あさま (列車)
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あさまとは、東京駅~長野駅間に運転されている長野新幹線の列車名である。
目次 |
[編集] 運行概況
[編集] 所要時間
東京駅~長野駅間を最速1時間23分、平均約1時間41分で結ぶ。「あさま」の統一名称を与えられてはいるが、列車毎の停車駅設定がまちまちなため、所要時間の差異がある。
開業時から2002年12月まで、東京駅~長野駅間をノンストップで走り79分(1時間19分)で結ぶという列車が1往復設定されていた。キャッチフレーズは「東京-長野,倍速79分」、「東京は長野だ」というものであった。
[編集] 停車駅
大宮駅には全列車が停車する。それ以外の停車駅は列車によって異なる(長野新幹線の項を参照)。
[編集] 使用車両
高崎駅~軽井沢駅間に30/1000(30‰)の急勾配が約30kmにわたって連続することと、軽井沢駅~佐久平駅間に電源周波数50Hz/60Hzの切換セクションが存在するため、高出力モータを装備し、2種の周波数に対応した専用型のE2系電車(N編成)が充当されている。
またE4系の中にも、勾配や周波数切換に対応させ、長野または軽井沢までの乗り入れを可能とした編成(P51・P52は軽井沢まで、P81・P82は長野まで乗り入れ可能)が存在する。これらの車両は車両運用を乱す恐れがあるためか普段は上越新幹線を中心に運行され、逆にE2系N編成は上越新幹線(高崎-新潟間)に乗り入れしていない。
過去には200系による運転もあった。1998年の長野オリンピック開催期間中、輸送力増強のため、急勾配、異周波数対応の200系12両編成(F80編成)による臨時列車が運行されたが、その後同編成はあさまには充当されず、2004年に廃車となった。
[編集] 列車編成
<8両編成(E2系)>
東京← | →軽井沢・長野 | ||||||||
1 自× |
2 自× |
3 自× |
4 自× |
5 指× |
6 指× |
7 指× |
8 指× |
※上記よりも自由席、または指定席が増える列車・曜日がある。あさま599号は1~4号車のみ乗車可能
[編集] 沿革
- 「あさま」を名乗る列車は現在の新幹線のほか、過去に下記の3列車が存在した。
- 1961年10月~1962年12月に、小諸駅~新潟駅間を運行した準急「あさま」
- 1962年12月~1963年9月に、上野駅~長野駅間を運行した夜行準急「あさま」
- 1966年10月~1997年9月に、上野駅~長野駅・妙高高原駅・直江津駅間を運行した特急「あさま」
[編集] 1997年~ 新幹線「あさま」
- 1997年(平成9年)10月1日 - 北陸新幹線の高崎駅~長野駅間が先行開業(現在の名称は「長野新幹線」)。同区間を走る列車に在来線特急から名前を引き継ぎ、「あさま」と命名。
- 1998年(平成10年) - 長野オリンピック開催により、期間中の増発用として200系を臨時投入。
- 2001年(平成13年)7月22日 - E4系の対応車両を使用した「Maxあさま」が軽井沢駅~東京駅間の臨時列車として運転開始(下りの設定はなし)。
- 2005年(平成17年)12月10日 - 長野方面の新幹線車両を全車禁煙化。
[編集] 信越本線長野以南優等列車沿革
(長野以北はくびき野 (列車)を参照)
[編集] 信越本線開業
- 1885年(明治18年)10月15日 信越本線の第一歩となる、高崎駅~横川駅間が官営で開業。
- 1888年(明治21年)12月1日 直江津駅~軽井沢駅間が官営で開業。残った横川~軽井沢間にはだかる碓氷峠は、碓氷馬車鉄道と呼ばれる馬車鉄道で連絡した。
- 1893年(明治26年)4月1日 碓氷峠を挟む横川駅~軽井沢駅間をアプト式鉄道で開通させる。高崎駅~直江津駅間は1日2往復で、下りは8時間35分、上りは8時間40分を要した。なお碓氷峠の区間だけでも、当時は1時間15分~20分を要していた。
[編集] 優等列車設定
- 1915年(大正4年)3月25日 上野駅~長野駅~新潟駅間(当時上越線は未開通)運転の101・102列車という、信越本線初の急行列車を設定。夜行列車で、全区間を下り14時間、上り15時間40分で運行。
- 1922年(大正11年)3月15日 信越本線に上野駅~金沢駅間運転の773・772列車という急行を新設。全区間を下り13時間25分、上り13時間45分で走破。夜行列車で、寝台車を連結。前述した上野駅~新潟駅間運行の急行列車にも、この頃までに寝台車連結。
- 1931年(昭和6年)9月1日 上越線の開通により、信越本線経由の上野駅~新潟駅間急行は廃止。
- 1939年(昭和14年)11月15日 上野駅~大阪駅間運行の急行601・602列車を新設。それまでの上野駅~金沢駅間急行は不定期列車に格下げ。
- 1943年(昭和18年)2月15日 上野駅~金沢駅間運転の不定期列車を廃止し、上野駅~大阪駅間急行601・602列車も運行区間を金沢駅まで短縮。
- 1943年(昭和18年)10月1日 601・602列車、再び運行区間を上野駅~大阪駅間とする。
- 1944年(昭和19年)4月1日 「決戦非常措置要綱」に基くダイヤ改正で、601・602列車廃止。
[編集] 戦後の発展
- 1948年(昭和23年)7月1日 上野駅~直江津駅間に昼行の不定期準急列車(戦後の準急は有料列車)を1往復設定。
- 1949年(昭和24年)9月15日 不定期準急列車の上野駅~長野駅間を定期化。
- 1950年(昭和25年)10月1日 準急列車の長野駅~直江津駅間も定期化。また、上野駅~直江津駅間に夜行準急列車を1往復設定(上野駅~高崎駅間では新潟駅方面の列車と併結)。
- 1951年(昭和26年)4月1日 上野駅~直江津間の昼行準急に「高原」と命名。
- 1952年(昭和27年)10月1日 上野駅~直江津駅間夜行準急は、運行区間を新潟駅まで延長。上越線開業前を髣髴させるものとなった。
- 1953年(昭和28年) 上野駅~長野駅間に、「高原」の混雑緩和を狙って臨時準急「白樺」設定。
- 1954年(昭和29年)10月1日 「高原」を金沢駅まで区間延長した上で急行へ格上げし、「白山」と改称。「白樺」、定期列車に格上げ。
- 1955年(昭和30年)7月1日 上野駅~長野駅間に、不定期準急列車「高原」設定。
- 1958年(昭和33年)4月14日 上野駅~長野駅~直江津間夜行準急に「妙高」と命名。
- 1959年(昭和34年)7月18日 上野駅~金沢駅間に臨時夜行急行「黒部」新設。
- 1960年(昭和35年)6月1日 上野駅~長野駅間に、昼行客車準急「とがくし」新設。
- 1961年(昭和36年)3月1日 小諸駅~新潟駅間(小諸駅~長野駅間は普通列車)に設定された気動車準急列車に「あさま」と命名。「妙高」は運行を直江津駅までに短縮。
- 1961年(昭和36年)5月1日 新製された碓氷峠のアプト式に対応した気動車キハ57系を使用した急行列車「志賀」が、上野駅~長野駅間に新設。
- 1961年(昭和36年)10月1日 「サン・ロク・トオ」と呼ばれる大規模な白紙ダイヤ改正が行われる。大阪駅~直江津駅~青森駅・上野駅間に特急列車「白鳥」、上野駅~長野駅間に急行「丸池」が新設され、「黒部」が定期列車に、「とがくし」は気動車急行列車に昇格。「白鳥」は初めて信越本線を走る特急列車となった。「白樺」は「妙高」に統合され、新たに中央本線での列車名に転用された(現在の「あずさ」に相当)。これにより、「妙高」は昼行・夜行1往復ずつとなる。
- 1962年(昭和37年)3月1日 「丸池」・「志賀」は、一部編成を屋代駅で分割して長野電鉄の湯田中駅まで乗り入れるようになる。
- 1962年(昭和37年)7月15日 上野駅~横川駅間に、80系電車を使用した準急「軽井沢」を設定。横川駅では、軽井沢駅への専用連絡バスと接続する形態にした。
- 1962年(昭和37年)12月1日 上野駅~長野駅間(信越本線経由)の客車夜行準急列車の名称を「妙高」から「あさま」に改め、それまでの「あさま」は名古屋駅~新潟駅間間運行の急行列車「赤倉」となる。残った昼行の「妙高」は急行列車に格上げられる。
- 1963年(昭和38年)3月25日 長野駅~上諏訪駅~小淵沢駅~小諸駅~長野駅間に循環準急列車「すわ」・「のべやま」(内回りが「すわ」、外回りが「のべやま」)が新設される。
- 1963年(昭和38年)7月15日 碓氷峠をそれまでのアプト式からEF63形電気機関車を補機とした粘着運転方式に変更する事になり、この時単線で営業を開始。「軽井沢」は暫定的に全車指定席による上野駅~長野駅間2往復運転の列車となる。
- 1963年(昭和38年)10月1日 碓氷峠での粘着方式による複線運転が開始され、アプト式全廃。準急「あさま」を急行に格上げしたうえで運転区間を直江津駅まで延長(長野駅~直江津駅間は普通列車)し、同時に「丸池」と改称。それまでの「丸池」は「志賀」に統合された。上野駅~長野駅間に急行「信州」4往復が新設され、それまでの「とがくし」はそれに吸収される形で消滅し、新たに設定された同区間運行の夜行列車が「とがくし」を名乗った。「軽井沢」は上野駅~中軽井沢駅間運転の列車となる。
- 1965年(昭和40年)10月1日 「軽井沢」は1往復となる。「白鳥」の上野行き編成を分離独立させる形で上野駅~金沢駅間に特急「はくたか」、上野駅~長野駅間に全車指定席の急行「信越いでゆ」、上野駅~福井駅間に夜行急行「越前」新設。
- 1966年(昭和41年)3月5日 運転距離が100kmを超える準急列車は急行に格上げられる事になったため、「高原」・「すわ」・「のべやま」・「軽井沢」は急行列車となる。
[編集] 特急「あさま」の設定後
- 1966年(昭和41年)10月1日 上野駅~長野駅間に特急列車2往復を新設、「あさま」の列車愛称で運行を開始。車両は当初181系電車を使用。運行区間内に存在した信越本線の急勾配区間であった碓氷峠では、EF63形補助機関車を上り方に連結し電車は無動力にして坂を上り下りしていたので、編成両数に制限がかかり、特急列車の当時の平均的な編成が10~12両編成であったのに対し、「あさま」は食堂車の連結も省いた8両編成となった。「信越いでゆ」はこれによって消滅。
- 1968年(昭和43年)10月1日 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる大規模な白紙ダイヤ改正実施。を「あさま」は3往復に増発され、1往復は直江津駅まで運転区間を延長。また1往復は東京駅に乗り入れた。「高原」・「志賀」・「丸池」は「信州」に統合され、「信州」は7往復となる。また「とがくし」・「丸池」も「妙高」に統合されたため、「妙高」は昼行が定期2往復・不定期1往復、夜行が定期1往復の4往復体制となった。「軽井沢」は不定期列車へ格下げ。
- 1969年(昭和44年)7月20日 東京駅~中軽井沢駅間運行の季節特急「そよかぜ」が運行開始される。
- 1969年(昭和44年)10月1日 「はくたか」は電車化により運転経路を上越線経由に改める。「信州」の内、長野電鉄直通の編成を「志賀」と改称(「信州」と併結運行)し、また2往復は妙高高原駅行きとなって「妙高」となったため、「信州」は5往復、「妙高」は6往復となった。
- 1971年(昭和46年)12月 スキー臨時特急列車として「あさま銀嶺」( - ぎんれい)が上野駅~長野駅・関山駅間で運行される。
- 1972年(昭和47年)3月15日 「あさま」は5往復に増発(内、直江津直通2往復)。「白山」を特急に格上げし、「はくたか」の姉妹列車として運転を開始した。上田駅~新潟駅間に急行「とがくし」2往復新設(以後の沿革はくびき野 (列車)を参照)。
- 1972年(昭和47年)10月2日 「あさま」をエル特急に指定。
- 1972年(昭和47年)11月25日 「白山」を2往復に増発。「妙高」1往復はそれに譲って廃止。以後「あさま」・「白山」の両列車は信越本線での姉妹特急列車として機能した。
- 1973年(昭和48年)4月1日 東北新幹線・上越新幹線建設工事に伴い「あさま」の東京駅乗り入れ中止、上野駅発着のみとなる。
- 1973年(昭和48年)10月1日 「あさま」1往復に「白山」と共通運用の489系電車を投入。489系はEF63形との協調運転が可能で、これによって12両編成を実現。「白山」は3往復となる。
- 1975年(昭和50年)3月10日 「すわ」・「のべやま」廃止。また、「あさま銀嶺」の運行も終了。
- 1975年(昭和50年)10月1日 「あさま」の181系は新製の189系電車に置き換えられる。489系同様協調運転が可能で、全列車において最大12両編成での運行ができるようになり、輸送力増強が実現された。
- その後「あさま」は、急行列車の格上げや「白山」の系統分割、純粋な増発などで、最終的には定期列車19往復にまで増発されている。
- 1978年(昭和53年)10月2日 「志賀」、2往復の内1往復を廃止。また「白山」は3往復ながら、ダイヤ上「あさま」と等間隔が組まれるためエル特急に指定、同時に食堂車廃止。
- 1982年(昭和57年)11月15日 このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更される。
- 1985年(昭和60年)3月14日 「白山」は2往復に削減され、2度目の食堂車廃止。「信州」・「軽井沢」は「あさま」への格上げで消滅、「あさま」は15往復となる。
- 1993年(平成5年)3月18日 「妙高」と臨時急行「越前」廃止。
- 1994年(平成6年)12月1日 「白山」を1往復運転に削減。
- なお、「白山」のエル特急指定は「あさま」との等間隔運転の一角を成していたため解除されず、「1往復のエル特急」となったまま廃止まで運行された。
- 1996年(平成8年)~1997年(平成9年) 増発用に、現在の湘南新宿ライン経由・横浜発着の臨時特急「マリンシティーあさま号」を運転。
- 1997年(平成9年)10月1日 長野新幹線開通に伴い特急「あさま」・「白山」・「そよかぜ」廃止。またこの時、信越本線の横川駅~軽井沢駅間自体も廃止され、軽井沢駅~篠ノ井駅間はしなの鉄道に転換される。「能登」も再び上越線経由となった。
- なお、新幹線開通直後にはこれまでの利用客の流動を視野に入れ、旧「白山」の長野以北を引き継いだ形で長野新幹線と連携した臨時特急「信州」が長野~金沢間で運行されていたことがあったが、現在では快速に格下げされ「妙高」として長野~直江津間の運行である。
- 2006年8月26日、信越線開業(直江津~関山間)120周年と電化開業(直江津~長野間)40周年を記念して、金沢~長野間に「リバイバル白山」を1往復運転。
[編集] 列車名の由来
(五十音順)
- 「あさま」 - 群馬県・長野県県境に聳える「浅間山」にちなむ。
- 「越前」(えちぜん) - 福井県の旧国名「越前」にちなむ。
- 「軽井沢」(かるいざわ) - 避暑地・別荘地として名高い「軽井沢」にちなむ。
- 「黒部」(くろべ) - 富山県を流れる「黒部川」にちなむ。
- 「高原」(こうげん) - 高原地帯を走る列車であることから。
- 「志賀」(しが) - 上信越高原国立公園の「志賀高原」にちなむ。
- 「白樺」(しらかば) - 沿線に多く生える「シラカバ」にちなむ。
- 「信越いでゆ」(しんえついでゆ) - 目的地域の「いで湯」(温泉)観光列車であることから。
- 「信州」(しんしゅう) - 長野県の旧国名「信濃」の別称「信州」にちなむ。
- 「すわ」 - 長野県中部の諏訪盆地にある「諏訪湖」にちなむ。
- 「そよかぜ」 - 軽井沢などの「高原にそよぐ微風」から。
- 「白山」(はくさん) - 石川県と岐阜県の県境に位置する「白山」にちなむ。
- 「はくたか」 - 富山県の立山の開山伝説に登場する「白い鷹」にちなむ。
- 「白鳥」(はくちょう) - 新潟県北蒲原郡水原町(現、阿賀野市)に飛来する「白鳥」にちなむ。
- 「とがくし」 - 長野県の「戸隠山」にちなむ。
- 「能登」(のと) - 石川県の「能登半島」、またそこの旧国名「能登」にちなむ。
- 「のべやま」 - 小海線野辺山駅周辺の「野辺山高原」にちなむ。
- 「丸池」(まるいけ) - 志賀高原の「丸池」にちなむ。
[編集] 関連項目
現行路線 |
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東北新幹線・上越新幹線・北陸新幹線(長野新幹線)/ミニ新幹線 : 山形新幹線・秋田新幹線 |
東海道新幹線・山陽新幹線・九州新幹線 |
整備新幹線 |
北海道新幹線・東北新幹線・北陸新幹線・九州新幹線 |
基本計画線 |
北海道南回り新幹線・羽越新幹線・奥羽新幹線・中央新幹線・北陸・中京新幹線 |
山陰新幹線・中国横断新幹線・四国新幹線・四国横断新幹線・東九州新幹線・九州横断新幹線 |
未成線 |
成田新幹線 |
現行列車 |
はやて・やまびこ・なすの・とき・たにがわ・あさま/新幹線直行特急 : つばさ・こまち |
のぞみ・ひかり(ひかりレールスター)・こだま・つばめ |
廃止列車 |
あさひ・あおば |
営業用車両 |
0系・100系・200系・300系・400系・500系・700系・N700系・800系・E1系・E2系・E3系・E4系 |
試験用車両 |
1000形・951形・961形・962形・WIN350・STAR21・300X・FASTECH 360 S・FASTECH 360 Z・軌間可変電車 |
事業用車両 |
911形・912形/ドクターイエロー・East i |
車両形式・記号 |
車両形式・編成記号 |
車両基地・車両工場 |
新幹線総合車両センター・盛岡新幹線車両センター・新潟新幹線車両センター・長野新幹線車両センター・山形車両センター・秋田車両センター 東京第一車両所・東京第二車両所・三島車両所・浜松工場・名古屋車両所・大阪第一車両所・大阪第二車両所・大阪第三車両所 博多総合車両所・川内新幹線車両センター |
元となる計画 |
日本の改軌論争・東海道新線・弾丸列車 |