冤罪
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冤罪(えんざい)とは、無実であるのに犯罪者として扱われること。無実の罪、ぬれぎぬともいう。
法的には、無実であるのに刑事事件で起訴され有罪判決が確定した場合をいう。この場合には、その後の再審で無罪の判決が出た場合、または、再審請求を行っているか審議中で起訴側の立証に疑問点が多いと主張される場合がある。
なお、一般的には無実であるのに逮捕され被疑者として扱われたり、起訴され刑事裁判を受けたりする場合も冤罪と呼ばれる場合がある。これについては、詳しくは誤認逮捕も参照。
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[編集] 原因
冤罪が生じてしまう原因は多々あるが、古くから問題とされてきたのは捜査機関をはじめとした国家による冤罪である。捜査機関の行き過ぎた見込み捜査や政治的意図などからある人を犯人と仕立て上げてしまう類型である。日本での刑事訴訟法旧法に見られたような裁判における“自白は証拠の王”と見做す考え方が真実の裏づけを後回しにした自白獲得のための取調べを招き、虚偽自白を誘引することによって冤罪が発生する、とされる。特に科学的捜査方法が確立する以前には捜査能力の限界から先入観をもった捜査による冤罪が発生する可能性が高かったが、それ以後も冤罪がなくなったわけではない。
また、捜査機関以外の私人の行為が原因となって冤罪が発生する場合もある。例えば痴漢の被害を受けたかのように装って相手(主に男性)から金銭を得ようとしたり、その社会的評価を貶めようとする事件がそれである。無実の老人に対して突然「泥棒」と叫び、これを警察官などに拘束させておいた隙に逃走するという事件(四日市冤罪事件)も発生している。ちなみにこの老人はその後拘束時の外圧によるショックおよび精神的ショックで亡くなっており「冤罪でした」では済まされない場合も多々ある。
[編集] 冤罪被害
無罪のものが有罪判決を受けた場合には、再審によって無罪が確定されるまで有罪として扱われるため、本人や家族は犯罪者とその家族とのそしりや差別を受けることがままある。
また、逮捕され被疑者として扱われたり、起訴され刑事裁判を受けたりする場合には、有罪判決を受けたわけではないため、法的には無罪の推定が働いている。しかし、マスメディアの発展に伴い、このような場合にも「容疑者」としてセンセーショナルに報道され、あたかも有罪が確定したかのように扱われる、いわゆる冤罪被害が発生するという問題も生じている。これについては、推定無罪・被疑者を参照。
また、インターネットの発達により、全く別人であるのにも関わらず自分の顔写真を犯人であるとして流布させられるという被害も発生している。特に少年事件の場合には顔写真が公開されないのが通常であり、関心が高まる分被害も拡大する。
[編集] 予防と対処
[編集] 冤罪の予防
冤罪を予防するため刑事手続上様々な制度が整備されている。
まず、捜査機関による捜査に一定の歯止めをかけることで冤罪を予防しようという試みがある。日本の場合、日本国憲法および刑事訴訟法における自白法則と補強法則の採用が冤罪防止に一定の役割を果たしている。
- 自白法則とは拷問や脅迫などによって引き出された任意性のない自白は証拠とすることができないという原則(日本国憲法第38条第2項、刑事訴訟法第319条1項)である。また、補強法則は自白を証拠として偏重すると苛烈な取り調べによって虚偽の自白が引き出され、冤罪が発生するおそれがあるため、自白のみによって、若しくは自白に“真犯人しか知り得ない秘密の暴露”が含まれていない限り被告人を有罪とすることは出来ないという原則(日本国憲法第38条第3項、刑事訴訟法第319条第2項)である。
また、起訴された際には予断排除の原則(起訴状一本主義など)により、捜査機関の嫌疑から裁判所を遮断することで、無実のものの有罪判決を防止するための制度設計がなされている。
[編集] 冤罪からの回復手段
また裁判手続を経て有罪判決が出てしまった場合、再審制度によって救済される道が開かれている。法的な意味での冤罪からの回復は、この方法によることが必要である。
また、金銭的な回復手段として、誤認逮捕をされた者は被疑者補償規定による補償、起訴されたが無罪判決を受けた者は日本国憲法第40条を受けて立法された刑事補償法による補償を求めることができる。また、あまりに不当な逮捕や起訴であり、逮捕や起訴が違法である場合には、国家賠償法による損害賠償を求めることができる。
冤罪の原因が私人である場合には不法行為による損害賠償請求という事後的な金銭的救済による対処が主となる。マスメディアによる冤罪被害の場合も基本的に同様であるが、マスメディア自身による救済機関を設けるなどしていることもある。
[編集] 新たな冤罪事件
最近の日本において、軽微な痴漢行為も犯罪であるという一般的認識が確立し、従来は厳重注意・微罪処分で済まされていたものが逮捕・検挙されるケースが増加した。だが、これに伴って、痴漢をしていないのに誤って検挙されるという「痴漢冤罪」の報告が目立つようになった。詳細は痴漢冤罪事件を参照。
[編集] 備忘録
弘前大教授夫人殺し事件のように時効成立後、真犯人が良心の呵責に耐えられず、自首するケースが存在する。しかしながら現在は時効成立後、民事上の損害賠償を請求する訴訟が多発し、真犯人が名乗り出にくい状況になっていることは否めない。
日本では検察官に無罪判決に対する上訴が認められているために、一審で無罪を勝ち取ったとしても検察の上訴が認められてしまうと長い裁判闘争を余儀なくされる場合(例:甲山事件)が多い。中には逆転有罪判決、逆転死刑判決(例:名張毒ぶどう酒事件)を受ける場合もある。
[編集] 主な冤罪事件及び冤罪と疑われている事件
[編集] 日本
- 1908年 - 出歯亀事件(証拠は一時的な自白のみで、真相不明)
- 1910年 - 大逆事件(幸徳事件)
- 1913年 - 吉田岩窟王事件(発生から50年後、再審による無罪判決)
- 1915年 - 加藤老事件(発生から62年後、再審による無罪判決)
- 1928年 - 山本老事件(第三次再審請求棄却)
- 1942年 - 横浜事件(検挙から63年後、再審開始)
- 1944年 - 金森老事件(発生から26年後、再審による無罪判決)
- 1946年 - 榎井村事件(発生から47年後、再審による無罪判決)
- 1946年 - 八丈島事件 (発生から11年後、最高裁で被告全員に無罪判決)
- 1947年 - 福岡事件(発生から29年後、被疑者2人に対し唐突な死刑執行と恩赦)
- 1948年 - 帝銀事件(被疑者は死刑確定後に獄死)
- 1948年 - 幸浦事件(発生から15年後、最高裁で被告全員に無罪判決)
- 1948年 - 免田事件(発生から34年後、再審による無罪判決)
- 1949年 - 松川事件(発生から14年後、最高裁で被告全員に無罪判決)
- 1949年 - 弘前大教授夫人殺し事件(弘前事件)(服役終了後に真犯人が自白し、発生から28年後、再審による無罪判決。証拠は警察の捏造)
~新刑事訴訟法施行~
- 1950年 - 二俣事件(発生から12年後、最高裁から高裁へと差し戻され、無罪判決。証拠は警察の捏造)
- 1950年 - 財田川事件(発生から34年後、再審による無罪判決)
- 1950年 - 小島事件(発生から9年後、最高裁から高裁へと差し戻され、無罪判決。自供は警察のでっちあげ)
- 1950年 - 梅田事件(服役終了後、再審による無罪判決(発生から36年後))
- 1950年 - 牟礼事件(被疑者死亡により公訴棄却)
- 1950年 - 木間ヶ瀬事件(一審では死刑判決だったが、控訴審で無罪判決)
- 1951年 - 八海事件(一旦無罪判決後、高裁に差し戻され、その後最高裁にて再び無罪判決(発生から17年後))
- 1951年~1952年 - 藤本事件(被疑者に死刑執行)
- 1952年 - 菅生事件(発生から6年後に無罪確定。警察が自ら起こした狂言事件の可能性)
- 1952年 - 白鳥事件(服役終了後、異議申し立てを行うが棄却。ただし、冤罪事件の再審において重要な「白鳥決定」の判断が生み出された)
- 1953年 - 徳島ラジオ商殺し事件(発生から32年後、日本初の死後再審無罪判決)
- 1954年 - 赤堀事件(島田事件)(発生から35年後、再審による無罪判決)
- 1954年 - 仁保事件(最高裁から高裁へと差し戻され、無罪判決(発生から18年後))
- 1954年 - 三里塚事件(服役終了後、被疑者死亡により公訴棄却)
- 1955年 - 丸正事件(服役終了後、再審請求を続けたが、被疑者死亡により公訴棄却)
- 1955年 - 松山事件(発生から29年後、再審による無罪判決)
- 1961年 - 名張毒ぶどう酒事件(発生から44年目の2005年に再審開始決定。検察が異議申立て)
- 1963年 - 狭山事件(無罪を訴え、現在も再審請求中。2005年、特別抗告棄却)
- 1963年 - 波崎事件(被疑者死亡により公訴棄却)
- 1966年 - 袴田事件(無罪を訴え、現在特別抗告中)
- 1966年 - 川端町事件(無罪を訴え、現在も再審請求中)
- 1969年 - 鹿児島夫婦殺し事件(高隈事件)(差戻審で無罪判決確定。国家賠償訴訟の最中に被告人は死亡)
- 1967年 - 布川事件(発生から38年目の2005年、再審開始)
- 1967年 - 日産サニー事件(無罪を訴え、現在も再審請求中。1999年、特別抗告棄却)
- 1970年 - 豊橋事件 (1974年6月12日に第一審で無罪判決。その後、確定)
- 1971年 - 三崎事件(無罪を訴え、現在も再審請求中)
- 1972年 - 山中事件(最高裁から高裁へと差し戻され、無罪判決(発生から18年後))
- 1974年 - 甲山事件(発生から25年後、第二次控訴審で無罪)
- 1976年 - 北海道庁爆破事件(無罪を訴え、現在も再審請求中)
- 1979年 - 野田事件(無罪を訴え、現在も再審請求中)
- 1981年 - みどり荘事件(第一審で無期懲役判決、第二審で逆転無罪判決(発生から14年後))
- 1981年 - ロス疑惑(発生から22年後、最高裁で被告に無罪判決。但し同被告は別の容疑で有罪判決を受け服役)
- 1985年 - 草加事件(無罪を訴え、保護処分取り消しを3度申し立てるが退けられる)
- 1989年 - 北方事件(証拠が無いとして地裁で無罪判決(発生から16年後))
- 1990年 - 足利事件 (日弁連が再審支援事件を決定。弁護団が2002年12月25日に弁護団が、宇都宮地裁に再審を請求、受理)
- 1994年 - 松本サリン事件(初め第一通報者が犯人と疑われたが、後に無実であることが判明。逮捕・起訴されていないため、厳密には冤罪ではない)
- 1997年 - 神戸連続児童殺傷事件(警察発表に矛盾や不自然な点が少なくないため、冤罪を主張する人々がいる)
- 1998年 - 宇和島事件(翌99年窃盗・詐欺容疑で逮捕・起訴。00年真犯人の出頭で検察が無罪論告、無罪判決)
- 2000年 - 恵庭OL殺人事件(被告は無実を主張し続けたが有罪確定)
- 2000年 - 筋弛緩剤点滴事件(控訴審で有罪判決、被告は無実を主張し上告中)
- 2002年 - 豊川市男児連れ去り殺人事件(捜査段階での自白の信用性が争点となり、一審で無罪判決)
- 同年 - 『ウルトラマンコスモス』主演者恐喝事件(その後無罪判決)
- 同年 - 御殿場事件
- 2003年 - 鹿児島事件(無罪を訴え、現在特別抗告中。県議選を巡る公選法違反の容疑で自白を強要)
- 2004年 - 四日市ジャスコ誤認逮捕致死事件
- 2005年 - 世田谷ひき逃げ事件(犯人とされた人の友人が真犯人の物証を発見。06年検察が無罪論告、無罪判決)
[編集] 諸国
- 1894年 - ドレフュス事件。発生から12年後に無罪判決。
- 1919年~1920年 - サッコ・バンゼッティ事件。死刑執行から50年後、裁判の不公正が認定。ただし真相は不明。
- 1932年 - チャールズ・リンドバーグの長男誘拐殺人事件。リンドバーグ本人の関与が疑われるが、真相は不明。
- 1949年 - エヴァンス事件。被疑者の死刑執行後、別の真犯人が判明。
- 1950年 - ローゼンバーグ事件。「原爆スパイ」として夫妻が死刑執行された。夫はスパイ行為を働いていたことが後に確認されたが、妻についてはなお冤罪の疑惑が残る。架空の自白をして妻の罪を重くしたことを関係者が2001年に告白。
- 1954年 - サミュエル・シェパード医師事件。映画化されたTVドラマ『逃亡者』のモデルとなった事件。シェパード医師の死後、DNA鑑定により正式に無罪と認定。(en:Sam Sheppard)
- 1961年 - A6殺人事件(ハンラッティ事件)。決定的な証拠も得られぬまま有罪、死刑執行。ただしその後の遺留品のDNA鑑定により犯人であったと断定された。(en:James Hanratty)
- 1966年 - ルービン・カーター事件。発生から19年後に無罪判決。
- 1993年 - ウエスト・メンフィス3事件。
- 1994年 - O・J・シンプソン事件(刑事裁判では無罪判決だが、民事裁判では犯罪行為を認定)
- 2003年 - マイケル・ジャクソン裁判(証拠不十分で無罪判決)
[編集] 冤罪を扱った作品
[編集] 冤罪がテーマの作品
- 映画『真昼の暗黒』(日本、1956年、八海事件がモデル)
- 映画『松川事件』(日本、1961年)
- 映画『日本の黒い夏―冤罪』(日本、2001年、松本サリン事件被害者の書籍から)
- 映画『それでもボクはやってない』(日本、2007年公開予定)
- 映画『出獄』(アメリカ)
- 映画『死刑台のメロディ』(アメリカ、サッコ・バンゼッティ事件)
- 演劇『テレビは何を伝えたか』(松本美須々ヶ丘高校、『日本の黒い夏―冤罪』原作)
- 小説『湿原』(加賀乙彦)
- 小説『13階段』(高野和明)
- エッセイ『ぼくは痴漢じゃない!―冤罪事件643日の記録』(鈴木健夫)
[編集] 冤罪に関連した作品
- 映画『ダブル・ジョパディー』(アメリカ)
- 映画『逃亡者』(アメリカ)
- 小説『霖雨の時計台』(西村寿行)
- 映画『ザ・ハリケーン』(アメリカ、ルービン・カーター事件がモデル)
- 映画『ショーシャンクの空に』(アメリカ)
[編集] 参考文献
- 『冤罪はこうして作られる』(小田中聡樹)
- 『冤罪の構図-やったのはおまえだ』(江川紹子)
- 『魔の時間-六つの冤罪事件』(青地晨)
[編集] 関連する制度(法律)
- 日本国憲法第40条
- 「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」(刑事補償請求権)
- 刑事補償法
- 被疑者補償規定(法務省の訓令:逮捕されて、起訴されなかった場合に適用)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 冤罪事件関係データベース(「ふろむ北海道」内)