レッドパージ
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レッドパージ(red purge)は、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)に被占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)のマッカーサー総司令官の指令により、共産党員とシンパ(同調者)が公職や企業から次々に追放されたことを指す。1万を超える人々が失職した。
[編集] 概要
太平洋戦争終結後、GHQ/SCAPは日本の民主化を推進し、日本共産党も初めて合法的に活動を始めたが、その結果、労働運動が激化し、また1949年に中華人民共和国が成立して、朝鮮半島も不穏な情勢になると、弾圧する方針に転じた。冷戦の勃発に伴う、所謂「逆コース」である。
1950年(昭和25)5月3日、マッカーサーは共産党の非合法化を示唆し、6月初めに徳田球一ほか共産党中央委員24人、及び機関紙「アカハタ」幹部を公職追放、アカハタを停刊処分にした。7月以降、GHQの勧告により、マスコミ(新聞・放送)、官公庁、企業などでも追放が行われていった。当時の共産党は内部分裂状態だったこともあり、組織的な抵抗もほとんどみられなかった。この間の6月25日には朝鮮戦争が勃発し、共産主義の脅威が公然と語られるようになった。
パージ自体はサンフランシスコ平和条約の発効とともに解除された。しかし、レッドパージを受けた一般の労働者で復職できたものはほとんどおらず、またレッドパージを受けたことがわかると再就職先にも差し支える状態であったといわれる。
なお、1950年にはアメリカ本国でも共産主義者の追放(マッカーシズム)が行われたが、こちらは「レッドパージ」とは言わない。
[編集] 原因
GHQ/SCAPの民主化政策により、社会主義を背景にした労働運動が激化したが、これによって日本共産党の勢力が伸びていた。また、1949年(昭和24)の下山事件、三鷹事件、松川事件国鉄三大怪事件が、共産党と国鉄労働組合が仕組んだということにされ、共産党・共産主義者排斥を容認する風潮が作られた。 敗戦後の混乱に乗じてソビエト連邦のスパイが多数入国し、共産化工作を行っていたからという説もある(摘発された例はないため真偽の程は定かではなく、単なる反共ヒステリーとも見られる)。