CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
SITEMAP
Audiobooks by Valerio Di Stefano: Single Download - Complete Download [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Alphabetical Download  [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Download Instructions

Make a donation: IBAN: IT36M0708677020000000008016 - BIC/SWIFT:  ICRAITRRU60 - VALERIO DI STEFANO or
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
横山やすし - Wikipedia

横山やすし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横山 やすしよこやま やすし1944年3月18日-1996年1月21日)は、かつて吉本興業・大阪本社に所属していた漫才師タレント。本名は木村 雄二きむら ゆうじ)。身長163cm。(←本人談)

目次

[編集] 来歴・生涯

[編集] 人物

高知県宿毛市沖ノ島出身。大阪府堺市堺区に育つ。愛称は「やっさん」。結婚歴2回、離婚歴1回のバツイチ。俳優木村一八は長男。漫才師さゆみ・ひかり木村ひかりは次女(この二人は異母兄妹)。長女がいるが一般人の為、殆ど公開されていない。 西川きよしとのコンビでの漫才は、漫才ブームの到来と共に記録的な人気を博し「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。親友に、中学時代の同級生で競艇選手(現選手会長)の野中和夫がいる。顔がミッキーマウスと師匠の横山ノックの漫画トリオ時代の仲間の上岡龍太郎に似ている。

[編集] 天才少年漫才師誕生

少年時代から、ラジオの素人参加番組『漫才教室』(ABCラジオ)で才能を発揮。1959年堺市立旭中学校卒業後、松竹新演芸(現在の松竹芸能)に入社。漫才作家秋田實の門下に入り、芸能界のしきたりから漫才台本の書き方を教わりながら、堺伸スケの名で同級生の堺正スケこと岡田好弘とのコンビで少年漫才師として、その年の5月に角座でデビュー。当時のマスコミも「天才少年漫才師誕生!」と書きたてた。しかし、ネタが中学時代の思い出話がメインだった為か、それが裏目となり、人気も次第に衰退し、相方の岡田が辞めたいと言い出した為、1961年にコンビ解消する。

[編集] 横山ノックに弟子入りし、「横山やすし」へ

相方の廃業後、見兼ねた横山ノックから「コンビ別れをしたんか。いっぺん遊びに来い。」と誘われ、また、やすし本人も横山エンタツをもっとも評価し、エンタツより続く漫才の名門屋号・「横山」姓への憧れがあったことから、改めてノックに弟子入り、「横山やすし」となると同時に吉本興業に移籍(秋田に弟子入りすると了解済み)。厳しい修行だったが、ノックからの指示を完璧にこなした。

[編集] やすきよ結成と最愛の父の死と最初の過ち

数回のコンビ結成~解消を経て西川きよしと1966年に「やすしきよし」のコンビ名でデビューする。過去の漫才の相方は、弟弟子の横山プリンレツゴー三匹の正児(いずれも芸名は横山たかし)。そんな絶頂の時、悲劇が起こる。

1969年11月、最愛の父である庄吉が南海高野線中百舌鳥駅の踏切を渡ろうとした時に列車にはねられ、その7日後に、意識が戻ること無く他界した。その10日後に長男・一八が誕生。父に息子を見せて上げたかったが、かなう事が出来なかった。更に翌年に、事件を起こしてしまう。

1970年タクシー運転手に対する傷害と無免許運転事件の影響で長期の謹慎処分を受ける。同時に最初の妻と離婚。その後の、自らのライフワークであるモーターボート(競艇)の全日本K400選手権大会(アマチュア)に優勝したことで、当時「病気療養中」とマスコミには会見していたやすしのマネージャーだった木村政雄(元吉本興業常務取締役)に対する非難があったという話など、通常なら恥晒しとされる話が武勇伝として語り継がれているのも彼の特徴である。

[編集] 競艇選手の夢

数回のコンビ別れを繰り返していた当時、一度引退を考え競艇選手になろうと決意し受験したが、視力が低かったため不合格になり、父の庄吉にも反対され、友人の野中和夫を口説いて競艇学校に通わせて競艇選手にさせ、自分の夢を友人に託したという逸話がある。しかし、笹川良一から特別にアマチュアボート選手のライセンスが交付されている。また、娘のひかりも父に競艇選手になれと勧められて、競艇選手の受験を受けようとしたが、父と同じ視力が低かった為、断念した逸話もある。

[編集] 現夫人との再婚・愛娘ひかりの誕生

1975年3月に3歳年下の啓子夫人(余談ではあるが本人もバツイチ)と再婚し、大鳥大社堺市西区)で挙式を挙げた。そして、1980年10月に二人の間に愛娘、光(次女)が誕生した。やすしもその時、娘に対して誕生の喜びを色紙に書いた。現在もその色紙は大切に保管されている。

[編集] 相方の参議院選出馬と度重なるトラブル

1983年には日本テレビ久米宏のTVスクランブル』のコメンテーターとしてレギュラー出演していたが、に酔っ払いながら生放送に出演したのみならず暴言を発したことで問題になったこともあった。また「今日は黙秘権」と一言発すると放送中全く喋らなかったことも。しかし、1984年10月に番組のすっぽかしをやってしまい降板させられ、吉本からは無期限謹慎処分も受ける。

1986年に相方・西川きよしが参議院選挙に出馬し、見事当選。そして当選後に行われた『復活漫才』を以て「やすし・きよし」は活動を事実上停止する事となった。やすしは、きよしの政界進出を"裏切り"と反発していたと伝えられる。その反動が大きく、度重なるトラブルを起こし、タレントとしての生命も徐々に薄れて行く。

1988年『スター爆笑Q&A』(よみうりテレビ製作 日テレ系)で酒気帯び出演をし、同じ司会の桂文珍山田邦子の制止を振り切り、ゲストの片岡鶴太郎らに食ってかかった。見兼ねた当時のマネージャーの大谷由里子(旧姓:松岡)が激怒し、やすしを舞台裏でビンタをした事も有名である。この事件が原因で番組を降板する。その年の11月、長男の木村一八がタクシー運転手に対する傷害事件を起こし、その引責で無期限謹慎を自ら申し出る。

[編集] 芸能界復帰と吉本解雇・事実上の芸能界追放

年が明けた1989年3月、芸能界に復帰。きよしが司会の『すてきな出逢い いい朝8時』(MBS制作 TBS系)にゲスト出演。きよしから「今度こそ、心を入れ替えてがんばりや。みんなに見捨てられるで」と言われ、「今度こそ心を入れ替えて頑張ります」と宣言。この時、既に吉本から「今度不祥事を起こした場合は解雇する」と最後通告を受けていた。

しかし、それを通告されていたにも関わらず、わずか1ヶ月後、やすしが芸人として更にタレントとしての生命を落とす決定的な不祥事を起こしてしまう。同年4月、飲酒運転によるバイクとの人身事故を起こして、バイクに乗っていた男性に怪我を負わせてしまった。被害者の男性は逆に「こんな時に大変やったなぁ。」と慰めたと言う。警察の取調べの結果、アルコールが検出された。その知らせを受けた吉本興業は、やすしを解雇した。実は、やすしが事故直前にゲスト出演していたラジオ大阪の「入川保則の日産さわやか文庫」の収録中にウイスキーを飲んでいた事やホテルプラザで前日宿泊時から飲酒していたとラジオ大阪の番組スタッフの証言で明らかになった。やすしは多くの報道陣に対し「やめる、もう漫才やめる」と号泣しながら話した。

当時、吉本の社員で解雇を言い渡した木村政雄は、報道陣からの「堪忍袋の緒が切れたのか?」の問いに「そうですね。我々のフォローもとっくに超えている。これ以上、騒ぎを起こされたら会社の姿勢も疑われる」と真剣な表情でコメントをした。また、やすしが様々なトラブルを起こしたときかばい続けてきた会長の林正之助は報道陣からの問いで「やすしは、問題ばっかり起こし続けるので、反省の色がない。これ以上、面倒見切れんし、世間も許さんでしょう。」と匙を投げた格好でコメントした。また、師匠のノックは「酒を止めてくれれば良かったのになぁ」と淡々とした表情でコメントした。解雇されたのを聞いた西川きよしは「もう、殴ってやりたい。男として、これ以上あの人に情けを掛ける事は出来ませんし、二度とコンビは組みたくありません。」と厳しいながら悔しさを露わにしていた。

やすしが吉本を解雇されたのに伴い「やすし・きよし」は事実上解散となる。また、松竹芸能渡辺プロダクション等のほかのプロダクションも獲得の意向がなく、芸能界を事実上追放される。さらに吉本からは、一八が傷害事件を起こした時に立て替えられていた賠償金の7000万円も請求された。

やすしの解雇は、「アンチやすし派」でもある中邨秀雄(当時は副社長)、林裕章(当時は専務)らと木村が話し合って決め、それを会長の林正之助に決断を仰いだ所「しょうがないやろうな。」との一言であっさりと決定したと言う。解雇通知書を発行したのも林裕章である。

解雇された10日後に木村から「お話したい事がありますんで、会社まできて下さい。」と言われ、奥さんの啓子さんと共に吉本を訪れ、木村から「契約関係を解消します。」と通告され、やすしは最初は詰め寄ったが、木村が言葉を足して「本日を持ってうち(吉本)のタレントではなくなりましたから。」と通告をし、やすしは聞き入れた。会長の林正之助は、当日、体調不良で出社していなかった為、やすしは、林に詫びる事が出来なかった。

[編集] 解雇後と林会長の死

解雇後は、寂しさを紛らわす為に知人に会ったり、競艇場へ行ったり、次女ひかりの小学校の運動会に参観する等の生活をしていた。同時に中学時代の同級生だった阪田教輝が社長を務める阪田エージェンシーへ移籍。しかし1989年の夏には赤穂市のホテルで従業員が出した紙のおしぼりに激怒してビンタし、更に船を出せと喚くトラブルを起こした。その件で木村政雄は「既に解雇された芸人なんで、当社には一切関係がない事。これで、完全に復帰は無理でしょうね。まぁ、あんな漫才師がおったと言う思い出にすんのがええんとちゃいますか」と他人行儀なコメントをした。そして、2年後、やすしにとって、悲しい事が起こる。

1991年4月、度重なるトラブルをかばい続けてきた会長の林正之助が死去、社葬にやすしは一般人として参列した。しかし、きよしと三枝が舞台で思い出話をしている場面を見た瞬間、泣き出して会場を後にしてしまった。それ以来、二度と吉本の敷居を跨ぐ事はなかった。

[編集] 挫折した断酒

1990年に芸人仲間の若井ぼん(若井はんじ・けんじの弟子)・今宮エビス(芦屋雁之助の弟子)が音頭を取り、三重県鳥羽市の断酒修行が出来る旅館へ、やすしを3ヶ月間断酒修行に行かせたが、わずか2週間で挫折した。大阪へ帰阪する時に今宮エビスが同伴したが、エビス本人はその時点で、もうやすしを怒る気もなかった。そして「みんな潰したるから。本当にお世話になりました。ぼんちゃん・エビっちゃんありがとう。やすしより」とメモに書き残していった。エビスは「この手紙に、落ち目になった恨み辛みがあったんでしょう。酒を止める事が出来なかったのは、やっぱり意志が弱かったやと思います」と淡々とした表情でコメント。おそらく、断酒が出来ていれば、やすしはもっと長生きしていたであろう。尚、そのメモは、現在もエビス本人が保管している。

[編集] 芸能界復帰・参議院選挙出馬・謎の暴行事件ほか

1991年内田裕也主演の「魚からダイオキシン」で芸能界に復帰。活動の場をVシネマ等に移す。学歴詐称によって参議院議員を辞職し、芸能界からも干されたタレント・新間正次(民社党)と漫才コンビを組んだこともあった。 1992年参議院選挙比例代表区に風の会から立候補するも落選。直後の会見では「この党に投票しなかった国民は、アホや! ドアホや!」と吐き捨てた。その後、謎の暴行事件(犯人も襲われた理由も不明)を受けて重傷を負い表舞台からはすっかり身を引いてしまった。この暴行事件でやすしは失語症となるが、驚異の回復力で復活をする。

1993年に「やすしを囲む会」を開いて、知人を含め100人は出席した。しかし、きよしと三枝らの旧知の芸人も招待していたが、吉本興業からの圧力で彼らは出席出来なかった。

その後、1995年7月京都府八幡市石清水八幡宮での太鼓まつりのゲストとして、元気な姿を見せていた。

[編集] 晩年、そして死

1994年頃から、腹水が溜まるなど体調が悪化。肝硬変と診断され入院したが、急に夜中にナースコールで「(俺の腹の)水抜けぇ!」とわめいたり無断退院したりとトラブルを起こした。さらに酒も飲み続けた。そして1996年1月21日に、自宅で寝たまま意識を失い、救急車で病院に運ばれたが、既に心臓が停止しており、意識が戻ることなく急逝。享年51歳。 最後の言葉は妻の啓子さんと娘のひかりに対して「水を欲しい」と「ちょっと調子がおかしいから、病院に行かんとあかんなぁ。」と「明日病院に行くわ。」であった。
亡くなった病院の医師から自宅で亡くなっていたと診断された為、遺体は高槻市にある大阪医科大学行政解剖された。解剖の結果、死因はアルコール性肝硬変と判明、更に血液からもアルコールが検出された。亡くなる前日、大量にビールを飲んで、吐き出し、妻の啓子さんが病院へ見てもらおうと思った矢先だった。亡くなった翌日、関西のマスコミは元より全国に衝撃が走り、亡くなった翌日の早朝から多くの報道陣が自宅の前に集まり、ビートたけしら多くの芸能人・芸能関係者が弔問に訪れた。また、亡くなった翌日のスポーツ紙の見出しには、自宅の前にビール缶が多く入ったごみ袋が写っており、亡くなる前日まで、ビールを多量に飲んでいた事が弱っていた肝機能を急激に低下させ、急死に至った原因であったことが裏付けられた。


やすしは1986年徳島で仕事中に吐血し、医師から「このまま飲み続けたら10年で死にますよ」と酒を飲むのを止める様に宣告されていたが、10年後にそれが現実になってしまった。
若手の頃に可愛がってもらった宮川大助・花子うめだ花月シアターで訃報を聞き、漫才している最中にやすしの事を思い出して泣き出し、観客もほぼ全員が号泣し、やすしの死を偲んだ。また、木村政雄は「静かに休んで欲しい」と淡々とした表情でコメントをし、報道陣からの「賠償金の支払いは今後どうなるか?」の問いに「亡くなった方から取り立てる訳にはいかんので」と残りの賠償金支払いを免除すると述べ、のち正式に免除された。当時吉本の専務だった林裕章は「人の話を聞かんから、こうなった」と真剣な表情でコメントした。また、師匠の横山ノックは、やすしの遺体が安置された摂津警察署へ訪れ、悲しみの対面をし「最後まで警察の厄介になりよって・・」と泣きながらコメントをした。横山ノックの弟子としての姿を見ていた上岡龍太郎(当時は横山パンチ)は「僕には漫才の天才少年、木村君としての姿しか思い出されません」とやすしが輝いた時代への評価と晩年の不遇を惜しむ発言をした。
これらの経緯からすると吉本を解雇されて以降、特に晩年は、やすし自身の人生は不遇で終わったといえる。現在でもやすきよのファンや一部の関係者の間でも「あの時、酒をやめれば復帰出来るチャンスがあったのでは?」等の賛否両論の声がある。

[編集] 最後の別れ

大阪府吹田市の葬儀場で行われた葬儀・告別式では、多くの芸能タレント・吉本芸人・芸能関係者、ファンの総勢2000人以上が参列した。やすしの相方だった西川きよしが「ゆっくりしいや、ゆっくり休んでや」と泣き崩れながら弔辞を読み上げた。また師匠の横山ノックも「君の芸は師匠の僕をとっくに追い越していたよ。やすきよの漫才は漫画トリオをとっくに追い越していたよ。」と弔辞を読み上げた。出棺の時、ファンからは「やっさん!!」「やっさんありがとう!!」と声が上り、最後のお別れをした。同年3月24日、故人の遺志で、愛艇を置いた宮島競艇場で「散骨の儀」が行われ船上から散骨された。

[編集] 受け継がれる芸風とものまね

現在、生前からやすしのものまねをしていた大平サブローが、西川きよしと「新やすし・きよし」を結成している。

近年、生前のその芸を「天才漫才師」と崇めたテレビ特番が多く組まれている。(後述#横山やすしを演じた俳優参照)

[編集] 最後の破滅型芸人

やすしの人気絶頂期は、既に些細なスキャンダルもお茶の間に露出してしまうテレビ時代になっており、破天荒な生き方を「ネタの肥やし」と正当化するような、旧来の芸人が常套手段とした言い訳は通用しない時代に入っていた。前述で書かれた数々のトラブルはあくまでネタである、というスタンスを貫こうとしたやすしは、この時代の流れに最後まで抗おうとしていた懐古主義者だったと見ることができる。これらの事象を総括した形で彼への尊敬と後輩芸人への訓戒の意をもって「最後の破滅型芸人」と称される事もある。また、毒舌も短気な性格も上岡龍太郎やしきたかじん初代・桂春団治に通じるものがある。

[編集] ギャグ

  • 毎度!横山や!
  • 怒るでしかし
  • メガネ、メガネ …(眼鏡を探す時に言う。)
  • 正味の話が!
  • かわりべんたん、かわりべんたん(かわりばんこの代わりにこの語を好んで使う)

[編集] 出演番組

[編集] やすしきよしとしての出演番組

初期のみ出演、後に西川きよし単独司会に。
やすしはタモリと司会を担当。きよしはレギュラーメンバー。
初期のみ出演、後に笑福亭仁鶴ときよしの司会に。
後にきよしが参議院選挙出馬のため降板、桂文珍がきよしの後任を務め、やすし1人で出演していたが、後に降板。
きよしは司会、やすしはレギュラー回答者。

ほか。

[編集] やすし単独の出演番組

[編集] 映画

  • 唐獅子株式会社
  • ビッグマグナム黒岩先生
主演。木村一八も生徒役で出演。エンディングのスタッフロールのバックに流れていた映像は愛機・月光号の飛行シーン。
矢吹金造役。萬田銀次郎の師匠、先生である。
  • 『フライング 飛翔』 監督脚本曽根中生企画・横山やすし、 東映=東映クラシックフィルム 1988年 (横山やすしの役として本人)

[編集] テレビCM

[編集] レコード

  • 人生はタタカイやで(1983年、東芝パソピア7」イメージソング)
  • 俺は浪花の漫才師(1988年)

[編集] 所属事務所

松竹新演芸(現・松竹芸能)→吉本興業→阪田エージェンシー。

[編集] 弟子・付き人

横山たかし・ひろし横山ひとし、佐野隆仁(付き人)但し、たかしは3代目。

[編集] 逸話

[編集] スパルタ育成

ほとんど弟子を取らないきよしに対し、やすしは生涯に20数人の弟子を取っていた。しかし弟子に対して理不尽な暴君であったのは有名で、一人前の芸人として生き残った弟子は "たかし" と "ひろし" と "ひとし" だけである。中でもひとしは、やすしの最後の弟子である。きよしの弟子の西川のりおと競艇選手の佐野隆仁も付き人として修行していた。

弟子に対する扱いの例を挙げると「師匠の前で食事をする時は早食い」「車を運転する時はレーサー並みの速さを要求」など。また、ほんの一瞬でもミスした場合や失態した場合は鉄拳や蹴りが飛び、同じミスを犯せば即刻破門にするなどのスパルタ育成ぶりだった。これは、将来何事にも一着を取って一人前の芸人になってもらいたい思いがあったためであると説明されているが、本人が度々警察沙汰になることを起こしたり最終的に吉本を解雇されたことを考えると、身勝手な言い訳の感は否めず、何の説得力もない。

横山ノックの門下時代、師匠に対しては要領が良く、師匠に誉められていたと言う。また、師匠や漫画トリオ時代の上岡龍太郎、青芝フックにも気配りをしており、上岡と青芝からも絶賛を受けた。その完璧主義ぶりがスパルタ育成を生み出す由縁となった。後にオール巨人チャーリー浜中田カウスも同じ手法を取り入れる事になる。

粗相をした人に対して暴力を振るうことが多く、一度はハンガーで頭を殴りつけたため血が噴き出してしまったことがあり、当時の芸人さんは「やっさんにハンガーで殴られハンガーが突き刺さってハンガーがプロペラみたいにクルクル回って飛んでった!」とドラえもんタケコプター状態といった笑い話になったこともある。

また、スタッフに回し蹴りを決めようとしたが相手が空手の有段者で難なく受けられてしまい、「今日はこの辺にしといたる!」という新喜劇のコントのような結果になったこともある。

[編集] 大平サブローの物まね

横山やすしの物真似は、吉本興業の後輩・大平サブローがするものが最も有名。サブローのものは、生前のやすし本人から公認されており、子供達に「俺が死んだらこいつを頼れ。こいつが第二の父親だ。」と言わせるほどだった。物真似歴の年数はやすしの芸歴年数を上回ったという(サブローは中学生の頃からやすしのものまねをしている)。2004年に発表されたパチンコCR横山やすし伝説』でやすしの声を担当した他、キッコーマン焼肉のタレ「我が家は焼肉屋さん」のテレビCMではサブローがやすしに扮して出演した。関西ローカルでは、NTTドコモ関西の携帯料金のCMの声も担当していた。これらが話題と評判を呼んだことから、西川きよしとともに『新やすし・きよし』を結成するなどサブローは自ら“平成のやっさん”と称している。因みに、大平シローが西川きよしの物真似をし「サブロー・シロー」時代に『オレたちひょうきん族』ではよく物真似のコンビ漫才をしていた。

[編集] 松本人志の物真似とその後の確執

フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』の1コーナーに、松本人志が横山やすしに扮したコント「やすしくん」があった。松本の物真似に、やすし本人は怒っていた。特に「やすしくん」が朝食を作るコント(ガス・水道・電気・電話が滞納で止められたという設定)では、やすし本人の経験をパロディ化されたとして、やすしは松本に対し謝罪を求めた。奇しくもやすしが亡くなった日(1996年1月21日)にも「やすしくん」は放映されていた。しかもその前週放送された内容は、「飛行機を操縦していて操縦桿が外れたりするなどのトラブルになった後、『日本一の漫才師、死ぬ!』と言って飛行機から飛び降りる」というものであった。(横山やすし自身もセスナ機を持っていた)もちろん偶然が重なった事とはいえ、この事態には松本への批判が集中。やすしの死後、長男の木村一八が松本に紙面において謝罪を求める(週刊文春に木村一八の「松本人志よ、あやまらんかい!!」というインタビューが掲載され、全国紙に大きくこの号の見出しが取り上げられた。)。しかし、松本はこれを一切無視し、一言も謝らなかった。木村一八が謝罪を求めたという報道に対し、松本は「あんなもんウソ、まるで自分がやっさんを殺したように言われる」と挑発的な発言をした。フジテレビ側は事態混乱を抑えるため、横山やすしが亡くなった次の週から「やすしくん」コントを打ち切る事にした、この対応に松本はフジテレビが勝手に自分のコーナーを打ち切った事に、不快感を感じフジテレビと確執が生まれ、後の同番組の打ち切りへ向かう。

この背景には、松本が相方の浜田雅功とライト兄弟(ダウンタウンの前名)時代に出演した『ザ・テレビ演芸』で「家庭内暴力の報道が少なくていいな」という浜田に対する松本の「どこがええねん、親を甘やかしたら駄目ですよ、親なんか子供が本気出せばすぐに殺せるということを教えとかな、あいつらに」と言ったネタと、やすしが尊敬するライト兄弟の名前を名乗っていた事が気に入らずやすしが激怒し(激怒というほどではなく諭すような口調だった)「お前らはなめとんのか! そんなもん漫才やない! チンピラの立ち話やないか!親をけなしたり、それはテレビで言うような漫才ちゃうやん。チンピラが立ち話しでもしとんのか!」と言い放ったことを、約10年後に出版された自らの著書に「たまたま聞いたチンピラの立ち話が面白かった、(漫才というものは)それでええやないか。何が悪い。」「あの時やすしを殴っとけばよかった」と書くほど相当な憤りを持っていた様子が伺えるため、両者のお笑いに対するスタンスの違いが後々まで尾を引いていたものと推測される。

番組終了後、気が済まないやすしは二人に対して説教を行った。「お前らは、どこの事務所じゃ?」と聞くと、二人は吉本と言った。それに激昴したやすしは「何?吉本?辞め!辞め!消えてなくなれ!」と二人に引退勧告をし、更に「何がライト兄弟じゃ!しょうむない名前付けやがって!出直してこい!ボケ!」と吐き捨てた。

説教後、当時、東京事務所(現在は東京本社)所長だった木村政雄は、部下の大崎洋(現・副社長)と二人を呼び「あれは横山流の漫才に対する価値観であって、そこから外れとるから悪いんやない。」と慰めた。

やすしがダウンタウンを叱った原因は、単なる好き嫌いだけではなく、当時のダウンタウンの芸やネタのレベルが低かったことである可能性も高い。「ザ・テレビ演芸」には糸井重里等の審査員も何人か登場するのだが、審査員も当時のダウンタウン(ライト兄弟)の芸に対し、ことごとく否定的なコメントを述べている。もっとも、やすしの怒りが余りに激しかったため、審査員がやすしに反対するような意見を言いづらくなり、ダウンタウン(ライト兄弟)に辛い評価を与えるしかなくなったのではないかという意見もある。

やすしと松本の関連については、松本とビートたけしとの対談『コマネチ』Vol.2(新潮45別冊)に詳しい。

松本は吉本の中でも「アンチやすし派」(社長だった中邨秀雄も専務だった林裕章もその中に入る。)の一人でもあった為、やすしに相当恨みを持っていた(ただ、番組にはいずれやすし本人を招く予定でいたという。実現していれば、やすしに現在の立ち位置を再確認させ、再出発の糸口にできたのではと評価する意見もある)。

なお横山やすしの葬儀にダウンタウンは「仕事多忙を理由に欠席」した。

[編集] 若手芸人との確執

NSC出身者などの、弟子経験のない芸人に対して否定的であった。また、彼らが思い思いに付ける芸名、コンビ名も気に入らなかったようである。前述のダウンタウンとの諍いもネタの内容に加え、当時彼らが名乗っていた芸名「ライト兄弟」が無類の飛行機好きである自身の尊敬する人物を(彼から見れば)安易に芸名に使っていたことが許せなかったようである。(※ダウンタウンにしてみれば飛行機好きのやすしに気に入られようとしてこの芸名にしたようである。)「ひょうきん予備校」に講師役として出演した際も生徒役の非常階段に「こんなしょうもないコンビ名、さっさと変えろ!」などと怒鳴り散らしていた。

[編集] 煙草嫌い

煙草嫌いでも有名であり、楽屋で煙草を吸っている芸人や、飲みに行った先でも近くで吸っている人が居れば取り上げ、足で消して「吸うな!」と一喝したという。ただ、喫煙者が前もって吸ってもいいかと訊けば「構へんよ」と言っていた。

久米宏のTVスクランブル』で嫌煙権の話題が(否定的に)取り上げられた際、司会の久米宏が薄笑いを浮かべながら、やすしの顔面にタバコの煙を吐きかけたことがある。当時(1980年代初頭)の日本は嫌煙権が社会的に話題になり始めたばかりの時期であり、愛煙家には危機感のない時期だった。愛煙家の久米は、煙草嫌いの人間への揶揄のニュアンスで前記の行動を取ったと思われる。やすしは久米の余りにも失礼な態度に対し、「あんた、わしの弟子やったら大変よ」と言うにとどめた。

横山やすしの代表的な主演映画『唐獅子株式会社』では、月亭八方がやすしのタバコ嫌いのために出演不可となっている。以前、やすしとタバコの件でもめているからである。(原作者・小林信彦の著書による)

[編集] 追い詰めたのは久米宏?

後に木村政雄は「やすしさんが酒を飲んで仕事をするようになったのは、久米さんと仕事をするようになって以降。久米さんに精神的に飲まれないようにするためだった」という意味の発言をしている。やすしは豪放なイメージと裏腹に小心な面もあったと言われ、大卒の知性派で、身長178cmと身体も大きく、人気実力ともに定評のあった久米に対し、何らかのコンプレックスを感じていた可能性が高いと見る向きもある。久米もそれを見透かしたかのような態度を見せる瞬間があり(上記のタバコ吹きかけ等)、木村の話にも納得できる点があるかも知れない。

なお「TVスクランブル」にやすしが起用されたのは、司会者である久米が熱望したためだったと言われている。噛み合いそうもない強烈な個性をあえて相方に選んだ久米の判断力と度量に対し、やすしは最初から飲まれてしまっていたという意見もある。ああ

[編集] 最初で最後の共演

とんねるずとは『うちの子にかぎってパート2』の第2話で共演したが、それが最初で最後の共演であった。また、同い年の田村正和関口宏とも最初で最後の共演した。特に田村とのやり取りは絶品であり、名シーンとしても有名。

[編集] 破天荒な金遣いの荒さ

年収は1億円あったが、初代桂春團治と藤山寛美の様に金使いも荒かった。ボートセスナ機購入等で借金が膨らみ差し押さえを受けたこともあった。セスナ機には娘の「ひかり」にちなんで「月光号」と名付け、テレビ・雑誌等の取材に「死ぬときはこれで、落ちたるねん。要するに空飛ぶ棺桶やがな」と自慢げに話し大爆笑させた。そのセスナ機も結局借金が膨らみ手放す事になり『新伍のお待ちどうさま』(TBS系)にゲスト出演した時に公開オークションに掛けたりもした(実際には、そこで売れたのか他で売れたのかは不明)。やすし自身が金使いが荒かったのは、春團治と寛美の魅力に惚れたからであろう(後にやしきたかじんも魅力に惚れる事になる。)。家族へは、月に30万円しか入れていなかったという。

その反面、居酒屋で「本当は今日飲みたくないんや」と呟いた時でも、後輩やスタッフがその居酒屋に入ってきた途端いつもの調子で「はよ酒もってこい!」と叫んでいたという話もあるなど、「横山やすし」というキャラクターを守る為に普段でも舞台と同じキャラクターになろうとしていた節がある。

[編集] 恐怖の時計鍋伝説

やすしは、自宅で数人と酒席を開いた時に、先に帰って行く人間を極度に嫌った。中でも自分より若い人間が腕時計を見た瞬間をやすしが目撃すると、その腕時計を取り上げた上、鍋の中に入れて故障させ二度と使えない様にしてしまったとされる「恐怖の時計鍋」と言う伝説があった。その伝説は、死後、追悼特番等で明らかにされ、度肝を抜いた。

この様な伝説が生まれた背景には、やすし自身の幼い頃の嫌な体験があった事にある。両親が共働きであった為に、やすし自身が夕食を自分で作っていた為、それの辛さを紛らわす為、若い人間に対して当たり散らす目的で起こした行動である説もある。

[編集] 師匠に暴言

師匠のノックら<横山会>(エンタツ以来の横山姓の一門会)が中田ダイマル・ラケットのテレビ出演を見ていた時、ノックらは「さすがにダイラケ先生も衰えたなあ」と語っていたところ、やすしが激怒し、「誰や!今ダイラケ先生が衰えたなあと言うたんは?」と怒鳴りだし、なだめようとしたノックに対して「お前か!このハゲ!ダイラケ先生の悪口言う奴は許さんぞ!ボケ!」と暴言を吐き、巷間でも語り継がれた。やすしがダイマルを尊敬していたからであるが、どうやら呑んでいたらしい。幸い破門は免れた。

[編集] マラソンと陸上競技

マラソン陸上競技にも造詣を持ち、意外と健脚の持ち主でありアスリートでもあった。当時堺に住んでいた自宅からうめだ花月の道のりを走っていた事は有名。リレーでも上位を競う程、速かった。

[編集] 横山やすしを演じた俳優

横山やすしの生涯は、何度かテレビドラマ化されている。

  • 北村一輝航跡~横山やすしフルスロットル~』2004年)・『横山やすしフルスロットル~阿波鳴門純愛物語~』(2005年)(いずれも関西テレビ(当初は木村一八が父・やすし役を演じることになっていたが降板))=アマチュア競艇選手としてのやすしを描く(関西ローカルで放送)。・・・・・・※ポニーキャニオンからDVD化され、全国で発売されている。

[編集] 著書

  • 『まいど!横山です ど根性漫才記』 (徳間書店 ISBN 4-19-597219-1
ゴーストライターを使っていない本人の執筆。小林信彦は「そのために読みにくいが異様な迫力が生れる」(『天才伝説 横山やすし』序章)と評している。

[編集] 参考文献

Static Wikipedia 2008 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2007 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2006 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Sub-domains

CDRoms - Magnatune - Librivox - Liber Liber - Encyclopaedia Britannica - Project Gutenberg - Wikipedia 2008 - Wikipedia 2007 - Wikipedia 2006 -

Other Domains

https://www.classicistranieri.it - https://www.ebooksgratis.com - https://www.gutenbergaustralia.com - https://www.englishwikipedia.com - https://www.wikipediazim.com - https://www.wikisourcezim.com - https://www.projectgutenberg.net - https://www.projectgutenberg.es - https://www.radioascolto.com - https://www.debitoformtivo.it - https://www.wikipediaforschools.org - https://www.projectgutenbergzim.com