村田敬次郎
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村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年2月12日 - 2003年4月2日)は、日本の政治家、自由民主党衆議院議員。愛知県豊橋市出身。
豊橋一中(現、愛知県立時習館高等学校)を卒業後、旧京都帝国大学に進学。その後当時の自治省に入省し、愛知県部長を経て、1969年に衆議院総選挙で初当選を果たす。以後、当選連続10回。
自由民主党では福田派に属し、1984年11月1日成立の第二次中曽根康弘第一次改造内閣において通商産業大臣、宇野内閣時において、自由民主党政務調査会長、1992年12月12日成立の宮沢改造内閣において、自治大臣兼国家公安委員長を歴任した。
人柄は、非常に温和で面倒見も小渕恵三元総理にも負けないぐらい良く、部下が失敗や失態を犯したときも頭ごなしに叱責せず、諭すように教えたということで、国会議員の後輩の間でも、尊敬している人は多い。東三河地方を中心として、秘書から鈴木政二参議院議員(元運輸政務次官・現内閣官房副長官)、杉田元司衆議院議員など地元市町村議員・県議を育て村田学校と呼ばれる、政治家の育成を担った。地元での愛称は「むらけいさん」。
2000年の解散総選挙に出馬せず引退。地盤の衆議院小選挙区愛知県第15区は山本明彦に譲った。2003年4月2日、急性脳梗塞により、豊橋市内の病院にて死去。享年79。訃報を伝えるニュースは東海地方でも大々的に流された。村田家、自由民主党合同葬が行われ、葬儀委員長は同じ福田派(現・森派)で同期当選だった森喜朗元総理が担当した。
私人としては詩をよく創り、『創生の悲歌』という詩集も出版。詩人としても名高い。学生時代にキリスト教の洗礼を受けたことでも知られる。囲碁の腕前は大変強かったといい、一説では六段の腕前とも言われる。
- 自由民主党政務調査会長
- 1989
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- 先代:
- 渡辺美智雄
- 次代:
- 三塚博
- 国家公安委員会委員長
- 1992 - 1993
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- 先代:
- 塩川正十郎
- 次代:
- 佐藤観樹