擁護する政策をおこなった。

スパルタクスの乱紀元前73年-紀元前71年)を鎮圧したクラッススポンペイウスカエサルによる三頭政治が始まった。カエサルはガリア遠征紀元前58年-紀元前51年)の成功に続き、ポンペイウスとの内戦にも勝利した後、終身独裁官となり、ローマの政治改革を目指したが、紀元前44年カエサルが独裁者となることを恐れた少数の共和派の元老議員たちによって暗殺された。

カエサルの甥にあたるオクタウィアヌスアントニウスの助けを借りて元老院派を打倒するが、その後両者の対立は増大し、エジプトの女王クレオパトラと組んだアントニウスは、紀元前31年アクティウムの海戦で敗れた。1世紀に渡る混迷に終止符を打ったオクタウィアヌスは救国の英雄となり、カエサルの偉業を引き継ぐのである。これら内乱は今日では総称して、”内乱の1世紀”と呼ばれている。

[編集] ローマ帝国の誕生と「パクス・ロマーナ」

紀元前27年、オクタウィアヌスは元老院からアウグストゥスとプリンケプス(第一の市民)の称号を送られ、インペラートル(この時はローマ軍団の最高司令官という意味)となった。

オクタウィアヌスは、共和政をないがしろにすることはなかったが、実質的に皇帝として統治したため、これよりローマ帝国が誕生したとされる。実際に帝政がより明らかになるのは、オクタウィアヌスの養子ティベリウスが後を継いでからである。

帝国の成立はその属州に平和と安定をもたらし、属州は帝国に繁栄をもたらした。それとともにローマ市民権もゆっくりと属州に広がり、法規も不完全なものが多かったが、行政官による恣意的なものではなくなった。

ローマ帝国の版図もさらに拡大された。最も顕著なものは、47年の皇帝クラウディウスによるブリタンニアの征服である。

1世紀は、ほとんど内乱と暴動の鎮圧に費やされた。「四皇帝の年」として知られる68年の内乱もその一つである。ユダヤ州で起きたユダヤ人の暴動は、70年エルサレムにある第二神殿の破壊をもって終息したが、ユダヤ人にとっては「ディアスポラ(ユダヤ人の四散)」の始まりとなった。

2世紀は帝国の最盛期で、皇帝はトラヤヌスハドリアヌス哲学者でもあるマルクス・アウレリウス・アントニヌスであった。 歴史家のエドワード・ギボンは、もしもその状況が見かけほど良くなくても、人びとにとっては最も平和な時代であっただろうと述べている。(パックス・ロマーナを参照)

[編集] ローマ帝国の衰退・滅亡

実際に帝国内部の状況、特に経済は徐々に悪化しつつあったが、3世紀に入ると蛮族の侵入や内戦がそれに拍車をかけ、帝国を崩壊へと導いた。

皇帝ディオクレティアヌス(在位284年-305年)やコンスタンティヌス1世(在位306年-337年)により、帝国の再建が試みられた。コンスタンティヌス1世は、内戦においてキリスト教徒の助けを借りたこともあり、313年ミラノ勅令を発してキリスト教を公認した。380年には、テオドシウスによってキリスト教国教とされた。

395年テオドシウスの死去に伴い、それぞれミラノ(後にラヴェンナ)とコンスタンティノポリス首都とする西ローマ帝国東ローマ帝国に分裂した。

378年のアドリアノープルの戦いにローマ軍が敗北したことで、ゲルマンの民族大移動は止めようもなく、ゴート族フン族ヴァンダル族フランク族、ブルグント族の侵入が続いた。

410年にローマが略奪されたのに続き、476年ゲルマン人出身の傭兵隊長オドアケルによって皇帝ロムルス・アウグストゥルスが退位させられ、西ローマ帝国は滅亡した。なお東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は、その後も1000年にわたって存続している。

[編集] 中世

ミケランジェロの「ダビデ像」。イタリア・ルネサンスの精華の一つである。
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ミケランジェロの「ダビデ像」。イタリア・ルネサンスの精華の一つである。

5世紀以降、イタリア半島東ゴート王国や、ローマ帝国の復興をねらった東ローマ帝国ランゴバルド王国フランク王国アラブ人ヴァイキングなどの侵略を受け、政治的な統一性は失われていた。また外国の勢力に後押しを受けた小国、公国王国が乱立し、相争う状態に陥っていた。

そのような状況下でカトリック教会は唯一安定した組織だと見なされ、大きな政治権力を握るようになった。ローマにいる教皇はイタリアの一部を直接統治していたが、その影響力はイタリア全域にとどまらずキリスト教化されたヨーロッパ中に及んでいた。また9世紀以降、イタリアをみずからの領土だと主張する神聖ローマ帝国教皇の対立により、イタリア半島はしばしば戦場となった。

11世紀初頭になると、イタリア中部や北部の都市、ヴェネツィアミラノフィレンツェなどが海運商業によって繁栄するようになり、名目上は神聖ローマ帝国の傘下にあったが、実質的に独立した都市国家へと発展した。一方、イタリア南部やシチリア島では、外国の一族や王家、ノルマン人ホーエンシュタウフェン家アンジュー家アラゴン王国などの下で統一王国が成立した(教皇派と皇帝派の対立)。

[編集] ルネサンス

詳細はルネサンスを参照

イタリア内部や外国勢力との絶え間ない紛争にもかかわらず、北部の諸都市は繁栄を続け、ダンテジオットミケランジェロレオナルド・ダ・ヴィンチラファエロといったルネサンスの巨匠たちによって偉大な文化的・芸術的業績が成し遂げられた。この黄金時代は、16世紀フランススペインなどの大国にイタリア諸都市が次々と併合されることで終わりを告げた(イタリア戦争)。

[編集] 宗教改革と反宗教改革

詳細は宗教改革反宗教改革参照

[編集] 外国による支配の時代

16世紀初頭、主要な通商路が地中海から大西洋に移ってしまったことで、イタリアは経済危機に見舞われていた。さらにイタリアを舞台にしたイタリア戦争が頂点に達し、イタリアのほとんどの弱小国家はスペインなどの外国勢力に敗れた。ミラノ公国ナポリ王国は併合され、ヴェネツィア共和国ジェノヴァ共和国フィレンツェ共和国(のちのトスカーナ大公国)等は生き延びたが、弱体化して行った。

宗教改革教皇の軍隊の敗北により、教皇権の重要性は失われ、カトリック教会もまたひどく弱まった。カトリック教会は宗教改革の波及を防ぐために、スペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝カール5世やその後継者たちの戦争を支持し、対抗改革と呼ばれる自己改革をおこなって、教会生活における厳格な規律を設けた。

イタリアではジョルダーノ・ブルーノが異端の宣告を受け、火あぶりの刑に処された。他にもトマソ・カンパネッラ天文学者ガリレオ・ガリレイも異端を宣告された。カトリック教会によるこのような新しい知識や文化への締め付けは、その経済危機とも相まって、イタリアの文化的先進性を喪失させた。その結果イタリアは数世紀の間凋落の一途をたどらなければならなかった。

[編集] ナポレオン戦争

詳細はナポレオン戦争参照

[編集] イタリアの統一

カミッロ・カヴール
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カミッロ・カヴール
ジュゼッペ・ガリバルディ(1866年)
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ジュゼッペ・ガリバルディ(1866年)

18世紀末のイタリアの政治的状況は、16世紀の時とほとんど同じであった。唯一の違いは干渉してくる外国勢力がオーストリア帝国に変わったことだった。

イタリアとフランスの国境にある山岳地帯のサヴォイアを領域とするサヴォイア公国は、イタリアにおける領土を拡大しサルデーニャ島ピエモンテの北西部を領有するまでになった。しかし、1796年フランスナポレオン1世がイタリアを侵略するとこの状況は劇的に変わった。チサルピナ共和国のような、ナポレオンが北イタリアに建国した国々は実質的にはフランスの衛星国であったため、イタリア人の間に民族主義的な運動が起きた。

これらの国はナポレオンの没落後生き残ることができず、ウィーン会議によって、北東部とロンバルディアオーストリア帝国、北西部とサルデーニャ島はサルデーニャ王国、南部とシチリア島両シチリア王国トスカーナ大公国教皇領、その他中央部にいくつかある小国というようにイタリアは分割された。

保守反動的なウィーン体制に対して、各地で自由主義運動が高まった。1820年にスペイン革命がおこったことを契機として、ブルボン家の統治下にあった両シチリア王国でナポリ革命(ナポリ蜂起)、シチリア革命(シチリア蜂起)がおこった。この革命は内部対立とオーストリア軍の介入によって失敗に終わったが、翌1821年にサルデーニャ王国でピエモンテ革命(ピエモンテ蜂起)が起こった。しかし、この蜂起も失敗に終わった。 1830年フランス7月革命は、イタリアにも及び、カルボナリが各地で革命を起こした。しかし統一の理想には程遠く、オーストリアによって翌年には鎮圧されてしまう。しかしカルボナリの理想は、後のイタリア統一戦争へと引き継がれていった。

1848年にはイタリアで「1848年革命」が勃発し、革命派の軍がサルデーニャ王カルロ・アルベルトのもとに集結したが、最終的には敗れてしまった。このような試みが何度か失敗に終わったのち、情勢は1859年から1861年にかけて急速に転換した。

1859年、サルデーニャ王国の首相カヴールは、フランス皇帝ナポレオン3世との同盟を騙ってオーストリア帝国を攻撃し、ロンバルディアを取り戻すとともに、トスカーナを含むイタリア中部の諸領域も併合した。

1860年ジュゼッペ・ガリバルディ千人隊(赤シャツ隊)を創設して、シチリアやイタリア南部へ遠征に向かい、ブルボン朝の軍を何度も打ち破って征服に成功した。そしてその領土をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上した(イタリア統一戦争)。

1861年、統一国家としてのイタリア王国の成立が宣言された。成立当初は、教皇の支配下にあったローマ1870年併合)、ヴェネツィア一帯の諸県(オーストリアとの再度の戦争により1866年併合)は含まれていなかった。

[編集] イタリア王国

イタリア王国時代(1861年-1946年)はイタリア王国を参照

1861年3月に統一を成し遂げたイタリア王国は、1866年普墺戦争に参戦し、ヴェネツィアを獲得。さらに1871年普仏戦争ではプロイセンに味方し戦勝国としてローマを併合し、ここを首都とした。この結果ローマ教皇との対立が発生し、これは1929年ラテラノ条約の締結まで続く。

第一次世界大戦直前はドイツ、オーストリアとの三国同盟を結んでいたが、トリエステ南チロルの「回収されざるイタリア」を獲得を目指しイギリス、フランスなどの協商国側で参戦、戦勝国となりオーストリアから領土を獲得する。しかし、戦争の混乱は労働運動を激しくさせ、その結果1921年にはムッソリーニに率いられた「ファシスト党」が政権を担う。ムッソリーニは独裁体制をしき、古代ローマの栄光の復活を標榜し、膨張政策をとりアルバニアエチオピアに侵攻、さらにドイツ日本日独伊防共協定日独伊三国軍事同盟を結成した。

第二次世界大戦では1940年イギリスフランスに宣戦し、北アフリカ戦線を戦うが、敗北。

1943年に国王はムッソリーニを幽閉しバドリオ政権が成立した。バドリオ政権はシチリア島に上陸した連合国に無条件降伏。ドイツに救出されたムッソリーニは北イタリア社会共和国を樹立したがレジスタンスがこれを打倒し、ムッソリーニは虐殺された。 無条件降伏した後のイタリアは、ドイツにも宣戦布告した。 1946年国民投票で王制を廃止、共和制となる。

[編集] イタリア共和国

[編集] 関連項目

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