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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - Wikipedia

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguationこの項目ではドイツの作曲家について説明しています。松竹芸能所属のお笑いコンビについてはヴェートーベン (お笑いコンビ)を、映画についてはベートーベン (映画)をご覧ください。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
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ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven1770年12月16日ごろ(洗礼を受けたのが12月17日であることしかわかっていない) - 1827年3月26日)は、ドイツ作曲家ボン生まれ。

彼の音楽は、ハイドンモーツァルトらが形成した古典派音楽の集大成とされる。

目次

[編集] 人物

1770年12月16日神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のボンにおいて父ヨハン、母マリアの長男として生まれる。元々、ベートーヴェン家は歌手だった祖父がベルギー・アントウェルペン州・メッヘレン市から移住して来たフランドル系の家系である。幼いころは、音楽環境に囲まれた祖父の支援により生計を立てていた。幼少の頃より酒飲みの父親から強制的な音楽教育を受け、10代のころには、父に代わって家計を支えていた。父親は歌手だったが、尋常でないほどの酒飲みであり、それが元でを患っていたためまともな収入がなく、ベートーヴェンの才能を利用して金を得ることしか考えていなかった。母親は父親とは対照的にベートーヴェンを大切に育て、ベートーヴェンの才能が認められ、初めて収入を得たときには涙を流して喜んだという。

1778年、ケルンのシュテルンガッセ音楽堂での演奏会に出演する。このとき、年齢を若く偽っていた。1782年から作曲家のクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事し、その音楽性に大きな影響を受けた。

1787年、16歳のベートーヴェンは初めてウィーンでモーツァルトに出会う。そしてついにモーツァルトの弟子になることが決まった。だがこの年、最愛の母マリアが病気のため亡くなった。このためベートーベンは、酒に溺れて浮浪者のような父とまだ幼い二人の弟たちの世話をせざるを得なくなり、音楽の勉強もままならない時期があった。そのようなつらい時期を乗り越え、22歳ではヴィーンで活動を開始、ハイドンに師事する。当初はピアノの即興演奏で名声を高めた。この時、父ヨハンが亡くなる。20歳代後半から持病の難聴が悪化し、32歳のとき「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる遺書を書くが、このときの絶望から再起し、34歳のときに交響曲第3番「英雄」を発表。その後約10年間にわたって中期を代表する名作が次々に書かれ、ベートーヴェンにとっての「傑作の森」と呼ばれる時期となる。

「英雄」交響曲については、ベートーヴェンはフランスにおいて破竹の進撃を見せていたナポレオンを念頭に第3交響曲を書き上げたが、ナポレオンが皇帝になったと聞いて『彼もまた、俗物であったか』と激怒し、作曲したばかりの楽譜をばらばらに引きちぎってしまったという逸話があり、楽譜の最初のページに書いてあったナポレオンへの献呈の言葉を荒々しく消したペンの跡が現在も確認できる。

このように、ベートーヴェンは政治的には自由主義者、共和主義者であり、このことを全く隠さなかったため、19世紀に入って敷かれたメッテルニヒによるウィーン体制のもとでは「反体制分子」と見られ、周囲にはスパイがつけられていたと言われている。1812年、テプリチェにおいてドイツを代表する文豪ゲーテと会い、二人で散歩をしていた際に、オーストリア皇后の一行と遭遇した。ゲーテが脱帽・敬礼をして一行を見送ったのに対してベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切ったというエピソードも残されている(このため、ゲーテはベートーヴェンと絶交してしまったという。また、ハイドンとの関係についても似たようなエピソードがあると伝えられている)。

晩年は、慢性的な腹痛や下痢など徐々に悪化する体調に加え、カールをめぐる養育権争いやカールの自殺未遂事件が起こり、私生活では苦悩の日々を送っている。しかし交響曲9番ミサ・ソレムニスといった大作を発表した前後からの晩年の作品群は、難解かつ崇高な精神性を湛えており、ベートーヴェンが最後に到達した境地の高さを示すものとなっている。

1826年、ベートヴェンは病に罹っており、シューベルトなどが見舞いに訪れるなどしていたが、翌年1827年3月26日、その波瀾に満ちた生涯を終えた。享年56。葬儀にはのべ3万人もの人々が駆けつけ、異例のものとなった。

伝説によれば、ベートーヴェンの臨終の間際、すさまじい雷鳴とともに稲妻が閃いたが、彼は右手の拳を振り上げ厳しい挑戦的な顔をし、遥か高みを数秒間にらみつけた後、その目を永遠に閉じたのだという。そして彼は臨終際、「Plaudite, amici, comedia finita est.」(諸君、喝采を、喜劇(お芝居)は終わった)と発したとも伝えられている。

[編集] 作風

スケルツォの導入(第2番)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番「英雄」)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5番、第7番)、標題的要素(第6番「田園」)や声楽の導入(第9番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派が尊重する様式美とロマン的な表現主義とをきわめて高い次元で両立させており、ドイツ音楽の理想的・象徴的存在として、以後の作曲家のほとんどに影響を与えた。同時に、第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成上の規範となり、のちのロマン派国民楽派の多くの作品がこれに追随した。

ベートーヴェンの音楽は、古くから古典派からロマン派への橋渡しをしたと言われ、確かに彼の音楽にはロマン的な感情表現の要素も多く含まれてはいるが、それでも彼自体はウィーン古典派に属する最後の巨匠と見るのが一般的である。それは1802年と1818年頃の人生における2度の危機に、当時E.T.A.ホフマンなどの影響で台頭しつつあったロマン派的な美学には興味を示さず、むしろハイドンとモーツァルト、そしてバッハの遺した、ソナタなどの音楽形式や、調性対位法に集中し、それを最大限に活用する道を選んだからである。ベートーヴェンの芸術では、外面的には限りない熱狂を伴いつつも、厳格な形式や調和が決定的な役割を演じている。一般聴衆が彼に対して持つ「自由奔放なベートーヴェン」という印象に反し、事実としての彼は謙虚かつ厳格に法則に従った音楽家であった。これが後のロマン派と異なる所である。

ベートーヴェンは作曲家としてデビューしたての「初期」の頃は、自由な旋律・リズムを持つ作品や、ラテン的な明るさを持つ作品を書いていたが、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあることは否めない。

1802年の1度目の危機とは「遺書」を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。すなわち、ウィーン古典派の2人の先達よりも、更に徹底して形式的・法則的なものを追求した。この後は「中期」と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の深化・拡大に成功した。結局の所交響曲第3番「英雄」ピアノ協奏曲第5番ような巨大な作品においても、交響曲第5番ピアノソナタ第23番のような圧縮された作品においても、対立する2つの調性に基づいた和声の法則と堅固な形式は、ベートーヴェンにとって究極的には侵す事のできないものであり、これの正しい活用によってめざましい成果を得たといえる。

また、晩年の2度目の危機の時、ベートーヴェンは深刻なスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてはあまり省みられなかったバッハの遺産、対位法を徹底的に研究した。対位法は「中期」においても主題操作などで部分的には用いられたが、それを改めて古典派的な強固・壮大な形式に大々的に取り入れる事に完全に成功し、危機を乗り越えた。用いる形式は極端に簡素で無駄の無いものになり、変奏曲形式はここに究められた。これにより、荘厳ミサ曲や晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタなど、精神的に極めて高い境地に達した「後期」の作品が作られた。

もちろんベートーヴェンに主観的な感情を盛り込む能力がなかったわけではない。実際、彼はどのロマン派の巨匠よりも、音に緊張と人間感情を盛り込む事に成功したといえる。彼の作品のもつ極めて厳格な法則的・形式的な要素は、抽象のための法則・形式でなく、つまるところ人間に正しく感知されるための法則・形式であった。彼は客観的な法則・形式の正しい運用こそが、音楽に最大の効果をあたえる事を、作品によって証明したのであった。

[編集] 後世の音楽家への影響

ベートーヴェンの後の音楽家への影響は甚だ大きい。ベートーヴェン以後のクラシック音楽と呼ばれているジャンルの音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 、 中でもワーグナーは、ベートーヴェンの『交響曲第7番』や『交響曲第9番』などの巨大な作品に触発された。その後ワーグナーはロマン派の急先鋒として、音響効果の増大に成功し、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナーの組に加わらず、あくまでもベートーヴェンと同じ音楽形式を用いて作曲をし、ロマン派の時代の中で古典派的な作風を保った。このような狭い意味ではブラームスがベートーヴェンの「正統」な後継者といえる。

また聾者となりながらも音楽家として最高の成果をあげたベートーヴェンの不屈の精神を称え、彼を英雄視する人々が多く生まれた。ベートーヴェンの音楽は一種の爆発性を持つことから、この考えは甚だ魅力的であり、ロマン派の時代の英雄崇拝と併せて大変広まった。ロマン派が廃れた後も残り、今日まで広く人気を得ている。この見方の代表者には(中年期までの)ロマン・ロランがいる。

一方でこの考え方により、聴衆や評論家が、ベートーヴェンの作曲時の恋愛状態・経済状態や、シントラーなどによる作曲の際の逸話などを、ベートーヴェン鑑賞の際に必要以上に重視してしまい、更には客観的な音楽事象より先に立たせたり、ベートーヴェンを文学的に理解しようという傾向を強めた事は否めない。例えば、彼の手紙の中の一句に過ぎない「苦悩を突き抜けて歓喜へ」という言葉や、ミサ・ソレムニスの演奏指示である「Vom Herzen―Möge es wieder zu Herzen gehen (心より発するものは、願わくば再び心に向かわんことを)」などの言葉は、現在本来の意味を離れ、ベートーヴェンの芸術全ての標題であるかのように扱われている。

一方、客観的な音楽事象としてのベートーヴェンの芸術を一般の聴衆に伝えるものは、ベートーヴェンを安易に英雄視するものに比べ驚くほど少なく、年々そのような見方は減ってしまっている。しかし、音楽家ワーグナーの著作・講演、指揮者ハンス・フォン・ビューローの講演、音楽理論家ハインリヒ・シェンカーによる分析や、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの著作など、極めて質の高いものがあり、これらのごく一部には日本語訳もある。

[編集] 思想

ベートーヴェンはカトリック教徒で、キリスト教的な倫理観に忠実であったが、バッハやヘンデルのような正真正銘の敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。素朴な信徒だったハイドンからは無神論者と呼ばれた。、ミサ・ソレムニスの作曲においてさえも「キリストなどただのにされたユダヤ人に過ぎぬ」と発言したとされる。

一方ベートーヴェンはホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、その結果として、(狭い意味のキリスト教で)本来異端とされる汎神論的な考えを持つに至ったことが、彼の手記などから明らかにされている。この思想は、当時のゲーテシラーなどの教養人にも共通して見られる特徴である。実際、ベートーヴェンが手記などでと述べた時は、キリスト教的な人格神と、汎神論的に遍在する神と2つの意味を同時に持っていることが多い。

また、彼は古代ギリシア的な調和の世界を是とし、彼の未完に終わった『第10交響曲』においては、キリスト教的な魔術の世界と、ギリシア的な調和の世界との融合を目標にしていたとされる。(これはゲーテが「ファウスト」第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。これはベートーヴェン独自のアイデアといえる)。このような権威にとらわれない自由で自然な彼の宗教観が、ミサ・ソレムニス第9交響曲に普遍的な感動を与えたといえる。

また、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、過度な感傷性と作為的な感情表現に代表される美学からは距離を置いていた。例えば同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術について、「ベートーヴェンこそ最もロマン的な音楽家だ」などと機会あるごとに褒め称え、ベートーヴェンを自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは彼らの活動をほとんど無視していた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文学ではあくまでもゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルやモーツァルト、ハイドンなどから最も影響を受けた。

その他にも、フランス革命とその後の保守反動の嵐の時代に生きたベートーヴェンは、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。また、哲学者カントの思想に接近し、実現はしなかったがカントの講義に出席する事も企画していた。当時の天文学についての書物を深く読み込んでいたとも言われている。彼はまともな教育は一切受けていないにも関わらず、当時においてかなりの教養人であった。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、その作品は公式・私的行事のBGMや機会音楽として作曲されたものがほとんどであったが、ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係を拒否し、むしろ一般大衆に向けた作品を発表する、自立した音楽家の嚆矢となった。史上初めて音楽家芸術家であると公言した彼の態度表明は、音楽の歴史において重要な分岐点となる。


[編集] 親族

[編集] 弟子

[編集] 名前

ドイツ語では"Beethoven"は「ベートホーフェン」に近い読み方である(現代の口語ドイツ語では「ベートオーフェン」らしい)。また"van"がつく姓は彼がネーデルラント系であることを示すが、ドイツ語でもオランダ語でも「ファン」であり、「ルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェン」の方が原語の呼び方に近い。かつての日本の書物の中には、「ファン」「ヴァン」を誤って下級貴族の元来は領地名に冠して姓とする称号である「フォン」と記していたものもあった。オランダ語の"van"は出自を示す点ではドイツ語の"von"と語源を共有するが、庶民の姓にも普通に使われる。van Beethovenとは決して「ベートホーフェンの領主の」という領主姓ではなく、「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」といった程度の意味に過ぎない。こうした誤解はルートヴィヒの生前のドイツ社会にもあり、甥のカールの養育権をめぐる裁判において貴族法廷と庶民法廷のいずれで審議すべきかが争点となった。

[編集] 逸話

第5交響曲の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が『テンペスト』と呼ばれるようになったいきさつなど、ベートーヴェンの楽曲には逸話が多く残っている。これらは、ベートーヴェンの晩年に秘書役を務めたアントン・シントラーの著書によるところが多い。しかし、ベートーヴェン自身はシントラーのことを信用していなかった節があり、シントラーはベートーヴェンの死後、遺品を勝手に処分するなどしていることから、シントラーの書いた逸話が事実なのか疑わしく、事実だとしてもベートーヴェンの真意なのか疑問とする見方が現在は主流である。


[編集] 不滅の恋人

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見された。この恋人が誰であるのかについて、生前結婚話もあったテレーゼ・フォン・ブルンスウィックやその妹ヨゼフィーネが考えられていたが、現在ではアントニア・ブレンターノ(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が有力。

[編集] 容姿と性格

容姿については、非常に醜かったと伝えられている。小太りで身長も低く、どす黒い色の顔は天然痘の痕で酷く荒れていたという。表情に関しては、有名な肖像画の数々や、デスマスクや生前ライフマスクを作っていたこともあり、どのような表情だったかはある程度判明している。ライフマスク製作の際、息が詰まってベートーヴェンが暴れだし、もう一度作り直す羽目になった、というエピソードもある。また、若い頃は結構着るものに気を遣っていたが、歳を取ってからは一向に構わなくなり、「汚れ」が彼のあだ名となった。

そうした風体のため、弟子のチェルニーは少年時代に始めてベートーヴェンに会った時、ロビンソン・クルーソーを思わせる、という感想を抱いた。浮浪者と間違われて逮捕される事も何度も有った。ただ身なりには無頓着だったが手だけは念入りに洗うのが常であった。

なお性格は、ゲーテに「その才能には驚くほかないが、残念なことに傍若無人な人柄だ」と評されるように、傲慢不遜であったとされる。ちょっとした集まりで何か弾くよう頼まれてもまず弾く事は無く、『フィデリオ』など演奏家達が演奏の困難さを訴えても直す事は無かった。そうした頑固さは作品にも反映されている。毀誉褒貶の激しい性格でもあった。非常に厳しかった反面、実は冗談・語呂合わせを好んだ。諧謔性が発揮された作品も幾つも残っている。

筆跡は年齢を経るごとに荒れて行き、写譜師に清書させなければ本人以外には演奏も出版も出来なくなってしまった。今日では筆写譜の筆跡鑑定が行われ、何人もの写譜師が各々どの作品に関わったかも研究されている。楽譜のミスに気付くと執拗に修正し、写譜師や出版社に非難の手紙を送るなど手厳しかった反面、誤植や写譜師の誤写を見過ごす事も多かった。また清書された楽譜への改訂も頻繁に行い、その改訂の内容が出版社や写譜師はおろか本人にも徹底する事が難しく、ベートーヴェンの最終的な意図が出版譜に完全に反映される事はまず無かった。そのため今日のベートーヴェン作品の楽譜編集は、作品と各資料の成り立ちについて明らかにし、ベートーヴェン自身の修正を集積するために「世界中に点在する資料をまとめる」という大規模かつ困難なものになっている。

また自作では譜面に書かれたよりも頻繁にペダルを使うという具合に、必ずしも楽譜通りに演奏しないのに、楽譜通りに弾かない演奏家は愛弟子のチェルニーにさえ激しい非難を浴びせたという。このように、自作に対して決定権を持つのは自分だけという意識が強かった。

そうした性格が祟ったのか、楽譜出版のための校正が自分では出来ずある著名な音楽家に頼んだところ、非常な嫌悪感とともに断られたという。

[編集] 病気と耳疾

ベートーヴェンは20代後半から始まった難聴が次第に悪化し、晩年の約10年はほぼ聞こえない状態にまで陥った。それでも曲を書き続けているので、スメタナのように完全に聞こえなくなったとは考えにくい。また、慢性的な腹痛や下痢は終生ベートーヴェンの悩みの種であった。耳疾については従来、鼓膜から聴神経への音声振動伝達をする骨が硬化する病気=耳硬化症や、神経性難聴、あるいは梅毒など諸説が唱えられ、あるいは幼いときに父親からスパルタ教育によって耳を強くぶたれたことが原因などとも言われてきた。

近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近いが検出されたことから原因が判明した。ベートーヴェンはワインが好物で、腹痛を紛らわす目的も含めて常飲していたが、当時のワインには酢酸鉛を含んだ甘味料が加えられており、この過剰摂取による鉛中毒がそもそも慢性的な腹痛・下痢の原因になっていた悪循環の可能性が高い。また鉛中毒はまれに難聴を引き起こすことから、耳疾の原因としても有力になっている。

[編集] 代表作

[編集] 交響曲(全9曲)

[編集] ピアノ協奏曲(全5曲)

[編集] 弦楽四重奏曲(全16曲)

[編集] ピアノソナタ(全32曲)

[編集] 管弦楽曲

[編集] チェロソナタ(全5曲)

[編集] ヴァイオリンソナタ(全10曲)

[編集] その他

ヴァイオリン協奏曲(全1曲)
ピアノ変奏曲
オペラ
合唱曲
歌曲
  • アデライーデ Op.46
  • 遥かなる恋人に寄す Op.98

[編集] 著作

ここでは、ベートーヴェン本人が残したものを紹介する。

  • 小松雄一郎訳編『音楽ノート』(岩波文庫/1957)
  • J.シュミット=ゲールグ編『ベートーヴェンの恋文 新たに発見されたダイム伯夫人への13通』(属啓成訳/音楽之友社/1962)
  • 『ハイリゲンシュタットの遺書』(属啓成訳/音楽之友社/1967)
  • 小松雄一郎訳編『ベートーヴェン書簡選集(上下巻)』(音楽之友社/1978-79)
  • 小松雄一郎編訳『新編ベートーヴェンの手紙(上下巻)』(岩波文庫/1982)
  • メイナード・ソロモン編『ベートーヴェンの日記』(青木やよひ、久松重光訳/岩波書店/2001)
  • 『わが不滅の恋人よ』(ジークハルト・ブランデンブルク解説、沼屋譲訳/日本図書刊行会/2003)


[編集] 参考文献

参考文献は数多いが、ベートーヴェン解釈に最も影響を与えたものの中から、精選して挙げると次のようなものがある。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズに、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関連するマルチメディアがあります。

[編集] 外部リンク

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