山本左近
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F1での経歴 | |
国籍 | 日本 |
車番 | 23 |
所属チーム | スーパーアグリ |
活動年数 | 2006 |
過去の所属チーム | ジョーダン |
出走回数 | 7 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年ドイツGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 26位 (0ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
山本左近(やまもと さこん、1982年7月9日 - )は、愛知県豊橋市出身のレーシング・ドライバーである。愛知県立豊橋南高等学校卒業、現在は南山大学総合政策学部に所属している。父親は「社会福祉法人さわらび会」の理事長であり、母親は法人内の施設「第2さわらび荘」の所長を務める。レースを始めたのは母親の影響だといわれている。
目次 |
[編集] 経歴
2005年シーズンはフォーミュラ・ニッポンに近藤真彦率いるKONDOレーシングから参戦したほか、SUPER GTでは片岡龍也とコンビを組み、GT500クラスにトムススープラ(スポンサーは当初ダイナシティだったが、シーズン途中でオープンインタフェースに交代)で参戦。SUPER GTの第4戦(スポーツランドSUGO)で初優勝を遂げた。
2005年10月のF1日本GPでは、金曜フリー走行においてジョーダンのサードカーをドライブしたが、レギュラードライバーを上回るパフォーマンスを示した。
その余勢をかって出場した直後のフォーミュラ・ニッポン第8戦(ツインリンクもてぎ)では、チャンピオンを決めた本山哲を最後まで追い詰めての2位で初表彰台を獲得した。
2006年シーズン当初は、フォーミュラ・ニッポンは引き続きKONDOレーシングより参戦。SUPER GTに関してはNISMOに移籍。ミハエル・クルムとともに参戦した。
2006年6月のF1イギリスGPよりスーパーアグリF1チームのサードドライバーとして参戦し、ドイツGPからはフランク・モンタニーに代わってセカンドドライバーとして参戦。なお、F1参戦に伴いKONDOレーシングとNISMOとの契約は解除された。
2007年はチームにとどまるものと思われるが詳細は不明。
[編集] 略歴
- 身長・体重:172cm 63kg
- 出身地:愛知県豊橋市
- 血液型:A型
- F1デビュー:2006年ドイツGP
- チーム歴:Jordan Toyota - SUPER AGURI Honda
- 英語表記:Sakon Yamamoto
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Sakon Yamamoto (公式サイト)
- Blog Sakon Yamamoto (公式Blog)
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
|
1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |
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