ユニチカ
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
本社所在地 | 〒541-8566 大阪府大阪市北区久太郎町四丁目1番3号 大阪センタービル |
電話番号 | 06-6281-5695 |
設立 | 1889年(明治22年)6月19日 |
業種 | 繊維 |
事業内容 | 高分子、環境・機能材、繊維、生活健康・他 |
代表者 | 大西音文(代表取締役社長) |
資本金 | 23,798,450,000円 |
売上高 | 連結:215,957百万円 単独:94,762百万円(2006年3月期) |
従業員数 | 連結:4,907名 単体:732名(2006年3月) |
決算期 | 3月 |
主要子会社 | 寺田紡績(テラボウ) - 76.1%株式所有 |
外部リンク | ユニチカ株式会社 |
ユニチカ株式会社(Unitika, Ltd.)は、大阪府大阪市中央区に本社を置く繊維メーカー。近年は繊維事業だけでなく高分子事業・生活食品分野・環境事業などにも進出している。 同じ大阪に本社を置く、東洋紡績・帝人・倉敷紡績・旭化成と並ぶ在阪繊維メーカーの一つ。
目次 |
[編集] 事業内容
- 繊維事業
- 高分子事業
- 環境・機能材事業
- 生活健康事業
- ハナビラタケの栽培など
- その他
[編集] 事業所
- 大阪本社
- 東京本社(東京都中央区日本橋室町3-4-4 JPビル)
- 中央研究所(京都府宇治市)
- 事業所:岡崎、貝塚、垂井(岐阜県垂井町)、豊橋、常盤(岡山県総社市)、宮川(三重県伊勢市)、坂越(兵庫県赤穂市)、宇治
- 研修センター(大阪府貝塚市)
- 海外事務所:デュッセルドルフ、上海、広州
[編集] 沿革
- 1889年6月19日 - 有限責任尼崎紡績会社設立
- 1893年 - 尼崎紡績株式会社と改称
- 1918年 - 株式会社摂津紡績と合併し大日本紡績株式会社と改称
- 1923年 - 日本絹毛紡績株式会社と合併
- 1926年 - 日本レイヨン株式会社(ニチレ)を設立し、レーヨン糸の製造を開始
- 1964年 - ニチボー株式会社と改称
- 1969年 - 日本レイヨンと合併しユニチカ株式会社と改称
- ※ユニチカ(UNITIKA)の社名の由来は、united(結合)の「ユ」 + ニチボー・ニチレの「ニチ」 + カンパニー(企業)の「カ」を組み合わせた造語であると言われている。
[編集] ニチボー貝塚
ユニチカの前身である大日本紡績は女子バレーボール部を設立した。それが日本女子バレー史に燦然と輝くニチボー貝塚である。
1961年のヨーロッパ遠征では24戦全勝の戦績を残し東洋の魔女と呼ばれた。1962年の世界選手権には単独チームで参加し優勝している。1964年の東京オリンピックでもほとんどの日本代表を輩出し金メダル獲得に大きな貢献をした。
長らく無敗であったが、1966年に258連勝でストップした当時、この出来事は事件として取り扱われた。 1969年からチーム名はユニチカ貝塚と変わったものの、日本女子バレーボールを牽引してきた。
1994年に日本リーグがVリーグにリニューアルされてからはチームの愛称をユニチカ・フェニックスにした。
企業業績の悪化を受け、2000年7月に活動を停止し、選手などは東レに完全移籍という形を取り、チームは東レアローズに生まれ変わった。
なお、「フェニックス」は2005年からユニチカラグビー部(トップウェストA所属)の愛称として再び使用されている。
[編集] ユニチカマスコットガール
1974年風吹ジュンを起用して以来、マスコットガールを企業シンボルとして採用している。手塚理美、紺野美沙子、大友みなみなどを輩出している。2006年は境絵里加がつとめている。
また、1989年から水着キャンペーンモデルを採用していた。カイヤ、夏川結衣、本上まなみ、米倉涼子、北川弘美、滝沢沙織と多くのタレント、女優を輩出した。 2000年よりユニチカマスコットガールに統合された。
[編集] 外部リンク
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