あさかぜ (列車)
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あさかぜとは、旧国鉄・西日本旅客鉄道(JR西日本)が東京駅~博多駅(末期は下関駅)間を東海道本線・山陽本線経由で運行していた寝台特急列車(ブルートレイン)。
東京と博多を結ぶ夜行特急列車として1956年に登場し、冷暖房完備の新造車両が投入された1960年代には、国鉄を代表する花形列車として人気を集めた。しかし、1970年代(昭和50年代)以降の国鉄運賃・料金の大幅な値上げや、新幹線や航空会社、さらに1990年代以降高速バスとの競合が激しくなり、ブルートレインなど長距離夜行列車全体の利用客が減少したため、本数削減(=博多発着列車を先に廃止)の後、最後まで残った下関発着の1往復も2005年2月28日発の列車を持って廃止された。
なお、本稿の沿革では東京駅~広島駅・博多駅間を運行した急行列車についても言及する。
目次 |
[編集] 九州特急「あさかぜ」と関係する急行列車群の沿革
(東海道本線優等列車沿革・山陽本線優等列車沿革の項目も参照)
- 1948年(昭和23年)7月1日 東京駅~広島駅間に呉線経由の臨時急行列車が運行開始。
- 1949年(昭和24年)9月15日 東京駅~姫路駅間を運行する夜行急行列車運行開始。
- 1950年(昭和25年)5月11日 東京駅~姫路駅間を運行する夜行急行列車を呉線経由で広島駅まで運転区間を延長。
- 1950年(昭和25年)10月1日 宇野線宇野駅発着編成を岡山駅まで連結。現在の「サンライズ瀬戸」に相当する列車となった。
- 1950年(昭和25年)11月8日 東京駅~広島駅間を運行する急行列車に「安芸」の名前を与える。なお、それ以前にも広島鉄道管理局独自で「ひばり」の愛称がこの列車に付けられていたが、鳥類の愛称は特急に付けることを原則としていたため、本局の指導で変更させられた。
- 1951年(昭和26年)4月1日 大阪駅~博多駅間に1往復の臨時急行列車が運行開始。
- 1951年(昭和26年)9月15日 「安芸」の宇野駅発着編成を分離独立、「瀬戸」とする
- 1952年(昭和27年)9月1日 大阪駅~博多駅間運行の臨時急行列車が定期列車に格上げられ、「げんかい」と命名。
- 1953年(昭和28年)3月15日 「げんかい」、東京駅~大阪駅間を延長し、東京駅~博多駅間の列車となる。
- 1953年(昭和28年)6月20日 「げんかい」、食堂車を連結。
- 1954年(昭和29年)10月1日 急行「阿蘇」の混雑を解消するため、同列車の東京駅~門司駅間で併結していた「高千穂」の併結相手を、「げんかい」に改める。
- 1955年(昭和30年)7月1日 「げんかい」の表記を漢字書きの「玄海」に変更。
- 1956年(昭和31年)4月1日 「玄海」に三等寝台車を連結開始。
- 1956年(昭和31年)11月19日 東京駅~博多駅間に、従来急行「玄海」として運行されていた列車を、日本における第二次世界大戦後初の夜行特急列車として「あさかぜ」を運行開始。なおこの時、「玄海」は京都駅~博多駅間の夜行列車に転じた。(あかつき・山陽本線優等列車沿革の沿革も参照のこと。)
- 「あさかぜ」の運行当初は在来型客車と10系軽量客車の混成編成で、二等寝台車のうち1両は戦前製のツーリスト式3軸ボギー寝台車であり、急行列車と大差ない車両ばかりであった。関西圏を深夜に通過するダイヤはほとんど例のない設定であったが、東京~九州間のビジネス利用に最適な時間帯設定となり、高い乗車率を達成するという成功を収めた。後に、この東京~九州間の夜行特急列車群を「九州特急」と称する事となる。
- なお関西圏を深夜に通過させる事に対しては、当然ながら同地区からの反発を招いた。これに対する推進派の中には、「大阪が反対するのなら、大阪駅は通さず同駅北を通る北方貨物線を経由してでも運転する」という強行論者もいたという。結局、関西始発の九州方面急行列車「玄海」・「天草」を同時に登場させるということで、関西側が折れる事になった。また深夜ではあるが、京都駅・大阪駅・神戸駅では客扱い停車をする事になった。
- またこの時期の「あさかぜ」を扱った作品として、1957年(昭和32年)に松本清張が「旅」に発表した『点と線』がある。
- 1958年(昭和33年)10月1日 「あさかぜ」に新たに開発された20系客車に置き換えられる。
- 20系客車が全車冷暖房完備の優秀な設備から「走るホテル」の異名を取り、非常な好評を得る。また当初、同客車を利用した列車は「九州寝台特急」などとよばれていたようだが、いつしか車体の色が青かった事から「ブルートレイン」・「ブルトレ」と呼ばれるようになった。
- 1962年(昭和37年)10月1日 「安芸」、寝台車主体の編成となる。
- 1968年(昭和43年)10月1日 「あさかぜ」、臨時列車で運行されていた1往復を定期化して、2往復体制となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日 東京駅~広島駅間を呉線経由で運行されていた寝台急行列車「安芸」を格上げ統合し、3往復体制となる。但し格上げされた特急列車「あさかぜ」の方は山陽本線経由であり、運転時間帯も多少異なるため、これを単なる「増発」とみなす見解もある。この列車は、東京駅~下関駅間を運行した。
- 1972年(昭和47年)3月15日 「あさかぜ」、東京駅~博多駅間運行の1往復を14系客車に置き換える。
- 1972年(昭和47年)7月20日 博多発着列車の20系客車の編成を変更し、個室2両を含むA寝台車5両とグリーン車が連なる編成となる。この時期の同列車には「殿様あさかぜ」というあだ名が付けられた。
- 1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線博多開業により、「あさかぜ」に14系客車を使用した東京駅~博多駅間の1往復を廃止し、2往復体制となる。また、このときに博多駅発着列車の20系客車に連結していたグリーン車の連結を終了。同時に20系客車では唯一の全室個室寝台車のナロネ20形も連結を終了している。
- 1976年(昭和51年)8月 「あさかぜ51号」に24系25形客車を使用。臨時ながら東京発着の寝台特急として初の2段B寝台投入。
- 1977年(昭和52年)9月28日 「あさかぜ」、東京駅~下関駅間を運行の1往復を、24系25形客車に置き換え。
- 1978年(昭和53年)2月1日 「あさかぜ」、東京駅~博多駅間を運行の1往復も、24系25形客車に置き換える。このとき、食堂車は新たに製造を行わず、先に24系25形に置き換えられていた「富士」「はやぶさ」「出雲」の本編成と途中駅折り返しの付属編成を逆転させる変更で運用を捻出した。
- 1986年(昭和61年)11月29日 「あさかぜ1・4号」のB寝台車、食堂車のグレードアップを行う。
- 1987年(昭和62年)3月14日 「あさかぜ1・4号」、ミニロビーとシャワー室を備えたB寝台個室車両を連結開始。
- 1987年(昭和62年)4月1日 JR分社化に伴い、博多駅発着の「あさかぜ1・4号」を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、下関駅発着列車である「あさかぜ3・2号」をJR西日本が分担。
- 1990年(平成2年)3月10日 「あさかぜ3・2号」にも、ミニロビーとシャワー室を備えた車両を連結開始。同時に、電源車をラウンジカー兼用のパンタグラフ集電の車両「スハ25形300番台」に置き換える。
- 1990年(平成2年)頃 品川駅~博多駅間に臨時急行「玄海」運行開始。元々は臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」であったが、当時使用していた20系車両が老朽化していたため急行に格下げとなったものである。
- 1993年(平成5年)3月18日 「あさかぜ」、食堂車の営業を休止。
- この頃から、「あさかぜ」を含む長距離夜行列車の利用率が低下傾向になる。
- 1994年(平成6年)12月3日 1956年(昭和31年)以来、東京駅~博多駅間に運行していた「あさかぜ1・4号」が、「あさかぜ81・82号」として臨時列車に格下げ。これに伴い、臨時急行「玄海」廃止。定期「あさかぜ」は九州に入らなくなる。
- 2000年(平成12年)12月の運転を最後に、 東京駅~博多駅間の「あさかぜ81・82号」、臨時列車としても廃止。
- 2004年(平成16年)10月27日~11月27日 大阪駅工事に伴い、深夜通過する列車が同駅を通れないためこの1ヶ月間、茨木駅~尼崎駅間は北方貨物線を迂回運転(下り列車(下関行き)のみ)。
- 2005年(平成17年)3月1日 この日のダイヤ改正で、「あさかぜ」は48年余りの歴史に終止符を打った。
[編集] 廃止直前での運行概況
[編集] 使用車両等
24系25形客車9両編成(多客期は13両編成)で個室A寝台「シングルデラックス」・B寝台・「ラウンジカー」で組成されていた。
変わったところでは「トワイライトエクスプレス」に電源車を供出した関係で「ラウンジカー」の一部はこの編成中のすべてのサービス電源を賄う事が可能な静止型インバータを搭載していた車両が用いられた。全区間直流電化がなされている区間で運行されていた関係で可能となった。「あさかぜ」「瀬戸」用編成は5本あったが、このうちの2本(当初、後に1本追加)がこの方式の給電方式となった。また1号車のオハネフ25形は荷物室を設置(業務用室という名目のため「ニ」の記号は入らなかった)、300番台となったが、荷物室が間に挟まったことから乗客が車掌室に行くことができなくなったため、インターホンが設置された。残りの編成は従来どおりの電源車を連結していた。このラウンジカー(SIVありがスハ25形300番台、SIVなしがオハ25形300番台。オハ25 303はSIV取り付け改造が行われスハ25 303)はオハ12からの改造車で、冷房装置や車端部の窓などに種車の特徴が窺えた。1998年の「サンライズ瀬戸」運転開始に伴い、2本が余剰となったため、電源車とオハ25形300番台が廃車となった。
[編集] 廃止時点の停車駅
- ●:停車。
- ↓・↑:通過(矢印方向に運行)。
- ※:臨時停車。(但し、品川駅の場合、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。)
- (運):運転停車。
駅名\運行方向 | 下り | 上り |
---|---|---|
東京駅 | ● | ● |
品川駅 | (※) | (※) |
横浜駅 | ● | ● |
熱海駅 | ● | ● |
静岡駅 | ● | ● |
浜松駅 | ● | ↑ |
名古屋駅 | ● | (運) |
米原駅 | (運) | (運) |
大阪駅 | ↓ | ● |
姫路駅 | ↓ | ● |
岡山駅 | ● | ● |
倉敷駅 | ↓ | ● |
新倉敷駅 | ↓ | ● |
福山駅 | ● | ● |
尾道駅 | ● | ● |
三原駅 | ● | ● |
西条駅 | ● | ● |
広島駅 | ● | ● |
宮島口駅 | ● | ● |
岩国駅 | ● | ● |
柳井駅 | ● | ● |
光駅 | ● | ● |
徳山駅 | ● | ● |
防府駅 | ● | ● |
新山口駅 | ● | ● |
宇部駅 | ● | ● |
下関駅 | ● | ● |