ボーイング707
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ボーイング707(Boeing 707)は、アメリカのボーイング社が開発した大型ジェット旅客機。1950年代初頭に原型機の開発が開始され、1958年に路線就航した。ダグラスDC-8やコンベア880(CV880)と並び、第1世代ジェット旅客機を代表する機種である。
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[編集] 概要
[編集] 367-80
1950年代初頭にアメリカ空軍初の大型ジェット輸送機として開発が開始され、1954年に原型となるボーイング367-80(ダッシュ80)が完成した。後に空中給油機ボーイングKC-135としてアメリカ空軍から正式発注を受ける。
[編集] 就航
その後旅客型のボーイング707の開発が進められた。世界最初のジェット旅客機であるイギリスのデハビランド社が開発したDH106 コメット1の初就航(1952年5月2日)に遅れること6年、ソ連のツポレフTu-104の就航(1956年9月1日)に遅れること2年の1958年10月26日に、パンアメリカン航空のニューヨーク-パリ線に就航した。コメット1の就航からは大幅に遅れたものの、ライバルのダグラスDC-8に先立つこと1年弱、コンベア880に先立つこと1年であった。
[編集] 人気
就航ではコメット1に先行されたボーイング707だが、その後の運用と競争では大きくリードをとった。コメット1は、1952年から1954年にかけて機体設計上の問題で連続事故を起こし、その後数年間運行が停止された。また、コメット1は、航続距離が短く、乗客数もダグラスDC-6やDC-7C、ロッキード・コンステレーションなどの従来のプロペラ機並、もしくはそれ以下であった。
それに対し、乗客数もスピードも平均的なプロペラ機の倍以上のボーイング707は、デビュー前から圧倒的な人気を誇った。1958年に改良型のコメット4が就航したにもかかわらず、多くの航空会社はボーイング707やDC-8を選択した。その後も順調に受注数を伸ばし、1991年に生産中止(民間型は1982年に生産中止)されるまでの33年間に1,010機(軍用機含む)が製造された。開発には大西洋単独無着陸飛行を初めて達成したチャールズ・リンドバーグも関わっている。
1990年代頃より老朽化により引退する機材が増えてきたものの、現在もエンジンに低騒音キットを取り付けた機材を中心に世界中で活躍しており、他にもアメリカ空軍を始めとする世界中の空軍・政府で軍用型が使用されている。これら軍用型にはエンジンを高バイパス比、低騒音型のCFM-56に換装したタイプが含まれる。
[編集] バリエーション
[編集] -120
最初に作られた707が、プラット・アンド・ホイットニーのターボジェットエンジン「JT3C」型を搭載した-120である。しかし、燃費が悪く航続距離が短かったため、大西洋横断飛行を行う場合、アイルランドのシャノンやカナダのガンダー、グースベイなどに給油のため着陸せねばならず、せっかくのスピードを存分に生かすことができなかった。また、垂直尾翼の構造に問題があるため、ダッチロール(尻を振るような横揺れ現象)の問題も指摘されたが、その後改良され、その知識は後の-320の設計時でも活かされた。
なお、変り種として、当時から長距離路線を多く運航していたオーストラリアのカンタス航空の要望により、航続距離延長を目的に胴体を短縮したタイプがある。後にエンジンをJT3Dターボファンエンジンに換装され、他社に転籍した後も1980年代初頭まで活躍した。
[編集] -220
-120の機体に「JT3D」型エンジンのパワーアップ版の「JT4A」型を搭載したのが-220である。燃費効率が悪く航空会社からの評判が悪かったため、わずか5機が製造されてブラニフ航空に納入されたにとどまった。
[編集] -320B
-220の胴体と翼を延長し、搭載量を増した発展型が-320であり、さらに-320にプラット・アンド・ホイットニー製のターボファンエンジン「JT3D-3B」型を搭載したのが-320Bである。ターボファンエンジンを搭載したことにより燃費が大幅に向上したため、東京-モスクワ間をノンストップで飛行したり、偏西風などの天候条件が揃うことや搭載量の制限を行えば太平洋無着陸飛行も可能となった。旅客型が-320B、貨客混載型(純貨物型も)が-320Cである。後にはより強力なJT3D-7を搭載するタイプも登場した。
[編集] -420
-320型をベースに、英国製のターボファンエンジン、ロールスロイス・コンウェイ「MK508」型を搭載したのが-420である。英国海外航空(現在のブリティッシュエアウェイズ)の依頼によって開発され、主にイギリスとイギリス連邦諸国の航空会社で使用された。
[編集] ボーイング720
-120の胴体を若干縮めた短、中距離用バージョンで、後に「JT3D」型エンジンに換装されたB720Bも登場した。コンベアのCV-880などと競合したが、まもなくボーイング727やDC-9等の本格的な中・短距離向けジェット機が開発されたため、少数の生産で終わった。アジアでは大韓航空が使用し、日本路線にも投入された。
[編集] 軍用機
アメリカ空軍の軍用機として下記のような機体が製作された。
- C-135:輸送機
- EC-135:空中指揮機
- KC-135:空中給油機
- NC-135:核爆発実験観測機
- NKC-135:実験機
- OC-135:査察機
- RC-135:電子偵察機
- TC-135:偵察訓練,支援機
- WC-135:大気収集機
- E-3"セントリー":早期警戒管制機。
- E-8 J-STARS:地上の監視を目的とした機体。中古の707-320をノースロップ・グラマンが改造した。
- VC-135:大統領専用機エアフォースワン、ケネディ政権からレーガン政権にかけての28年間使用。後継機はVC-25(747-200)
他にもイスラエル空軍やオーストラリア空軍、イラン空軍(イラン革命前に購入)など、世界中の空軍や政府で使用された。
[編集] コピー機
中華人民共和国の上海航空機製造会社が、中国民用航空総局(CAAC)が運行しているボーイング707を丸ごとコピーした上海Y-10型を1970年代に開発したが、技術力不足が顕わになり、1980年代にごく少数を製造するにとどまった。
[編集] 仕様
707-120B | 707-320B | |
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乗客数 (2クラス) |
110 | 147 |
乗客数 (1クラス) |
179 | 202 |
最大離陸重量 | 257,000 lb (116,570 kg) | 333,600 lb (151,320 kg) |
航続距離 | 6,820 km | 6,920 km |
速度 | 1000 km/h (マッハ0.81) | 972 km/h (マッハ0.79) |
全長 | 144 ft 6 in (44.07 m) | 152 ft 11 in (46.61 m) |
エンジン | Four 75.6 kN (17,000 lbf) P&W JT3D-1 turbofans. | Four 80 kN (18,000 lbf) JT3D-3s or four 84.4 kN (19,000 lbf) JT3D-7s. |
[編集] 主な運行会社
- パンアメリカン航空
- ノースウェスト航空
- ヴァリグ・ブラジル航空
- 大韓航空
- 中華航空
- 中国民航(現在は分割)
- 現在の中国国際航空
- キャセイパシフィック航空
- マレーシア航空
- シンガポール航空
- ベトナム航空
- エアーインディア
- ビーマン・バングラデシュ航空
- パキスタン航空
- エジプト航空
- イラン航空
- トランス・メディタレニアン航空
- カンタス航空
- エールフランス航空
- 英国海外航空(現在のブリティッシュエアウェイズ)
- BOACキュナード航空
- ルフトハンザドイツ航空
- サベナ・ベルギー航空
- ジョン・トラボルタ(個人オーナー)
- ウェスタン航空
- トランス・ワールド航空
- アメリカン航空
- アビアンカ・コロンビア航空
- ヨルダン航空
- エルアル・イスラエル航空
- サウジアラビア航空
- エチオピア航空
- ブリティッシュ・カレドニアン航空
- TAP ポルトガル航空
- リビア・アラブ航空
[編集] 主な事故
- 1962年6月3日:エールフランス航空(ボーイング707-320)、パリのオルリー国際空港の離陸に失敗し滑走路をオーバーラン。130人死亡。
- 1966年3月5日:英国海外航空(BOAC)911便(ボーイング707-420)、富士山上空で山岳乱気流に揉まれ空中分解・墜落。124人死亡(英国海外航空機空中分解事故)。
- 1968年12月26日:パンアメリカン航空114便(ボーイング707-320F)、アラスカ州エルメンドルフ空軍基地を離陸直後にフラップの出し忘れと、警報システムの故障のために墜落した。乗員3人死亡。
- 1974年1月30日:パンアメリカン航空806便(ボーイング707-320)、アメリカ領サモア諸島ツツイラ島パゴパゴに着陸進入中にウィンドシアーが原因でパゴパゴ空港手前に墜落した。97人死亡。
- 1978年4月21日:大韓航空KAL902便(ボーイング707-320)、ソ連領空を領空侵犯し、ソ連空軍機に撃墜されムルマンスク半島の凍結湖に不時着。死者2人。(大韓航空機銃撃事件)
- 1979年1月30日:ヴァリグ・ブラジル航空、ボーイング707F貨物機が成田空港を離陸後、太平洋上で行方不明になる。原因不明。5人死亡。
- 1990年1月25日:アビアンカ航空52便(ボーイング707-320)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに燃料切れのため墜落。73名が死亡。
[編集] 日本におけるボーイング707
ボーイング707の開発当時、日本で唯一の国際線を運行する会社であった日本航空はコメット1を発注したものの、連続事故の発生により発注をキャンセルしていた。その後、ボーイング707ではなく、これまで関係が深かったダグラス社が開発したDC-8を1955年に正式発注、1960年8月12日から太平洋横断路線に就航させた。しかし、ライバルのパンアメリカン航空が1959年9月7日に最新鋭ジェット機のボーイング707を太平洋横断路線に就航させてから、日本航空がDC-8を就航させるまでに1年以上もの間があったため、その間、旧式なプロペラ機であるDC-7Cを使い続けた日本航空は利用客が激減し、経営上の大打撃を受けた。
なお、日本の航空会社ではミネベア傘下のミネベア航空が唯一、ボーイング707(元エールフランスの機材)を部品輸送用として運行したがDC10-30CFに置換えられた。
日本に乗り入れた海外航空会社はパンアメリカン航空以外にも、ノースウェスト航空やルフトハンザドイツ航空など、多くの外国航空会社が日本路線に就航させた。その中で英国海外航空のボーイング707(G-APFE)が1966年3月5日に富士山麓で空中分解し、墜落する事故を起こしている。
[編集] 関連項目
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レシプロ旅客機:40A | 80 | 221 | 247 | 307 | 314 | 377 |
ジェット旅客機:367-80 | 707/720 | 717 | 727 | 737 | 747 | 747-400 | 747-8 | 757 | 767 | 777 | 787 |
構想・開発中止:2707 | 7J7 | NLA | ソニック・クルーザー | Y1 | Y3 |