石原慎太郎
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石原 慎太郎(いしはら しんたろう、1932年9月30日 - )は、日本の政治家、小説家。現東京都知事、元衆議院議員、元参議院議員、元自民党員。第34回芥川賞受賞作家、現同賞審査委員。戸塚ヨットスクールを支援する会会長。新しい歴史教科書をつくる会賛同者である。公式サイトによれば「現在、もっとも注目される日本のキーパーソンの一人で、実は画家でもある」と紹介されている。
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[編集] 略歴
- 1932年9月30日:兵庫県神戸市須磨区に山下汽船に勤める父・石原潔、母・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県の出身で旧制宇和島中学(現・宇和島東高校)を中退後山下汽船に入社、店童(商店で言えば丁稚)から出発し関連会社とはいえ重役に出世した人物。母・光子は広島県宮島の出身。
- 1934年12月:弟・裕次郎が生まれる。
- 1936年6月:父・潔が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。
- 1943年1月:父・潔が小樽支店長となる
- 1943年2月:父・潔が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
- 1945年4月:神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。
- 1949年:1年間、休学する。この頃描いた自作の絵をゴーギャンさえも驚愕する名作である。公式サイト内では「石原の迸る感受性の果実」と紹介している。
- 1951年10月:父・潔が脳溢血で急死。元々は京都大学フランス文学科に行くつもりであったが、父の意向を受け、公認会計士を目指し一橋大学を志望する。
- 1955年12月:当時18歳だった石田由美子(広島市己斐町(現・西区己斐)生まれ。後に典子と改名)と結婚。由美子は小泉純一郎と縁戚になる(由美子の従兄弟の子にあたる美枝子が純一郎の実弟・正也と結婚した)。
- 1956年1月23日:弟・裕次郎の放蕩生活に想を得た『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞。史上最年少受賞(当時)。ベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となる。
- 1956年3月:一橋大学法学部を卒業(法学社会学部に入学した。在学中に学部改組が行われ法学社会学部が法学部と社会学部に分離し、法学部を卒業)。
- 『太陽の季節』が日活で映画化され、当時無職だった弟・石原裕次郎が日活俳優としてデビューする。またみずからも映画初出演を果たす。
- 1957年4月19日:長男・伸晃が誕生。
- 1958年:東宝で映画「若い獣」の監督を務める。
- 1962年1月15日:二男良純が誕生。
- 1963年3月:『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。
- 1964年6月19日:三男宏高が誕生。
- 1966年:四男延啓が誕生。
- 1967年:読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
- 1968年7月:自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票でトップ当選。
- 1969年11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 子供はスパルタのように厳しく育てろと説いた。
- 1972年12月:衆議院東京2区に鞍替え出馬して当選。
- 1973年7月:渡辺美智雄、中川一郎、藤尾正行らとタカ派集団「青嵐会」を結成。
- 1975年4月:現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
- 1976年:福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。
- 1983年:自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となる。
- 1987年7月17日:弟の石原裕次郎が肝細胞癌で逝去(享年52)。
- 1987年11月:竹下登内閣で運輸大臣に就任。
- 1989年8月:亀井静香らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す海部俊樹に敗れる。 『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
- 1990年:総選挙で伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
- 1995年4月:国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。
- 1996年:弟の故石原裕次郎をテーマに『弟』を発表。
- 1999年4月:再度、都知事選に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「どうも、石原裕次郎の兄です」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。
- 2003年4月:308万票(得票率史上最高)を得て、東京都知事に再選。
- 2004年:「弟」テレビドラマ化。
- 2006年5月14日:フジテレビの討論番組「報道2001」に生出演し、「オリンピック招致を言い出した以上、やらないわけにはいかない。それまで体力がもつかなあ」と発言し、2007年4月の都知事選への3選出馬の意向を示した。
- 2006年12月7日:都議会本会議で2007年の都知事選への出馬を正式表明。
[編集] 人物像
物事に対して自らの思想・政治的スタンスを直言する。歯に衣着せぬ言動で支持層と批判層の評価は両極端である。時には喝采を浴び、時には物議を醸し、左翼・リベラル派は石原の事をネオファシストであるなどとして批判している。都知事選では史上最高の得票率を得たこともある。中国、韓国、北朝鮮への挑発的な発言は有名で熱狂的な支持者を持つが、批判的に見る者も多い。またそれ以外の、直言的な発言に対して不支持勢力からの批判が後を絶たない。その発言などが外国人差別的と、2005年の国連人権委員会で中国代表などが指摘し、ディエヌ特別報告者が「外国人差別的な東京都知事の発言に日本政府がどういう立場を取っているのか、説明を求めたい」と苦言を呈されている(もっとも、中国は人権後進国であって、自分のことを棚に挙げてそのような批判をするのは不当であるとする見解もある)。一方で批判に賛同する側からは「外国人差別に該当するような発言ではなく不法入国した外国人の凶悪犯罪についての発言を左翼層が曲解したものだ」と発言。(「日本は一度も侵略したことがない」古賀俊昭自民都議、「教育問題の根源は95パーセント母親」都教委米長邦雄、「サイエンスとしての宗教を学校で教える必要を感じますね」都教委内館牧子 等)また自分の行った言動に対しては、どんなに非難されても安易には謝罪はせず、擁護派から見れば毅然とした姿勢、反対派から見れば開き直りの態度で反論を行うことも評価が分かれるゆえんである。
思想的にはいわゆる右翼であり、強烈な皇室崇拝も良く知られている。石原都政下では都立学校の公式行事における君が代の斉唱と国旗掲揚の徹底を断固強行し、議論を巻き起こした。またアメリカ嫌いも有名である。一方で未成年者の性交を禁止する条例案には疑問を示すなど、単なる右翼という言葉では理解しきれない側面も併せ持つ。
中央の政変のたびに、石原首相待望論、石原新党構想などが取り沙汰され、国内政治のキーマンと目されていたこともあったが、中央政界での人望は低く、、中川一郎の没後中川派を継承したが、たちまち空中分解した(後述)。 近年では中央政界への復帰は沙汰止みのようで、都知事として東京オリンピックの開催を実現することが目下最大の関心事である。
総裁選の時、中川一郎が票集めに奔走する傍らで、福田派との連携を模索していた。中川の没後、派閥(自由革新同友会)を継承したが、後に解散。(石原派は清和会に合流)。政界の友人としては亀井静香、野中広務などがいる。
[編集] 都知事としての石原慎太郎
首都大学東京や新銀行東京の設立など、新しいことに積極的でトップダウンの強い指導力を発揮している。しかし、銀行への外形標準課税(銀行税)の敗訴や、、浮遊粒子状物質(SPM)を減らすためのディーゼル車排ガス規制での除去装置導入失敗など、十分な準備・調査をせず他人に耳をかさない強引な手法が仇になることもあり、その政治手法には賛否両論の評価がある。
また、子飼いの側近であった浜渦武生を東京都副知事に据えた際に浜鍋の専横を許してしまったこと、内規を越えた高額な外遊費を使っても全く悪びれないこと、四男で画家の石原延啓に東京都の仕事を回したこと(直接口利きをしたことも2006年12月16日のテレビ生出演で認めた)など、公私混同あるいは身内厚遇の傾向も否めず、常に論争の種となっている。
一方、自らの政策に「大江戸線」「首都大学東京」「新銀行東京」「心の東京革命」など独特の言語感覚を生かした秀逸なネーミングを連発し、(ネーミングに関してのみ)熱狂的な支持を集めている。
財政運営面では人件費の圧縮や福祉・教育予算の削減、自らの発案になる大型プロジェクトへの大盤振る舞いなどが石原都政の特徴である。メリハリの効いた予算編成という見方もある一方で、弱者切り捨ての傾向があるという批判もある。
巨大な集票力や保守系メディアからのバックアップを背景とした強力な指導力は、短期間での政策実現を可能にしている一方で、極端なトップダウン構造でボトムアップの意見集約が機能しないという弊害も生んでいる。また石原都政となってから「上ばかり見て仕事をする人間が増えた」という声があり、石原の意を先回りして、時に石原本人の意図以上に極端な形で実現することで出世しようとする官僚が出現した感も否めない。
主な政策は以下の通り。
- 横田基地の軍民共用化を推進。
- 銀行を対象とした外形標準課税を導入。訴訟にまで発展し、敗訴したが和解が成立。
- 東京都立大学を改組し首都大学東京を開学。この時、大学教員側との議論を無視するものとの反発を受ける。
- 環境問題に深い関心をよせ、ディーゼル車への粒子状物質排出規制を首都圏の他の自治体と共同して行う。これに関連して、環境汚染の原因になるだけではなく脱税の温床となっている不正軽油の撲滅に強い意欲を注いでいる。しかし、二酸化炭素排出量が同等のガソリン車に比べ2-3割少ないディーゼル車に対する過度の規制は、地球温暖化対策に逆行するという見方もある。
- 治安低下に強い危機感を抱き、警視庁警察官の増員を行う。
- 横山洋吉教育長を通じて都立学校の入卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を徹底。2005年にはこの件で処分を受けた教師から刑事告訴され、今年に入って東京地方裁判所で憲法違反との判決を受ける。都は東京高等裁判所へ控訴中。
- 不法入国している外国人に対し「少なくとも東京からは全員叩き出す」などの言動にあるように、増加している在日外国人、不法滞在の外国人による凶悪犯罪について摘発、治安対策に力を入れている。
- 2000年9月3日(日)、防災訓練「ビッグレスキュー東京2000」を行ったが、自衛隊の活動を前面に出し(銀座の中央通りに装甲車を走らせた)、“これでは戒厳令の演習だ”と一部から批判される。
- 2004年、東京都青少年の健全な育成に関する条例における青少年の性行動を規制する条項の新設の問題に関して、「性の問題はプライベートな問題」「私は『太陽の季節』だから」と規制に慎重な発言をした。淫行からの青少年保護については2005年に淫行処罰規定が設置された。
- 2005年5月20日には都内の無人島である沖ノ鳥島を視察し。同島内にある日本最南端であることを示すプレートに跪いてキスをした。
- 都知事へ就任後も公約どおり毎年8月15日には靖国神社へ参拝している。“(立場は)公人か私人か”のマスコミの質問に対し「バカな事を聞くな!」と一喝(あるいは逆ギレ)。
- 2006年4月28日の知事記者会見で、2016年の東京都へのオリンピック招致を言明。現在、手厚い予算を付けて招致活動を展開中である。
- 2006年5月15日「8都県市首脳会議」の後の報道陣との質疑で、都知事選への三選出馬を表明した。
- 1960年にスクーターで南米横断キャラバンを敢行した経験があり、三宅島の復興策としてマン島TTレースをモデルにしたオートバイレース開催のアイディアを披露し視察も行った。
- 新進・若手芸術家の育成を図る目的で「トーキョーワンダーサイト」を設立。既成の都文化施設では石原都政下予算を4~5割減らし、新しく設立されたトーキョーワンダーサイトは予算が8倍以上増え、現在最も多額の予算を割り当てられている文化施設となっている。しかも家族や知人を運営に参画させたり事業計画・予算決算が不透明であるなど、公私混同の疑いを指摘されている。
- 2006年11月、日本共産党の都議団から、「海外出張旅費の支出が条例の規定を大幅に上回る多額であること、それらが私的観光で妻の旅費も公費で負担させていたこと、それと四男が都の外郭団体の委嘱を受けて海外旅行をした」として、トーキョーワンダーサイトの問題も含め「不明瞭な支出、同族経営」と批判を受ける。定例記者会見でこれに対し「報道は共産党の情報操作によるものだ」と反論(逆ギレ)。一部の記者から「我々は共産党の尻馬に乗って報道しているわけではない」と応酬された。この件は朝日新聞・東京新聞も疑問を提し続けている。
- 2006年12月17日放送のフジテレビ系報道情報番組週刊人物ライブ スタメンに生出演して指摘されている問題点について釈明したが自身を尊敬している橋下徹弁護士から「あなたの言い訳めいた発言に失望した」と批判される。週刊誌の業界でも追及記事をスタートする所が出たり、親石原系の中にも距離を置く雑誌が出たりとシンパからの三行半が出始める状況にある。
- 「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織し、戸塚ヨットスクールの教育方針を支持している。
[編集] 活動
[編集] エピソード
- ベトナム戦争の「クリスマス停戦(トルース)」をサイゴン市内から一歩も出ずに取材。ベトナムでの経験をきっかけとして政治への参加を考えるようになる。また、現地で買春をしたことを著書『国家なる幻影』で告白した。
- 三島由紀夫とは親友であった。毎日新聞1970年6月11日夕刊に三島氏が「士道について-石原慎太郎氏への公開状」と言う文章を掲載し、石原氏は1970年6月16日夕刊に「政治と美学について-三島由紀夫氏への返答」で反論する。内容は自民党に彼が所属し続けることであった。自民党のヌエ性を批判した三島氏に対して、石原氏は「自民党はあくまで手段に過ぎない」と反駁する。
- 演出家の浅利慶太らと共に五島昇に日生劇場を作るよう持ちかけた。
- フィリピン大統領フェルディナンド・マルコスによって監禁された親友の元上院議長ベニグノ・アキノの救出作戦を練るが、国内のマルコス派の妨害にあう。
- 1999年の東京都知事選では立候補を表明するのが有力候補中最も遅かった。しかし、舛添要一・鳩山邦夫・明石康といった有力候補を押さえ大差で当選を果たす。
- 運輸相時代に在日米軍を「番犬」呼ばわりして当時在日米軍の米政府責任者だったアーミテージを激怒させる。
- 大統領選に出馬前のロナルド・レーガンの日本の財界との橋渡しをした。
- 台湾(中華民国)の政界との交友関係もあり、台湾へ都知事としての立場で公式訪問したこともある。スタンスは概ね親台嫌中である。
- 『産經新聞』2001年5月8日号で、中国人犯罪について「民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい」と主張。中国人が凶悪犯罪を起こす民族性を持つとした上、これを遺伝的であるかのように発言したことには、民族差別発言とする批判が出るも、今時まともな社会人が口にしない発言に世界中から失笑を買うだけで、政治問題には発展しなかった。
- 松井孝典の言葉の引用として「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なる物はババア。」と発言し(『週刊女性』2001年11月6日号)、批判を浴びる。これに対し、松井は「石原氏の発言を見ると、私の言っていることとまったく逆のことだからね。私はこういう言い方はどこでもしたことはないし、おばあさん仮説という理論を私はいろんなところで話しているから、それを見てもらえば分かるでしょう。」と述べている。(月刊『自然と人間』2003年2月号)。また、この発言に対して損害賠償を求めた裁判の判決の中で東京裁判所は、発言が石原個人の見解であると認め、都知事として不用意であるとしたものの損害賠償請求自体は棄却され勝訴。ただし、石原は判決後もなお、松井の考えを紹介しただけと主張している。
- 北朝鮮による日本人拉致問題など日朝交渉が暗礁に乗り上げている最中、日本外交協会が食糧支援を実施。都が寄付した食料について再び北朝鮮に送らないよう抗議。
- 一部マスコミから、障害者施設を訪れた際「この人たちには人格があるのかね」と発言したとされる。
- 日韓併合を韓国人も望んでいたという立場を採る。
- 皇居のライトアップを今上天皇に提案したが、積極的な反応は見られなかったようである。
- 天皇の靖国神社親拝を期待する発言をする。小泉首相に対しても「もし首相が靖国に行かなければ、この国は芯からガラガラと崩れていく」(2005年6月都議選応援演説での言葉)と参拝を求める所存である旨コメント。
- 2003年11月1日に、中国が、有人宇宙船の打ち上げに成功したことについて、「中国人は無知だから『アイヤー』と喜んでいる。あんなものは時代遅れ。日本がやろうと思ったら1年でできる」と述べた。
- 2003年11月2日に、TBSの情報番組『サンデーモーニング』で「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言がテロップで「100%正当化するつもりだ」と改変されて報道される。後にTBS側が誤りを認め訂正謝罪するも関係者4名が書類送検(検察は不起訴処分)。
- 平成17年9月5日の産経新聞に掲載された石原の個人エッセイ「日本よ」で、靖国神社のA級戦犯の合祀に異議があると表明。
- 2006年1月20日の記者会見で、日本橋の上を首都高速道路都心環状線の高架が通り、景観を損ねている点について、首相の高架移転案に対し「つまらん金をかけるより橋そのものを他所の川にでも移した方がいい」と断言。「これが小説家の発想だよ」と彼我の相違を強調。
- 2006年11月10日、いじめによる自殺がマスコミに取り上げられ続けているさなか、「自分で闘ったらいい。ファイティングスピリットがなければ、一生どこに行ってもいじめられる」と発言し、いじめ自殺があった場合、加害者を非難するのが先決であるという事を完全無視した。
- 息子の良純の、テレビ番組『笑っていいとも!』内の談話によれば、鳥山明が特定の宗教団体(創価学会)に入っていたことを知った翌日、親戚の子供が持っていた鳥山の漫画をその目の前で焼き捨てたという。
- 注: 鳥山が実際に宗教団体と関わりがあるかは不明。
[編集] 作品リスト
- 太陽の季節(芥川賞受賞/文学界新人賞受賞)
- 狂った果実
- 化石の森(芸術選奨文部大臣賞受賞)
- 青年の樹
- 青春とはなんだ
- スパルタ教育
- 野蛮人の大学
- 生還(平林たい子賞受賞)
- 弟(毎日文学賞特別賞受賞)
- 老いてこそ人生
- 「NO」と言える日本(共著:盛田昭夫)
- それでも「NO」と言える日本 -日米間の根本問題-(共著:渡部昇一・小川和久)
- 断固「NO」と言える日本(共著:江藤淳)
- 宣戦布告「NO」と言える日本経済 ―アメリカの金融奴隷からの解放―
- 国家なる幻影
- “父”なくして国立たず
- 今、「魂」の教育
- 僕は結婚しない
- わが人生の時の時
- 秘祭
- 聖餐
- 風についての記憶
- 俺は、君のためにこそ死ににいく(製作総指揮・脚本)
- 息子たちと私―子供あっての親
[編集] 兼任役職一覧
- (社)日本住宅協会副会長
- (社)日本水道協会(JWWA)会長
- 特定非営利活動法人 明るい社会づくり運動会長
- 日本会議代表委員
[編集] 家庭・親族
日本の著名な俳優・歌手の石原裕次郎は弟。衆議院議員石原伸晃は長男。タレントの石原良純は次男。衆議院議員石原宏高は三男。画家でトーキョーワンダーサイト・アドバイザーの石原延啓は四男。他に認知した庶出の男子がいる。
[編集] 参考文献
- 編集・崇教真光『岡田光玉師御対談集』 ISBN なし
- THE DEMON IN THE PROTOCOLS, Exposure Magazine (Australia), June-July 1998
- 「フォーラムネットのあゆみ」 特定非営利活動法人 明るい社会づくり運動。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式サイト「宣戦布告.net」(石原慎太郎公式ウェブサイト)
- 知事の部屋 - 東京都の広報ページ
- 石原都知事「三国人」発言の全文
- 石原慎太郎都知事の記者会見
都道府県知事 | ||||
---|---|---|---|---|
北海道 高橋はるみ | 青森県 三村申吾 | 岩手県 増田寛也 | 宮城県 村井嘉浩 | 秋田県 寺田典城 |
山形県 齋藤弘 | 福島県 佐藤雄平 | 茨城県 橋本昌 | 栃木県 福田富一 | 群馬県 小寺弘之 |
埼玉県 上田清司 | 千葉県 堂本暁子 | 東京都 石原慎太郎 | 神奈川県 松沢成文 | 新潟県 泉田裕彦 |
富山県 石井隆一 | 石川県 谷本正憲 | 福井県 西川一誠 | 山梨県 山本栄彦 | 長野県 村井仁 |
岐阜県 古田肇 | 静岡県 石川嘉延 | 愛知県 神田真秋 | 三重県 野呂昭彦 | 滋賀県 嘉田由紀子 |
京都府 山田啓二 | 大阪府 太田房江 | 兵庫県 井戸敏三 | 奈良県 柿本善也 | 和歌山県 仁坂吉伸 |
鳥取県 片山善博 | 島根県 澄田信義 | 岡山県 石井正弘 | 広島県 藤田雄山 | 山口県 二井関成 |
徳島県 飯泉嘉門 | 香川県 真鍋武紀 | 愛媛県 加戸守行 | 高知県 橋本大二郎 | 福岡県 麻生渡 |
佐賀県 古川康 | 長崎県 金子原二郎 | 熊本県 潮谷義子 | 大分県 広瀬勝貞 | 宮崎県 (欠員) |
鹿児島県 伊藤祐一郎 | 沖縄県 仲井真弘多 |
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