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ペルシア戦争 - Wikipedia

ペルシア戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ペルシア戦争The Greek and Persian Wars)は、紀元前492年から紀元前449年の三度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国ギリシア遠征をいう。「ペルシア戦争」とは、ギリシア側からの呼称であって中立的な名称ではない。学者によっては勝者の名を冠して「ギリシア戦争」とも呼ぶ。

戦争の経緯についてはヘロドトスの『歴史』をほぼ唯一の資料とする。しかし、プルタルコスは『ヘロドトスの悪意』において、戦争の歴史的事実がヘロドトス個人の戦争観に歪められていると批判している。現代の歴史学者もペルシア戦争における細部の事実ついては頭を悩ませているが、最も重要な資料が『歴史』のみである以上、決定的なペルシア戦史の復元は困難である。

目次

[編集] 原因

アケメネス朝の最大勢力域
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アケメネス朝の最大勢力域

ペルシア戦争の原因は、アケメネス朝の宗主権拡大に対する古代ギリシアのポリスの反発である。
アケメネス朝ペルシア帝国は、キュロス2世が、紀元前547年に小アジア随一の強国であったリディア王国を併合し、さらにダレイオス1世スキティアトラキアマケドニア王国を勢力下におさめることに成功した。紀元前518年にはリディア王国の首都であったサルディスに「サトラップ」と呼ばれる総督を置き、アナトリア半島全域と、レスボス島、キオス島、サモス島などのエーゲ海東部の島嶼を支配下においた。
ダレイオス1世はキュロス2世やカンビュセス2世らとは違い、政治の力点を経済活動の置き、「王の道」を整備するとともに、金貨を鋳造して交易を積極的に推進させた。彼の治世においてアケメネス朝ペルシア帝国は最盛期を迎え、帝国の領土的野心はさらに拡大した。そのため、ギリシア本土の諸都市にペルシアの影響が及んでくることは時間の問題だったが、その契機となったのは、アテナイによるイオニアの反乱の介入であった。

紀元前6世紀 末から紀元前5世紀中期までの政治状況の資料が少ないため判然としないが、紀元前6世紀中期からようやく有力なポリスになりはじめたアテナイは、小アジアに向けて陶器オリーブ油輸出を行っており、人口の増加にともなって黒海沿岸から多量の穀物を輸入するようになったと考えられている。穀物輸入を容易にするためにはアテナイ近傍のファレロン湾の利用が急務であったが、この海域ではアイギナによる海賊行為が横しており、アテナイとアイギナ、そしてアイギナを保護するアルゴスとの関係は険悪であった。また、政治体制を貴族政治から民主制に移行させたことによって、アテナイはスパルタに対抗しうる強力な国家へ成長することに成功したが、これは同時にスパルタと同盟諸都市に対して警戒心を抱かせることになった。北方のボイオティアとも戦争状態にあり、アテナイは文字通り四面楚歌の状況にあった。
アテナイはこのような孤立状態を打開するため、おそらくクレイステネスによってペルシアのサルディス総督アリスタゴラスのもとに使者が送られた。アテナイの使者はペルシアとの同盟を求めたが、ペルシア側が完全な服従を求めたため、アテナイ民会はこれに反発した。アケメネス朝による統治政策は、各都市国家に傀儡僭主を擁立して内政に干渉するというものであったが、すでに民主制に移行していたアテナイには受け入れられるものではく、また、穀物輸入の交易路にペルシアの影響がおよぶことへの問題意識もあったと考えられる。アナイ民会は直接的な対立を避けつつも、紀元前499年に起こったイオニアの反乱に対しては反乱軍を援助し、ペルシア側を牽制した。

しかし、イオニアの反乱は結果的に失敗し、反乱への介入はペルシア側にギリシア侵略の恰好の口実を与えることになった。イオニア反乱の援助決定の後、しばらくの間はクレイステネスを代表とする対ペルシア宥和派と、ミルティアデスら対戦派による激しい議論がおこっていたと考えられるが、イオニアの反乱が鎮圧された後は徐々にペルシア強硬派の勢力が台頭するようになっていた。こうしたペルシアへの対応と権力闘争が絡み合い、アテナイ民会が混乱するなか、イオニアを平定したダレイオス1世はギリシアへ遠征軍を派遣し、ペルシア戦争と呼ばれる一連の戦争が開始された。

[編集] 戦争の経過

[編集] マルドニオスの侵攻

ダレイオス1世は、サルディス侵攻に対する報復として紀元前492年に、マルドニオス率いる大部隊をエレトリアとアテナイに向けて派遣した。ダレイオス1世が命じた2都市への遠征軍派遣は口実であり、実際にはギリシア全域を制圧するための遠征軍の派遣であったとされるが、歴史家によっては、この時の遠征軍の規模が小さいものであった可能性を示唆し、派遣は征服を目的としたものではなく、威力偵察にすぎなかったとする見方もある。
ペルシア艦隊はエーゲ海北部の海岸線に沿って進み、その途上でタソス島を制圧したが、ハルキディキ半島のアトス山のある岬を迂回する途中、暴風に遭遇して大損害を被った。また陸隊は、マケドニアでブリュゴイ族の夜襲を受け、マルドニオス自身が手傷を負ったため、遠征軍は撤退した。

[編集] ダティスとアルタプレネスの侵攻

紀元前491年、ダレイオス1世はギリシアの各ポリスに服従を求め、エーゲ海島嶼部のポリスはほとんどが要求を受け入れた。しかし、当時のアテナイは親ペルシア派と反ペルシア派の反目によって動揺していた上に、かねてから険悪な関係となっていたアイギナがペルシアに服従する意志を示したことを知って、アイギナと紛争状態になった。スパルタもまた、アテナイに同調する立場をとるクレオメネスとそれに反目するデマラトスの2人の王の内紛によって、対応は混乱していた。

ペルシア戦争 第二次遠征の進路
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ペルシア戦争 第二次遠征の進路

紀元前490年、要求を呑まない諸都市を攻略すべく、ダレイオス1世は、マルドニオスに代わって新たにメディア人の将軍ダティスとサルディス総督アルタプレネス(イオニアの反乱時に総督を努めたアルタプレネスの子)を司令官とする600隻の三段櫂船団を派遣した。ペルシア艦隊はエーゲ海を横断し、キクラデス諸島の都市国家ナクソスを陥落させると、エウボイア島に上陸、南端のカリュストスを制圧した後、イオニアの反乱を支援したエレトリアに侵攻した。
エレトリアはアテナイからの援軍を得たが、親ペルシア派と交戦派の不和による対応の混乱ぶりを目の当たりにしたアテナイの援軍はエレトリアの守備を放棄して帰還した。ペルシア軍の攻撃を受けるとエレトリアも交戦の意志を固め、7日間の包囲に抵抗したが、内部の親ペルシア派が城門を解放したため、都市はペルシア軍に攻略された。
エレトリアを制圧したペルシア軍は、アテナイを追放されたヒッピアスの助言により、 当時のアテナイの主要港であり、またヒッピアスの父ペイシストラトスの勢力地盤でもあったアッティカ東岸のマラトンに上陸した。アテナイはスパルタに援軍の要請をするとともに、奴隷を伴ってマラトンに展開し、プラタイアからの援軍を得てマラトン平野の南部に位置するヘラクレス神域に布陣した。将軍ミルティアデス率いるアテナイ・プラタイア連合軍は、このマラトンの戦いにおいて重装歩兵密集陣を駆使してペルシア軍を破り、敵の陸上移動を断念させた。このためペルシア艦隊は、スニオン岬を迂回してファレロン湾に艦隊を展開し、揚陸の動きを見せたが、アテナイ・プラタイア両軍がこの動きを察知してアテナイに移動したため、ペルシア軍は攻めきれず帰還した。
マラトンの戦いの勝利によって、親ペルシア派のペイシストラトス家とアルクメオン家の人間は次々と陶片追放され、アテナイはペルシアに対して一貫した政治的態度を採ることになった。また、アテナイ民会は、マラトンの戦いで英雄視されていたにも関わらず、私欲のために国庫に打撃を与えたミルティアデスを告発して厳格な司法権を行使したほか、軍事長官の権威を下げ、将軍職の地位を上げるとともに、再任できるようにするなど、強国としての国家体制を着実に整えていった。

[編集] クセルクセス1世の侵略

ダレイオス1世は、直ちに再度侵攻の準備を進めたが、エジプトが反乱し、また、紀元前486年 には彼自身が死没してギリシア出征は見送られた。王位を継いだクセルクセス1世は遠征に乗り気ではなかったが、先の司令官を務めたマルドニオスの説得により、紀元前485年にエジプトを平定すると、ギリシア遠征を決意した。
紀元前481年、クセルクセス1世は王都スーサを発ち、全軍の集結地クリタラを経て小アジアの拠点サルディスに入り、ギリシアの各ポリスに使者を送り降服を迫った。これによってマケドニアテーバイなどのポリスにはペルシア側についたが、アテナイ、スパルタにはペルシア側の使者は送られなかった。マルドニオスやメガビュゾスらに統括されたクセルクセスの遠征軍は、ヘロドトスの記述によれば歩兵1,700,000、騎兵80,000、戦車部隊など20,000、水軍517,000以上、三段櫂船1207隻、その他の船舶、輸送船3000隻、これにヨーロッパ各地からの援軍を加えた5,283,000以上の大規模なものであった。兵站学上、当時、これほどの大軍を維持することは不可能と考えられるため、実際に動員された兵力については様々な説が提唱されている。兵力は全くの推測によらざるを得ないため、少なく見積もった説で5万程度、多く見積もった説で20万程度とばらつきが大きい。ただし、いずれにせよギリシア側の兵力、船舶をはるかに凌駕する規模であったことは間違いない。

ペルシア戦争 第三次遠征の進路
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ペルシア戦争 第三次遠征の進路

紀元前481年のになると、クセルクセス来寇の一報がギリシア各地に伝わり、それまでペルシアの脅威に疎かった諸国も危機を認識するに至った。アテナイの政治家テミストクレスは、スパルタに働きかけてイストモスで会議を開き、ペルシア抗戦の意志を固めたポリスの代表者を招集した。ここで各ポリス相互間の紛争の即時終結(特にアテナイとアイギナ間の紛争処理)、サルディスへのスパイ派遣、ケルキラ、シシリクレタに対する援軍要請が宣言された。紛争停止とスパイの派遣はただちに実行され、ここにギリシア連合と呼べる体制が整ったが、援軍の要請は反スパルタ主義を貫徹するアルゴスが中立の立場を採り、シシリはシラクサカルタゴの脅威により援軍の派遣を断念、ケルキラは趨勢を見極めるために中立、クレタはデルポイの神託に従って中立の立場をとるなど、空振りに終わった。

ギリシア連合は、ペルシア軍が襲来する数カ月前の紀元前480年5月頃に再びイストモスにて会議を開き、テッサリアの親ペルシア派を威嚇するため、テンペ峡谷に約1万の兵を派遣した。しかし、マケドニアの王アレクサンドロス1世の使者にペルシア軍の強大さを説かれ撤退し、ギリシア側に見放されたテッサリアは完全にペルシア側についた。テンペ後退の後、再びイストモスにて会議が開かれ、ペロポネソス半島の諸国からコリントス地狭での防衛線構築が提案されたが、アテナイなどはこれに反対し、結局テッサリアからアッティカに抜ける幹線路にあるテルモピュライの隘路とエウリポス海峡への入り口にあたるアルテミシオン沖に防衛線を築くことで合議した。
紀元前480年8月、ギリシア連合軍はテルマから南下してきたペルシア遠征軍と両地で衝突したが、スパルタが主力となって防衛にあたったテルモピュライでは、カルネイア祭によってスパルタが少数の兵力しか派遣できなかったこともあり、スパルタ王レオニダスの健闘もむなしく防衛戦を突破された。テルモピュライでの敗退により、ギリシア軍はアルテミシオン防衛線からの撤退をも余儀なくされた。日和見的な立場をとっていたボイオティアの各ポリスは、防衛線の突破を受けて親ペルシアの意志を固め、これに追従するかたちでカリュストス、テノスなどアッティカに隣接するポリスにも親ペルシアの動きをとるものが現れた。

これらの事態を受け、テミストクレスの布告により、アテナイ住民はトロイゼン、アイギナ、サラミスに避難した。アテナイ住民は多くが避難を行ったが、避難に際しての資金は全て自己負担だったため、財力のない貧民と一部の聖職者は、アテナイのアクロポリスに籠城した。しかし、ペルシア遠征軍の前にアクロポリスは陥落し、アテナイは完全に占領された。
アテナイ市民の避難活動のため、アテナイの要請でサラミス島に集結していたギリシア連合は会議を開き、第二次防衛線をどこにおくかで合議を計った。ペロポネソス諸国としては、すでにアテナイが制圧された以上、アッティカ半島の防衛を行う必要性を得なかったため、イストモスに防衛戦を築くことを主張した。しかし、テミストクレスはこれに断固反対し、敵味方双方を篭絡して、なし崩しの状況下でサラミス水道での開戦にこぎつけた。しかし、テミストクレスはギリシア連合艦隊をまとめあげ、サラミスの海戦で地の利を生かしてペルシア艦隊を破った。
サラミスでの敗戦によってクセルクセス1世は戦意を喪失し、マルドニオスに後を託し、自身はバビロニアの反乱を鎮めるため、そのまま帰国した。陸上部隊はアテナイを落とした後、ギリシアの総司令部のあるイストモスのポセイドン神殿に入ったが、ギリシアの防衛線に攻撃は行わず、踵を返してテッサリアからマケドニアまで退いた。

[編集] クセルクセス遠征以降

紀元前479年、マケドニアで体勢を整えたマルドニオス率いるペルシア軍は、途上、テッサリアで兵を補充しつつ再びアテナイに入った。彼は、各地に避難しながら、未だ機能を保っていたアテナイ民会に再び服従を要求したが、アテナイ人は逆上し、使者を撃ち殺した。このためマルドニオスはアテナイ市街を完膚なきまでに破壊し尽くし、騎馬戦に有利なテーバイまで後退した。これに対して、スパルタをはじめとするペロポネソス諸国の連合軍は、コリントスを経てキタイロン山麓に陣を敷き、アテナイ、メガラの軍と合流してペルシア軍の出陣を待った。
マルドニオスは、ギリシア軍の動揺を誘うため騎兵隊を差し向けたが、メガラ軍とアテナイ軍は騎馬部隊を破って戦意高揚し、全軍が山地を下ってプラタイアに進軍した。ギリシア連合軍約11万 は、スパルタの重装歩兵密集陣の活躍によってペルシア軍を敗退させ、ペルシア側の総司令官マルドニオスは戦死した(プラタイアの戦い)。ペルシア軍はテーバイに逃げて籠城したが、ペルシア増援部隊はプラタイアから敗走する自軍を見てテーバイを放棄し、テッサリアからマケドニアを経て、アジアに撤退した。戦いに勝利したギリシア軍はテーバイ攻略にとりかかり、ペルシア兵とテーバイ兵を殺戮した。

プラタイアの戦いと同じころ、小アジアのミュカレの戦いでギリシア側は決定的勝利をつかみ、ペルシア勢力を、北部はヘレスポントス(黒海)まで、南部はキプロスまで押し返した。さらに小競り合いが長く続いたが、両者ともに決定的な戦果を上げることなく、紀元前448年に和睦(カリアスの平和)が成立して戦争は終結した。

[編集] 戦争の影響

ギリシア本土がペルシアの征服という危機にさらされたため、この戦いはヘレネス(ギリシア)対バルバロイ(夷族)の問題としてとらえられた。一時的ではあるが各ポリス間の紛争が調停され、ギリシア連合は結束してペルシア遠征軍に対抗したのである。何より、この戦争は「自由」のための戦いと称され、戦後は、自由を謳うや碑文、そして祝祭に沸いた。スパルタ、アテナイ、コリントスなどギリシア連合31ヶ国は、連名によってデルポイに3匹の絡まる蛇の円柱を建立したが、これは後にコンスタンティノポリスのヒッポドロームに移され、今日もその一部が残っている。
このように、ペルシアの遠征によって結束したかに見えたギリシアであったが、水面下では有力ポリス間の覇権争いは継続しており、特に戦後はアテナイとスパルタの権力闘争が表面化した。

イオニアからペルシア勢力を駆逐したアテナイは、一連の戦争の中で陸軍国から強力な海軍力を擁する海上貿易国家へ成長することに成功し、アイギナを抑えてエーゲ海東海岸を勢力下に納め、全盛時代を迎えた。対ペルシア戦争のためにアテナイ主導で締結されたデロス同盟では、各ポリスから一定の資金が軍資金として集められたが、経済的結束によって同盟関係は強化されつつも、実態としてはアテナイによるポリスの併合であった。事実、紀元前470年頃に同盟を離脱したナクソスは、アテナイ軍に包囲されて強制的に同盟に再加入させられ、また、同盟国からの徴収金はアテナイの国庫に流用されるようになり、後には金庫そのものがアテナイに置かれアクロポリス再建にも使用された。

これに対して、ペルシア戦争に貢献のあったスパルタなど農業中心のポリスには戦勝による見返りがほとんどなかった。交易活動が盛んなコリントスやアイギナもアテナイの勢力に圧倒された。さらにアテナイがテッサリア、メガラに次いでスパルタの敵対国アルゴスとの同盟を結んだことによって、スパルタとアテナイの間に決定的な軋轢が生じ、エーゲ海交易の主導権を握られたコリントス、アイギナとともにアテナイに敵対するに至った。これが後にペロポネソス戦争に発展していくことになる。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • ヘロドトス著 松平千秋訳『歴史(上)』(岩波文庫)
  • ヘロドトス著 松平千秋訳『歴史(中)』(岩波文庫)
  • ヘロドトス著 松平千秋訳『歴史(下)』(岩波文庫)
  • プルタルコス著 河野与一訳『プルターク英雄伝(二)』(岩波文庫)
  • 馬場恵二著『ペルシア戦争 自由のための戦い』(教育社)
  • de Souza,Philip『The Greek and Persian Wars 499-386BC』Osprey Publishing
  • 仲手川良雄著『テミストクレス』(中公叢書)

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