鉄道の歴史 (日本)
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鉄道の歴史(てつどうのれきし)では、日本における鉄道史において重要な意義を持つものを、年表にして述べる。大まかな概略については、日本の鉄道史を参照のこと。
[編集] 創始期~1879年(明治12年)
日本の鉄道開業も参照のこと。
- 1854年(安政元年) アメリカ人のマシュー・ペリーが日本に鉄道を紹介する。
- 1865年(慶応元年) 長崎で英国人たちにより、中国向けに輸出される予定であった蒸気機関車のデモンストレーション運転を約1ヶ月間行う。軌間は762mmで、距離は数百メートル程度であったという。
- 1872年(明治5年) 日本初の営業用鉄道が開業。
- 5月7日(旧暦・グレゴリオ暦では6月12日)にまず品川駅~横浜駅(現、桜木町駅)間で仮営業を開始。
- 9月12日(同、10月14日)に新橋駅(後、汐留駅・現在廃止)~横浜駅間が正式開業(その翌日に旅客営業が開始された)。
- 復券は代金の3分の1を割り引くこととなっており、往復割引の考え方の初でもあった。
[編集] 1880年(明治13年)~1889年(明治22年)
- アメリカの技術によって建設され、車両などもアメリカ式であった。
- 急行料金を収受するものではなく、現在のJRグループでいえば快速列車にあたる。
- 世界で広く使われた馬車鉄道であるが、糞尿による衛生上の問題や馬の世話の問題などから次第に電気鉄道へ取って代わられる事になる。また前述の日本鉄道を除けばこれが日本初の私鉄会社であり、そして日本初の私営路線となった。
- 新橋駅~品川駅間と新橋駅~横浜駅間。当初は上等・中等(現、グリーン車)客に限られた。
- それまでは、ある程度の距離を運行する列車では途中の主要駅において用を足す客のため、停車時間を長く取っていた。また、やむを得ず列車から外に用を足して罰金を取られたという話も残っている。駅で用便後に乗り遅れた列車に飛び乗ろうとして転落死した乗客が出たために導入に踏み切ったという説もある。なお、北海道の幌内鉄道では1880年(明治13年)の開業時から貴賓車両には便所を設けていた。
- 江戸時代における日本三大都市の東京・京都・大阪の間を鉄道で結ぶことは鉄道創業の頃から考えられてきていたが、前述のような理由による予算不足などから遅れて、ようやくこの時開業の運びとなった。
- また当初これらの都市間を結ぶ鉄道は、東海道経由では海運と競合して採算が悪くなる事が予想されたために、中山道のルートで建設を行う事になっていた。しかし途中にある名古屋などの大きな都市を通らないことや、山岳区間を通るために技術・資本的な問題があったこと、更には沿線人口が中山道経由は少ないことなどから、東京~名古屋間が東海道経由に変更されたものである。なお、岐阜~草津間は琵琶湖水運や一部区間の鉄道が既にあったことから、中山道経由で建設された。
- 現在の鹿児島本線の一部である。
[編集] 1890年(明治23年)~1899年(明治32年)
- 山陽鉄道は並行する瀬戸内海航路との間で競争を繰り広げており、そのためもあってか日本初となるさまざまなサービスを導入することになる。
- 電気を使用した鉄道は、全線電化の工事や給電設備の設置が必要になるため大規模な鉄道には向かず、私鉄や市電など小規模なところから導入がはじまった。国鉄の電化が本格的に進むのは遅く、1950年代に入ってからである。これには、変電所を破壊されると運行が不能になると主張して反対した軍部の意向もあったためだといわれる。
- 国鉄でも、同年10月から主要駅で販売が開始された。
[編集] 1900年(明治33年)~1912年(明治45年)
- 国鉄初の寝台車が登場したのは1900年(明治33年)10月1日。
- 保安性の向上に貢献した。
- 郊外電車(路面電車を除く電車)の始まりといえた。
- それまでの私鉄は1900年(明治33年)に公布された「私設鉄道法」に基いて建設が行われていたが、この阪神電鉄は路面電車と同じ軌道として建設された都市間高速電車であった。以後、京阪電気鉄道・京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄)など類型の私鉄会社が次々と誕生する事になる。
- 日清戦争・日露戦争を経て、軍事需要が増加した際などには全国一元の輸送が行えるようにしたほうが好ましいと判断されたことや、関西鉄道のように国鉄線と激しい競争を行って経営が傾くような私鉄があったこと、人口の少ない地域では鉄道運賃が高くなることから全国一律の運賃体制を望む地方民の声があったことなどにより、明治初め頃から井上勝などが何度も主張していた事が、ようやく実ったものである。これにより主要17私鉄が翌年までに国有化され、私鉄線は地方輸送を行うものだけが残ったことから、国鉄線対私鉄線のシェアはそれまでの3:7から9:1へと大きく変わり、国有鉄道主導による輸送体系が確立される事になる。
- 1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道の線路名称が制定され、現在の常磐線などの名がこの時生まれた。
- 1910年(明治43年)3月10日 箕面有馬電気鉄道(現、阪急電鉄)が、現在の宝塚線・箕面線に当たる路線を開業させる。
- 従来からの私鉄建設の為の法令である「私設鉄道法」に比べて簡略な内容になっており、以後この法に基く軽便鉄道が各地で建設されるようになる。
- 1911年(明治44年)3月27日 軽便鉄道の建設を促進するため、政府が補助を行う「軽便鉄道補助法」公布。
- 1912年(明治45年)5月11日 信越本線の横川駅~軽井沢駅間で、アプト式電気機関車EC40形が使用開始される。
- 本線用の営業運転では日本初の電気機関車でもあった。この区間が電化された背景には、トンネル区間における蒸気機関車の煤煙問題が大きかった事があげられる。
- 下関で関釜連絡船と連絡し、釜山から朝鮮・満州・シベリア(朝鮮鉄道・南満州鉄道・シベリア鉄道)を経由してヨーロッパに至る欧亜連絡ルートの一部を構成する目的で運行開始された。日本とヨーロッパの間を往来する旅客に主眼を置いて設定されたため、外国に対する日本の国威を示す宣伝塔の役割も負っていたとされ、運転開始当初は一等車・二等車のみの編成で一般人が乗る三等車が連結されないなど、まさに「特別」な性格を持った列車であった。
[編集] 1912年(大正元年)~1926年(大正15年)
- 1918年(大正7年)8月29日 日本初のケーブルカー(鋼索鉄道)として、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)開業。
- 1919年(大正8年)4月10日 「私設鉄道法」と「軽便鉄道法」を統合して「地方鉄道法」公布。
- 1922年(大正11年)4月11日 「鉄道敷設法」改正。
- これによりローカル線の整備も国鉄が担わされるようになり、後に国鉄財政を厳しくさせる一つの原因になった。
- ただし、それ以前に使用されていたという資料もある。当初は入場券のみを取り扱っていた。
[編集] 1927年(昭和2年)~1934年(昭和9年)
- 東京地下鉄道の上野駅~浅草駅間(現、東京地下鉄銀座線)。この鉄道では打子式の自動列車停止装置(ATS)が使用された。日本における実用的ATSの最初とされている。さらに、日本初の自動改札機(コインターンバー式)も導入された。
- トロリーバスは1932年(昭和7年)の京都市営トロリーバス登場後、戦後になって公共交通機関として普及したが、路面電車同様モータリゼーションの進展で廃止された。
- 1929年(昭和4年) 日本最初のディーゼル機関車(電気式)DC11形が試運転を行う。
- 1929年(昭和4年)10月1日 東武日光線全通。
- 1930年(昭和5年)12月20日 大阪電気軌道桜井線・参宮急行電鉄本線(現、近鉄大阪線・山田線)上本町駅~山田駅(現、伊勢市駅)間開通。
- 上2路線の内前者は伊勢崎線と直通して、後者は親会社・子会社の路線同士が相互直通運転する形で、どちらも電車を使用して100km以上の長距離運転を行った。国鉄で100km以上の長距離電車運転が行われるのは1950年(昭和25年)の事(戦時買収によって成立した飯田線を含めれば1943年)であり、先進的な試みであった。
[編集] 1935年(昭和10年)~1944年(昭和19年)
- 1936年(昭和11年) 南海鉄道(現:南海電気鉄道)で、日本初の冷房車(2001形)が登場。同年中に、国有鉄道の特急列車「燕」でも導入される。
- 1938年(昭和13年)4月 私有鉄道・バス会社の統合を円滑に進めるため、「陸上交通事業調整法」制定。
- 又この頃、産業用鉄道を中心に戦時買収私鉄指定による国鉄化も軍事目的などで押し進められた。
[編集] 1945年(昭和20年)~1954年(昭和29年)
- 1947年(昭和22年)12月18日 「過度経済力集中排除法」公布。
- 戦後、GHQの元で財閥解体など経済の民主化政策も推し進められる事になり、この法とこの年4月公布の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)等を背景に、戦時中に統合された私鉄の内いくつかが解体された。
- 戦争によって荒廃した鉄道の復興はこの頃ようやく軌道に乗り始めたが、国鉄の財政はインフレーションと復員兵・海外引揚者の雇用をさせられた関係などで極度に悪化しており、1948年(昭和23年)7月22日にはGHQのダグラス・マッカーサーから国の専売事業や国鉄などの政府事業を一般の国家公務員から除外し、事業運営を行うための公共企業体の設置を求める書簡が出された。それを受け、11月30日には「日本国有鉄道法」が国会を通過し、この時「公共企業体日本国有鉄道」が発足する事になったのである。しかし政府の介入権が強いなど経営の自主性が薄く、それが後に財政破綻や労使紛争を引き起こす原因になった。また、「国鉄三大ミステリー」とされる下山事件・三鷹事件・松川事件が起きたのもこの年である。
- 同時に一等車・食堂車も復活(寝台車は前年11月)し、鉄道復興が順調に進んでいることを国民に指し示す事になった。
[編集] 1955年(昭和30年)~1964年(昭和39年)
- 長距離を電化する場合は直流に比べて電化コストが安いなどの理由により、後に全国へ広まる事になった。
- それまでは蒸気機関車が主役の時代であったが、徐々に鉄道の電化が進められるようになった。また、この頃から次第に非電化区間でも蒸気機関車に代わってディーゼル機関車・気動車が使用されるようになった。
- 電車による初の長距離特急列車であり、新幹線にも影響を与えた。
- 日本初の跨座式モノレール営業線である。
- 1964年(昭和39年)9月17日 東京モノレール羽田線が開業。
- 日本初の空港連絡鉄道であった。
- 新幹線の創始である。当初は東京駅~新大阪駅間を4時間運転。1年ほどの後の1965年(昭和40年)11月1日からは所要時間が3時間10分になった。
- この年から国鉄は赤字になる。原因には通勤五方面作戦や新幹線の建設に伴う支出、自動車の普及によるモータリゼーション、都市への人口集中による地方ローカル線の営業不振などがあげられる。
[編集] 1965年(昭和40年)~1974年(昭和49年)
- 1965年(昭和40年)10月1日 全国の主要152駅に「みどりの窓口」を設置。
- 1966年(昭和41年)4月 国鉄の全線でATS(自動列車停止装置)の設置が完了。
- 1967年(昭和42年) 阪急千里線北千里駅で、日本初の磁気式自動改札機導入。
- 関西の私鉄駅では1970年代に広く普及したが、関東の場合は連絡運輸を広く行っていることから、その複雑な情報のために未対応の乗車券を自動改札機に入れてしまって詰まらせるといった事態が多発し、1990年代まで普及に至らなかった。
- それまでは一等運賃・料金と二等運賃・料金が別々に定められていたが、これ以降一等車をグリーン車、二等車を普通車とし、グリーン車に乗るには普通車の乗車券・料金券に加えて別にグリーン券を購入する制度とした。
[編集] 1975年(昭和50年)~1988年(昭和63年)
- 1981年(昭和56年)2月5日 日本初の実用的新交通システム(AGT)として、神戸新交通ポートアイランド線開通。
- 自動列車運転装置(ATO)を採用し、実用鉄道で日本初の無人運転も行った。
- 日本国内から実用の蒸気機関車が全廃された。
[編集] 1989年(平成元年)~
- 1990年(平成2年)3月20日 日本初のリニアモーターカー実用路線(鉄輪式)として、大阪市営地下鉄鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線)開業。
- トンネル断面を小さく出来ることからミニ地下鉄と呼ばれ、以後何本か同類の路線が開業した。
- 2001年(平成13年)3月23日 日本初の実用ガイドウェイバスとして、名古屋ガイドウェイバス志段味線(愛称「ゆとりーとライン」)が開業。
- 2003年(平成15年)8月10日 沖縄県に沖縄都市モノレール開業。第二次世界大戦で沖縄の鉄道が破壊されて以来、日本の全ての都道府県に鉄道が敷設されたことになる。
- 2005年(平成17年)3月6日 日本における実用初の磁気浮上式リニアモーターカーとして、愛知高速交通東部丘陵線(愛称「リニモ」)が開業。
[編集] 関連項目
- 鉄道の歴史
- 日本の電車史
- 日本の気動車史
- 日本の蒸気機関車史
- 日本の電気機関車史
- 日本のディーゼル機関車史
- 日本国有鉄道
- 国鉄ダイヤ改正
- JRダイヤ改正
- 日本の改軌論争
- 列車沿革の一覧
- 鉄道事故
- 廃線
- 鉄道と政治
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