素人名人会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
素人名人会(しろうとめいじんかい)は毎日放送のラジオ時代から、テレビ開局当初の1960年5月8日から2002年3月17日にかけて、主に日曜日に放送された素人参加型の演芸公開番組。
目次 |
[編集] 概要
[編集] ラジオからテレビへ
元々は、ラジオ時代から放送されていた番組である。1975年3月のネット変更前は、名古屋テレビ等西日本のANN系列各局、JNN系列へネット変更後は山陽放送にもネットされていた(土曜13時から放送されていたが日曜16時台になり、その後不定期放送を経て自然消滅の形で末期の時点でネット離脱。レギュラー放送の頃も半年遅れだった)。
ラジオ時代は、現在の大阪・梅田の阪急百貨店の屋上にあったラジオスタジオを会場に。後に、うめだ花月(一時期は月に一度の割合で京都花月から中継されることもあった)、同閉館後はなんばグランド花月へと中継場所を移した。
[編集] 司会者
初期の司会は漫談家・西条凡児だったが、1970年(昭和45年)より当時の吉本イチ押し人気漫才コンビ横山やすし・西川きよしが起用されるに至ったものの、程なくして横山やすしがタクシー運転手殴打事件を起こして長期間謹慎の身になってしまったことによりわずか3ヶ月で降板。以降、西川きよし単独で最終回までの司会を務めた(西川の選挙運動中は浜村淳が代理司会)。結果的にはやすし事件が引き金となって、この番組においてのきよし独自のタレント性が発揮され、次第に各局で人気番組を担当するに至った。
[編集] スターへの登竜門
毎回厳しい予選をクリアした10組程度の素人(面白い素人がいない時は、ダウンタウンなどのNSCの研修生も出場していたという)が出場し、歌謡曲、漫才、落語、日本舞踊、民謡、マジックなど幅広いジャンルで日ごろの練習の成果を発揮。賞金3万円のかかった名人賞を目指した。その中で演芸界には桂三枝、笑福亭鶴光、Mr.マリック、オール阪神・巨人、桂南光、海原千里(現・上沼恵美子)・万里、宮川花子、歌手では神野美伽、坂本冬美、アニソン歌手奥井雅美などの有名人を輩出させたスターへの登竜門でもある番組でもある。また毎週お年寄りを中心に会場の観客から選ばれた「飛び入り」も人気を集めた。
[編集] 番組のリニューアル・そして終焉
1999年頃から、特番の乱発(主にJNN系列のゴルフ中継、野球中継等)や、司会の西川きよしが議員活動等のスケジュールで多忙になり、2週おきの放送に激減。2000年4月、桂文枝、大久保怜等の長年番組を支えた審査員が降板、代わって月亭八方、ジョニー広瀬等が審査員となり、オープニングの出演者紹介のテロップ表記の廃止、テロップを手書きタイプから、丸ゴシック帯のフォンドに変更し、出演者紹介時に、似顔絵付きのテロップ紹介にするなどの大幅リニューアルを行ったが、時代の流れには勝てず、2002年3月17日の最終回スペシャルを以って、42年の歴史に幕を閉じた。日本のテレビ放送での演芸公開番組では、42年と言う最長寿記録を誇った(その次が、現在放送中の「笑点」(日テレ系)の40年)。
[編集] 司会
→西川きよし(単独司会)-1970年12月~2002年3月
- 代理:浜村淳-1986年、1992年、1998年の西川の参議院選挙活動中のみ
[編集] 審査員
[編集] 落語・漫才
[編集] 歌謡曲
- 大久保怜
- 中沢寿士
[編集] 舞踊
- 花柳芳兵衛
- 山村楽正
[編集] 小唄
- 小西延女
- 春日とよ子
[編集] 民謡
- 京極利則
[編集] 奇術
- 一陽斎蝶一
- ジョニー広瀬
[編集] 補足など
- 1997年9月までは日曜16:30~17:30の放送だったが、「クイズ絶対コーダ宣言」(司会・板東英二)の終了に伴い、同年10月から最終回まで日曜12:54~13:54に放送された。
- 末期の番組プロデューサーはMBSの青木和雄アナウンサーが務めていた。
- この番組終了後の日曜13時枠は再放送・特別番組枠となり、現在に至る。
毎日放送 日曜16:30~17:30 | ||
---|---|---|
前番組 | 素人名人会 | 次番組 |
? | ? |