出雲 (列車)
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サンライズ出雲( - いずも)は、西日本旅客鉄道・東海旅客鉄道が東京駅~出雲市駅間を東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線を経由して運行している寝台特急列車。
1998年7月10日、当時2往復存在した寝台特急「出雲」の内の1往復をブルートレインから285系電車に置き換え、走行経路を一部区間非電化の山陰本線廻りから、全線電化がされている伯備線廻りに変更する形で登場した。
ここでは歴史的経緯から2006年3月18日ダイヤ改正まで存在した寝台特急「出雲」についても説明する。
目次 |
[編集] 列車愛称の由来
愛称は、出雲国(島根県東部の旧国名)と285系電車の持つ愛称である「サンライズエクスプレス」を合わせている。
[編集] 運行概況
2006年3月現在、「サンライズ出雲」は首都圏と伯備線を介して岡山県・鳥取県西部・島根県東部を結ぶ役割を担っている。東京-岡山間は「サンライズ瀬戸」との併結運転を行う。首都圏と山陰地方を往来する乗客が大半を占めるが、下り列車は岡山から出雲市への一番列車となるため、岡山や倉敷から「ノビノビ座席」を利用する乗客も存在する。また、上り列車は深夜0時台に三ノ宮・大阪に停車するため、京阪神地区からの利用者も少なくない。
2006年3月17日(発車)までは、JR東日本の車両で運行する山陰本線経由の「出雲」とJR西日本・JR東海の車両で運行する伯備線経由の「サンライズ出雲」の2系統であったが、利用客が低迷し、車両の老朽化も進んだ客車列車「出雲」については2006年3月17日の東京・出雲市発の列車をもって廃止された。但し鳥取県は、鳥取駅から東京駅へ直通する列車の消滅を理由に、廃止には最後まで反対した。こちらも参照されたい。
「出雲」の廃止により、東京駅を発着する単独運転の寝台特急列車は消滅した。同時に、定期列車から食堂車オシ24形の運用、またEF65形電気機関車の寝台特急牽引も併せて消滅する格好となっている。
[編集] 使用車両
- サンライズ出雲
- 285系電車(出雲鉄道部出雲車両支部・大垣車両区所属・出雲鉄道部出雲車両支部常駐)を使用。
- 7両編成で個室A寝台「シングルデラックス」・個室B寝台「サンライズツイン」・個室B寝台「シングルツイン」・個室B寝台「シングル」・個室B寝台「ソロ」・普通車指定席「ノビノビ座席」で組成されている。
- 列車の編成
号車 | 下り | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
上り | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | |
←出雲市駅 | 2階 | B1 | B1 | B1 | A1 | 座・B1 | B1 | B1 |
1階 | B1 | B1 | B2 | B1 | B1 |
- A1=シングルDX
- B1=シングル・シングルツイン・ソロ
- B2=サンライズツイン
- 座=ノビノビ座席(指定席車)
- 3・10号車にシャワー室とミニサロンがある。
- 出雲(廃止時点)
- 24系25形客車(尾久車両センター所属・田町車両センター常駐)を使用。
- 電源車を含む9両編成が基本であるが、多客期は東京駅~米子駅間に3両を増結した。
- 個室A寝台「シングルデラックス」・B寝台・「フリースペース」で組成されていた。その内、「フリースペース」については営業休止となった食堂車を利用していた。
- 列車の編成
号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
←出雲市駅 | 電 | A1 | B | B | B | フ | B | B | B |
- A1=シングルDX
- B=B寝台
- フ=フリースペース
- 電=電源車
-
- 牽引機関車
- 東京~京都間:EF65 1000番台(田端運転所所属)が牽引。
- 京都~米子~出雲市間:DD51(後藤総合車両所所属)が牽引。
- 但し、DD51の車両基地が米子(後藤総合車両所)にあるため、以下の措置をとっていた。
- 下り:米子では機関車付け替えは行われずに京都~出雲市間連続してDD51で牽引していた。
- 上り:米子で機関車付け替えを行った。
- 但し、DD51の車両基地が米子(後藤総合車両所)にあるため、以下の措置をとっていた。
[編集] 列車番号
- サンライズ出雲
- 列車番号は区間により異なる。
- 出雲(廃止時点)
- 列車番号は、3・4と運転線区等で変更がなかった。下り=3、上り=4であった。
- 但し、3月17日の最終列車のみ臨時列車扱いとしたため、下り=9003、上り=9004となった。
[編集] 停車駅
- ●・○:停車。
- ↓・↑:通過(矢印方向に運行)。
- ※:臨時停車。
- (運):運転停車。
- サンライズ出雲
駅名\運行方向 | 停車駅 | 備考 | |
---|---|---|---|
下り | 上り | ||
東京駅 | ● | ● | |
品川駅 | (※) | (※) | 当駅は、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。品川止まりになるケースが殆ど。その場合、小田原~品川は東海道貨物線経由での運転となり、横浜駅は通らず、小田原駅に臨時停車する。 |
横浜駅 | ● | ● | |
熱海駅 | ● | ● | |
沼津駅 | ● | ● | |
富士駅 | ● | ● | |
静岡駅 | ● | ● | |
浜松駅 | ● | (運) | |
名古屋駅 | (運) | (運) | |
米原駅 | (運) | (運) | |
大阪駅 | ↓ | ● | |
三ノ宮駅 | ↓ | ● | |
姫路駅 | ● | ● | |
上郡駅 | ● | ● | 当駅では、1~3号車、12~14号車はホームに入らないため、ドアは開かない(ドアカット)。 |
岡山駅 | ● | ● | 当駅で、「サンライズ瀬戸」と分割・併結を行う。 |
倉敷駅 | ● | ● | |
新見駅 | ● | ● | |
米子駅 | ● | ● | |
安来駅 | ● | ● | |
松江駅 | ● | ● | |
宍道駅 | ● | ● | |
出雲市駅 | ● | ● |
- 出雲(廃止時点)
駅名\運行方向 | 停車駅 | 備考 | |
---|---|---|---|
下り | 上り | ||
東京駅 | ● | ● | |
品川駅 | (※) | (※) | 当駅は、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。品川止まりになるケースが殆ど。その場合、小田原~品川は東海道貨物線経由での運転となり、横浜駅は通らず、小田原駅に臨時停車した。 |
横浜駅 | ● | ● | |
熱海駅 | ● | ● | |
沼津駅 | ● | ● | |
静岡駅 | ● | ● | |
浜松駅 | ● | (運) | |
名古屋駅 | (運) | (運) | |
米原駅 | (運) | (運) | |
京都駅 | ● | ● | 当駅で、機関車の付け替えを行った。 |
綾部駅 | ● | ● | 下り列車は、線路の状況等により京都~福知山は福知山線経由での迂回運転となることもあった。その場合、綾部駅は通らず、福知山駅以遠で大幅に遅れて到着した。 電源車を含む12両編成の場合、当駅では、10~11号車はホームに入らないため、ドアは開かなかった(ドアカット)。 |
福知山駅 | ● | ● | |
豊岡駅 | ● | ● | |
城崎温泉駅 | ● | ● | |
香住駅 | ● | ● | 電源車を含む12両編成の場合、当駅では、10~11号車はホームに入らないため、ドアは開かなかった(ドアカット)。 |
浜坂駅 | ● | ● | 電源車を含む12両編成の場合、当駅では、10~11号車はホームに入らないため、ドアは開かなかった(ドアカット)。 |
鳥取駅 | ● | ● | |
倉吉駅 | ● | ● | |
米子駅 | ● | ● | 上り列車は、当駅で、機関車の付け替えを行った。 |
安来駅 | ● | ● | |
松江駅 | ● | ● | |
宍道駅 | ● | ● | |
出雲市駅 | ● | ● |
[編集] 沿革
- 1928年12月25日 - 福知山線・山陰本線経由で、下り・大阪駅発浜田駅行、上り米子駅発大阪駅行の昼行準急行列車(料金不要、現在で言う快速列車)を上下各1本新設。山陰本線・福知山線にはそれまで優等列車が存在せず、これが両線で初めての速達列車となる。愛称はなかった。
- 1935年3月15日 - 上記の準急行を急行列車に格上げして再編成、上下列車とも出雲今市駅(現・出雲市駅)から大社線に直通し、大阪駅-大社駅間運転とする。最速の上り列車は同区間の所要8時間20分。和食堂車を連結した。
- 1943年2月 - 太平洋戦争の激化に伴い廃止。
- 1947年6月 - 大阪駅-大社駅間昼行準急列車として復活運行を開始。この時点でもまだ列車に愛称はなかった。
- 1951年11月25日 - 大阪駅-大社間駅準急が急行に格上げされ、初めて「いずも」と列車愛称を与えられる。編成の一部が大阪から東京駅-宇野駅間急行「せと」に併結されて東京駅まで直通したため、東京駅-大社駅間列車となる。
- 1954年 - 大阪駅から浜田駅発着の編成を連結開始。なお、出雲市-浜田間は快速列車として運行される。
- 1956年11月 - 列車名を「いずも」から漢字の「出雲」に改称。また、急行「せと」との併結を取りやめ、東京駅-大社駅間を単独運転開始。
- 1961年3月1日 - 浜田編成も浜田駅までの全区間を急行列車とする。
- 1961年10月1日 - 白紙ダイヤ大改正により大阪経由を取りやめ、京都-福知山間を山陰本線(園部駅)経由に変更。従来の大阪-山陰連絡列車の役割を捨て、東京-山陰間直通列車としての性格を強める。
- 1972年3月15日 - 急行「出雲」を特急に格上げし、20系客車による寝台特急「出雲」運行を開始。運転区間は東京駅-浜田駅間。
- 1975年3月10日 - 「出雲」24系客車化。また、急行「銀河下り1号・上り1号」を格上げし系統立替えにより、寝台特急「いなば」運行を開始。運行区間は東京駅-米子駅間。
- 1976年 10月- 「出雲」24系25形化。「はやぶさ」、「富士」と同時で、東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。個室A寝台(後のシングルデラックス)も同時に連結。
- 当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券入手が困難な人気列車で知られ、定員減でそれが更に強調される結果となった。
一方「いなば」は、14系寝台車の難燃化改造工事への対応策とはいえ、B寝台車が座席車1~2両に代替された時期もあった。
- 当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券入手が困難な人気列車で知られ、定員減でそれが更に強調される結果となった。
- 1978年1月- 博多「あさかぜ」の24系(25形)化に伴い、食堂車の運用を捻出するため、食堂車は浜田までの本編成から出雲市回転の付属編成へと変更となった。この措置は共通運用の「富士」、「はやぶさ」についても同様に行われた。
- 食堂車については増備を行わない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」、「はやぶさ」の食堂車を途中折り返しとすることで東京に戻る日を一日早めることができた。「出雲」は運行時間から言えば変更によるメリットはなかったが、「富士」、「はやぶさ」との共通運用である側杖を被った格好であった。
- 1978年10月1日 - 「いなば」の運転区間を出雲市駅発着とし、「出雲3・2号」となる。従来の東京駅-浜田駅間運行の「出雲」は、「出雲1・4号」となる。
- 1984年2月1日 - 「紀伊」廃止により、「出雲3・2号」が単独運転開始。また時期を並行し、使用する14系B寝台車を2段化改造、約半年後に完了。
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、24系客車による「出雲1・4号」を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、14系客車による「出雲3・2号」を西日本旅客鉄道(JR西日本)が管轄する共同運行列車となる。
- 1989年 - 「出雲3・2号」に3段B寝台車が1両のみ復活。高速バスに価格対抗した「出雲B3きっぷ」が山陰で発売されるのに合わせたもの。
- 1991年 - 「出雲3・2号」にA寝台個室・B寝台個室を連結。「出雲1・4号」の食堂車が営業を休止。
- 1993年9月 - 山陰本線園部駅-福知山駅間電化・高速化工事に伴い、下り「出雲1号」を伯備線経由に変更。上り「出雲4号」は山陰本線経由で運行。
- 1995年12月 - 「出雲1号」を元の山陰本線経由に変更。
- 1998年7月10日 - 285系電車(サンライズエクスプレス)導入に伴い、以下のように変更。
- 2005年3月1日 - 「出雲」の東京駅-松江駅間で行われていたブルトレ便を廃止。
- 2006年3月18日 - 車両の老朽化や利用客の減少などの理由により、「出雲」が廃止。
これに伴い、「サンライズ瀬戸」・「サンライズ出雲」が上郡駅に新規に停車し、鳥取県東部からの利便性を図るため(救済の意味合いが強い)、「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」が上郡駅で接続したが、兵庫県但馬地方および京都府両丹地区に向けて、サンライズリレー号的列車は設定されなかった。 - 2006年3月25日 - 姫路駅の改良工事によって、姫路~出雲市間で3時間程度の遅れが発生。
- 客車列車「出雲」の廃止と車両回送
最終の下り列車は24系25形客車が後述のとおりJR東日本が所有しているため所属先の尾久車両センターへ返却回送する必要があり、2006年3月18日定刻より23分遅れの午前11時20分に出雲市駅に到着した後、すぐに出雲鉄道部出雲車両支部へ回送され、しばらく停泊した後、18日の深夜から19日の未明にかけて山陰線を走行、途中京都総合運転所にて日中停泊したのち、19日の深夜から20日未明にかけて田町車両センターへ返却回送され同日午後尾久車両センターに到着した。
返却回送は鉄道ファンが列車の運行を乱す恐れがあるため夜間に行われたが、途中京都総合運転所までの間では回送にもかかわらず牽引機のDD51形機関車に出雲のヘッドマークが付けられささやかなファンサービスが行われた。