青函トンネル
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青函トンネル(せいかんトンネル)は、津軽海峡の海底下約100mの地中を穿ち、青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道トンネル。
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[編集] 概要
2006年現在鉄道トンネルとして世界一(但し、海底部の総距離では英仏トンネルに次ぐ世界第二位)の長さを誇る。全長が約53.9km(正確には53.85km)である事から、ゾーン539と愛称が付けられている。正式名は「青函隧道」(せいかんずいどう / せいかんすいどう)。
青函トンネルの木古内方には、非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁、さらに長さ約1.2kmの第1湯の里トンネルが続いており、合計約55kmの一体化したトンネルのようになっている。
青函トンネルを含む区間は海峡線となっており、北海道函館市~青森県青森市間を結ぶ津軽海峡線の一部だが、新幹線規格で建設されており、将来北海道新幹線も通る予定になっている。
長大なトンネル内の安全設備として、列車火災事故などに対処するため、青函トンネル途中(海岸直下から僅かに海底寄り)に消防用設備や脱出路を設けた定点という施設が2箇所設置された。これは1972年に国鉄北陸本線の北陸トンネル内で発生した列車火災事故を教訓にしたものである。開業後、この定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になり、吉岡海底駅と竜飛海底駅と命名された。この二つの駅は、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降出来る特殊な駅である。
[編集] 歴史
かつて青森駅と函館駅を結んだ鉄道連絡船として、国鉄により青函連絡船が運航されていた。しかし、1950年代には、朝鮮戦争によるものと見られる浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入、また1954年9月26日、台風接近下に誤った気象情報によって出航し、暴風雨の中、函館港外で遭難した洞爺丸他4隻の事故など、航路の安定が脅かされる事態が相次いで発生した。
これらを受けて、太平洋戦争前からの構想が一気に具体化し、本州と北海道を地続きに結ぶ代替輸送手段として、「青函トンネル」と名付けられて非常に長期間の工期と巨額の工費を費やして建設された。三厩村(現外ヶ浜町)と福島町を結ぶ西ルート、大間町と戸井町(現函館市)を結ぶ東ルートが検討され、当初は距離が短く水深も浅い東ルートが有力視されたが、海底の地質調査の結果東ルートには掘削に適さない部分が多いと判定されたため、西ルートでの建設と決定した(なお、もし東ルートに決定していれば、かつて青函連絡船代替航路として建設され未完に終わった大間線と戸井線の建設が再開され、開通していたとも言われている)。
当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格に変更され建設された。整備新幹線計画が凍結された後、暫定的に在来線として開業することになったものの、軌間や架線電圧の違いを除けば、保安装置 (ATC-L型)も含めて新幹線規格を踏襲しており、のちに考案されたスーパー特急方式を先取りしたような形となっている。
トンネル本体の建設費は5384億円(計画ベース)、取り付け線を含めた海峡線としての建設費は6890億円である。しかし北海道新幹線の建設が凍結になり、更に関東から北海道への旅客輸送は既に航空機が9割を占めていた状況であったことから、トンネルの活用法が大きな問題となった。中には「トンネルを放棄してセメントで封鎖すべきだ」とか、「石油の貯蔵庫にすべきだ」という主張もあったが、結局は多額な投資をしたものを放棄するのは問題だとして、在来線で暫定使用を行う事になった。なおこの時、「カートレイン」の運行を行うことも定められていたが、実現には至っていない。
開業前には要した巨額の費用と収益があまりにも釣り合わないとして「無用の長物」、「昭和三大馬鹿査定」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。
実際には北海道~本州間の貨物輸送に重要な役割を果たしており、特に天候に影響されない安定した輸送が可能となったことの効果は大きい。対照的に、旅客は航空輸送の高度化・価格破壊などから減少が進んでいる。また海底にあるため施設の老朽化が早く、線区を管轄するJR北海道にとって大きな問題になっている。
2005年には北海道新幹線の新青森~新函館間が着工され、青函トンネルについては貨物・夜行列車なども引き続き通れるように三線軌条とし、上下線の間に遮風壁を設ける事、トンネル両側の津軽今別駅と知内駅に待避施設を建設する事になっている。これとは別に、当初の予定通り青森側・北海道側にそれぞれターミナルを建設して「カートレイン」を運行させようという構想もあるが、実現の目処は立っていない。
- 1961年3月23日 - 北海道側吉岡で斜坑の掘削開始。
- 1967年3月24日 - 北海道側で先進導抗の掘削開始。
- 1971年11月27日 - 本坑の起工式。
- 1983年1月27日 - 先進導抗貫通。
- 1985年3月10日 - 本坑貫通。
- 1988年3月13日 - 営業開始。
[編集] 走行車両
青函トンネルは海底トンネルということもあり、列車保安装置としてATC-L型を搭載し、青函トンネル内の高湿度に対応している車両しか通過できない。また、北海道新幹線開業後は青函トンネルを含む海峡線で25,000V(新幹線で使用されている電圧)に昇圧されるので、動力集中方式の場合20,000V・25,000V両対応の複電圧電気機関車が必要となる。
- EH500形電気機関車:貨物専用機で首都圏 - 五稜郭駅間を担当
- ED79形電気機関車:客車列車、貨物列車を牽引、青函専用機。
- 485系電車(3000番台):「はつかり」→「白鳥」を担当。
- 789系電車:「スーパー白鳥」担当。
- キハ183系気動車:但し、青函トンネル内は自走不可(キハ183系気動車にATCが搭載されていないことと、トンネル内の排気ガスの換気が困難な事、火災防止の為)。客車扱いにてED79に牽引されて通過する。
- 14系客車:急行「はまなす」で入線。電源車は消火装置等の対策済みのものが限定使用される。
- 24系客車:寝台特急「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」で入線。電源車は消火装置等の対策済みのものが限定使用される。
- E26系客車:寝台特急「カシオペア」で入線。
- 過去の車両
- ED76形電気機関車(550番台)
- 50系客車(5000番台):快速「海峡」用
- 485系電車(1000番台):3000番台導入前のはつかりや臨時列車、3000番台故障時の代走を務めていた。
- 781系電車:ドラえもん海底列車仕様。
[編集] 扁額
扁額の揮毫は、北海道側が開通当時の内閣総理大臣中曽根康弘、本州側が同じく運輸大臣橋本龍太郎である。扁額には「青函トンネル」ではなく正式名称の「青函隧道」と書かれている。
ちなみに、揮毫した中曽根康弘が三公社民営化を悲願とし、橋本龍太郎が国鉄解体時の運輸大臣であったことから、国鉄の介錯役と目された両政治家が揮毫した事となった。
[編集] 記念発行物
- 記念切手
- 60円が1988年3月11日に発行された。図柄は特急「日本海のヘッドマークを付けたED79形電気機関車である。
- 記念貨幣
- 500円白銅貨が1988年8月29日に発行された。
[編集] 映画
- 海峡(1982年)
[編集] テレビ番組
[編集] 関連項目
- 一本列島
- ゴッタルドベーストンネル (スイスで掘削中の鉄道トンネル。2015年開通予定。開通すると青函トンネルを抜いて世界一の長さの鉄道トンネルとなる)
- キャッツキルアケダクト (米ニューヨーク州の水道水の40%を供給する水道トンネル。全長147.2kmで土木構造物としてのトンネルでは世界最長)
- 青函トンネル記念館
- 津軽海峡大橋(本州 - 北海道間の道路単独吊り橋、世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」を大きく上回るため、建設や維持管理が非常に高コストになることから実現の目処が立っていない)
- 北海道新幹線