上田駅
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上田駅(うえだえき)は、長野県上田市天神1丁目にある、東日本旅客鉄道・しなの鉄道・上田電鉄の駅。
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[編集] 利用可能な鉄道路線
[編集] 駅構造
- 地上階にはJR長野新幹線の出改札があり、南北連絡通路となる橋上にしなの鉄道と上田電鉄の出改札がある。
- 市街地側の北口を「お城口」、南口を「温泉口」と呼ぶ。
[編集] 東日本旅客鉄道
- 相対式ホーム2面2線。
- のりば
1 | ■長野新幹線 | 高崎・大宮・東京方面 |
2 | ■長野新幹線 | 長野方面 |
[編集] しなの鉄道
- 相対式(下り本線)+島式(中線と上り本線)2面3線。
- 終日社員配置駅。出札窓口、自動券売機がある。
- のりば
1 | ■しなの鉄道線 | 小諸・軽井沢方面 |
2 | ■しなの鉄道線 | (待避線) |
3 | ■しなの鉄道線 | 戸倉・篠ノ井・長野方面 |
相対式ホームは新幹線建設にあわせて新設されたものであり、島式ホームはかつての下り本線と中線ホームであるので、両者は高さや構造が違っている。
[編集] 上田電鉄
単式1面1線の高架駅となっている。
1 | ■上田電鉄線 | 下之郷・別所温泉方面 |
[編集] 利用状況
2005年度の利用者数は1日平均2,779人(JR新幹線)
[編集] 駅周辺
[編集] お城口
[編集] 温泉口
- 上田東急イン
[編集] 歴史
- 1888年(明治21年)8月15日 - 開業。
- 1924年(大正13年)8月15日 - 上田温泉電気軌道川西線(温電青木線・別所線)の千曲川鉄橋完成により上田駅に乗り入れ、同線の起点駅となる。(川西上田駅)
- 1927年(昭和2年)11月20日 - 上田温泉電気軌道北東線開業により同線の起点駅となる。(北東上田駅)
- 1955年(昭和30年)8月 - 上田丸子電鉄別所線上田駅と菅平鹿沢線上田駅が電鉄上田駅として独立。駅舎は北東上田駅に建設され改札が分離。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置。
- 1972年(昭和47年)2月19日 - 上田交通真田傍陽線の廃止により電鉄上田駅廃止。改札が再び共用となる。(切符販売は川西上田駅にて乗換えのみ継続となった。)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、信越本線はJR東日本に継承。
- 1994年(平成6年)12月3日 - 上田駅(信越本線)橋上駅化。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 長野新幹線が開業。信越本線の軽井沢~篠ノ井間をJR東日本からしなの鉄道に移管。
- 1998年(平成10年)3月29日 - 上田交通別所線上田駅の高架化が完成。再び改札が分離。
- 2003年(平成15年)- 駅前整備事業が完成し、北側出入口をお城口、南側出入口を温泉口とする。
[編集] 上田交通真田傍陽線上田駅(北東上田駅)について
1927年11月20日に現在の上田駅の高架下、ドトールコーヒーのカフェとモスバーガーが出店している付近に設置されていた。通称北東上田駅は完成時丸屋根の車庫を備え二面のうち一面を留置専用、もう一面を乗降車用のホームを持ちさらにホームの先には留置線を配置し電車区と貨物駅を兼ねた構造となっていた。信越本線と川西上田駅との連絡は東京方面が降車後そのまま歩いて連絡、長野・松本・直江津・別所温泉・青木・西丸子方面は連絡橋を渡る仕組みになっていて便利であった。
1953年に上田丸子電鉄の本社ビルが完成すると本社側にもホームが完成し二面二線となり1955年8月には電鉄上田駅としてリニューアル。別所線・西丸子線の切符も販売し改札も独自のものを使うようになった。また、本社前には東急バスの渋谷駅行き特急バスが停車し結構にぎわっていたという。
駅の廃止後は本社跡に東急イン(現在は温泉口に移転、旧店舗は上田東急ビルとなっている。)が建設され、駅跡は駅レンタカーの事務所となったが新幹線の上田駅が建設されて現在の形となった。
もちろん現在となっては往時の姿を偲ばせるものは何もない。
[編集] 駅弁
- 栗おこわ(ひしや弁当店)
- 栗おこわ弁当(ひしや弁当店)
- 高原弁当(ひしや弁当店)
- 真田御膳(ひしや弁当店)
- 信州牛のすきやき弁当(ひしや弁当店)
- ソースかつ弁当(ひしや弁当店)
- 峠の釜めし(おぎのや)
[編集] 隣の駅
- 上田電鉄
- 別所線
- 上田駅 - 城下駅