神奈川中央交通
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種類 | 株式会社(東証1部:9081) |
略称 | 神奈中、かなちゅう |
本社所在地 | 神奈川県平塚市八重咲町6番18号 |
設立 | 1921年(大正10年)6月5日 |
業種 | バス事業 |
資本金 | 31億6千万円 |
売上高 | 510億円(2006年度・単独) |
関係する人物 | 高橋 幹(取締役社長) |
外部リンク | www.kanachu.co.jp |
神奈川中央交通(かながわちゅうおうこうつう)株式会社は、三浦や足柄をのぞく神奈川県の大部分の地域と町田市・多摩市等の東京都多摩南西部を中心に路線バスや貸切バスを行っている小田急グループのバス会社。通称「神奈中 (かなちゅう)バス」。 バス専業としては日本一の規模である。東京・新宿~平塚、新宿~町田・相模大野・本厚木に深夜急行バスがあり、横浜・町田・本厚木などから各地へ高速バス路線がある。車両規模は、子会社を含め2000両強である。
(高速バスは現在は子会社の湘南神奈交バスが運行している。) なお同社は、神奈川県バス協会、東京バス協会双方に加盟している。
目次 |
[編集] 会社概要
[編集] 大株主の状況(2006年3月31日現在)
※小田急電鉄株式会社…44.23%
株式会社横浜銀行(常任代理人 資産管理サービス信託銀行株式会社)…4.48%
株式会社アドベル…2.07%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(三井アセット信託銀行再信託分・CMTBエクイティインベストメンツ株式会社信託口)…1.83%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(中央三井信託銀行退職給付信託口)…1.59%
以上、上位5位で、54.25%。
※神奈川中央交通は、小田急電鉄の持分法適用関連会社である。
[編集] 沿革
- 1921年6月5日 相武自動車株式会社設立
当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。 - 1921年10月29日 金沢自動車運輸より路線承継。(滝頭~杉田~瀬戸~逗子間)
- 1928年7月 梁瀬長太郎(ヤナセ創業者)社長に就任。
- 1931年11月 鶴屋商会(1919年5月創業、戸塚~厚木間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。
杉田~逗子間を湘南乗合自動車へ譲渡。(現在の横浜京急バスのルーツ) - 1936年12月 鶴屋商会および戸塚自動車商会(戸塚~岡津間)を合併。
- 1937年1月12日 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更。
- 1938年5月 東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)に買収され、同社の傘下に入る。
- 1939年6月16日 中央相武自動車を合併、東海道乗合自動車株式会社に商号変更。
- 中央相武自動車 1923年3月設立。横浜~厚木間の乗合自動車を運営。
玉川電気鉄道(玉電)の傘下会社である目黒自動車運輸が買収したが、1936年10月に東横が玉電を傘下におさめた事に伴い、1937年8月中央相武も東横の傘下に入った。
- 中央相武自動車 1923年3月設立。横浜~厚木間の乗合自動車を運営。
- 1941年12月15日 同じ東横傘下の関東乗合自動車および江ノ島電気鉄道の一部路線を譲受。
- 関東乗合自動車 1931年12月設立。新宿~小滝橋間を運行していたが、1936年12月に原町田乗合(1936年4月に設立され、1921年9月より野渡太助が運行し、後に平井実造が経営していた原町田~図師間、原町田~鶴間間、原町田~小野路間、原町田~瀬谷間等の路線を承継)を合併。一時現在の町田市内にも営業基盤を持っていた。東海道乗合自動車へはこの原町田営業所を譲渡。現在の関東バス。
- 江ノ島電気鉄道 1931年7月11日、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会(1929年6月2日開業)より江ノ島~鎌倉間の営業権を譲受して営業再開。
(これより先、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた。)
1934年9月1日、藤沢自動車より片瀬~藤沢間譲受。
1935年5月26日、岩崎清一および平田忠心より茅ヶ崎市内および平塚市内の路線を譲受。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した。
- 1942年2月 秦野自動車(1921年8月設立。秦野~平塚間、秦野~二宮間他)を合併。
- 1943年4月 東京横浜電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車および藤沢自動車を買収。
- 伊勢原自動車 1920年3月、伊勢原自動車運輸設立。
1928年2月サンエキ自動車(1926年設立)と合併。伊勢原サンエキ自動車と改称。
1932年9月伊勢原自動車と商号を変更。周辺事業者を悉く統合。1938年3月には秦野自動車より平塚~二宮間、平塚~須賀間を譲受していた。 - 藤沢自動車 1931年江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が統合して設立。以来、県央地区(高座郡・愛甲郡・津久井郡)の事業者を悉く買収・併合して統合。
1937年6月、京王電気軌道(現在の京王線の母体)に買収され、同社傘下となる。
1940年9月、八王子中央自動車(1925年11月開業。川尻村(現・城山町)久保沢向原~八王子市旭町間)の合併で、南は藤沢~平塚から厚木・相模原を経て北は八王子~上野原までに至る、神奈川県を縦断する路線網を築き上げた。
- 伊勢原自動車 1920年3月、伊勢原自動車運輸設立。
- 1944年5月31日 東海道乗合自動車は伊勢原自動車および藤沢自動車を合併。
- 1944年6月16日 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更。
- 1944年11月28日 相模鉄道および江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受。
(3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで消滅。)
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[編集] 営業所
営業所名後ろの括弧内の平仮名および英字は営業所を略記する際の記号
- 相模原営業所三ヶ木操車所 - 旧・津久井営業所 (つ)
- ※すべての路線を津久井神奈交バスに移管した。
- 茅ヶ崎営業所藤沢操車所 - 旧・藤沢営業所 (ふ)
- 神奈川県藤沢市
- ※すべての路線を藤沢神奈交バスに移管した。
- 大和営業所中山操車所
- 神奈川県横浜市緑区
[編集] 神奈交バス
[編集] 車両
ツインライナーなどの特殊な車両を除けば、一般路線用は三菱ふそう製が約80%、いすゞ自動車製が約15%を占める。日野自動車製はコミュニティバスやそれに準ずる路線ではリエッセやレインボーが主力となっているものの、大型車は舞岡配備のハイブリット車を除けば伊勢原に集中配備となっている。さらに日産ディーゼル製は厚木、秦野、大和、平塚の4営業所にごく僅かが配備されているにすぎず、ここ数年の新規導入は厚木・秦野のみである。系列会社籍の高速・観光バスはいすゞ製が若干存在するものの、三菱ふそう製にほぼ限定されていると言っても良い状態である。
このように、巨大事業者でありながらいびつな構成になっているのは、1980年代半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となったためで、従来は4社間のバランスをとって導入されていたものが、1984年頃を境に、いすゞの拠点である藤沢市周辺地域を除くと三菱ふそう車が集中投入される下地となった。その結果、町田営業所のように、三菱ふそう車でほぼ統一されている営業所も存在する(詳細については各所毎の解説を参照のこと)。なお、2004年以降、日産形低公害車の実証実験を厚木営業所が担当することとなり、尿素SCRステーションを設置した関係から日産ディーゼル車が継続的に配備され、2006年7月31日現在で22台在籍(1997年式1台を含む)と、稼動車の1割強にまで比率が上っている。
バス専業としては日本最大の事業者だけに導入車両数も少なくなく、その結果、「神奈中仕様」なるオプションが存在する。その中でも代表的なものが、本来セーフティーウインドーが設けられている部分に設置された「運賃表示窓」(運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもの)であろう。また、かつて三菱にホイルベース5.8mの特注車を発注し、MP218-Nとしてメーカーに追加で形式認定させたほどの力を持つ。この特注の長尺車は、厚木・藤沢・綾瀬・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に多く配備されていた(これらの営業所では、ギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だったことで、長尺車がその営業所の標準であったことが伺える)。また、1992~2000年の車両では、前扉にステップを設置した「新ステップ車」となっている。
ボディはいすゞ製を除けば各社純正車(三菱ふそうは伝統的に呉羽製)を採用していたが、いすゞについては純正の川重車体工業の他、富士重工、北村製作所を並行して採用していた。特にいすゞ+富士重工の組み合わせは富士重工のバス車体製造撤退時まで取引を続けており、これらは主として茅ヶ崎に集中的に配備された。
2002年5月以降、方向幕のLED化が進んでおり、現在は秦野営業所と津久井神奈交バスの一部車両に幕式の車両が見られるのみとなっている。
神奈中では、役目を終えた廃車車両の多くが日本国内の多くの地方事業者へ譲渡され活躍しているほか、ミャンマー・フィリピンなど海外へも大量輸出されていることでも知られる。
なお、神奈中では1985年製の車両までは、6~9、10年程度で廃車されるケースが多かった。そのため、昭和54年排出ガス規制適合車も1992年までに全廃されている。
[編集] その他
- 停留所の時刻表は1990年頃からダイヤ作成システムでの印刷出力様式となったが、経由・行先とも6文字に制限されていたため、長い行先や経由地の場合は妙な省略がされることが多かった。例えば「相武台グリーンパーク行」→「グリンパーク行」、「山崎団地センター」→「山団センター」などはまだ正式名称が想像できるが、「京急ニュータウン行」→「京急行」、「ヨーカドー・中沢橋経由」→「ヨ・中沢橋経由」など、地元利用者でなければ理解が困難な表記もあった。また、経由欄には必ず「経由」という表記が入ったため、「直通経由」「急行経由」という表記もあった。2000年頃にシステム更新により、これらの妙な省略表記は解消された。ただし、「山団センター」の表記は、ダイヤ作成システム稼動以前から車両の方向幕やLEDでも用いられており、定着しているとみなされて、現在でも使用されている。
- 厚木等一部営業所では独自様式の時刻表を用いていることがある。また、同じ様式でもサイズや色が違う場合もある。
- 通常、営業用車両の新車の運転は、勤続年数の長い古参運転手が割り当てられることが多いが、1987年4月から運行されたギャラリーバス「カナちゃん号」については、車体外装全面の下地色を白で統一し、可愛らしいキャラクターをあしらう斬新な塗装であったほか、小さな営業所(当時の津久井営業所等)には1台しか配置されなかったこともあって、出現当初の古参運転手の中には「恥ずかしいので運転したくない」と思っていた者が少なからずいたらしい。
[編集] 連結子会社
- 相模中央交通
- 神奈中商事
- 神奈中ハイヤー
- クリエイトL&S
- アドベル
- グランドホテル神奈中
- 神中興業
- 神奈川三菱ふそう自動車販売
- 湘南神奈交バス
- 神奈中システムプラン
- 津久井神奈交バス
- 横浜神奈交バス
- 相模神奈交バス
- 藤沢神奈交バス
- 神奈中情報システム
- 神奈中観光
- 横浜ビルシステム
- 神奈中相模ヤナセ
[編集] 持分法適用関連会社
- 大山観光電鉄
- 小田急保険サービス
[編集] 外部リンク
発行事業者 | 東急バス・京王電鉄バス・西東京バス・関東バス・西武バス・国際興業・小田急バス・立川バス・京浜急行バス・東武バス・神奈川中央交通・相模鉄道・川崎鶴見臨港バス・江ノ島電鉄・箱根登山鉄道・京成バス・船橋新京成バス・富士急湘南バス・千葉中央バス・千葉海浜交通・千葉内陸バス・ちばレインボーバス・東京ベイシティ交通 |
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発売事業者 | 東急トランセ・京王バス東・京王バス中央・京王バス南・京王バス小金井・多摩バス・ケイビーバス・西武自動車・西武観光バス・小田急シティバス・羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バス・ちばシティバス・京成タウンバス・ちばフラワーバス・ちばグリーンバス・市川交通自動車(市川ラインバス)・京成トランジットバス・東武バスウエスト・東武バスイースト・朝日自動車・茨城急行自動車・川越観光自動車・国際十王交通・湘南神奈交バス・津久井神奈交バス・横浜神奈交バス・相模神奈交バス・藤沢神奈交バス・相鉄バス・臨港グリーンバス・江ノ電バス・箱根登山バス・習志野新京成バス・松戸新京成バス |
発行事業者(公営) | 東京都交通局・川崎市交通局・横浜市交通局 |
大手私鉄 | 東京急行電鉄・小田急電鉄・京王電鉄・京成電鉄・京浜急行電鉄・相模鉄道・西武鉄道・東武鉄道・東京地下鉄 |
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中小私鉄・第三セクター等 | 新京成電鉄・北総鉄道・箱根登山鉄道・埼玉高速鉄道・東葉高速鉄道・横浜高速鉄道・首都圏新都市鉄道・伊豆箱根鉄道・関東鉄道・江ノ島電鉄 |
公営事業者 | 東京都交通局・川崎市交通局・横浜市交通局 |
モノレール・新交通システム | 多摩都市モノレール・ゆりかもめ・千葉都市モノレール・横浜新都市交通・舞浜リゾートライン |
バス(発行事業者のみ) | 伊豆箱根バス・神奈川中央交通・関東バス・京浜急行バス・西武バス・東急バス・西東京バス・富士急行・山梨交通・江ノ島電鉄・京王電鉄バス・国際興業・箱根登山バス・船橋新京成バス・小田急バス・立川バス・川崎鶴見臨港バス・京成バス・相模鉄道・千葉交通・東武バスセントラル・日立自動車交通・平和交通 |
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