慶応
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慶応(けいおう、正字表記では慶應)は、日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。
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[編集] 改元
- 元治2年4月7日(グレゴリオ暦1865年5月1日) 禁門の変や社会不安などの災異のために改元
- 慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日) 明治に改元、同年1月1日(グレゴリオ暦1868年1月25日)に遡って適用。
江戸時代最後の改元。将軍徳川家茂が朝廷に対して「何以被採用所存無之候」「叡慮之通慶応可然被存候」と述べて改元については孝明天皇の意向に全て従うという意見書を出し、改元当日の御所での儀式を諸藩代表に公開するなど、江戸幕府創設以来幕府が取ってきた元号改元への介入路線が完全に破綻した事を示すものとなった。
[編集] 出典
『文選』の「慶雲応(まさ)に輝くべし」より。
[編集] 慶応期におきた出来事
[編集] 死去
- 2年 徳川家茂(江戸幕府14代将軍 享年21)
- 3年 伊東甲子太郎(新選組参謀)
- 3年 坂本龍馬(海援隊隊長)
- 3年 中岡慎太郎(陸援隊隊長)
- 4年 近藤勇(新選組局長 享年35)
- 4年 沖田総司(新選組一番隊隊長 享年27)
[編集] 西暦との対照表
慶応 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 |
西暦 | 1865年 | 1866年 | 1867年 | 1868年 |
干支 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 |