東京ドーム
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東京ドーム | |
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Tokyo Dome , The BIG EGG | |
施設統計 | |
所在地 | 東京都文京区後楽1-3-61 |
起工 | 1985年5月16日 |
開場 | 1988年3月18日 |
所有者 | 株式会社東京ドーム |
グラウンド | 人工芝(フィールドターフ) |
照明 | 照明灯 - 14ヶ所 照度 - バッテリー間:2700ルクス |
建設費 | 約350億円 |
設計者 | 竹中工務店、日建設計 |
建設者 | 竹中工務店 |
使用チーム、大会 | |
読売ジャイアンツ(開場~現在) 、 日本ハムファイターズ(開場~2003年、 2004年以降は準本拠地として使用)、 都市対抗野球大会(開場・第59回大会~現在) |
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収容能力 | |
45,600人(消防法に基づく収容人員。公式サイトでは55,000人と表記されている……施設規模) | |
規模 | |
両翼 - 100 m (約328.1 ft) 中堅 - 122 m (約400.3 ft) |
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フェンスの高さ | |
4 m (約13.1 ft) |
東京ドーム(とうきょうドーム)は、日本の東京都文京区後楽にある、同国初のドーム型野球場。株式会社東京ドームが運営している。愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)であるが、近年はあまり使用されない。
老朽化した後楽園球場に代わり、1988年に開場した。日本プロ野球の読売ジャイアンツの本拠地、北海道日本ハムファイターズの準本拠地。また、ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド(2006年)やアジアシリーズなどの国際試合、日米野球などの親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・都市対抗野球大会が毎年開催されている。さらに野球のほかにも格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われる多目的ドームである。ただ、天井が高いため音の反射が悪く、ワンテンポ遅れて音が響くので、コンサートには不向きな会場である。
屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%高くして膨らませている。圧力差を維持するために出入り口に手動式回転ドアやエアロックが設置されている。ドームから外に出る際、回転ドアで気圧のため外に吸い込まれるような感じになる。また、隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。2002年から「フィールドターフ」と呼ばれる新型人工芝を、日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らした。
ドームの広さは約216メートル四方で、建物・場所などの広さ・大きさを表現する際に日本ではよく「東京ドーム何個分」という表現が使われる。
尚、他球団の略称方法と異なるが、「読売ジャイアンツ」は「巨人」という略称でこれを指すのが一般的であるため、ここではそれに従う(参照)。
目次 |
[編集] 設備
[編集] フィールド
東京ドームのフィールドは国際基準に適合した広さで設計され、敷地面積の都合で左中間・右中間がほぼ直線状であるものの、両翼100メートル・中堅122メートルと広い。東京ドームの開場によって、これまで両翼90m強の球場がほとんどだった日本球界(阪神甲子園球場のようにラッキーゾーンを使用して意図的に狭くしていた球場もあったほど)は大型化の傾向へすすむこととなった。だが、ドーム球場開場ラッシュによる球場大型化は、東京ドームを相対的に「特に広いわけではない」球場へと変えていった。また、左中間・右中間が狭く直線的であることから「ホームランが出やすい球場」と認識される傾向になっている。なお、「東京ドームは狭いため、看板直撃のホームランでも甲子園では客席にすら届かない」という俗説があるが、これは誤りである(東京ドーム看板直撃弾も甲子園では客席にも届かない!?)。
- ホームランの出やすさの理由は、左中間・右中間の狭さ以外にも空気膜構造の屋根だとも考えられている。同じく空気膜構造屋根を持つメトロドーム(アメリカ合衆国ミネソタ州)もホームランが出やすい球場と言われており、空気膜構造の球場ではホームランが出やすい可能性が考えられる。これは「空気膜構造式では内部空気圧が高いため」と説明されることが多いが、一般的に気圧が高い場合は逆に空気抵抗が大きくなるため、ホームランが出にくくなるはずである。そのため、この説明には異論がある。同タイプの野球場がこの2球場のみで比較対象が少ないのも検証を困難にしている。
- その他にもさまざまな説があるが、いずれも検証されていない。
- 空気圧を維持する為にスタンド最上部に設置されている送風機(外部リンク)が上昇気流を作り出しているため、との説
- 空調によって空気が乾燥しているぶんボールが乾燥して反発力が増し、飛距離が伸びやすくなっているため、との説
後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため、グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている。なお、年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。
フィールドには人工芝を採用している。2002年からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるハイテク人工芝「フィールドターフ」を導入した。
- 2006年に巨人がシーズン当初の好調から一転して低迷すると、滝鼻卓雄読売巨人軍オーナーはその原因の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望した。東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行ったが、シーズンオフである2007年3月には「フィールドターフ」の改良型へ人工芝の総張り替えを実施する。これにより、耐久性、衝撃吸収力が向上するといわれている。
[編集] 座席
基本的に座席の色は青。2005年から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を開設した。
- この座席はプロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球では使用されない予定である。
- この座席を利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
- エキサイトシート内には売り子が入ることができない。但し、入口際のネット越しに購入することが可能である。
- エキサイトシートは、巨人主催ゲームについては年間予約席と一般指定席の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。ただし、座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる。
また、左翼スタンド右側の一部を巨人の応援席にした「レフト側巨人応援席」を設定しているため、ビジターファンと巨人ファンの外野の座席比率はおよそ4:6になっている。これは、ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったことなどから、設定された席種だと考えられる。ただし、阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの絶対数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト側巨人応援席」は設定されていない。
社会人野球の都市対抗、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。
[編集] 広告看板
バックネットのフェンス広告は2004年から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。巨人戦時はJA共済、大正製薬等の企業が、日本ハム戦時はタマホームが広告を出している(タマホームは巨人戦でも広告を出すことがある。ただ、最近はタマホームのみの場合が多い)。2005年からはモノクロ広告からカラー広告が中心になる。2006年の都市対抗社会人大会のときは毎日新聞社や東京ドームグループ施設が広告を出していた。
バックネットのフェンス広告は、東京ドーム開業時から1996年までは資生堂(後楽園球場時代の1985年から)、1997年から2003年まではマツモトキヨシ、JT、アース製薬、杏林製薬、サントリー、NTTコミュニケーションズ、プロミスなどの企業が、2004から2005年には大塚商会、東京地下鉄、日産自動車、ジャックスカードなどが出していた。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターのスポンサーである三洋電機の広告になっていたが、2006年シーズン終了後、三洋電機がスポンサーを降りたため、2007年以降は未定である。なお、東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002年に開催されたことがある。次回開催は2007年の予定。
外野フェンス広告は2006年シーズン現在、レフトから順にサントリー(モルツ)、松下電器産業(Panasonic)、ホクレン、日研創業(開業時から1998年まではリョービ、1999年から2005年まではマスプロ電工)、コナミ(開業時から1997年までは東邦生命、1998年はGEエジソン生命)、富国生命(フェンス表記はフコク生命)、コニカミノルタ(開業から1998年までは富士通、1999年から2001年まではコマツ。ちなみに後楽園球場時代は1983年まで森永製菓)、キャノン(開業時から2001年まではコニカ、2002年から2003年まではツーカー)、日本航空、カシオ計算機(1993年から。開業時から1992年までは富士写真フイルム)、クボタ(後楽園球場時代の1984年から。ちなみに以前は横浜ゴム)、日本興亜損保(開業時から2001年シーズン途中までは日本火災)、オープンインタフェース(開業時から2004年までは富士ゼロックス)、大和證券となっている。前身の後楽園球場時代から残っているのは、サントリー、松下電器、富国生命、コニカミノルタ、日本航空、クボタ、日本興亜損保(前身の日本火災海上を含めて)、大和證券の9社である。
外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。開設当初は9枚…左翼5枚、右翼4枚)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当する商品が贈呈される。ただし巨人が出場した際の日本シリーズでは、ポストシーズン・ゲームのため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない(詳しくは東京ドームHP・ビッグボードホームラン賞一覧参照)。
かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年にこの制度が廃止。広告が撤去された。
尚、東京ドームでは現在、消費者金融の会社の広告を一切出していない。これは以前、近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサーの契約を新たにを結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、渡邉恒雄が「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切無い。」と痛罵した。しかし実際には、その発言をした時には東京ドームでも消費者金融の広告は出されていた。その後ペナントリーグが終了し、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームより広告を出してた消費者金融の会社へ、「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と言い更新を行なわない旨を通達。広告を出していた会社も了承し、その次の年から消費者金融の広告は一切排除された。
[編集] 放送席
ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワーク、ニッポン放送、ラジオ日本、(中央部分不明)、文化放送、TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送・中部日本放送・日経ラジオ社・RKB毎日放送・朝日放送・毎日放送)となっている。
放送席に入るためには一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりが出来、かなりの混乱が発生する。
[編集] スコアボードの移り変わり
1988年の完成時、スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。
オーロラビジョンは1990年にハイビジョンサイズへ変更、さらに1999年に全面改修された。2001年にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。
2003年にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。そして、各選手の打率(AV)、ホームラン(HR)表示に打点(RBI)が加わった。2004年のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率(AV)、ホームラン数(HR)が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。
2005年にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。従来のものと違い、両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字からメジャースタイルになった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。またスペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じに尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。
2006年から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響で一列に入るのが9人までとなった為、DH制の試合時は、チーム名の下に投手名が入っている。
野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は改めてスコアを消去して1回のところに10回のスコアを入れる)だった。2003年の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は9回と合計スコア(Rと表示)の間に詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する。
[編集] 野球体育博物館
21番ゲート右側に野球体育博物館が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。
[編集] 施設概要
[編集] 建物
- 高さ:56.19メートル
- 階数:地上6階/地下2階
- 建築面積:46,755平方メートル
- 容積:1,240,000立方メートル
- エアドーム:28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に貼り、その間をガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングした素材で貼り合わせてある。素材は耐候性、耐熱性、非粘着性に優れ不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。
- 外膜は厚さ0.8ミリ。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
- 内膜は厚さ0.35ミリ。中興化成工業社製品。
- エアドームを膨らませておくために気圧を外気圧より0.3%高くする。そのため送風ファンを合計36台設置している。ドア開閉がある場合は10台から18台を稼働させ、ドア閉鎖時は2台で気圧を維持する。
[編集] 落成・供用開始日
- 落成式 1988年3月17日
- 公式戦開始日 同年3月18日
- 一般使用開始日 同年12月24日
[編集] エピソード
[編集] ホームラン
- この球場の公式戦ではじめてホームランを打ったのはヤクルトスワローズのダグラス・デシンセイである。前述の柿落としのオープン戦も含めると吉村禎章が打っている。
- 完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄が「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と話したが、開場した1988年の7月4日に阪急ブレーブスのダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、読売ジャイアンツの原辰徳や松井秀喜、西武のアレックス・カブレラらが、天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーに当てている。中でも、1990年6月6日の日本ハムファイターズ対近鉄バファローズ戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から打った打球をセンター守備位置上空にあるメインスピーカーに直撃させ、認定ホームラン第1号を記録した。これをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)。しかしその後この認定ホームランを打った選手は現れていない。
- ドームの屋根の間には少々の隙間があり、隙間に入れるとエンタイトルツーベースとなる。2002年に松井秀喜が「幻のドーム場外」を記録した。このボールは現在、野球体育博物館に保存されている。
- 2005年7月30日の中日ドラゴンズ戦で、通算350号本塁打まで残り1本と迫っていた江藤智が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の英智左翼手に捕球され、350号は幻となった。
[編集] 胴上げ
1988年の開場から2005年までの間、東京ドームにおいて巨人の対戦相手が公式戦・日本シリーズを通して巨人の目の前で優勝を決め胴上げをしたということはなかった。それまで東京ドームで胴上げを経験したことがあるのは巨人・藤田元司(1990年)、長嶋茂雄(2000年)の両元監督のみだった。しかし2006年10月10日の読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦で中日が優勝を決め、落合博満監督の胴上げが行われたことでこのジンクスは破れた。巨人の本拠地で最後に胴上げした巨人以外の球団は、後楽園球場時代の1975年、広島東洋カープだった。日本ハムファイターズは東京ドーム時代は優勝がなかった。
[編集] 読売とは資本関係がない
東京ドームは、読売グループの所有物とか読売と資本関係にあると勘違いされることがあるが、意外なことに読売グループとの資本関係はまったくない。
[編集] 球場使用料
東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べてとても高く、1試合あたり4,000万円である。また巨人より日本ハムの方が使用料の額が大きく設定され、実質は日本ハムが東京ドームを借りて試合をしている形になっていた。この高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(札幌ドームの球場使用料は1試合あたり800万円)。ただ日本ハムは現在も準本拠地として引き続き年間数試合で東京ドームを使用している。
[編集] マスコットキャラクター
日本ハム北海道移転前のマスコットキャラクター・ファイティーは、当初移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により、東京ドーム限定のマスコットキャラクターとして2005年まで存続し、2006年以降は重大イベント限定で登場となった(例えばファイターズが優勝したときに登場などが想定される)。なお、日本ハム主催ゲームについては、移転前・北海道移転後も何故か太鼓を使用せず、笛とトランペット、メガホンのみの応援になっている(理由は一説によると、東京ドームオープン時に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペットを選択したと言われる)。
[編集] 野球以外での利用
- 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなり篭るために、スピーカーの設置などには気を使わなくてはならない。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
- 新日本プロレスが1989年から2006年まで毎年プロレス興行を行っている。1992年からは毎年1月4日に行われるようになり、サイモン猪木社長は全日本プロレスと共同で2007年も1月4日に東京ドーム大会を実施すると発表した。
- プロレスリング・ノアが2004年、2005年にプロレス興行を行っている。
- 立正大学が入学試験会場としてグラウンドを使用して話題になったことがあるが、校舎建て替えに伴うものであり、使用には非常に多くの不便が生じたといわれる。
- コナミが遊☆戯☆王のイベントでドームを使用したが、開催側の不備から大混乱に陥った。[1]
[編集] 最寄駅
[編集] 関連項目
- 東京ドームシティ
- 野球体育博物館
- 読売ジャイアンツ
- 北海道日本ハムファイターズ
- オリックス・バファローズ(親会社オリックスの本社が東京にある関係で2004年以降年間数試合ホームゲームを行っている)
- 後楽園球場
- ビッグエッグターフ
- PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球(日本テレビ)
- ラジオ日本ジャイアンツナイター(ラジオ日本)
- 東京ドームでコンサートを行った事のあるミュージシャン一覧
- ドン・チャック物語(同番組に企画・協賛しキャラクターショー開催)
- スーパー戦隊シリーズ(同番組に協賛し、キャラクターショー開催)
[編集] 外部リンク
前本拠地: 後楽園球場 1937 ~ 1987 |
読売ジャイアンツの本拠地 1988 ~ 現在 |
次本拠地: n/a ~ |
前本拠地: 後楽園球場 1964 ~ 1987 |
北海道日本ハムファイターズの本拠地 1988 ~ 2003 |
次本拠地: 札幌ドーム 2004 ~ 現在 |
プロ野球を開催するドーム球場 |
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