シカゴ
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愛称: "風の街" | ||||
標語: "Urbs In Horto" (ラテン語: "庭園の街"), "I Will" | ||||
位置 | ||||
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イリノイ州におけるシカゴ | ||||
座標: 41°54′N 87°39′W | ||||
行政 | ||||
国 州 郡 |
アメリカ合衆国 イリノイ州 クック郡 |
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合併 | 1837年3月4日 | |||
市長 | Richard M. Daley (民主党) | |||
地理 | ||||
面積 | ||||
市域 | 606.2 km² (234.0 mi²) | |||
陸上 | 588.3 km² (227.1 mi²) | |||
水面 | 17.9 km² (6.9 mi²) 3.0% | |||
市街地 | 5,498.1 km² (2,122.8 mi²) | |||
都市圏 | 28,163 km² (10,874 mi²) | |||
標高 | 179 m (587 ft) | |||
人口動勢 | ||||
人口 | ||||
市域 (2005年) | 2,842,518人 | |||
人口密度 | 4,867人/km² (12,604人/mi²) | |||
市街地人口 | 8,711,000人 | |||
都市圏 | 9,391,515人 | |||
等時帯 夏時間 |
中部標準時 (UTC-6) 中部夏時間 (UTC-5) |
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公式ウェブサイト: egov.cityofchicago.org |
シカゴ(英語:Chicago)はアメリカ合衆国イリノイ州の大都市で、ミシガン湖の南西岸に位置する。市の人口は2,896,016人(米国の2000年版国勢調査による)で、都市圏人口はおよそ960万人を数える。かつてはニューヨークに次ぐ大都市だったが、ロサンゼルスの台頭と五大湖近辺の地位低下、更に都市圏の拡大による郊外化によって最盛期と比較すると人口は96万人ほど減少している。
アメリカNo.2の経済、金融拠点で、五大湖工業地帯の中心でもある。鉄道、航空、また海運の拠点として発展。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とも言われ、ダウンタウンは近代的なビルディングが建ち並び、シアーズ・タワーはかつて世界一の高層建築として知られた。またシカゴ商品取引所は世界有数の先物商品取引所である。マコーミック・プレイスコンプレックスは北米最大のコンベンションセンター。オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。
また、シカゴ市はその人口動静(重厚長大産業の衰退と共に減少)、人種比率動静(白人の郊外流出と有色人種の旧市街への流入、都市のスラム化)、都市・地域構造、文化、などの観点からして「アメリカの中でもっとも標準的な都市(つまり、典型的なアメリカの大都市、ということ)」と言われる。
目次 |
[編集] 歴史
主要記事:シカゴの歴史
シカゴは、ニューヨークが対西欧から国際都市、ロサンゼルスが対中米、アジアへの交易窓口として発展したのに対し、古くから内陸交通の要衝として発展、アメリカの産業、文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。
シカゴのあるイリノイ川河口地点は古くからネイティブ・アメリカンたちの交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年にフランス人伝道師が訪れている。シカゴの語源は現地で「強い」という意味だが、元の意味は野生ニンニクのことで、おそらく河口付近にニンニクが自生していた地であったためだとされている。
1779年にドミニカの毛皮商が入植、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦が作られると共に、開拓が進んでいき、1830年には350人に増えた。1837年に都市に昇格すると人口は急増、翌年には機関車が到着すると交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ=ミシガン運河の開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道の開通によって内陸交通の要として更に地位を高める。その頃の主産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す集散地として発展、1848年には穀物取引所が作られた。また、畜産の発達も起こり、1855年に当時で、収容頭数最大のユニオン・ストック・ヤードが設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたため、それを活用した鉱業も発展、1860年には人口6万人に増大した。
その後、1871年の火災によって甚大な被害を受ける。伝説によればオリアリー夫人が飼っていた豚がランプを倒て大火事になった。何日も燃え続け、火が燃え尽きるころには街は廃墟になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失は新時代の幕開けになった。被災後、市は木造住宅を禁止、煉瓦、石造、鉄製を推奨した。そのため、建築家たちの格好の市場となり、1885年にホーム・インシュアランス・ビルが竣工、摩天楼設立ラッシュの先駆となった。その後建築ラッシュは続き、1920年にはトリビューン・タワーやリブリー・ビル、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワーなどが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。
このダウンタウン形成時に参与観察を通じて様々な背景を抱えてシカゴにやってきていた社会学者が膨大な記述を行った。いわゆるシカゴ学派の始まりである。中でも、ワースはシカゴの社会層とセグリゲーションについて記述し、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデルを打ち立てたことで有名である。
また1893年には万国博覧会を成功させ、国際的な地位を高めると共に、文化都市として脚光を浴びるようになる。それと同時にオーケストラホール、図書館、博物館、公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷としてアメリカ建国時に農業などの実際的労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が南部から次々に移入した。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてこの北部工業都市にやって来たが、人種偏見・差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年のものは過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。
1950年~1970年に亘って務めた、民主党のデーリー市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地の再開発と治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストン市などが経済発展に翳りが見え始めた頃にもシカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のお陰だったといわれている。
1980年代からアメリカ全体の経済不振による影響、五大湖近辺の市街地老朽化と製造業衰退による人口流出もあり、人口ではロサンゼルスに追い抜かれ、全米3位となるも、地位や重要性に至っての低下は全くない。むしろ、都市圏人口は年々増大の傾向にあり、近郊では近年半導体や電子機器、輸送機械などの産業が発展、中心地は相変わらず全米における商業、金融、流通の中心地としての地位を保っている。また、今日ではコンベンションの積極的誘致にも取り組んでおり、今後は国内にとどまらない、グローバルなビジネス都市としての発展が見込まれている。
[編集] 超高層ビル
- トリビューン・タワー
- リブリー・ビル
- シアーズ・タワー
- ジョン・ハンコック・センター
- AONセンター
[編集] 地理及び気象
主要記事:シカゴの地理
シカゴはミシガン湖の南西部先端であるイリノイ州北東部に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、シカゴは総面積606.1 km² (234.0 mi²) である。このうち588.3 km² (227.1 mi²) は陸地で17.8 km² (6.9 mi²) は水地域である。総面積の2.94%は水地域となっている。
[編集] 気候
シカゴは英語で「風の街」(Windy City) と呼ばれ、ミシガン湖から季節風が吹き付ける。
亜寒帯湿潤気候で冬の寒さは厳しいが、さほど降雪は多くない。一方で、夏期は温暖な南西風の影響で暑く、気温の年較差が大きい大陸性気候となっている。 なお、「風の街」という表現は風の強さからきているとの考えが一般に受け入れられているが、事実はそうではない。そもそもオクラホマシティの方が、より風が強いぐらいである。「風の街」の由来は、1892年万国博覧会の候補地としてニューヨークとシカゴが争ったとき、ニューヨークのある雑誌がシカゴ市民を「Chicagoans' talk was full of windy. 」と評したことである。これを直訳すると「シカゴ市民の話は風に満ちていた」だが、そのこころは「シカゴ市民の話は中身のない言葉だけ」、である。つまり上記の英文はシカゴ及びシカゴ市民を馬鹿にした発言である。このことが本来の由来を離れて使用されるに至った。なお、1892年の万博は結局シカゴで開催され、それまでの万博で最大の規模となった
[編集] 住民及び文化
[編集] 人口動静
シカゴ市 年代別の人口 [1] |
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1840年 | 4,470人 |
1850年 | 29,963人 |
1860年 | 112,172人 |
1870年 | 298,977人 |
1880年 | 503,185人 |
1890年 | 1,099,850人 |
1900年 | 1,698,575人 |
1910年 | 2,185,283人 |
1920年 | 2,701,705人 |
1930年 | 3,376,438人 |
1940年 | 3,396,808人 |
1950年 | 3,620,962人 |
1960年 | 3,550,404人 |
1970年 | 3,366,957人 |
1980年 | 3,005,072人 |
1990年 | 2,783,726人 |
2000年 | 2,896,016人 |
シカゴに住む人々は "Chicagoans" と呼ばれる。
2000年現在の国勢調査2で、シカゴ市地域は人口2,896,016人、1,061,928世帯、及び632,909家族が暮らしている。これはイリノイ州の全体的な人口の約5分の1及びアメリカ合衆国の人口の1%になる。人口密度は4,923.0/km² (12,750.3/mi²) である。1,959.8/km² (5,075.8/mi²) の平均的な密度に1,152,868軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人41.97%、アフリカン・アメリカン36.77%、先住民0.36%、アジア4.35%、太平洋諸島系0.06%、その他の人種13.58%、及び混血2.92%である。この人口の26.02%はヒスパニックまたはラテン系である。この都市自身1930年の44.3%のピークより減少し、イリノイ州の総人口の23.3%を構成する。
この都市内の住民は26.2%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.2%、25歳以上44歳以下が33.4%、45歳以上64歳以下が18.9%、及び65歳以上が10.3%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は94.2人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は91.1人である。
この都市の世帯ごとの平均的な収入は38,625米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は42,724米ドルである。男性は35,907米ドルに対して女性は30,536米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 (per capita income) は20,175米ドルである。人口の19.6%及び家族の16.6%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の28.1%及び65歳以上の15.5%は貧困線以下の生活を送っている。
[編集] 博物館及びギャラリー
1998年、シカゴ市はこの都市の主要な博物館の3館、フィールド自然史博物館、シェッド水族館、アドラープラネタリウムに取り囲まれたレイクフロントパークの10エーカーに、博物館キャンパスを公式に開設した。この博物館キャンパスはグラントパーク (w:Grant Park) の南部地区に設定された。この開設プロジェクトは新しい公園向けにスペースを空けるためレイクシュアードライブ (w:Lake Shore Drive) の付け替えが伴われた。グラントパークはシカゴの他の主要なダウンタウン博物館、シカゴ美術館の本拠地でもある。いくつかの他の主要な博物館及びシカゴ地域のギャラリーは:
- シカゴ美術館
- シカゴカルチュラルセンター
- フィールド自然史博物館
- シカゴ現代美術館
- オリエンタルインスティチュート博物館
- シェッド水族館
- 科学産業博物館
- アドラープラネタリウム
[編集] 文化
シカゴの文化は富裕層らが築いた文化(美術館や博物館、公園、または時代の最先端を走った摩天楼に象徴される建築など)と、貧困層が築いた文化(ブルースやジャズ、ハウス (音楽)、シカゴ文学と呼ばれる一種のプロレタリア文学など)に大別されるが、一般に象徴されるのは後者である。 アフリカ系アメリカ人らが築き上げた音楽文化、ブルース・ジャズのメッカとして名高い。アメリカ南部のミシシッピ川流域で発生したアコースティックなデルタ・ブルースにエレクトリック・ギターなどを導入してシカゴ・ブルースと呼ばれる音楽に発展させた。またそうした音楽的伝統の元に生まれたハウス音楽の発祥としても知られている。シカゴにあった「ウェアハウス」というアフロ・アメリカンやゲイなどを主な客層としたクラブの名前が「ハウス」という言葉の起源であり、シカゴ・ハウスは後にニューヨークでなど爛熟したハウス・ミュージックの原形ともされ、現在でもダンス音楽の世界ではシカゴを中心とするDJ達が重要な位置を占めている。現在ではシカゴ音響派と呼ばれるジャズ、ロック、ポップス、現代音楽が一緒になったようなそれまでにはない新しい音楽(ポストロックともいう)を追求する者も多くいる。一方で、1920年代に蔓延したマフィアや暴力団(ギャング)も有名。時代を反映した映画「ブルースブラザーズ」「逃亡者」などの舞台にもなっている。また、スタッフドピザ、(アイスクリーム)サンデー発祥の地。
ピカソの彫像『無題(Untitled)』の置かれたデイリー・シビック・センター(Daley Civic Center)ではシカゴ市の提供により平日の正午にコンサート等の様々な無料文化イベント「アンダー・ザ・ピカソ(Under The Picasso)」が行われ市民が集う。
[編集] スポーツ
シカゴ市は2つのプロフェッショナル野球チーム (カブス、ホワイトソックス)、プロフェッショナルフットボール (ベアーズ)、サッカー (ファイアー)、バスケットボール (ブルズ、WNBA スカイ)、及びプロフェッショナルホッケー (ブラックホークス) を有するアメリカ合衆国内で数少ない都市の1つである。に加えて、ここはマイナーリーグホッケーチーム (ウォルベス) の本拠地である。
[編集] 交通
[編集] 空港
[編集] 鉄道
- CTA (Chicago Transit Authority)
- Metra (Northeast Illinois Regional Commuter Railroad Corporation)
[編集] 友好姉妹都市(代表的な都市)
他 |
[編集] シカゴを舞台にした映画・ドラマ・漫画・舞台
シカゴは多くの映画・ドラマの舞台となっており、シカゴ内のある高層ホテルでは様々な映画やドラマを10回以上も撮影していることで知られている。
- アンタッチャブル
- ブルースブラザース
- マイ・ボディガード(80)デンゼル・ワシントン版とは無関係
- ストリート・オブ・ファイヤー
- バックドラフト
- ジャック・アンド・ベティ物語('92)(TBS系列で放映されたTVドラマ)
- シカゴ・ホープ
- ER緊急救命室
- シカゴ
- 交渉人
- イルマーレ (リメイク版)
- CHICAGO - 田村由美
- 宝塚歌劇花組公演「SPEAKEASY」
[編集] 関連項目
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[編集] 外部リンク
- City of Chicago(英語版)
- Chicago Convention and Tourism Bureau(英語版)
- Chicagoland Chamber of Commerce(英語版)
- シカゴ日本商工会議所 (JCCC)
- 在シカゴ日本国総領事館
- シカゴ日米協会
- シカゴ美術館
- シカゴ大学
- シカゴ大学留学
- シカゴ
- シカゴ観光&生活情報サイト:US新聞ドットコム
- おでかけ.US(シカゴ生活情報ポータルサイト)
アメリカ合衆国の市域人口上位50都市 |
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1.ニューヨーク - 2.ロサンゼルス - 3.シカゴ - 4.ヒューストン - 5.フィラデルフィア - 6.フェニックス - 7.サンアントニオ - 8.サンディエゴ - 9.ダラス - 10.サンノゼ - 11.デトロイト - 12.インディアナポリス - 13.ジャクソンビル - 14.サンフランシスコ - 15.コロンバス - 16.ルイビル - 17.オースティン - 18.メンフィス - 19.ボルチモア - 20.フォートワース - 21.シャーロット - 22.エルパソ - 23.ミルウォーキー - 24.ナッシュビル - 25.シアトル - 26.ボストン - 27.デンバー - 28.ワシントンD.C. - 29.ラスベガス - 30.ポートランド - 31.オクラホマシティ - 32.ツーソン - 33.アルバカーキ - 34.ロングビーチ - 35.アトランタ - 36.フレズノ - 37.サクラメント - 38.ニューオーリンズ - 39.クリーブランド - 40.カンザスシティ - 41.メサ - 42.バージニアビーチ - 43.サンフアン - 44.オマハ - 45.オークランド - 46.タルサ - 47.マイアミ - 48.ホノルル - 49.ミネアポリス - 50.コロラドスプリングス |
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