アメリカ同時多発テロ事件
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アメリカ同時多発テロ事件 (September 11, 2001 Terrorist Attacks) は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で起きたテロ攻撃事件。 9月11日におきた事から9.11(きゅうてんいちいち)と呼ばれることがある。
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[編集] 概要
イスラーム過激派によってハイジャックされた4機の大型ジェット旅客機が、アメリカ国内の複数の地上施設めがけ意図的に激突し、2992人の犠牲者(犯人含む)を出すなどの甚大な被害を及ぼしたテロ事件。テロ事件としては史上最大の被害となった。2004年11月はじめ、サウジアラビア人のオサマ・ビンラディンがビデオを通じて「モハメド・アタを通じて犯行を指揮した」と証言している。
イギリスやアメリカなどの英語メディアでは、この事件を「9/11」(ナイン・(オー)・イレブン)、「9月11日の事件」 (Events of September 11)、 「September Eleven Terror Attacks」などと呼ぶことが多い。中国語圏などにおいても、一般に「九一一事件」と呼ぶ。(ただし、中南米においては9.11はチリで1973年9月11日に発生した、アウグスト・ピノチェトによるクーデターを指すこともある。)
この後、アメリカは対テロ戦争として、アメリカのアフガニスタン侵攻、イラク戦争を行うこととなる。
[編集] ハイジャックされた旅客機
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州アーリントン、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室を乗っ取り自ら操縦桿を握り、2機がニューヨークマンハッタン、2機がワシントンD.C.へ向かった。
なお、乗っ取られた4機のうち2機がアメリカのボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機であるが、この2種類の機体は、運行する航空会社のパイロットの互換性を持たせるためにコクピットの操縦システムが基本的に同じものが使われており、ともに2人のみで操縦できるため、あえてこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと見られている。また、ハイジャック犯達はアメリカ国内にある民間の航空学校へ行き航空機の基本的な操縦法を学んでいた上、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。
ハイジャックされ墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡が確認された。
[編集] アメリカン航空11便
ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200・N334AA)は、乗客81名・乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟に突入し爆発炎上。離着陸時の事故と違い、機体の残骸は全く原形をとどめなかった。
また衝突の瞬間をフランスのテレビ局から取材に来ていた兄弟のカメラが偶然にも撮影。ビル近隣にある消防隊の平凡な日常を描くはずであった彼らの番組は、直ちに未曾有の事件に対峙する消防隊の活躍を記録するドキュメンタリーとなり、のちに日本を始めとする各国で放送された。
[編集] ユナイテッド航空175便
ボストン・ローガン空港発、ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200・N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に遅延出発した。管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様。直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟に突入し爆発炎上。なお、離着陸時の事故と違い高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は全く原形をとどめなかった。
11便の突入で多くの報道陣と見物人がビルの周りに集まっており、続く175便の突入では数多くの映像と写真が記録された。
[編集] アメリカン航空77便
ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便(ボーイング757-200:N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分ごろまでにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。直後に向きを北向きに変え、すぐに南へ転回し、しばらくして東へ進路を変えた。最初の針路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、通信不能となった。午前9時38分にアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し爆発炎上。 激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって激突の瞬間が目撃された。映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突した。離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸は殆ど原形をとどめなかった。 なお、一説によると77便はホワイトハウスに向かおうとしたが太陽の反射で前が見づらく、たまたま近くにあったペンタゴンを狙ったのではないかという説もある。
[編集] ユナイテッド航空93便
- 詳細はユナイテッド航空93便テロ事件を参照。
ニューヨーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便(ボーイング757-200、N591UA)は、午前8時42分、乗客37名(4人のテロリスト含む)・乗員7名を乗せて、41分もの遅延で出発した。乗客の電話での通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた模様である。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンへ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂、あるいはホワイトハウスであったとされている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪回に乗り出す。午前 10時3分、ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.から15分の場所)に、時速580マイル(時速933km)もの猛スピードで墜落した。公式の調査報告書では、乗客はコクピット内に進入できず、テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時6分とする説もあったが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。また、93便には日本人大学生1名が搭乗しており、日本へ帰国する為にサンフランシスコへ向かっていた最中に巻き込まれた。
乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に“Let's Roll”(さあやろうぜ)を合図にしたと言われている。この9.11事件以降のアフガニスタンへの「報復戦争」において、この“Let's Roll”は軍用機に描かれたり、空母乗組員が人文字を空中撮影する際に用いられたりするなど、しばらく「テロと戦うスローガン」とされた
なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』として2006年に公開された(この映画ではハイジャッカーたちに対して反撃した乗客たちがコックピットに進入して、操縦桿をハイジャッカーから奪いとる寸前であったかのように描かれている)。
[編集] 被害
[編集] 世界貿易センタービル
世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受け、爆発炎上した。1機目の激突は数日前から地元消防署の日常を取材していたフランスのテレビ局から派遣の兄弟によって偶然撮影され報道されている(この時点では多くのメディアが普通の航空機事故として報じた。1機目の情報を受けたブッシュ大統領も事故だと考えた)。
続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後にテレビ中継を行っていた際に発生し、日本を含む世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間におこった出来事であるため、前代未聞かつ衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事となった(この時点で、事故ではなく故意に起こされた「事件」であることが認識された)。また、撮影クルーが多くいた為、旅客機が激突する瞬間がプロやアマチュアを問わない多くのカメラマンにて撮影されている。
ツインタワーは、ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった(あくまで衝突のダメージのみを換算されていたものであり、ジェット燃料の延焼による火災のダメージは換算されていなかった)。だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、漏れ出したジェット燃料は吹き抜けを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。次いで火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。かつて世界最高を誇ったツインタワーは両棟ともに完全に崩落するという大惨事に至った。
ツインタワーは特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であったが、特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたためである。突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした(自殺及び飛び降りの項も参照)。また崩壊時の破片や煙によりビル外でも数人が命を落としている。
北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。
さらにこの2機は離陸したばかりの大陸横断旅客機であったため、激突時には大量の航空燃料を搭載していたことから、完全に鎮火するまで数ヶ月を要している。
この事件以降、世界貿易センタービル跡地はグラウンド・ゼロ(爆心地)とも呼ばれている。
[編集] 国防総省本庁舎
アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)は9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けた。大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊した。77便の乗客・乗員全員が死亡するとともに189人の国防総省職員も死亡した。激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録され、すぐにFBIによって回収、調査された。
事故現場はボーイング757の機体の判別が困難なほど焼けたが、ビルの倒壊は5層になっているビル全体の1番と2番で抑えられた。また、この部分は長官執務室の反対側であり、ビルの補強工事中で普段よりも職員が少ないことが被害を抑えた。世界貿易センタービルへの突入の影響で情報は錯綜し、最初の報道は単なる爆発炎上というだけであったが、後に付近を通行中のドライバーや歩行者によってアメリカン航空機が北側から旋回して激突したとの目撃が証言された。
[編集] 防空状況
テロ当日は北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の年に一度行われる訓練の日であり、万全の防空体制で訓練に当たっているはずであった。しかし連邦航空局(FAA)からアメリカン航空11便ハイジャック発生の第一報が入ったのは8時40分(それ以前に入っていた説もある)ごろで、マサチューセッツ州の空軍基地からF-15戦闘機2機がスクランブル発進したのは8時52分であった。
F-15はアメリカン航空11便を追跡するよう命じられたが、発進した時11便はすでに突入した後であった。管制室は途中からユナイテッド航空175便を追跡させているつもりだったが、状況の把握ができておらず、パイロットも何を追跡しているか良くわからなかった。F-15は一度ロングアイランド湾で待機するよう命じられ、ニューヨーク上空への進入を命じられたのは175便が突入した後であった。しかしF-15には旅客機攻撃の権限が無く、突入を止めることは不可能であったと考えられる(進路妨害は可能であったという指摘もある)。
ワシントンDCには、ノースカロライナ州上空で訓練していたF-16戦闘機3機が呼ばれたが、飛来したところで基地で待機するよう命じられた。3機はアメリカン航空77便を追跡するよう命じられ再度発進したが、訓練のために燃料が不足し始め、さらに2機は訓練用の模擬弾しか装備していなかった。9時30分に別のF-16が3機発進し、ワシントン近くへ飛来したが、これには攻撃用のサイドワインダーが装備され、旅客機撃墜の権限が与えられていた。しかし、結局77便に合流することは無く、9時38分にペンタゴンを攻撃された。
オハイオ州上空を飛行していたユナイテッド航空93便の近くには、積荷の搬送を行っていたC-130輸送機が飛行していたが、管制官から93便を見つけて追跡するように命じられた。C-130は93便墜落の際、17マイル離れたところにおり、墜落の様子は見ていない。また、ワシントンから実弾を搭載した1機のF-16が93便の追跡に向かったという話もある。
NORADから10時6分にスクランブル発進命令があった2機のF-16が発進したのは10時16分であった。別の2機のF-16が93便を追跡していたという話もあるが、公式な記録ではない。さらに事故から約10分後に現場はるか上空を戦闘機らしい航空機1機が通過するのを目撃された。NORADはFAAから93便墜落の報告を受けたのは10時15分で、10分近くも93便の追跡を続けさせていた。
FAAがアメリカ中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはツインタワーへの2度目の攻撃の直後からで、9時45分には全米の空港からの民間機の離陸が差し止められ、飛行中の民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。
[編集] 首脳の動き
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領はフロリダ州におり、小学校の授業を視察する予定であった。1機目のツインタワー攻撃の際には小学校へ向かう専用車の中にいたが、このときは事故だと考えていた。ただし、一時的にホワイトハウスとの間で電話会議が行われた。また補佐官ら周辺も同じように事故と考え、予定通り小学校へ入った。
授業視察中に2機目のツインタワー攻撃があり、補佐官から視察中のブッシュ大統領に「合衆国が攻撃されている」との報告を受けたが、ブッシュ大統領はすぐに動かずに7分間、小学生の朗読を聞いていた(この映像は後に『華氏911』などで取り上げられ、事態の深刻さを把握していなかった大統領が攻撃された)。また、隣室に待機していたシークレットサービスらも動かなかった。朗読が終わるとブッシュ大統領は小学生を誉め、隣室で補佐官と話し、電話でライス補佐官と州知事に連絡した。その後、テレビカメラで国民へ呼びかけ、9時30分頃に小学校から出発し、3マイルのところにある空港へ向かった。エアフォース・ワンが離陸したのは9時55分である。このとき護衛の戦闘機は無かったが、このとき上空には、未だに連絡の取れない旅客機が11機あった。その後、空軍基地で事態の沈静化を待ち、夕刻にワシントンDCへ帰還した。
チェイニー副大統領と数人の閣僚、ライス国家安全保障担当補佐官(現国務長官)はホワイトハウスで執務を行っていた。彼らはツインタワーへの2度目の攻撃の直後、シークレットサービスにつれられて地下壕へ避難した。なお、ホワイトハウスの屋上には防空用のスティンガーミサイルが備え付けられている。その後、閣僚らがヘリコプターで避難したのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。また、チェイニー副大統領は軍事補佐官に攻撃許可を求められ、ブッシュ大統領が不在の為、乗っ取られた飛行機の撃墜を許可した。しかし決定が出たのはユナイテッド航空93便が墜落した後だった。
ラムズフェルド国防長官は上級軍人と朝食をとった後、ペンタゴンの執務室へ入って議員と懇談していた。彼にツインタワー「攻撃」の知らせが入ったのは、ペンタゴン攻撃のわずか2分前であり、アメリカン航空77便がワシントンに向かっていることは知らなかった。また、ペンタゴンにはホワイトハウスのような防空装備が無い。攻撃の後、ラムズフェルド国防長官が建物の外へ出ると女性職員が血を流して倒れていた為、彼女を抱えて避難し、救急車が来るまで看病していた。現場から避難したのはその後で、数十分が経過していた。
パウエル国務長官は南アメリカのペルーを訪問中であったが、ツインタワーおよびペンタゴンへの攻撃の報告を聞いてすぐに帰国した。
ロシア連邦のプーチン大統領は、この一報に対し「アメリカ合衆国軍が必要な動員をかけたとしても、直ちにロシア連邦軍に迎撃体制を取らせることはない」とホットラインでブッシュ大統領に告げた。ロシア連邦軍にはソビエト連邦軍時代のオプションが継承されているため、通常、アメリカ軍が大規模な動員をかけるとそれに反応する様に指揮系統が準備されている(逆も同じ)。
[編集] 報道
[編集] アメリカ
アメリカでは、各全国ネット局の朝のニュースショーを放送している最中に第一報が入った。ツインタワーを映す情報カメラが世界貿易センター・北棟が炎上している模様を放送し始め、同時にニューヨーク上空の報道ヘリコプターも事件の様子を伝え始めた。推移を見守っていた矢先の現地時間9時3分、南棟に2機目が突入し、ネットワークやニュース専門放送局では特別体制を敷いての放送に切り替えた。
アメリカのテレビは、世界貿易センターが炎上、国防総省に旅客機が激突、世界貿易センタービルが次々に崩壊、さらに旅客機が墜落するという未曾有の衝撃的なライブ映像を放送し続け、その映像は全米そして世界各地に配信されていった。街の巨大モニターに映し出されるテレビ映像を見て、映画と勘違いした人も少なからずいたとされている。(NHKでは「信じられないような映像をご覧いただいていますけれども、これは現実の映像です」と放送された。)
テロ報道は日曜深夜まで休むことなく、CMもなしで放送し続けた。特にネットワーク3局の夕方ニュースのアンカーは最長で1日17時間に渡って伝え続けた。特にこの週は新番組が始まる時期だったので、軒並み放送が順延され、内容変更を強いられた番組もあった。その他の国でも同様の特別報道がなされた。また、アメリカ国内に本部を置くCNBC(ヨーロッパ/アジア向け)やCNNインターナショナルにて、本来あまり放送されないアメリカ国内向けの放送を全編放送し続けた。
[編集] 日本
アメリカ東海岸との時差が13時間(サマータイム期)ある日本では、22時前後から「ニューヨーク・世界貿易センタービルに航空機が突っ込む(1機目のアメリカン航空11便。日本時間21時46分、北棟に激突)」という情報が各局のニュース番組、またはニュース速報で伝えられ始めた。
この1機目激突の瞬間を捉えたフランス人カメラマンの映像は、翌12日まで放送されていない(NHKでは12日14時以降)。炎上するビルの映像を見るだけでは「事故」なのか「テロ」なのか判然としなかった。しかし22時3分、2機目(ユナイテッド航空175便)がツインタワーのもう一つ(南棟)に突入し、生放送を行っていたニュースステーション(テレビ朝日)とNHKニュース10(NHK総合)では、この瞬間が生中継された。尚、ニュースステーションではCNNの映像をそのまま放送していた。
この時NHKニュース10に出演していたコメンテーターは、晴天時での不可思議な激突状況からか2機目突入の発生前からテロの可能性を指摘していた。CNNでも同じような理由からテロの可能性が指摘されていたが、同時に、1945年7月28日にエンパイアステートビルにアメリカ陸軍のB-25爆撃機が衝突した事故を例に上げ、操縦ミスによる突発的な事故である可能性も取りざたされていた(なお、1945年の事故のときは深い霧が出ていた)。
22時20分頃には旅客機がハイジャックされてビルに激突した可能性が伝えられ、自爆テロとの見方が中心となった。 22時45分頃、「ペンタゴン(国防総省)が炎上」というニュースが各局で伝えられ、ニューヨークとワシントンの一連の事件は「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。炎上するペンタゴンの映像も放送され、3機目(アメリカン航空77便、22時37分ペンタゴンに激突)だったことも伝えられた。この段階で、もはや事故の可能性は有り得ようもなかった。各ニュース番組では、東京に上陸した台風15号や千葉における狂牛病疑惑の牛発見など、放送予定だった他のニュースを差し置いて、ニューヨーク・ワシントンとの中継映像が放送され続けた。時間(事件の拡大)とともに民放各社も次々に通常番組を打ち切り、臨時ニュースを開始した。
23時過ぎ、世界貿易センタービルの一つが崩壊したとの情報(南棟、22時59分崩壊)が入る。23時半過ぎにはビルの両方が崩壊したとの情報が入った(北棟、23時28分崩壊)。巨大な超高層ビルが次々に崩壊、膨大な瓦礫と化しマンハッタン南部が炎と煙で覆われるという衝撃的な中継映像が全国に報道された。さらに23時40分頃、4機目(ユナイテッド航空93便、23時3分墜落)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが入った。
[編集] 情報の混乱
事件発生直後の数時間は、被害状況が想像を絶する規模だったことや情報が錯綜したためか、次に挙げるような誤報もあった。日本の多くの新聞は訂正が締切時間に間に合わず、翌12日の朝刊にいくつかの誤報記事を載せてしまうこととなった。
- 突入した飛行機の便名の取り違え(12日未明に確定)
- 被害者は1006名。6名死亡、約1000名負傷(1993年の爆破事件の数字。ビルの崩壊後「数千人の可能性」に)
- DFLP=パレスチナ解放民主戦線が関与(数十分後、ダマスカスの本部でスポークスマンが否定)
- 国務省で自動車爆弾爆発(誤報)
- ホワイトハウス、連邦議会付近で爆発(誤報)
- ペンシルベニア州で墜落した飛行機はボーイング747(誤報。ボーイング757)
- 11機の旅客機がハイジャックされ、数機が行方不明(誤報。4機以外にハイジャック機は存在しない。全米に飛行禁止令が出された後も連絡が行き届かず、飛行を続けていた航空機が11機存在したことによる)
- ハイジャック機がキャンプ・デービッドに向かっている。その後の報道でキャンプ・デービッドに墜落した。(誤報)
また、これらの状況はアメリカでも同様で、最初は激突した航空機も大型ジェット旅客機ではなく小型民間機(単発小型プロペラ機など)と報道されていた。
テレビにおいて、事件の詳細について正確な報道がされ始めたのは、日本時間12日未明以降であった。日本のほとんどのメディアが徹夜でニュースを伝え続け、深夜のCMが全面休止され、1985年8月12日に発生した『日航ジャンボ機墜落事故』以来の終夜放送を行った。12日もほとんどテロ事件関連ニュース一色となった。夜のゴールデンタイム枠ではお笑い・バラエティ番組が休止され、特別番組が放送(TBSのナイター中継は通常時間より1時間短縮放送し、特別番組を放送)された。
[編集] 映像・写真
一連の事件を記録した写真や映像は、マスコミのみならずアマチュア・カメラマンなどによって大量に残された。特にテレビでは事件発生直後から、ありとあらゆる方向から記録された映像が何十回、何百回となく繰り返し放映された。しかしあまりに衝撃的な映像であり、遺族や関係者、さらには子どもにショックを与える可能性があるとされ、次第に自粛されるようになった。
1機目突入を撮影したフランス人カメラマンは、消防士に同伴して崩壊直前の北タワー内部を撮影。南タワー崩壊後、建物外に脱出し生還した。この映像はテレビで放送された他、DVDとして販売されている。 また2006年に公開された映画「ユナイテッド93」や「ワールド・トレード・センター (映画) 」でも、事件を伝える米テレビ局の映像が使われている。
また、アニメなどでもこの事件による配慮で回が飛ばされたものがある。(ギャラクシーエンジェルなど)
[編集] 被害全体
この無差別テロ事件の犠牲者は、すべての死者を合計すると2973人とされている。内訳はハイジャックされた4機の旅客機の乗員・乗客が246人、アメリカ国防省で125人。世界貿易センタービルで2602人とされている。
このうち世界貿易センタービルではニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
このほかにも世界貿易センタービルではこの事件の被害者と思われる24人の行方不明者がいる。なお、ビルの残骸に含まれていたと考えられる約1100人の遺体は最後まで発見できなかった。
[編集] アメリカ合衆国政府の対応
[編集] 非常事態宣言
ブッシュ大統領は速やかに非常事態を宣言した。世界貿易センタービルやペンタゴンへの攻撃がなされた後しばらくの間は、さらなるテロに備えて、州兵、予備役が動員された。空港などには厳戒態勢が敷かれ、全ての国境が閉鎖された。また、アメリカ国内を飛んでいた民間機は全て最寄の空港に下ろされ、多くの外国人がアメリカ国内に足止めされた。これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているグアムやパラオ周辺などの南太平洋の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。
このテロが航空機を用いたものであったことから、事件後は航空機の利用が一時的に激減し、世界中の航空会社が大きな打撃を受けることとなり、スイス航空やアンセット・オーストラリア航空、事件の当事者となったユナイテッド航空など、航空会社の破産、倒産も世界中で相次いだ。
[編集] 捜査
この事件においては、ハイジャック犯の機器操作ミス(犯人側は乗客に向けて、機内放送をするつもりだったと見られるが、機内放送用のスイッチではなく、管制塔とのやり取り用の無線スイッチを押していた)によってコックピット内の会話が管制室に入るようになり、アラビア語を話していることから、おそらくはアラブ人が犯人であることが早期に推測できた。また、客室乗務員は機内電話を使用して会社へハイジャックを報告し、犯人の特徴、人数と座席番号を伝えた。このため、航空会社は犯人の氏名、住所、電話番号からクレジットカードの使用履歴までを把握することが可能となった。また、数名の乗客も手持ちの携帯電話や機内電話で家族や友人にハイジャックの事実を伝えた。これらの電話の会話は殆どが機体の破壊まで続いた。この内いくつかの会話は録音されており、事件調査に利用された。
[編集] 犯人引渡し要求
アメリカ合衆国政府はこれらの捜査の結果から、このテロ攻撃がオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織アルカーイダによって計画・実行されたと断定、彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。しかし、彼らを保護していたターリバーン側は拒否。これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンに対し、攻撃を開始した。
- 以降の推移はアメリカのアフガニスタン侵攻を参照
[編集] アメリカ市民の様々な反応
[編集] 衝撃
この事件がアメリカ国民に与えた衝撃は当然大きかった。冷戦終結後、世界で唯一の軍事超大国としての絶対的な存在感を有していたアメリカが、他国から攻撃を受けることについて、アメリカ国民は強い衝撃を受けた。またアメリカがこれほどの衝撃のある武力攻撃を受けたのは、真珠湾攻撃以来であることを強調する論評も見られた。世界一の超大国であるアメリカが、特定のテロリストグループないしはそれを支持する国からは、そこまでの嫌悪感を持って見られるということを、アメリカ国民は否応無く突きつけられ、余計に打ちひしがれることとなった。
[編集] 愛国心
喪失感が充溢する中でアメリカ国民は、求心力を愛国的な意識を共有することに求め、速やかな報復を肯定する世論が形成されていった。具体的な物的証拠が挙げられないうちから、CNNなどのアメリカの大手マスコミなどにおいても、イスラム原理主義を信奉するアラブ系人種によるテロ説が唱えられ(同じような事は、ミリシアによるオクラホマシティの連邦ビル爆破テロや、大韓航空機爆破事件、オウム真理教による東京の地下鉄サリン事件の際にも発生した)、流言に乗った市民によるアラブ系住民の暴行事件が多発、アラブ系男性が射殺される惨事にまで発展した。事件発生直後のテレビ報道の中で、中東系の人々が勝ち誇ったように興奮する映像が流されるなど(本テロ攻撃との関係は全く不明)、いわゆる国家的陰謀論に結びつくような偏った報道が事件直後から行われていたとする説もある。
(大統領時代にはビンラディンを脅威と考えていた)前大統領であるビル・クリントンは、同時多発テロ事件を見て、それが直ちにビンラディンによるものだろうと考えたと後に述べており、方法はともかくとしても、アメリカに対するイスラム原理主義勢力によるテロ攻撃の可能性は以前から意識されていたものである。
[編集] 消防隊員
炎上する世界貿易センターに取り残された人々を救出すべく命がけでビルに突入し、ビルの崩壊で命を落とした警官隊や消防隊員に対してその勇気と献身的態度を賞賛する声がアメリカのみならず世界中から寄せられ、その遺族に対する募金や手紙も世界各国から寄せられた。また、同じような賞賛は有毒物質が散乱する事件現場で遺体や遺留品の捜索を行った作業員たちにも同様に寄せられた。
テロに対する報復は憎しみの連鎖を引き起こすだけだと、冷静さを取り戻し報復へ走らないようにすることを強調する人々もおり、オノ・ヨーコなどのミュージシャンは報復攻撃が行われていない時点で反戦のイベントを開催した。報復のための戦いは、テロ攻撃による犠牲への痛みが収まる前に、アメリカ各地からの兵士の戦地への出征をもたらすものであることから、アメリカ国民の感情は複雑なものであった。
[編集] 娯楽・文化活動の自粛
テロ以降、ニューヨークでは数々のアトラクションが、市民感情およびセキュリティ上から興行中止となった。しかし、ブロードウェイのミュージカルやメジャーリーグは程なくして再開し、打ちひしがれたアメリカ国民の心を慰めた。
全米1200もの系列局を傘下にもつラジオ放送大手のクリアチャンネル(Clear Channel Communications)は、事件直後に放送自粛曲リストを作成した。リストには以下のような著名なアーチストの名曲が多数含まれ物議を起こした。
- ルイ・アームストロング「この素晴らしき世界」
- ジョン・レノン「イマジン」
- ビートルズ「涙の乗車券」・「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」・「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
- サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」
- レッド・ツェッペリン「天国への階段」
- ドアーズ「ジ・エンド」
映画関連ではアメリカ国内や同盟国では、ニューヨークを舞台にしたりテロをモチーフにした映画は被害者に不謹慎として公開を延長、または自粛する作品が相次いだ。
- コラテラル・ダメージ
またアニメでは米国で放映中の「機動戦士ガンダム」英訳版は次回予告のキャッチ“Who can survive? ”(「君は、生き延びる事が出来るか?」)が問題になり中断されたという。
[編集] ブッシュ大統領の支持率
事件直前、ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は、50%を切っていた。そもそも、前年の大統領選挙は僅差での勝利であるために、また大統領選における大規模な混乱は選挙の正当性への議論を招いたことから、選挙直後から政権支持率は高くなかった。大統領就任後の初めての大きな事件としてその指導力が国民の注目を浴びることとなり、それがテロとの戦争として位置づけられたこと、また戦時には現職大統領を批判しないというアメリカ国民の風潮もあって、事件直後には国民の支持率は9割に到達、いみじくも政権最初の年から国民の支持を得た形となった。
[編集] 国際社会の対応
このテロに対する国際的な反発は大きかった。国連は9月12日にテロ非難決議を採択。北大西洋条約機構 (NATO) とロシアは、「国際社会が結束してテロと戦うべき」という共同声明を発表した。また、欧米諸国だけではなく、日本やサウジアラビア、インドなどのアジア諸国もアメリカ合衆国を支持し、1980年代にパンアメリカン航空機に対するテロを支援した過去のあるリビアや、ターリバーンの公然たる後援者であったパキスタン、在イランアメリカ大使館占拠事件以来アメリカとは犬猿の仲であるイランでさえ犯人グループを非難し、アメリカ合衆国に対する支援に同意した。
2006年11月14日、ベネズエラの国会は、アメリカ大統領に呼びかける決議案を満場一致で採択した。メキシコ国境における壁の建設を激しく攻撃している点、そして第4章で、決議案は、「イスラム・テロとの戦争」の根拠となった2001年9月11日の事件についての説明を要求している。
『ベネズエラ共和国の国会は、ブッシュ政権が、ワールド・トレード・センターとその犠牲者に対する自爆テロに関し、またペンタゴンに激突したとされる航空機についての明確な釈明、およびビンラディンとブッシュ家との関係を提示するよう強く求める』と。[1]
[編集] その後
ブッシュ政権は、このテロ事件後のアメリカ合衆国世論の変化に合わせて、2002年に国際テロ組織とテロ支援国と断じた悪の枢軸(イラク、イラン、北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めた。これをもとに、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。
この行動に対しては、アフガニスタン(=ターリバーン政権)攻撃と異なり、国際的な態度は分かれ、イギリスや日本、フィリピンやスペイン、イタリアなどのアメリカ同調国と、フランスやドイツ、ロシア、中華人民共和国などのアメリカ非同調の立場に分かれた。
その後の2004年10月、アメリカ政府調査団は「開戦時にはイラク国内に大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかった」と結論づけた最終報告書を米議会に提出。2006年9月には、アメリカ上院情報特別委員会が「旧フセイン政権とアルカイダの関係を裏付ける証拠はない」との報告書を公表しており、開戦の正当性が根底から揺らぐ結果となっている。
またブッシュ大統領は、イラク戦争後の2004年に中東首脳を招いて会談を開き、サウジアラビアやシリアの様に王制や独裁が色濃い中東各国がテロの温床になっているとして、これらの国々を民主化すると宣言し、中東各国は“それぞれの国情を無視しアメリカ式を押し付けるもの”と強く反発した。アメリカは中東民主化を今後の外交の方針に掲げるとしているが、この様な強権的なやり方には中東諸国のみならず、多くの国から批判が集中している。
さらに、「アメリカがアメリカであり続ける為に必要」として、「愛国者法(反テロ法)」を制定、2005年7月には暫定法であった同法を恒久化。市民のプライバシーを大幅に制限、公安活動の用に供するとして、また12月には、国家安全保障局の行なう不法な盗聴を大統領権限で事実上黙認していた事、2006年5月には、“テロリスト関係者、またはそれらと少しでも接触のあった外国人”をアメリカ入国の際に令状抜きで不法に連行・収監、自白を取る為の拷問がCIAとFBIによって行なわれていた事が明らかになるなど、全体主義化傾向が国内のリベラリスト・市民団体から批判されている。
[編集] 跡地の再開発
世界貿易センターの跡地については、遺族から慰霊の場としてほしいという意見もあった。しかし多くのオフィススペースを失ったためにニューヨークから企業が流出することを恐れた市当局や、跡地を所有してきたニューヨーク・ニュージャージー港湾局らは、金融街に近くビジネス街の一等地であるこの場所に新たなオフィスビル・商業施設と交通ターミナルの再建を希望した。当初の再建案はあまりにも経済復興の色が強く遺族の反対で撤回され、改めて世界の建築家を集めて行われた建築設計競技の結果、アメリカ人建築家ダニエル・リベスキンドの案が採用された。
2004年7月、世界貿易センタービル跡地に再びビルを建設するための起工式が行われた。敷地内には旧南棟・北棟跡の祈念スペースを囲むように数本の超高層ビルが建ち、最も高いビルは「フリーダム・タワー(自由の塔)」と名づけられ、アメリカの独立した1776年にちなんで、1776フィート(約541メートル)の高さとなる。これが完成すればアメリカ合衆国内では最も高い建造物となる。2010年完成予定。周囲にはタワー2、タワー3、タワー4、タワー5が建つ予定。
一方、世界貿易センタービルの残骸には、発見されない相当数の遺体が含まれると思われた。遺体はDNAすら判別できないほどに傷んでいると思われるが、遺族は取り扱いに非常に神経を尖らせていたため、残骸は廃棄することができず、ごみ処分場に大量に放置されている状態であった。しかし、2005年3月初め、当局はおよそ1100人分の身元が判明できないまま確認作業を中止すると発表した。鉄骨類は屑鉄として再利用のためインドへと輸出された。
[編集] 事件の影響
9・11は、アメリカ政治および国際社会の大きな転換点となった。アメリカ国内の世論は急速に保守化し、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場。その影響力を増大させたきっかけともなった。一方、他の国ではアメリカの方針に対して世論が真っ二つに割れた。
親米的な意見(アメリカの主張)としては、これを基に世界中の独裁国家の民主化をすすめるべきだという意見などがある。特にブッシュ大統領が悪の枢軸としたイラク・イラン・北朝鮮などで非民主的体制が猛威を奮っているとされる状況で、これを解決するべきだとの声もある。その後のアメリカの対応を見ると、イラクやイランに対しては強硬姿勢に出るものの、北朝鮮やリビアに対しては様々な事情(アメリカの同盟国への軍事的影響力、石油利権など)から強硬姿勢を持たないなど、矛盾した対応が目立つ。
反米リベラル的な意見としては、「自由の国アメリカ」のシステムを国外に普及させることを使命とするネオコン勢力の拡大は、政府の好戦的姿勢に反対する意見を言えない雰囲気を作り出しているとする声もあり、リバタリアニズムなど反ネオコン陣営からの反発も高まっている上に、アメリカ国内でさえ破綻しかけているアメリカ的価値観・システムの押し売りであると言う反発が多い。
またこの事件をきっかけに、アメリカは国連協調をなくして一国独走主義の時代になったり、冷戦時代の米ソ対立の構図の残滓も消え、世界の軸は突出した超大国一国によって動かされる(ジョン・ボルトンの国連軽視発言)時代になったとする意見もあり、これを「アメリカ帝国」と表現するアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートのような思想家などもいる。
[編集] 対アフガニスタン人道援助
事件後のアフガニスタン攻撃に伴う対アフガニスタン人道援助・資金援助は、アフガニスタンとの国交を唯一保ったパキスタンが窓口となった。アフガニスタン向け援助は、その10-80%がアフガニスタンに届く前にパキスタンにおいて横流しされ、イスラム原理主義者を勢いづかせたのではないか、という意見もある。
[編集] 政権交代
なお、事件後にアメリカを中心に行われたイラクへの侵攻に同調し派兵を行ったイギリスやスペインでは、この派兵に反対するイスラム過激派と見られる集団による一般市民を狙ったテロ事件が発生し、多くの人命が失われた。また、アメリカ主導で行われたイラク侵攻に同調し派兵することに対して、上記のようにこれらの国の内部で国民の意見が二分した。
その結果スペインでは、2004年3月のマドリードにおける列車爆破テロ事件後に行われた選挙で、アメリカへの支持と派兵を決定したホセ・マリア・アスナール首相率いる国民党が敗退し、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ率いるスペイン社会労働党に政権が交代し、2006年9月には同じくアメリカへの支持と派兵を打ち出して以降人気が急落していたトニー・ブレア首相が任期途中で退陣することを発表するなど、アメリカへの支持と派兵はこれらの国における政権交代のきっかけを作ることとなった。
[編集] 金融市場
事件が起きた時刻はアメリカでの取引が始まる前で、多くの金融機関が入居する貿易センタービルで起きた事件ということもあり、その日のアメリカ国内の取引は中止。翌週の17日(月曜日)に再開するまで、取引所や金融機関は修復作業に追われた。
一方、取引中だったヨーロッパではCNNやCNBCを通じて事態が明らかになるとすべての取引所で株価の全面安が起きる。明くる12日の東京の日経平均株価は1400円以上の下落となった。
[編集] 陰謀論
この事件には「アメリカ政府の自作自演である」、「ジョージ・W・ブッシュ個人とその一族がオサマ・ビンラディンと繋がっており共謀した」とする論調があり、ジャーナリストや研究者によって様々な著作も発刊されている。またこのような陰謀論は広がりを見せ、この様な動きに対して、アメリカの報道機関においても「アメリカ国内で『陰謀説』が再燃の兆し」と報じられたこともある[2](CNN)。 また世論調査によっては「アメリカ政府が中東派兵の口実の為に、事件をサポートしたか、あるいは意図的に阻止しなかったと思う」との回答が、アメリカ国民の1/3以上に上っているものもある[3]。en:9/11 conspiracy theories参照。
[編集] 都市伝説
- 「世界貿易センタービルの住所である「Q33NY」をウィンドウズのフォント「Wingdings」で絵文字化すると飛行機とその先に二つのビル、そして死を象徴するドクロやダビデの星が浮かび上がる」とする噂やチェーンメールがテロ当時インターネットを通じ広がった。しかし、実際にはビルとされる形は前後の“2”“4”を絵文字にすればわかるが、書類を示す絵文字であり、また、実際の世界貿易センタービルの住所とも違うので、“N”のドクロと“Q”の飛行機、“3”の書類を見て誰かが作成した都市伝説の類と思われる。また、ビルの住所のかわりに、ハイジャックされた飛行機の便名やバス停の名前とするバージョンもある。[4]
[編集] アメリカ紙幣
- またアメリカドル紙幣(1ドル以外)を折り紙すると、印刷された絵(ホワイトハウスと樹木)がWTCが炎上 (5、10ドル)に →崩壊 (20、50ドル)に →崩壊完了 (100ドル) に見える。
- 20ドル紙幣をジャバラ折りにしてみると、首謀者であるといわれる「OSAMA(オサマ・ビンラディン)」の名前になる。なぜ20ドルかというと「9+11=20」となるからとまで言われているABC(アメリカン・バカコメディ)振興会の検証。これは実際に折ってみればわかるが偶然の賜物とはいえ、かなりリアルに描写できる。
- アメリカ紙幣は世界貿易センタービルが建築される以前からデザインが変わっておらず、この事件は既に予期されていたのではないか、という非科学的な噂がある。
[編集] 関連項目
- 世界貿易センタービル爆破事件
- テロリズム
- アフマド・シャー・マスード
- オサマ・ビンラディン
- アイマン・ザワヒリ
- アルカーイダ
- ターリバーン
- ムアンマル・アル=カッザーフィー
- 対テロ戦争
- アメリカのアフガニスタン侵攻
- イラク戦争
- アメリカ帝国
- アメリカ新世紀プロジェクト (PNAC)
- ボジンカ計画
- 陰謀論
- 11'9''01/セプテンバー11
- 華氏911
- ワールド・トレード・センター
- ユナイテッド93
[編集] 外部リンク
- National Commission on Terroist Attacks Upon the United States(9/11調査委員会)の公式サイト(英語)
- 9/11調査委員会の最終調査報告書(英語)
- In Memoriam: September 11, 2001 WikiPedia姉妹プロジェクト(英語)
- テロリストは誰? - 911ボーイングを探せ!~航空機は証言する~(アメリカ政府の主張に疑問を呈する)(日本語)
- ReOpen911.org 9.11事件の再調査をアメリカ政府に求める活動(日本語)
- 911Truth.org 陰謀説に立ち真相究明を求めるサイト(英語)
- 「ニューヨーク・レポート」冨田晃2001 『祝祭と暴力』(二宮書店)の5章に収録(日本語)
- 崩壊メカニズムの解説 USA TODAY (英語)
- JST失敗知識データベース > 失敗事例 > ニューヨーク・ツインタワービルの崩壊(日本語)
- 9.11 日本人犠牲者家族のためのホームページ (日本語)
[編集] 関連書籍
- 『9.11テロ捏造 日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ』 ベンジャミン・フルフォード著 徳間書店 ISBN 4198621950 (日本語)
- グラウンド・ゼロがくれた希望 堤未果(つつみ・みか)著 ポプラ社 ISBN 4591081419 (日本語)
- 「9・11ジェネレーション―米国留学中の女子高生が学んだ『戦争』」 岡崎 玲子著 集英社新書 ISBN 408720233(日本語)
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