ミース・ファン・デル・ローエ
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ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日アーヘン - 1969年8月17日シカゴ)は20世紀のモダニズム建築を代表するドイツの建築家。近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスと共に)の1人。"Less is more."(無駄な部分を削ぎ落としたデザインが、より豊かなデザインである)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。自由な間取りのユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。
ドイツのアーヘンに、石工の息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し建築を学んだ。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともに、実験的な集合住宅を建設した。
1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館・バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして建築史上有名。また、同館のためにミースがデザインしたバルセロナチェアは、モダンデザインの傑作として知られる。博覧会施設のため取り壊されたが、1986年、同じ場所に復元された(ミース・ファン・デル・ローエ記念館)。
ヴァルター・グロピウスの推薦で1930年からバウハウスの第3代校長を勤めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。シカゴのアーマー大学(後にイリノイ工科大学、IIT)に招かれ、同大学のキャンパス計画も手がけた。
四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカ)も代表作の一つ。イリノイに週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、訴訟沙汰になったが(ミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、ナショナルトラストが取得した。ユネスコ世界遺産に登録。
超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラムビル(1958年竣工)があるが、モダニズムを超高層ビルの中では、SOMのレバー・ハウス(1952年竣工)と並んで、最もすぐれたデザインの超高層ビルともいわれている。
他の代表作に、ブルノのツーゲントハット邸(1930年・チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年・シカゴ)、ドイツ国立美術館(1968年・ベルリン)などがある。
なお、ポストモダンの建築家ロバート・ヴェンチューリはミースの標語をもじり、"Less is bore."(装飾のないモダニズム建築は退屈だ)と皮肉った。
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