アメリカ合衆国議会議事堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ合衆国議会議事堂(英United States Capitol)は、アメリカ合衆国議会の議事堂。地理的にはワシントンD.C.のやや東に位置するが、首都の中心とみなされ、ワシントンD.C.の住所の東西南北は議事堂を基準に定められている。高さ288フィート(87m)の巨大なドームが特徴的な新古典主義建築で、一般にはキャピタル・ヒル(Capitol Hill)と呼ばれている。
目次 |
[編集] 名称
英語の「Capitol」は古代ローマの「カンピドリオ(ラテン語:Capitolinus Mons)」に由来している。
[編集] 沿革
アメリカ合衆国議会の議事堂としては正確には4代目。
1783年~1784年にメリーランド州アナポリスにある現在州議会の議事堂として使用されている建物を初めて使用されたのを最初としている。その後、二代目として、1789年~1790年はニューヨークのフェデラル・ホール。三代目として、1790年~1800年はフィラデルフィアの独立記念館が使用された。
現在の議事堂の建設は、初代議事堂建築監ウィリアム・ソーントン(Dr. William Thornton)の設計により1793年に開始され、初代大統領となるジョージ・ワシントンが棟上式を行ったことで知られている。議事堂建設の多くは黒人奴隷が使用されたといわれている。当初は大工をヨーロッパから募集する予定だったが思うように集まらず、奴隷や元奴隷の黒人達が材木を切り、レンガを焼き、石を積む建設作業の大半を担った。
上院側は1800年に完成し、下院側は1811年に完成する。アメリカ合衆国議会の議事堂として最初に使用されたのは1800年11月17日からの通常会期である。完成のすぐ後に、アメリカ独立戦争によって1812年に一部が消失したが、1815年に再建が始まり、1830年には終了した。
議事堂は1850年代に両翼を大規模に拡張された。この際にも黒人奴隷が建設に使役された。この際にドームも立てなおされた。もともとロトンダの上にあった円形ドームは再建途上の1818年に材木を組み合わせてできたものだったが、拡張後の議事堂のサイズに比べると小さすぎた。拡張計画の責任者だったトーマス・U・ウォルターはパリの廃兵院のマンサード屋根を参考に、従来の木製ドームの三倍の高さで直径も30m大きい、鋳鉄でできたウェディングケーキ状のドームを設計した。廃兵院のドーム同様、内部は二重になっており、内側の石造ドームには天頂に大きな天窓をあけ、その向こうに外側ドームを支える鋳鉄の肋骨材(リブ)から吊るされたジョージ・ワシントンを賛美する天井画が見えるようになっている。ドーム上には円形構造が設置され、その上に1863年に「フリーダム」と名づけられた高さ19と1/2フィート(6m)のブロンズの巨大な女神像が置かれた。
ドームは計画より巨大になったため、今度は1828年建設の東翼の柱廊が小さく見えるようになった。このため、1904年に議事堂の東正面棟が改築された。アメリカ合衆国最高裁判所は、1935年まで東正面棟や地下階など議事堂各所で会合を開いていた。
[編集] 構造
ドームとロトンダを中央に、正面右手(南側)が下院の棟で、左手(北側)上院の棟である。議事堂のすべての部屋名には「S」(Senate、上院)か「H」(House、下院)の区別が表示されているが、これはドーム下の大空間であるロトンダの南(下院側)にあるか北(上院側)にあるかで決まっている。
議事堂の建つ区画は、北はコンスティテューション・アヴェニュー、南はインディペンデンス・アヴェニューという大通りで囲まれているが、その大通り沿いに建つ議会オフィスビル群の部屋名にもすべて南北別に「HOB」(House Office Building、下院ビルディング)と「SOB」(Senate Office Building、上院ビルディング)の表示がつけられている。さらに、議事堂と南北の大通りをはさんだ両議会のオフィスビル群とは長いトンネルで結ばれ、トンネル内は地下鉄がシャトル運転して議員や職員、来訪者が行き来しており(アメリカ合衆国議会地下鉄)、非常時には避難路ともなる。
ワシントンD.C. の住所には全て、NE、NW、SE、SW (北東、北西、南東、南西)がつけられているが、これも議事堂のロトンダを中心としている。議事堂はワシントン市街の中心ではなくやや東寄りになるため、4つの区域の面積は同じにならない。
下院の棟内には、アメリカのみならず世界の歴史上有名な政治家の銅像が時計回りに設置されている。