護衛空母
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護衛空母(ごえいくうぼ)は、第二次世界大戦で使用された小型の空母である。主に船団護衛の目的に使われる。
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[編集] 概要
[編集] 誕生
第二次世界大戦において、ドイツ軍は主にUボートや航空機を用いて、連合国に対する通商破壊活動を行った。開戦以降、イギリスの商船の被害は甚大であり、一年間で約150万トンの商船を失うこととなった。このため、1940年頃からイギリス軍とアメリカ軍の内部で、商船を改造した小型空母を建造し、これを対潜哨戒や防空などの船団護衛に用いる案が検討され始めた。商船船体を基にした、小型で安価な空母を多数整備することにより、多くの船団に対し、必要な防衛力を備えさせることが目的であった。この案が護衛空母として結実することとなる。
最初の護衛空母はイギリス海軍のオーダーシティである。拿捕したドイツ貨客船ハノーバーを1941年1月から改装を開始し、1941年6月に就役した。
アメリカ海軍初の護衛空母はロングアイランドであり、竣工は1941年6月である。
[編集] 戦歴
アメリカ軍では最初は補助的な艦船として扱われていたが、大戦初期に大西洋に展開していたドイツ軍のUボートを壊滅させるために多数建造された。護衛空母の任務は、現地での潜水艦の掃討や、パトロール、偵察、輸送船などの護衛、そして航空機の輸送などである。
イギリスの要請により、大量に建造され、イギリス海軍に譲渡された。戦争中に100隻以上の護衛空母が就役したが、現在ではこの種類の艦船は使用されていない。
太平洋戦争では、マッカーサーのレイテ島上陸作戦に続く、レイテ沖海戦の中のサマール島沖海戦にも加わっている。護衛空母6隻を中心とするクリフトン・スプレイグ少将の艦隊は、レイテ湾に突入しアメリカ地上部隊の壊滅を意図する栗田長官の主力艦隊と遭遇し、果敢な戦闘を行った。栗田艦隊にアメリカ機動部隊と誤認されたことが、のちのレイテ湾突入直前の「謎の反転」の一因となっている。
[編集] 構造
アメリカ軍における護衛空母の艦種コードはCVEである。これは空母を表すCVに護衛(Escort)の頭文字を付加したものであるが、乗員達からは、自嘲的に燃え易い(Combustible)、壊れ易い(Vulnerable)、消耗品(Expendable)の頭文字と揶揄されていた。通称として「ジープ空母」、「赤ちゃん空母」と呼ばれた。
典型的な護衛空母の大きさは、全長150mぐらいであり、同時代の正規空母の270mに比べて、約半分である。排水量は正規空母の30,000トンに対して8,000トン程と1/3以下であった。
[編集] アメリカ海軍の護衛空母
[編集] イギリス海軍の護衛空母
- イギリス海軍の護衛空母一覧
- オーダシティ
- アーチャー
- アヴェンジャー級
- アクティヴィティ
- アタッカー級
- ナイラナ級
- カンパニア
[編集] 日本海軍の護衛空母
以下の4隻は当初連合艦隊所属であったが、後に海上護衛総司令部に移管された。
[編集] 関連項目
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