アウグストゥス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウグストゥス(ラテン語:Imperator Caesar Divi Filius Augustus、紀元前62年9月23日 - 紀元14年8月19日)はローマ帝国の初代皇帝の名、またはその称号(君主号)。
騎士身分に属するガイウス・オクタウィウスとガイウス・ユリウス・カエサルの姪アティアの息子として生まれ、ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(Gaius Octavius Thurinus)と称した。紀元前44年3月15日にカエサルがブルートゥス、カッシウスらに暗殺され、カエサルにより遺言で彼の養子に指名されていたので、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(Gaius Julius Caesar Octavianus)を名乗った。
養父のカエサルと比べ、司令官としての才能はさほどないが、比べて政治手腕は養父と同等以上であり、既に機能不全の元老院の動静を注視しながら、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を着実に築き上げた。
カエサルの死後、アントニウス、レピドゥスとともに第2回三頭政治を行なった。内乱においては、腹心アグリッパと共に転戦、ブルートゥス、カッシウスらをフィリッピの戦いで、アントニウスとエジプトのクレオパトラ7世の連合軍をアクティウムの海戦でそれぞれ破って、ローマの混乱を平定した。
紀元前27年1月16日に元老院よりアウグストゥス(尊厳者)の称号を受ける。 帝政の開始時点に関しては諸説あるが、この称号を送られた日より前、1月13日にアウグストゥスが戦時の非常大権を元老院に返還し、属州の支配を元老院と分け合った時点を開始とする説などがある。以降の帝政ローマの前期は元首政と呼ばれる。彼の後継者達も「アウグストゥス」の称号を名乗り、インペラトルやカエサルなどと共に皇帝を示す称号の一つになっていった。
[編集] 業績
軍事面では、彼はローマの伝統であった対外拡張政策を止め、防衛体制の整備に努めた。ローマ史上初となる常備軍を編成し、国境に沿って軍団を配置した。辺境で長い兵役を勤める彼らに報いるために、軍隊の退職金制度を始めた。北部国境は当初エルベ川とドナウ川を想定していたが、紀元9年のトイトブルクの戦いでゲルマン人によって手痛い打撃を受けたためこれを諦め、結局ライン川とドナウ川を国境に定めた。また、皇帝を護衛する親衛隊を創設し、ローマ市内に3大隊、ローマ市周辺に6大隊を分散配置した。
文化面では、友人であるガイウス・マエケナスを通じてウェルギリウス、ホラティウス、プロペルティウスなどを庇護し、彼の時代にラテン文学は全盛期を迎えた。庇護を受けていなかった詩人としてはオウィディウスがいる。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 塩野七生 『ローマ人の物語 第VI巻 パクス・ロマーナ』新潮社、1997年、345頁。
- スエトニウス 『ローマ皇帝伝 第1巻(上)』国原吉之助訳、岩波書店<文庫>、1986年、339頁。
- 南川高志 『ローマ皇帝とその時代 元首政期ローマ帝国政治史の研究』創文社、1995年、485頁。
- ピエール・グリマル『アウグストゥスの世紀』北野徹訳、白水社<文庫クセジュ>、2004年、170頁。