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ガダルカナル島の戦い - Wikipedia

ガダルカナル島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガダルカナル島の戦い(—とうのたたかい)とは、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍連合軍ソロモン諸島ガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。

1942年時の前線
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1942年時の前線

目次

[編集] ガダルカナル島の戦い以前の状況

太平洋戦争開戦後の緒戦の勝利によって、長期持久戦を行うことを不利とする日本海軍は、積極的に戦線を拡大して早期の決戦を図ることを主張した。その海軍が1942年4月に計画したのが、第1に連合国の反攻拠点と考えられたオーストラリアの攻略作戦であり、第2にミッドウェー島を攻略することでアメリカ艦隊を引き寄せて撃滅する作戦であった。

日本陸軍は、当初中国などの大陸方面での作戦を重視しており、太平洋方面は海軍の領域であるという認識に立っていたため、太平洋での作戦遂行にほとんど関心を払わなかった。したがって大兵力を満州や中国から引き抜かなくてはならないオーストラリア攻略作戦に消極的ではあったが、将来の反攻拠点となりうるオーストラリアを孤立させることについては海軍と見解が一致した。そこでオーストラリア攻略作戦に替わって立案されたのが、いわゆる米豪遮断作戦である。この作戦は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(「MO作戦」)とニューカレドニアフィジーサモアの攻略作戦(「FS作戦」)から成るものであったが、「FS作戦」遂行にあたって5月に前進飛行場の建設適地とされたのが、ガダルカナル島であった。

一方、アメリカ艦隊をおびき寄せるべく実行されたミッドウェー攻略作戦であったが、日本海軍は逆に主力空母4隻を失うこととなり(ミッドウェー海戦)、「FS作戦」の実施は一時中止されることとなった。しかし、ソロモン諸島に航空基地を建設する必要を感じていた現地海軍部隊はガダルカナル島での飛行場建設を決定し、7月上旬から海軍設営隊約2600名が建設作業を行っていた。設営隊がこの地に赴いた当初、日本軍は連合軍の太平洋方面の反攻開始は1943年以降と想定していたため、当地においても戦闘能力のある人員は設営隊と海軍陸戦隊を合わせても600名足らずであった。

アメリカ軍の補給線
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アメリカ軍の補給線

しかし、日本側の予想を覆す形で、アメリカ軍は早くも7月2日には「ウォッチタワー作戦」を発令し、7月4日以降ガダルカナル島への偵察・爆撃を開始した。8月7日早朝、海兵隊第1海兵師団(師団長アレクサンダー・バンデグリフト少将)を主力とする12000人のアメリカ軍が、艦砲射撃と航空機の支援の下で上陸を開始した。日本軍はアメリカ軍の攻撃に圧倒されて背後のジャングルに逃げ込み、完成間近の飛行場はアメリカ軍の手に落ちた。これが、ガダルカナル島、そしてアメリカ軍がヘンダーソン飛行場と名づけた飛行場を巡る、日本陸海軍と連合軍による戦いの幕開けであった。

[編集] 日本陸軍の作戦行動

[編集] 一木支隊

一木清直大佐
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一木清直大佐

一木清直大佐率いる一木支隊2400人は、当初ミッドウェー島攻略部隊に充当されていた部隊であったが、同島攻略作戦が失敗したためガダルカナル島奪回作戦に転用された。部隊はきわめて低速の輸送船に乗っていたため、そのうちの一部、916名・歩兵砲2門・重機関銃8挺が駆逐艦に移乗し、第1挺団として8月18日に先行して上陸した。

一木支隊第一挺団は上陸するとただちに、後続部隊の到着も待たず十分な敵情視察を行わないまましゃにむに前進し、20日夜に攻撃を開始した。しかし、盧溝橋事件で活躍した一木大佐も米軍の圧倒的火力の前にはなすすべを知らず、ただ1日の戦闘で部隊は壊滅した。一木支隊はわずか916人であったが米軍を2000人と過小評価し容易に撃破できると判断し、視界の開けた砂洲を横切って突撃するなど無謀な作戦であった。916人のうち、上陸地点に残った留守部隊を除く戦闘参加者は約800名で、戦死者は実に777名に達した。支隊長一木大佐は戦死したと思われるが、その状況は不明である。

[編集] 川口支隊

一木支隊の壊滅を受け、新たに川口清健少将率いる支隊(第三十五旅団司令部及び歩兵第百二十四連隊基幹)約4000人が派遣された。川口支隊は、一木支隊の残存兵力(上陸が遅れていた第二梯団)と共に9月初めにガダルカナルに上陸した。しかし、川口少将の強硬な主張により、60隻の小型舟艇に分乗し島づたいにガダルカナルに向かった別働隊(約1000人)は空襲や故障、潮の流れによってバラバラになり、本隊とは飛行場を挟んで反対側にたどり着き、攻撃に間に合わなかった。また、本隊も米軍の空襲のため、兵員はともかく、重火器高射砲2門・野砲4門・山砲6門・速射砲14門しか揚陸できなかった。しかも、後述するように重火器のジャングル内の前進は不可能に近く、このうち実際に戦闘に参加した砲は、ごくわずかであった。

日本軍の150mm砲
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日本軍の150mm砲
ガ島に増援を送るアメリカ軍
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ガ島に増援を送るアメリカ軍

川口支隊は、一木支隊の戦訓からヘンダーソン飛行場の背後に迂回してジャングルから飛行場を攻撃することを試みた。しかしそのために必要な地図の準備はなく、密林中に進撃路を切り開く工事手段もつるはしとスコップによる人力以外にはなかった。そのため、ジャングルの中で重火器は後方に取り残され、兵は疲労困憊し、相互の連携もとれないまま9月12日から14日にかけて各部隊バラバラに攻撃を開始した。

部隊の一部が米軍陣地の第一線を突破し、さらにごく一部の部隊が第二線の陣地も占領した。戦場は敵味方入り乱れて混乱状態となり、飛行場すぐ近くの米軍海兵師団司令部の宿営地まで迫った部隊もあったが、米軍の猛砲撃により攻撃は頓挫し、撃退された。米軍はこれを「9月の危機」と呼び、この攻撃が唯一の奪回の機会だったとしている。このとき日本軍はアメリカ軍を5000人と判断していたが、実際には18000人に増強されていた。

この戦闘による川口支隊の戦死者・行方不明者は約700名で、一木支隊と比べれば損耗率は低かったが、これはジャングルのなかで位置を見失ったまま会敵すらできなかった部隊が多かったためである。十分な補給を行う事が出来なかった日本軍は、以後食料・弾薬の不足が深刻化し、以後ガダルカナル島(ガ島)はさながら「餓島」の様相を呈することになる。

[編集] 第二師団

川口支隊の敗北を受けて10月初旬にガダルカナルに派遣されたのが、ジャワ島にあった第二師団だった。この部隊の最終目標は、飛行場を挟んで川口支隊とは反対側の西側に上陸し、飛行場占領することであった。

丸山正男中将
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丸山正男中将
ヘンダーソン飛行場のF4F戦闘機
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ヘンダーソン飛行場のF4F戦闘機

第二師団は、ジャングルの迂回作戦で道を見失い支離滅裂となった川口支隊の失敗を受けて、20,000人以上の大兵力、火砲200門以上と戦車1個連隊(戦車・装甲車75両)の火力を集中し、海岸線沿いに正攻法で米軍を圧倒する作戦を企図していた。この上陸部隊の援護のために10月13日深夜、戦艦「金剛」「榛名」を中心とする艦隊がガダルカナル島に夜襲を行い(ヘンダーソン基地艦砲射撃)、35.6cm砲弾918発、14cm砲弾48発を米軍飛行場と陣地に発射、さらに翌14日朝にはラバウルから飛来した海軍航空隊による空襲が追い打ちをかけた。この一連の砲爆撃によって米軍の航空部隊は飛行機の半分以上とガソリンのほとんどを焼失する大きな打撃を受けたが、米軍は既にヘンダーソンとは別に戦闘機用の滑走路を完成させていたため、そこから米軍機は飛び続けた。

飛行場砲撃にもかかわらず飛び続けた米軍機の攻撃により、第二師団は戦車や重火器のごく一部しか揚陸できなかった。そのため、作戦は変更され、歩兵の主力は先に失敗したジャングルの迂回作戦を取ることになり、当初予定の正攻法の進撃路は一部の部隊(住吉支隊)が陽動として行うことになった。しかし、ジャングルを進むための地図や土木機械の準備は川口支隊の時と同様に全く行われておらず、従って進撃路の啓開は遅々として進まず、部隊はまたもや支離滅裂の状態となった。さらに攻撃の直前になって、右翼部隊(先に敗退した川口支隊と一木支隊の残兵)を指揮していた川口支隊長が、大本営から派遣された作戦参謀辻政信中佐と対立して罷免されるという事件まで起こった。この罷免事件については、戦後に至っても辻・川口の両者が互いに著書で相手を非難し合うほどの(辻の著書では、川口のことを「K少将」と書いているが)遺恨を残した。

戦車や重砲はとてもジャングル内の迂回路を進むことは出来ないため、住吉支隊に配属されたが、その数は野砲7門・10cm榴弾砲4門・15cm榴弾砲15門・10cm加農砲3門などにすぎず、戦車九五式軽戦車10両だけであった。さらに、砲弾の不足は日本軍の圧倒的な火力不足にいっそう拍車をかけた。また、ジャングルの迂回路を進む主力には山砲・速射砲・迫撃砲など比較的小型・軽量の砲が配属されていたが、歩兵が進むにも難渋する密林中の難路のなかで、これらの砲の大半は進撃路の遙か後方に取り残され、戦闘には間に合わなかった。

結局、第二師団は川口支隊とまったく同様の経過をたどってジャングルのなかで支離滅裂となり相互に連携を欠いた状態で10月24日夜から26日朝にかけてバラバラに米軍陣地に攻撃を掛け、大きな損害を受けて撃退された。また、この間に海岸線沿いを進んでいた陽動の住吉支隊も、戦車が全滅するなど大きな打撃を受けて撃退されていた。

この戦闘における全体の戦死者については、資料がなく不明であるが、第二師団麾下の歩兵第二十九連隊では、兵員2,554人に対し戦死・行方不明553人となっている。それほど高い死亡率となっていないのは、川口支隊の場合と同じ事情によるものと思われる。

[編集] 第三十八師団

日本海軍の戦艦「比叡」
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日本海軍の戦艦「比叡」

第二師団の敗退を受けて派遣されたのが第三十八師団である。一部の部隊は、第二師団の増援としてすでに戦闘に参加して敗退していたが、師団の主力が11隻の輸送船団に分乗してガダルカナルに派遣されたのは11月初旬のことだった。第二師団の輸送の際と同様、海軍は上陸支援のため、高速戦艦「比叡」、「霧島」を基幹とする艦隊を派遣して、11月12日に飛行場に対する砲撃を企図したが、待ちかまえていた米艦隊との間で海戦が惹起することとなった。(第三次ソロモン海戦

この海戦で、米艦隊も巡洋艦2隻が撃沈されるなど大きな損害を被ったが、日本軍は「比叡」を失い、さらに生き残った「霧島」を中心とする艦隊が翌13日に再度飛行場砲撃を試みたが、やはり米艦隊に迎撃され「霧島」も撃沈された。この間に重巡洋艦「鈴谷」と「摩耶」が飛行場の砲撃に成功し、合計約1000発の20cm砲弾を撃ち込んだが、戦艦の35.6cm砲と重巡の20cm砲の威力の違いから、飛行場に大きな損害を与えることはできなかった。

アメリカ軍第2海兵隊(1942年11月)
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アメリカ軍第2海兵隊(1942年11月)

このため、輸送船団は米軍機の激しい空襲にさらされた。11隻のうち6隻は往路で撃沈され、1隻は損傷して引き返した。残る4隻がガダルカナルにたどり着いたが、揚陸中にも船団は激しい空襲にさらされたため、船団は沈没をさけるため岸辺に船を乗り上げて揚陸を続けた。しかし、攻撃された輸送船は岸辺に乗り上げたまま炎上し、揚陸した兵器・弾薬食料のほとんども、浜辺に積み上げられたまま空襲によって焼失した。

揚陸に成功した兵力は、兵員がわずか2000名、重火器はほとんど皆無、食料が4日分という惨状で、第三十八師団はとうとう米軍に対する攻撃すら行うことができなかった。

[編集] 転進 (撤退)

第三十八師団の輸送失敗のあと、大本営はさらに第五十一師団と第六師団をガダルカナル島に送り込むことを計画する。しかし、一連の輸送作戦で大量の輸送船を撃沈された日本軍は、手持ちの輸送船に不足を来たし始めていたうえに、アメリカ軍の制空権下の輸送が成功する見通しは全く立たなくなっていた。すでに、大型だが低速の輸送船はガダルカナルに近づくことができず、駆逐艦が夜陰に乗じて高速で島に接近し、細々と補給を行うことしかできない状況に陥っていたのである。この駆逐艦輸送を、米軍側は「東京急行」と呼び、日本側は半ば自嘲気味に「鼠輸送」と称した。しかし駆逐艦による輸送でも、10月下旬の第二師団総攻撃失敗以降、わずか3ヶ月あまりの間に10数隻の駆逐艦が撃沈される結果となった。この時期の駆逐艦建造計画は年間10隻程度であり、この急激な消耗にはとても対応できなかった。

一方、輸送船は軍の直接的な作戦のためにも必要だったが、軍需生産のためにも必要であった。この時期、軍の作戦のために商船が大量に徴用されていたため、戦争遂行のための軍需生産に必要な船舶数に不足を来していた。そのため、1942年9月から10月にかけて、陸海軍あわせて22万トンの徴用商船を解傭し、軍需生産の輸送に戻すことが計画されていた。ところが、ガダルカナル周辺で大量の輸送船を失ったため、解傭計画は吹き飛び、逆にさらなる商船の徴用の必要が生じてしまった。陸海軍の主張する商船の増傭は、陸軍37万トン、海軍25万トン、合計62万トンという莫大なもので、とうてい実現可能なものではなかった。政府はこのうち27万トンの増傭だけを認め、さらにその条件として翌43年春までに18万トンを解傭することとした。

これに対して、ガダルカナル戦推進の急先鋒であった参謀本部の田中新一作戦部長が、これでは作戦ができない、政府が軍に商船の解傭を要求するのは統帥権干犯であるなどとして、激しく反発、12月初めには解傭を要求する陸軍省佐藤賢了軍務局長との談判の席で殴り合いの喧嘩を演じ、さらに東条英機首相と直談判に及んだ際に「馬鹿野郎」と面罵したことで解任された。しかし、解任と引き替えに解傭問題は再検討とされ、軍需物資の生産計画は根底から狂うこととなった。

いずれにしても、ガダルカナル島での戦いはすでに日本の継戦能力の限界を超えた状況となっており、田中作戦部長が更迭されたことで日本軍はようやく撤退に向けて動き始めた。しかし、実際の撤退決定までは、なお1ヶ月以上もの時間を要し、その間にも多くの将兵が餓死していった。ほとんどの部隊では、ふらふらと何とか歩ける兵士はすべて食糧の搬送に当たり、陣地を「守る」のは、立つこともできなくなった傷病兵という状態に陥っていた。そういうなかで、やっと手に入れた食糧を戦友のもとに届けようと最後の力を振り絞り、背中に米を担いだまま絶命する兵士も現れれば、食糧搬送の兵を襲って米を強奪する兵士も現れる状況になった。

兵士たちの間では独自の、しかし非常に正確な生命判断が行われるようになったという。

  • 立つことの出来る人間は、寿命30日間
  • 身体を起こして座れる人間は、3週間
  • 寝たきり起きられない人間は、1週間
  • 寝たまま小便をするものは、3日間
  • もの言わなくなったものは、2日間
  • またたきしなくなったものは、明日

(五味川純平「ガダルカナル」文春文庫P.398より、ただし、小尾靖夫「人間の限界」12月27日の項からの転載との注釈あり)

1942年12月31日の御前会議において、ようやくガダルカナル島からの撤退が決定された。そして、この決定からさらに1ヶ月を経た1943年2月1日から7日にかけて、撤退(ケ号作戦)作戦が行われた。各部隊のほとんどは予定通りに撤退地点まで到着することが出来たが、その陰では身動きの出来なくなった傷病兵を自決させ、あるいは「処分」することが大規模に行われていた。

ガダルカナル島に上陸した総兵力は31404人、うち撤退できたものは10652人、それ以前に負傷・後送された者740人、死者・行方不明者は約2万人強であり、このうち直接の戦闘での戦死者は約5000人、残り約15000人は餓死と戦病死(事実上の餓死)だったと推定されている。 一方、米軍の損害は、戦死約1000名、戦傷約4000名であった。

国民には敗北の事実は隠され、撤退は「転進」という名で報道された。そのため、撤退した将兵も多くはそのまま南方地域の激戦地にとどめ置かれた。

[編集] 日本軍撤退後

日本軍撤退後、ガダルカナル島はアメリカ軍の新兵訓練場として使用された。その理由は、ガダルカナル島内に日本軍狙撃兵が潜伏しており、この狙撃兵を生きた訓練標的として掃討作戦を行い、部隊の練度を上げると同時に、島内の治安を回復させる一石二鳥を狙ったものである。日本軍狙撃兵は、ガダルカナル撤退作戦時、アメリカ軍の急追を防ぐため伏兵として島内各所に残された。彼らは自力で食料収集を行ないつつ、日本軍撤退後も個人個人の判断で戦闘を継続した。ガダルカナル島の最後の日本兵が投降したのは、昭和27年である。


[編集] 日本海軍の作戦行動

ソロモン海戦および各海戦などの記事を参照。

[編集] ガダルカナル戦の意味と敗因

放棄された山月丸と潜水艇(1944年)
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放棄された山月丸と潜水艇(1944年)

ミッドウェー海戦とともに、太平洋戦争における攻守の転換点となった戦闘とされているが、継戦能力の喪失という意味ではミッドウェーより遙かに重大な敗北であった。航空機の損害はミッドウェーの約3倍、搭乗員の損失はそれを遙かに越えた(ミッドウェーでは、ほとんどの航空機が母艦の沈没もろとも海没したので、救助された搭乗員も多く、搭乗員の戦死は100名あまりであった)。このため、開戦以来の優秀な搭乗員の大半が戦死し、搭乗員の練度は著しく低下した。また、大量の輸送船が撃沈されたこと、それにともないさらなる商船徴用が行われたことは、それ以降の海上輸送と軍需生産に深刻な打撃を与えた。海軍は、大型艦の沈没は戦艦「比叡」・「霧島」、空母「龍譲」、重巡「加古」・「古鷹」・「衣笠」、軽巡「由良」であったが、それ以上に艦隊の手足となる駆逐艦を大量に喪失したことが、以後の作戦遂行上大きな打撃となった。

要するに、能力を超えた作戦を行ったことにより、日本軍は航空戦力・海上輸送力を一挙にすりつぶし、継戦能力を喪失したのである。

一般に、ガダルカナル戦は日本軍が米軍の物量に圧倒されて敗北した戦いと認識されており、それは一面において確かに事実である。しかし、必ずしもそのことがガダルカナルの敗北の本質ではない。それ以上に、限られた戦力で東部ニューギニアとガダルカナルという二正面作戦を行い、自軍の先端根拠地(ラバウル)から1000km以上も離れたところに一足飛びに基地を推進しようとし、敵の戦力と戦意を根拠なく見くびり、それ故兵力を小出しにして典型的な兵力の逐次投入に陥った上に、補給の根幹となる輸送計画も作戦計画も安易であったために、同じ失敗を二度三度と繰り返した、粗雑な作戦に本質的な敗因があったと考えられる。

物量について言うと、最終的には米軍の物量は日本軍を圧倒したが、一連の戦闘の全期間でそうであったわけではない。8月頃の時点では、米軍は第一次ソロモン海戦での敗北のため、輸送船団が一時退避するなどして重装備や弾薬の揚陸が遅れており、物量はかなり欠乏を来していた。また、ヘンダーソン飛行場の米軍機は60-100機前後で推移しており、ラバウルその他の日本軍の基地航空隊の方が数が多かったし、空母の艦載機を含めても同様だった。輸送船団に対する米軍機の攻撃も微弱であり、この時期か、あるいは遅くとも川口支隊の総攻撃の時期までに、一木支隊・川口支隊・第二師団の全力を揚陸して攻撃を掛けていた場合、戦闘の帰趨は全く異なっていた可能性が高い。

しかし、実際には日本軍は最初はわずか900名の一木支隊第1挺団、次は6000名の川口支隊と一木支隊第二挺団という、敵を圧倒的に下回る兵力で攻撃を掛けては撃退され、機数では米軍を上回っていた航空戦力も、ガダルカナル島から1000km以上も離れたラバウル基地からの出撃では航続距離の限界で、戦場上空での滞空可能時間がわずか15分に過ぎず、その力を大幅に削がれた。また、空母部隊も艦艇の損害をおそれてガダルカナル島に接近しようとはしなかった。結局一時的な物量の優位を生かすことが出来ないまま、やがて米軍の物量の優位に転換して、勝機は失われていったのである。

もっとも、仮に占領に成功していたとしても、その後日本から6000km以上も離れたこの島を、米軍の反攻を前にどこまで維持できたかは疑問である。より根本的には、ガダルカナル島は、米軍にとっては占領されれば米豪間の連絡が危機に瀕するという意味で重要な意味があったが、日本にとっては、戦争遂行上、あれほどの消耗戦で戦力をすりつぶしてまで奪取しなければならないほど重要性があったわけではない。川口支隊の敗北までの時点で、その点を冷静に判断し、兵を引いていれば、その後の泥沼のような消耗戦で何ら得るところなく戦力と継戦能力をすりつぶす事態は避けられたと考えられる。

[編集] アメリカ海兵隊の作戦行動

[編集] 参考文献

  • 亀井宏 『ガダルカナル戦記』 全三巻 (光人社NF文庫、1994年)

[編集] ガダルカナル島の戦いを題材にした作品

[編集] 関連項目


ソロモン諸島の戦い
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