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アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia

アルベルト・アインシュタイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年: 1921年
受賞部門: ノーベル物理学賞
受賞理由: 光電効果の法則の発見等

アルベルト・アインシュタインAlbert Einstein1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、ドイツ出身の理論物理学者相対性理論をはじめとする多くの業績のほか、特異な風貌とユーモアあふれる言動によって、専門分野を超え世界中に広くその存在が認知されており、しばしば天才の例としてひきあいに出される。光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年ノーベル物理学賞を受賞。従弟に音楽学者でモーツァルト研究者のアルフレート・アインシュタインがいる。20世紀最大の理論物理学者である。


表記について日本語では「アルバート・アインシュタイン」という表記が多いが、ドイツ語読みでは「アルベルト・アインシュタイン」、英語読みでは「アルバート・アインスタイン」となる。

目次

[編集] 業績

1905年特殊相対性理論を発表。ニュートン力学マクスウェルの方程式基礎とする物理学の体系を根本から再構成した。特殊相対性理論では、質量長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一不変なものは光速度cのみであるとした。

特殊相対性理論重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論であるが、1915年-1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している。さらに後半生では、電磁気力重力を統合した統一場理論を構築しようと心血を注いだが、失敗に終わっている。

一般相対性理論の解として、宇宙は膨張または収縮をしているという結論が得られる。アインシュタインは重力による影響を相殺するような宇宙項を場の方程式に導入することで、静的な宇宙が得られるようにした。しかし、エドウィン・ハッブルによって、宇宙の膨張が発見されたため、アインシュタインは宇宙項を撤回した。後に宇宙項の導入を「生涯最大の失敗」と述べている。しかし、宇宙望遠鏡による超新星赤方偏移の観測結果などから、宇宙の膨張が加速しているという結論が得られており、この加速の要因として、宇宙項の存在が再び注目されている。

光量子仮説によって光電効果の理論的な説明付けを行うなど、初期量子論の確立に多大な貢献をしたが、量子が確率論的に振舞うとする量子力学自体については、アインシュタインは、神はサイコロを振らない1926年12月にマックス・ボルンへの手紙にある記述、"Der Alte würfelt nicht." 日本語訳、神は賽を投げない)[1]と懐疑的な立場をとった。アインシュタインの提示した反論の一つがアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスである。量子力学の矛盾点として提示されたものであったが、後に「量子テレポーテーション」として確認され、量子通信などの新たな技術の基礎として注目されている。

その他、ブラウン運動の理論の構築、固体における比熱の理論である「アインシュタインモデル」の提唱、ボース=アインシュタイン凝縮の予言など、物理学の全領域に渉り多大な業績をあげている。

[編集] 生涯

ドイツでの若き日のアインシュタイン
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ドイツでの若き日のアインシュタイン
  • 1879年ドイツウルム市に生まれた。
  • 5才頃まであまり言葉を話さなかったと伝えられる。そのことが、彼の頭脳の働きを単なる記号的ではない、全体を把握する能力を養ったという意見もある。5歳のときに父親からもらった方位磁石が、自然界の仕組みに対する興味を持たすきっかけとなった。
  • 11歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明した。
  • 12歳のときユークリッド幾何学の本をもらい独習。微分学と積分学も、この当時に独学で習得したといわれている。
  • 父親が事業に失敗したため、一家はイタリアに引っ越したがアインシュタインはミュンヘンギムナジウムに残された。
  • 1894年アインシュタインはドイツの軍国主義的な教育を嫌って(兵役を逃れるためにドイツ国籍を放棄していた)一家を追ってイタリアへやってきた。
  • アインシュタインはスイスのアーラウという町のギムナジウムに編入し、スイスのチューリッヒ連邦工科大学の入学試験に備えた。アーラウの学校の校風はある程度自由が保障されており、さらにこの学校は視覚教育に力を入れていた。言語に障害があったアインシュタインに、この視覚教育はよく合っていた。そして、昔培った視覚能力をそのアーラウでさらに高めた。それがのちの研究者としての人生に大きく関わることになる。
  • チューリッヒ連邦工科大学に入学し、自由な気風と、ミレーバ・マリッチという女学生と出会う。チューリッヒ連邦工科大学は女性に門戸を開いていた当時の数少ない大学のひとつであった。アインシュタインは自分の興味ある分野だけに熱中し、物理の実験は最低の「1」、電気技術では優秀な「6」の成績をとっている。
  • 1900年にチューリッヒ連邦工科大学を卒業したが、大学の物理学部長ハインリッヒ=ウェーバーと不仲であったために、大学の助手になれなかった。臨時の代理教員や家庭教師アルバイトで収入を得ていた。
  • 1902年に友人のハンス・グロスマンの父親の口利きでベルンの、スイス特許局に3級技術専門職として就職した。年俸は3500スイス・フランであった。この頃、モーリス・ソロヴィーヌ、コンラット・ハビヒトらと「アカデミーオリンピア」を設立した。
  • 1903年1月、アインシュタインは、ミレーバと結婚した。
  • 1905年博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を書き上げ、大学に提出した。しかし内容が大学側に受け入れられなかったため、急遽代わりに「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出し、受理されている。この論文は「ブラウン運動の理論」に発展した。この年は「奇跡の年」として知られている。アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表した。無名の特許局員が提唱した「特殊相対性理論」は当初、周囲の理解を得られなかったが、マックス・プランクの支持を得たことにより、次第に物理学界に受け入れられるようになった。
  • 1907年、有名な式E=mc²を発表している。この年には、箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができないという、後の一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を思いつく。アインシュタインはこれを、生涯最良の名案であると述べている。
1911年のソルベー会議でのアインシュタイン
1911年のソルベー会議でのアインシュタイン

[編集] 平和活動

科学的業績によって得た世界的名声を背景に、アインシュタインは様々な政治的発言を行っている。第一次世界大戦中は平和主義を掲げ、戦争を公然と批判した。「2%の人間が兵役拒否すれば、政府は戦争を継続できない。なぜか、政府は兵役対象者の2%の人数を収容する刑務所を保有していないんだ。」と発言し、反戦運動に影響を与えた。しかし、第二次世界大戦の際は、一転して戦争を正当化し、「最早、兵役拒否は許されない」と発言し、同時代人の文学者ロマン・ロランから後に痛烈に批判されている。また、ユダヤ人である彼は、ユダヤ人国家建設運動であるシオニズムを支援した。このためナチス・ドイツから迫害を受け、アメリカに亡命している。

一部には「ドイツの原子爆弾開発を恐れたアインシュタインはレオ・シラードの勧めにより、原子爆弾の開発を当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに促す内容の書簡に署名をした」「アインシュタインが原子爆弾の開発者」という思いこみも存在するが、これは誤解である。

まず、アインシュタインは原子爆弾製造に関しては一切関与していない。また、レオ・シラードの勧めにより当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト宛への手紙に署名したことは事実であるが、その手紙の内容は「原子爆弾の開発を促す書簡」ではなく、以下のようなものであった。

  • 近い将来にウラン元素が新たに重要なエネルギー源になると予想される。フランスのジョリオ=キュリーならびにアメリカのフェルミとシラードの研究により、大量のウラン中で連鎖核反応を起こすことができるようになるかもしれない、ということ。
    • その連鎖核反応においては、莫大なエネルギーとラジウムに似た新種の元素が大量に作り出されるであろうこと。
  • 連鎖核反応が近い将来に実現されることは、ほぼ間違いないこと。この研究が進めば爆弾の製造にも応用され、新しいタイプのきわめて強力な爆弾が作られるということにもなるかもしれないこと。
  • 爆弾製造には困難が多く成功の確率は低いものの、ウランが重要なエネルギー源になることは容易に考えられ、ウランのもっとも重要な産地であるベルギー領コンゴなど含め、合衆国へのウラン鉱石の供給を確保することに特に関心を寄せること。
  • また物理学者たちと政府とが恒常的な接触し、研究資金が少なく研究が進まないので寄付をする意思のある個人とも接触し、必要とあらば、そうした資金を投入して研究のスピードアップを図ること。また必要な装置をもっている企業研究所の協力を取り付けることによってもスピードアップを図ること。

この手紙はザックスという人を介して、1939年10月にアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに渡された。ルーズベルトによりウラン諮問委員会が作られ、アインシュタインの提言が検討されたが、爆弾を作ることにはならなかった。ただ、黒鉛・天然ウラン原子炉の研究には資金援助しようということになった。「原子爆弾については、はっきりしないことが多すぎた」ためである。

手紙については、アメリカの物理学会のWebページに写真が実際に載っているので、それを読めば手紙内に原子爆弾開発の可能性は記述してあるものの、原子爆弾開発を促すものではなく、むしろエネルギー源として研究を進めさせてほしいというものであることがわかる。ここからも「手紙がきっかけで原子爆弾の開発が始まった」「アインシュタインが原子爆弾の開発者」といった説は間違いであることがわかる。

ただアインシュタインの誤算は、当時考えられた原子爆弾は天然ウランを使ったもので、原子爆弾は机上の空論で、できるはずないと思っていたことである。天然ウラン中に含まれる核分裂に適したウラン235の割合はわずか0.7%にとどまり、これを爆弾に用いることは不可能であると考えられたからである。

しかし2年後の1941年秋にアメリカで原子爆弾の開発・製造がスタートする。有名なマンハッタン計画である。最初、アインシュタインの署名入りのレオ・シラードの手紙だけでは原子爆弾の開発・製造には不明な点が多かった。しかしイギリスの科学者たちの「実際に原爆が作れそうだ」という検討結果が、41年の夏ごろから様々なルートでアメリカに伝わるようになり、これがアメリカが原子炉から原爆へと政策を大きく変える要因になったのである。

アインシュタインとオッペンハイマー
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アインシュタインとオッペンハイマー

アインシュタインはこれを悔やみ、その後、ラッセル・アインシュタイン宣言、世界連邦の樹立を提唱するなど、多くの平和的言動を残した。

[編集] 人物像

  • ヴァイオリン演奏を好んだ。しかしピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルとアンサンブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから「君は数も数えられないのか」と呆れられたという。
  • 睡眠時間は1日10時間と言われている。
  • 菜食主義者(ベジタリアン)であった。
  • 生活には無頓着で、非常に面倒くさがりであったとされる。洗濯石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に食事を盛り付けると云う常識外れの行動もあった様である。
  • 最初の妻だったミレーバとの間に息子が二人。長男のハンスはカリフォルニア大学バークレー校流体力学関係の教授を勤めた。二男のエドゥアルトは医学生時代に統合失調症を発し、生涯回復せず、精神病院で亡くなった。後年公開された資料では、ミレーバとの破局はアインシュタインの家庭内暴力が一因であり、病気を患った息子に対しても非常に冷淡な態度を取り続けたことが公表されている。
  • ミレーバへの離婚の条件はノーベル賞を取って賞金をあげるというもので、2年後に本当に受賞し賞金をあげたとされている。
  • 自身がを出している最も有名な写真は、1951年3月14日、アインシュタインが72歳の誕生日に、INS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってください」というリクエストに応えてした表情を撮ったものである。さらにその写真はアインシュタイン本人もお気に入りで、9枚焼き増しを頼んだほどである。この写真は、1951年度のニューヨーク新聞写真家賞のグランプリを受賞した。また、切手にもなった。
  • ノーベル賞受賞後、ニューヨークで、ある少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。
Oren J. Turnerによる写真1947年
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Oren J. Turnerによる写真1947年
  • 小学生のようにスペルを間違えることがままあったという。
  • 簡単な数字や記号を記憶することが苦手だったとされる。ある新聞社のインタビューの中で、光速度の数値を答えられず、記者から揶揄されると「本やノートに書いてあることをどうして憶えておかなければならないのかね?」とやりかえしたという。
  • 幼年時の学習状況、成人してからの振る舞いなどから、アインシュタインには何らかの障害(アスペルガー症候群学習障害)があったのではないかとする説が根強くあるが、医学的な検証はなされていない。
  • 彼は手紙好きであり、有名になってからも一万通以上も手紙をやり取りしていたらしい。
  • 大きな鼻・ボサボサの白髪頭に口髭と云う個性的な風貌は非常に印象的であり、日本漫画アニメに出て来る『博士』の風貌は、なぜかアインシュタインの姿を真似ていることが多い。ここからも、アインシュタインがいかに有名な学者であるかがわかる。
  • 一般に左利きであると言われているが矯正した事実はなく、彼自身、ペンや万年筆は右で持った(参考:「アインシュタインは語る」)。

[編集] アインシュタインと日本

1922年大正11年)、改造社の社長山本実彦は、東北帝国大学理論物理学教授石原純、および、京都帝国大学哲学教授・西田畿多郎のすすめによって、同出版社によるバートランド・ラッセルマーガレット・サンガー夫人に次ぐ「革命的人士」として、アインシュタインを妻エルザとともに日本に招待した。これは、講演収入と同出版社の招待者特集本の売上増を見込んだものでもあったが、当時のドイツユダヤ人迫害、日本は大正デモクラシーの時期であり、社会的にも大きな意味を持った。ただし、アインシュタイン博士は、ラフカディオ・ハーンが記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることと、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことが来日の目的であると語っている。

10月8日日本郵船「北野丸」でフランス南部・地中海に面したマルセイユを出港。11月10日香港上海の途上)、スウェーデン科学アカデミーが、アインシュタイン博士に1921年度ノーベル物理学賞光電効果の法則等について。相対性理論についてではない)を授与することを発表し、博士も船上でこの電報を受けた(1922年度の同賞受賞者・ニールス・ボーアと同時発表。受賞式典には参加できず、受賞者講演は1923年7月に行った)。このニュースは日本国内にも伝えられ、結果、日本各地で更なる歓待を受けることとなった。13日午前11時、上海入港。14日朝、神戸に向かって上海を出港した。

11月17日16:00過ぎに神戸港に到着。出迎えたのは、改造社の山本実彦夫妻、そして、東京帝国大学長岡半太郎教授、東北帝国大学の石原純教授と愛知敬一教授、九州帝国大学の桑木或雄教授(石原氏と桑木氏は博士とスイスにて面識あり)。集まった歓迎の群集や新聞記者の様子を見て、当時のドイツ大使館は「凱旋行進のようだ」と本国に報告している。17:00三宮駅発の汽車京都に向かい、その夜は京都の都ホテルに宿泊した。翌日、9:15発の特急東京に向い、19:20東京駅着。駅には歓迎の群集が押し寄せ、投宿する帝国ホテルに到着するのに相当の時間が必要だったと記録されている。

一般講演は入場料3円(オペラの上等席に匹敵)で、休憩を挟んで4-5時間程度。講演地は、六大都市帝国大学所在都市から選ばれ、東京市2回と仙台市名古屋市京都市大阪市神戸市福岡市で各1回の計8回、14000名ほどの聴衆を集めた。講演の通訳は、東北帝大教授で、助教授時代にアインシュタインのもとに留学した石原純。東京帝大での学術講義では、全国から集まった学者・学生120名が聴き入った。

※当時の六大都市(人口順):東京・大阪・神戸・京都・名古屋・横浜
※当時存在していた帝国大学(設立順):東京・京都・東北・九州・北海道
  • 11月19日、慶應義塾大学・三田大講堂にて2千数百名の入場者を集めて一般講演。「特殊相対性理論について」「一般相対性理論について」
  • 11月20日午後、小石川植物園で開かれた学士院の公式歓迎会に出席。参加者は穂積陳重長井長義、通訳を勤めた長井夫人のテレーゼら。夜は明治座で日本の芝居を見物。
  • 11月24日、神田青年会館で一般講演。「物理学における空間および時間」
  • 11月25日~12月1日、東京帝国大学理学部物理学教室中央講堂で、専門家向け学術講演(日曜は休んで毎日14:00から一時間半、計6回)。「光速度不変の原理」「自然法則とローレンツ変換の共変性」「テンソル解析法」「テンソル微分法」「万有引力」についてなど
  • 12月2日、仙台駅着。東北帝国大学を訪問し、本多光太郎教授と会う。
  • 12月3日、仙台市公会堂で一般講演(9:30~14:30。通訳:東北帝大・愛知敬一教授)。15:00発の列車で松島へ。土井晩翠と会う。仙台に戻って投宿。
  • 12月4日、8:30発の列車で日光へ向かい、日光で2泊する。
  • 12月6日、列車で東京へ。
  • 12月7日、移動。
  • 12月8日、名古屋で一般講演
  • 12月10日、京都帝国大学で一般講演。「いかにして私は相対性理論を創ったか」
  • 12月11日、大阪で一般講演
  • 12月13日、神戸で一般講演
  • 12月17日、22:14に奈良へ到着。奈良ホテルで2泊する。
  • 12月20日、宮島に到着。
  • 12月23日夜、門司市に到着し、三井倶楽部に宿泊。
  • 12月24日、福岡市大博劇場で一般講演。東中州のカフェ・パウリスタで慰労会、旅館栄屋に宿泊。
  • 12月25日、九州帝国大学訪問、博多見物。門司市に移動して、門司YMCAクリスマスパーティに参加し、ヴァイオリンアヴェ・マリアを演奏。
  • 12月27日、関門海峡下関を見物。
  • 12月28日夜、送別会。日本人列席者による義太夫謡曲長唄、槍さび、どじょうすくいなどの隠し芸と、返礼に博士によるヴァイオリン演奏3曲。

講演の合間を縫って、浅草、松島、日光、熱田、京都、奈良、宮島などを観光し、歌舞伎も堪能した。26日に離日の予定だったが、船舶の都合で滞在が3日延びたため、門司の三井倶楽部に滞在した。12月29日午後3時、日本郵船「榛名丸」で門司港よりパレスチナに向けて出航・離日。

  • 人力車を見て、非人道的な奴隷労働と解釈し、乗車を拒否したとされる。
  • 第二次世界大戦後、日本の反核運動家からの執拗な批判に感情を害し、絶交した。
  • ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹と面会した際に、多少なりとも原子爆弾に関与してしまったことを悔やみ、涙ながらに謝罪したと言われる。ラッセル=アインシュタイン宣言には湯川も名を連ねた。
  • 1993年、スティーヴン・ホーキング博士が仙台を訪れた際、来仙理由を訊いたところ、『アインシュタイン博士の本を読んでいたら、「やがてわれわれの大学と競争関係に入る大学は東北大学だ」と書いてあったからだ。』と答えた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 参考

  1. マックス・ボルン宛の1926年12月4日付の手紙 原文:Die Quantenmechanik ist sehr achtunggebietend. Aber eine innere Stimme sagt mir, daß das noch nicht der wahre Jakob ist. Die Theorie liefert viel, aber dem Geheimnis des Alten bringt sie uns kaum näher. Jedenfalls bin ich überzeugt, daß der Alte nicht würfelt.(直訳:量子力学にはとても尊敬の念を抱いています。しかし内なる声が私に、その理論はまだ完璧ではないと言っています。量子力学はとても有益なものではありますが、神の秘密にはほとんど迫っていません。少なくとも私には、神はサイコロを振らないという確信があるのです。)

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