豊橋市
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豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市で、東三河地方の中心都市である。1906年の市制施行以前は渥美郡に属した(後に合併した地域には、宝飯郡、八名郡に属する地域もある。)。
中世から江戸時代まで市の中央域は吉田(よしだ)と呼ばれていた。吉田は豊川と朝倉川の合流地点であり、渥美郡、宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には吉田藩の城下町、吉田宿の宿場町、豊川水運で栄えた湊町であった。
市徽章は、徳川時代末、吉田城に八代君臨した長沢・松平・大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた徽章の千切(ちぎり)である。
豊川にかかる豊橋(とよばし)が市名の由来であり、市民は、「豊橋」を「とよはし」ではなく「とよはし」と平板に発音することが多い。
目次 |
[編集] 概要
毎年5月30日の530(ゴミゼロ)運動の発祥地である。又、太平洋に面した海浜では、ウミガメの産卵も見られる。江戸時代後期に発生した「ええじゃないか騒動」の発端となった地でもある。2006年8月1日、市制施行100周年を迎えた。
キャベツや白菜などの野菜の生産が盛んであり、農業産出額は約600億円に上り、隣接する田原市に次いで全国第2位を誇る(2004年度)。人口は約38万人前後で、愛知県第3位。
又、講談・浪曲の「藤堂高虎、出世の白餅」で、青年期の藤堂高虎(当時、与右衛門)が三河餅を無銭飲食して、餅屋の吉田屋彦兵衛に故郷に帰って親孝行するようにと諭され、路銀まで与えられた三河国吉田宿は、この豊橋である。「藤堂高虎(伊勢津藩初代藩主)の旗指物は、餅三つ。」といわれているが、この名残で、今でも豊橋では、祝事に紅白の餅、又は紅白の饅頭を配る事が多い。
[編集] 地理
愛知県の南東部に位置している。渥美半島の付け根部分であり、豊橋平野の上に市域が広がっており、高い山はほとんど無い(主な山は北東部の石巻山(358メートル)など)。南部は高師原、天伯原と呼ばれる台地となっている。市内を、豊川、梅田川などが流れ、北東部は低い山々(弓張山系)が存在し、浜松市との境界を形成している。市西部の豊川、梅田川河口は三河湾と、市南部沿岸は太平洋と接している。
太平洋岸は表浜海岸(遠州灘)と呼ばれ、ウミガメの産卵で知られる。三河湾と接する地域は大規模な埋め立て地があり、工業地の他、神野新田など穀倉地帯となっている。浜松市中心部まで約40キロメートル、名古屋市中心部まで約70キロメートルである。
中心部を東海道が横断し、吉田宿、二川宿など古くから城下町、宿場町として栄えた。現代でも東海道沿いに中心部を国道1号、JR東海の東海道新幹線、東海道本線、名古屋鉄道の名古屋本線が通り、北部を貫通する東名高速道路と合わせて東三河の交通の要衝となっている。かつては伊勢方面などへの出発点であった三河湾岸の三河港は、自動車や貨物などの輸出入の重要拠点となっている。
気候は、名古屋などの尾張地方(特に内陸側)と比較して温暖であり、降雪も少ない。太平洋(遠州灘)に面しているため、風が強い傾向がある。
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
[編集] 原始時代から弥生時代まで
縄文時代の遺跡として嵩山(すせ)の蛇穴遺跡など数件が、弥生時代の遺跡として瓜郷遺跡がある。市域に流れる川の流域には4世紀から7世紀頃の古墳(円墳、前方後円墳)も多く発見されている。
なお、豊橋市牛川町で1957年と1959年に約十万年前のものとされる人骨が発見され、牛川原人(牛川人)として紹介されていたが、2001年にお茶の水女子大学の教授である松浦秀治がその骨をフッ素年代測定法で調査したところ、ナウマンゾウのすねの骨という結果が出た。そのため人骨である可能性は低いとされる。
[編集] 奈良時代から鎌倉時代まで
律令制(国郡制)の下で、三河国の渥美郡、宝飯郡、八名郡に属したとされる。律令制の下で班田制が敷かれていたとされる遺跡が、嵩山や賀茂などで見つかっている。又、初期の東海道が設置され、飽海川(あくみがわ、現在の豊川)河口には渡し場が置かれた。これは飽海川の渡しと呼ばれ、後に志香須賀(しかすが)の渡しとして『枕草子』などでも詩が詠まれており、よく知られている。飽海川はその後、吉田川に改称され、明治以降に豊川に改称された。「豊川」とは、現在の豊川市にあった古代集落・宝飯郡豊川郷を指す。
[編集] 室町・戦国時代
室町時代になると、幕府の任命した守護職の被官や地頭職を得た土豪が勢力を拡大し始め、荘園制度は衰退した。
応安年間(1368年-1375年)に三河守護職に補任された一色氏の勢力が東三河地方にも浸透し始めた。しかし1439年(永享11年)関東で永享の乱に敗れた鎌倉公方足利持氏家臣一色持家(刑部少輔時家)が三河国に亡命、守護職一色義貫は彼を保護したことが原因で翌12年将軍足利義教に粛正され、三河守護職が阿波屋形細川持常に代わられると前守護一色義貫の子義直と新守護細川氏との間に激しい紛争がおこった。当時、一色時家は宝飯郡長山に一色城を構え宝飯郡の郡代的な勢力を保持していたと考えられる。一方、渥美郡は義直が1460年(長禄4年)より分郡守護職を回復し、郡代一色七郎が支配する。
応仁の乱の末期、1477年(文明9年)に一色城主、一色時家は、家臣の波多野全慶に殺された。翌1478年(文明10年)細川氏の画策により一色義直は三河守護職を放棄させられた。 すると渥美郡の一色七郎(正照)も1481年(文明13年)に家臣戸田氏により隠居させられて支配権を委譲した。その結果、一色氏の勢力は東三河においてほぼ消滅した。
しかし、1493年(明応2年)12月波多野全慶は、同じく一色時家の家臣で宝飯郡・渥美郡に勢力を持つ土豪であった牧野古白に灰野原合戦で敗れて死んだ。牧野氏は幕府より東三河の旗頭(司頭)に命ぜられたというが、渥美郡田原に田原城を築城して勢力を拡大していた戸田氏と勢力を争うことになり、これが更に戦国大名今川氏の介入を招き、東三河地方は、徳川家康による東・西三河の統一をみるまで、戦国動乱の時代を迎えることになった。
1493年には田原城主戸田宗光によって仁連木城が築かれた(豊橋市仁連木町)。1497年に今川氏親が進出し戸田氏を敗走させた。1505年(永正2年)頃、今川氏親は西の松平氏に対抗するため、牛窪(後の牛久保、現、豊川市)に拠点を持っていた、牧野氏(牧野古白)、真木氏、岩瀬氏、能勢氏等の人々に、豊川左岸(現、豊橋市内)に今橋城を築かせた。城主牧野古伯は城下の整備をすすめ後の豊橋市地域の礎を築いたが、松平氏との内通の疑念から1506年(永正3年)今川氏親に今橋城を攻められて敗死した。但しこれには異説があり、牧野古白は、松平氏と合戦に及び敗死したとするものもある。
この今橋城は、その後も戸田氏、松平氏、今川氏配下の牧野氏などによって、争奪戦が繰り広げられた。1522年(大永2年)に牧野信成は、戸田氏に奪われていた今橋城を奪還して、吉田城と改名した。岡崎を初めとする西三河一帯に本拠地を構えていた松平家が、清康(家康の祖父)の代に東三河に進出し、熊谷氏・牧野氏・戸田氏等この地域の国人を屈服させて三河一国を制圧した。
しかし、1535年(天文4年)に守山崩れで松平清康が家臣に討たれると松平家は内紛で混乱し、東三河は再び国人の割拠に戻るが、田原城主戸田康光の松平竹千代奪取事件が発端で今川氏の三河遠征が実施され、1549年(天文18年)までには東三河と西三河の大半が今川家の支配下に置かれた。今川氏は伊東左近(元実)ついで小原鎮実を吉田城代とし、これを拠点に東三河支配を進めた。 1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を奪還し、翌年4月には東三河に進攻、途中に三河一向一揆鎮圧を挟みながらも今川氏を三河国から駆逐、1565年(永禄8年)3月に吉田城が開城し、所属の今川軍と主将小原鎮実は遠江国に撤退した。そして、翌1566年(永禄9年)5月には牛久保城(豊川市)の牧野氏も松平家康(後の徳川家康)の降伏の勧めに応じて、三河国は家康によりほぼ統一された。
1565年(永禄8年)3月松平家康は、今川氏の吉田城代小原鎮実を今川領内に追い、城を掌中に収めた際、吉田城には、松平氏の重臣、酒井忠次を城代として入城させた。その後、甲斐の戦国大名武田氏の進攻を受け、1571年(元亀2年)豊橋二連木で酒井軍と武田軍が激突して、酒井軍は2000人の死者を出して吉田城に逃げ帰り、籠城して対峙した。しかし武田軍は城攻めを避けたので事なきを得た。
1590年(天正18年)、徳川家康が駿府から江戸に遷ると、池田輝政が吉田城主(15万2千石)となり、城の拡張や城下町の形成、吉田川(豊川)への吉田大橋(現在の豊橋)の建設(酒井忠次による土橋から木橋へ)などが行われた。
[編集] 江戸時代
関ヶ原の合戦の後、江戸時代に入ると、吉田藩が設置され、3万石から8万石程度の譜代大名が治めた。吉田は城下町、湊町(吉田湊)、宿場町(吉田宿)として栄え、二川(豊橋市二川町、大岩町)も二川宿として栄えた。吉田大橋(豊橋)は東海道におけるその重要性から、江戸幕府直轄の橋として管理された。
1752年には、藩主松平伊豆守信復(のぶなお)により吉田城内に藩校時習館が置かれた。
幕末になると、1867年旧7月27日、牟呂村(豊橋市牟呂町)で起きた伊勢神宮のお札降り騒動を単に発した「ええじゃないか運動」は、東海道を通じて全国に波及した。
江戸時代、最後の藩主は、大河内長沢松平家の松平伊豆守信古(のぶひさ)である。そのため、今の市役所の徽章が大河内長沢松平家の徽章になっている。
[編集] 明治から第二次大戦まで
版籍奉還直後の1869年旧暦6月、吉田は豊橋と改名された。1871年8月、廃藩置県により豊橋県となり、11月には額田県、1872年に愛知県に統合された。豊橋は第十五大区として管理され、愛知県の豊橋支庁が置かれた。1889年に町制を施行し、1906年には市制を施行した。1932年に、下地町、高師村、牟呂吉田村、下川村、石巻村多米を編入した。
1871年、吉田城趾に名古屋鎮台が置かれた後、1885年には大日本帝国陸軍歩兵第十八連隊が置かれたほか、1908年から1925年までは高師原に帝国陸軍第15師団が置かれるなど軍都として繁栄した。また明治から昭和の初めまでは養蚕業、製糸業が非常に盛んであった。太平洋戦争の最中には、1944年12月7日の東南海地震と、1945年6月20日のB29約90機による空襲(豊橋空襲)によって、市街地の9割が焼失した。
1888年に東海道線が開通し豊橋駅が開業した。渥美線は1924年に高師~豊島間の開業後、1925年までに三河田原まで開業した。市電(豊橋鉄道東田本線)は1925年に開業した。
1899年動物園が豊橋駅前に開園した。(花田町、豊橋公園、大岩町へと移転を重ね現在に至る)
1931年豊橋初の百貨店として豊橋丸物(広小路通。1950年に駅前大通に移転、1973年に西武との提携で豊橋西武となる)、豊橋市公会堂(八町通)が竣工した。
[編集] 戦後
終戦後、将来の発展を見越し市街地の大規模な区画整理が行われ、又食料対策として高師原、天伯原の開墾と神野新田等の自作農化が行われた。一方で、日本紡績(現・ユニチカ)を始めとした工場誘致活動を積極的に行い、郊外に工場が建てられていった。農工業の発展で新たな水源が求められていた中、1968年には豊川用水が完成し農業・工業の発展に特に寄与した。
1970年代から30年にも渡って、全国の都市の中で農業粗生産額第一位を続けた。1959年に完成した豊橋港(現在は三河港の一角)は、三河港の中心として発展した。1980年代以降、市街地の郊外化が進んだ。1999年、中核市に指定された。
[編集] 行政
[編集] 町制以降の年表
- 1889年(明治22年)
- 10月1日、町村制施行により渥美郡豊橋町となる。
- 1906年(明治39年)
- 8月1日、市制施行により豊橋市となる(愛知県第二番、全国第六十二番、人口37,635人)。
- 1932年(昭和7年)
- 1940年(昭和15年)
- 1945年(昭和20年)
- 10月 人口調査:105,840人
- 1955年(昭和30年)
- 3月1日、宝飯郡前芝村、渥美郡二川町、高豊村及び老津村ならびに八名郡石巻村を編入。
- 4月1日、八名郡双和村のうち大字賀茂の区域と渥美郡杉山村のうち大字杉山の区域を編入。
- 10月 第9回国勢調査人口:215,515人
- 1993年(平成5年)
- 6月 人口が35万人突破。
- 1999年(平成11年)
- 中核市に指定される。
- 2005年(平成17年)
- 11月 市公式統計で人口が38万人突破。
[編集] 歴代市長
- 初代(1908年~1912年) 大口喜六
- 2代(1912年~1913年) 高橋小十郎
- 3代(1913年~1914年) 柳原弁吾
- 4代(1914年~1916年) 大口喜六
- 5、6代(1917年~1923年) 細谷忠男
- 7代(1924年~1925年) 吉川一太郎
- 8代(1926年~1930年) 田部井勝蔵
- 9代(1930年~1934年) 丸茂藤平
- 10代(1934年~1938年) 神部小三郎
- 11代(1938年~1940年) 大口喜六
- 12代(1941年~1945年) 近藤寿市郎
- 13代(1945年~1946年) 水野保
- 14代(1946年~1947年) 横田忍
- 15、16代(1947年~1952年) 大竹藤知
- 17、18代(1952年~1960年) 大野佐長
- 19~22代(1960年~1975年) 河合陸郎
- 23、24代(1975年~1983年) 青木茂
- 25~28代(1983年~1996年) 高橋アキラ
- 29~31代(1996年~) 早川勝
[編集] 財政状況
2000年(資料で確認できる範囲)から2005年まで、普通交付税交付団体であった。「三位一体の改革」により交付税の削減が行われ、2006年度には交付税不交付団体になった。
[編集] 住宅の耐震強度問題
住民サービスとして豊橋市木造住宅耐震改修費補助事業を行っている。しかし、2006年度に耐震診断ソフトが大幅に変更され、それ以前のソフトで住宅耐震改修した市民の住宅の耐震強度が満たされていないということが起こっている。
[編集] 政治
[編集] 市政
[編集] 市議会
市議会議員の定数は40人。定例議会は3月、6月、9月、12月に開催される。
[編集] 市議会の構成
議会を構成する委員会は大きく3つ区分で分けられる。4つの常任委員会はそれぞれ10名ずつ所属する。
- 常任委員会(40名)
- 総務委員会(10名)
- 環境経済委員会(10名)
- 福祉教育委員会(10名)
- 建設消防委員会(10名)
- 議会運営委員会(11名)
- 特別委員会
- 予算特別委員会
- 一般会計予算特別委員会
- 決算特別委員会
- その他特定目的の委員会
[編集] 県政
豊橋市から選出される県議会議員の定数は5人である。
[編集] 国政
小選挙区は愛知15区にあたる。
[編集] 司法
[編集] 裁判所
3つの裁判所が同じ庁舎に存在する。所在地は豊橋市大国町110。地方裁判所と家庭裁判所の豊橋支部の管轄範囲は、豊橋市、豊川市、蒲郡市、新城市、田原市、宝飯郡、北設楽郡である。また簡易裁判所の管轄は豊橋市、豊川市、蒲郡市、宝飯郡である。
[編集] 刑務所
名古屋刑務所豊橋支所が今橋町に置かれている。
[編集] 経済
かつては、製糸・紡績業が盛んで、戦前の製糸生産量は全国一であった。
[編集] 名産
[編集] 商業
商業の中心地は、豊橋駅東口周辺であったが、近年は工場跡地を利用した大型店舗の立地で、幹線道路沿いに放射状に広がる傾向にある。市民に自動車利用者が多いこと、それらの店は交通の便がよく広大な駐車場を常備している場合が多いことが背景にある。一方で、中心市街地での空洞化が進んでおり、駅前周辺は広小路通りを中心に特に深刻である。
[編集] 商業施設
- 前田南町
- バロー豊橋前田店(建設中)
- アクトス豊橋店(建設中)
- 柱五番町
- ヤマダ電機テックランド豊橋店
- 藤沢町
- 野依町
- ジャスコ豊橋南店
[編集] 港湾
豊橋を中心とした三河港は国内屈指の国際貿易港である。特に自動車の輸出入は金額・台数とも全国第一位であり、ドイツのブレーマーハーフェン港と並ぶ自動車輸出入港である。トヨタ、三菱自動車、スズキ、ダイムラー・クライスラー、フォード、アウディ、ポルシェ、フォルクスワーゲンなど。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 海外
[編集] 地域
[編集] 在住外国人
近くの豊田から浜松にかけての自動車産業を中心に労働力の需要が高いため、ブラジルを初めとした南米系の外国人労働者が増え、2005年8月1日現在の豊橋市における外国人登録者数は18,693人に昇る。
[編集] 医療・福祉
主な医療機関として、青竹町に東三河南部の災害拠点病院に指定されている独立行政法人である豊橋市民病院がある。
又、飯村町には国立病院の豊橋医療センターがある。
[編集] 地域間関係
豊橋市を初めとする東三河地方は、地理的・歴史的に浜松市などの東の遠州灘沿岸や、飯田市などの北の天竜川流域との交流関係が深い。
東三河地方(豊橋市など)・静岡県遠州地方(浜松市など)・伊那地方(飯田市など)の一帯は三遠南信とも呼ばれる。豊橋市は三遠南信の中心の一角であり、豊橋駅は三地域を結ぶ東海道本線と飯田線の分岐点に当たる。
[編集] 学校
[編集] 大学・短期大学
- 国立
- 私立
[編集] 専門学校
- 豊橋市立看護専門学校
[編集] 高等学校
- 愛知県立
- 豊橋市立
- 豊橋高等学校
- 私立
[編集] 高等専修学校
- 豊橋市立家政高等専修学校
[編集] 中学校
- 豊橋市立
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- 私立
[編集] 小学校
- 豊橋市立
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[編集] マンモス小学校と通学選択制
市街地に位置する吉田方、岩田、幸の3小学校はマンモス校であり、本来なら県内他市のように、分校(新設小学校)を設置すべきだが、豊橋市は通学区域選択制の導入でこの問題の処理を図った。
[編集] 駅前子供関連施設とその問題
豊橋駅前の旧市民病院跡地に子供関連施設を100億円を投入して設置することが決められた。2006年10月着工済み。
子供関連施設は市長の早川勝が市内の小学校で子供達と給食を食べていて「子供達が喜んでくれるために(子供関連施設を)作ろう」と思って発案されたものであるが、実質的にこれを早川の私的娯楽のための税金の無駄遣いと考える市民は多い。さらに、この子供関連施設は入場料を徴収する予定となっているという。この問題は内外で波紋を呼び、在名局中京テレビの特集でもその問題点が大々的かつ痛烈に批判されることとなった。豊橋市が財政赤字で厳しい状況にあるという中、この様なほぼ全ての市民が全く求めていない、それでいて経済効果も全く得られない無用の箱物を建設する事について、多くの豊橋市民が怒りと不満を抱える中、建設着工が強行されて現在に至る。
一方市民病院跡地という民間が利用を拒む土地だけに、今回の決定は「妥協の産物」とする声もあるが、これは逆に今日まで土地の有効利用法を一切具体的に詰める事が出来なかった豊橋市の行政力の無さも指している。只でさえ愛知県、ひいては東三河という枠でのリーダーシップに乏しく、政治力の無さから「道路一本すら自力で作れない」「東三河は尾張西三河と同じ県ではない程遅れているが、その元凶は豊橋がダメだからだ」「人口規模が同一の岡崎、豊田と同じとは思えない」「思い切って大合併を実現したお隣の浜松が羨ましい」と外部からはおろか、豊橋市民からすら同様に揶揄されるほど、豊橋市の政治的動きは鈍行であるのも事実である。
この様に、この子供関連施設を巡る一連の問題は、こうした豊橋市の現状と課題が入り混じったがゆえ生じたものだと考えることもできるだろう。
[編集] 養護学校
[編集] 聾学校
- 愛知県立豊橋聾学校
[編集] 主な施設
[編集] 博物館
- 豊橋市美術博物館
- 豊橋総合動植物公園
- 豊橋市自然史博物館
- 豊橋市地下資源館
- 豊橋市二川宿本陣資料館
[編集] 文化施設
- 愛知県豊橋勤労福祉会館(アイプラザ豊橋)
- 豊橋市民文化会館
- 豊橋市公会堂 鉄筋コンクリート造り3階 文化庁登録有形文化財 中村与資平(1880 - 1963)設計 ドームと鷲を載せた塔2本と5連アーチの正面など1920年代の米国に流行したスペイン趣味の影響を受けた意匠
- 豊橋市中央図書館
- 豊橋市配本センター
- 豊橋市視聴覚センター
- ライフポートとよはし
[編集] 娯楽・スポーツ施設
- 岩田運動公園内(豊橋市民球場、豊橋市民球技場、豊橋市民庭球場)
- 豊橋公園内(陸上競技場、豊橋球場、豊橋市民プール(2006年に閉鎖)、武道会館)
- 豊橋総合スポーツ公園内(豊橋総合体育館、アクアリーナ豊橋(5〜9月:屋内プール、11〜3月:屋内スケート場))
- 豊橋競輪場
[編集] マスメディア
豊橋に拠点を置くマスメディアは、FM放送局1社、ケーブルテレビ局1社、新聞社2社である。
(かつてはCBCラジオが「向山スタジオ」から独自の放送を行っていたが、2001年3月にスタジオを閉鎖した。)
[編集] 放送局
- 豊橋ケーブルネットワーク(ティーズ。ケーブルテレビ局)
地上アナログ・デジタルテレビジョン、NHKFM、FM愛知、ZIP-FMの中継局を備える豊橋中継局は、岡崎市本宮山にあり、愛知県のアナログ・デジタルテレビジョンはUHFアンテナ1本のみで全て視聴可能である。三重テレビはほぼ市全域、静岡県のテレビ放送は浜松中継局より一部地区で視聴可能。
[編集] 新聞社
[編集] 交通
東西の幹線として東海道本線・国道1号が通り、南北の連絡線として飯田線・国道151号などが通る。このため、三遠信における交通の要衝ともなっている。
[編集] 鉄道
中心となる豊橋駅は花田町にあり、全国初の民衆駅である。市内の鉄道は、東海旅客鉄道(JR東海)、名古屋鉄道(名鉄)、豊橋鉄道の三社によって運営されている。
名古屋方面には、JR東海東海道本線・東海道新幹線と、名鉄名古屋本線が競合しているため、高速化が図られている。特に東海道本線は、2006年10月から早朝は8分おきに名古屋方面行きの快速列車(名古屋駅まで最速47分)が発車するようになり、利便性が向上している。JR東海からは「名古屋往復切符」という割安切符も発券されており、豊橋・豊川-名古屋間の移動環境は十分整備されている。
浜松方面には、東海道線の普通電車(各駅停車及び快速列車の各駅運転、浜松駅まで所要時間32分程度)が、1時間に3本程運行されている。特に時間を要する区間ではないものの、この路線を頻繁に利用する者(通勤・通学者など)以外や、目的地を浜松駅とする者で所要時間短縮を求める者などは、東海道新幹線を利用する者も少なくない(浜松駅まで所要時間12分程度)。
東海道新幹線はのぞみは停車せず、ひかりが一部停車する。本数は約2時間に1本。なお新大阪方面はひかりを含めた全列車が名古屋から各駅停車するため、名古屋駅でひかり・のぞみに乗り換える必要がある。東京方面の始発は6:42のひかりで、東京駅着は8時台。ちなみに大阪方面へは、東海道本線名古屋方面の始発列車ムーンライトながらに乗車すれば、名古屋駅始発の博多行きのぞみにも乗り換えが可能であり、7時台には新大阪駅に到着可能。
飯田方面にはJR東海飯田線が、田原方面には豊橋鉄道渥美線が伸びている。市内には豊橋鉄道の路面電車(東田本線)が走っており、市民の足として親しまれている。
だが、市民が自動車移動主体であることや、東海道本線の豊橋-二川間がかなり離れていること、飯田線の船町・下地を通過する普通列車が多いことなどから、路線バスも含め、主に市内や東三河南部一帯の移動において公共交通機関の利用は振るわない(名古屋・浜松方面などに移動する際の利用が圧倒的に多い)。路面電車も慢性的な赤字に悩まされている。またJR東海道本線二川駅-豊橋駅間で新駅構想(「東豊橋駅(仮称)」)があり、用地は既に確保されているが、建設の見通しは立っていない。
[編集] 鉄道網一覧
[編集] 道路
市の中心部を国道1号が縦断しており、自動車交通の中心となっている。市内の国道1号は信号機が多く、他の地域(湘南、駿河、遠江、西三河など)に見られるバイパスは未完成で、全て平面交通であるため、一部の区間では慢性的な渋滞に悩まされている。
市街地を避けて国道1号と平行する、高規格道路の豊橋バイパス、豊橋東バイパス(国道23号(名豊道路)の一部をなす)が、上記の渋滞緩和へ大きく期待されている。豊橋バイパス(東三河IC-野依IC区間)の大部分は開通したが、それに続く豊橋東バイパス(野依IC-東細谷IC区間)は現在建設が進められており、全線開通は2009年の予定となっている。田原市方面の交通分散化のため、国道259号のバイパス化(一部区間)が現在進められている。
また、既存の幹線の再整備も行われている。環状線では豊橋環状線、東三河環状線の整備が、ゆっくりではあるが着実に整備が進められている。豊橋・豊橋東バイパスの各ICと市街地を結ぶ幹線の強化も行われている。
東名高速道路は、市域の北端を横断しているが、豊橋市内にはインターチェンジは設置されていない。このため、豊川IC(豊川市。豊橋からの所要時間は10-15分程)や音羽蒲郡IC(音羽町)、三ヶ日IC(浜松市)、国道1号のバイパス(潮見・浜名・浜松バイパス)を経由して浜松IC(浜松市)を利用する必要がある。
市内南部を貫通する伊勢湾口道路(仮称)を、東名高速道路や三遠南信自動車道(建設中)と接続する構想が古くからある。
[編集] 道路網一覧
- 東名高速道路
- 国道1号
- 国道23号豊橋バイパス
- (前芝IC) - (豊川橋南IC) - 神野新田IC - 豊橋港IC - 大崎IC - 大清水IC - 野依IC
- 国道23号豊橋東バイパス(建設中)
- 野依IC - (七根IC) - (小松原IC) - (細谷IC) - (東細谷IC)(国道1号潮見バイパスに接続)
- 国道42号
- 国道259号
- 国道362号
- 東三河環状線(県道31号)
- 豊橋一宮線(県道380号)
- 平井牟呂大岩線(県道386号)
- 豊橋港線(県道393号)
- 豊橋環状線(県道502号)
[編集] 観光
[編集] 名所・遺跡
- 吉田城跡
- 瓜郷遺跡
- 前芝の燈明台
- 二川宿本陣資料館
- 嵩山の蛇穴
- 豊橋市美術博物館
- 牛川の渡し
- 豊橋市公会堂
- 豊橋ハリストス正教会
- 普門寺
- 赤岩寺
[編集] 公園
[編集] 運動公園
- 岩田運動公園
- 豊橋総合スポーツ公園
[編集] 祭り
- 春祭り(1月下旬~5月上旬)
- 鬼祭(2月10日・2月11日)
- 花しょうぶまつり(5月下旬~6月中旬)
- 祇園祭(7月第3金・土・日曜日)
- みなとフェスティバル(7月第3月曜日)
- 炎の祭典(9月第2土曜日)
- 羽田祭(10月第1土・日曜)
- 二川八幡神社例大祭(10月第2土・日曜日)
- 豊橋まつり(10月第3土・日曜日)
- 飽海人形浄瑠璃(11月第3日曜日)
- スロータウン映画祭(10月末~11月の土日、祝日、2002年- )
- 豊橋神明社の鬼祭 (重要無形民俗文化財)
- 豊橋花祭り
[編集] 豊橋市を舞台とした作品
[編集] 映画
- 風に逆らう流れ者
- REX 恐竜物語
- 菊次郎の夏
- 1リットルの涙
- 早咲きの花
- 陽気なギャングが地球を回す
[編集] 豊橋市関連の有名人
[編集] 文化・芸術
- 菅江真澄(『菅江真澄遊覧記』江戸の文化人類学者)
- 村井弦斎(『食道楽』の著者)
- 澤井啓夫(漫画家)
- 栃久保操(画家)
- 中村正義(画家)
- 松井守男(画家・レジオンドヌール勲章受章者)
- 富安風生(俳人)
- 丸山薫(詩人)
- 木藤亜也(『1リットルの涙』著者)
- 青樹明子(北京放送など中国のラジオキャスター、著述家)
[編集] 芸能
- 岩瀬立飛(ジャズドラマー)
- 大内順子(ファッションデザイナー)
- 大島渚(映画監督。京都市出身)
- 川合伸旺(俳優)
- 島田彩夏(フジテレビアナウンサー)
- 喜多郎(シンセサイザー奏者)
- 杉田成道(フジテレビプロデューサー・『北の国から』)
- 野川さくら(声優)
- 平田満(俳優)
- 松平健(俳優)
- 宮野久美子(タレント・おニャン子クラブ)
- 大津美子(歌手)
- 勘解由友見(歌手)
- 判治大介(歌手)
[編集] 学術
[編集] 政財界
- 太田房江(大阪府知事)
- 村田敬次郎(衆議院議員)
- 山本明彦(衆議院議員)
- 太田昭宏 (衆議院議員、公明党代表。新城市生まれ、小学校から高校まで豊橋市)
- 神野信郎(中部ガス会長、中部経済連合会副会長)
- 内藤由治(ポッカ社長)
[編集] スポーツ
[編集] その他
- 2006年8月1日に市制百周年を迎える[1]のを受け、市内各地で「とよはし100祭」を掲げた様々な催しや試み(豊橋鉄道市内線への低床車両の導入、豊橋まちじゅうええじゃないかなど)が実施されている。
- 総世帯数は、2005年8月1日現在で141,242世帯である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部サイト
- 豊橋市ホームページ
- 豊橋観光コンベンション協会
- 豊橋見て歩記ホームページ
- 筆でちくわ(豊橋情報サイト)
- 東三河コミュニティー(東三河及び近隣都市の情報ポータルサイト)
[編集] 主な企業
- サーラグループ
- 豊橋鉄道株式会社
- フォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社
- ダイムラ-・クライスラー日本株式会社
- ヤマサちくわ株式会社
- 東海漬物株式会社
- 永井海苔株式会社
- 豊橋飼料株式会社
- トヨハシ種苗株式会社
- 株式会社精文館書店
- 株式会社豊橋丸栄
- 豊橋ステーションビル株式会社
- 新協オートサービス株式会社
- トピー工業株式会社
- 本多電子株式会社
- 武蔵精密工業株式会社
- 愛知県の自治体等
-
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