帝銀事件
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帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年1月26日に東京都豊島区の帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行)椎名町支店で発生した強盗殺人事件。
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[編集] 概要
[編集] 事件発生
- 1948年1月26日、白衣に「防疫班」の腕章を着用した東京都衛生課員を名乗る男が「近くで赤痢が発生したので予防薬を飲んでもらう」と偽って行員16人に青酸化合物を飲ませて12人を殺害(4人生還)。現金16万円と小切手を奪って逃走した。
- 手口として手本として自分が最初に飲んだり、全員に飲ませるように遅効性の薬品を使用したことや「歯を痛めるため舌を出して飲む」と確実に嚥下させたりと上手い方法であったと言われている。
[編集] 捜査
- 当初は青酸化合物の扱いに熟知した旧陸軍細菌部隊関係者を中心に捜査されていたが、その年の8月21日にテンペラ画家平沢貞通を北海道小樽市で逮捕したが、生存者の証言では可能性が低く不審な点もあった。
- 一説では、旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者の犯行という説もあり、終戦直後部隊から細菌兵器やデータなどを入手した件の発覚を恐れたGHQの圧力があったといわれている。また、事件前に起きた別の銀行の未遂事件の犯人と同一犯と見られ、そのとき犯人が残した名刺を過去にもらった人物を捜査し平沢に行き着いた(名刺の本人にはアリバイが確定した)。
[編集] 判決
- 1955年4月6日に死刑が確定した。しかし、上記の点や証拠とされた平沢の自白も取り調べ時拷問に近かった事や精神疾患によるものと言う疑いもあり、冤罪であるとしてその後何度も再審請求が出された。
- 平沢は獄中で3度の自殺未遂を計った。世間の影響も大きく松本清張などの支援者が釈放運動も行ったが、1987年に八王子医療刑務所95歳で肺炎を患い病死。その後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている。
[編集] 作品
[編集] 小説
この事件を題材にした多くの推理小説が書かれている。
- 「小説帝銀事件」・「日本の黒い霧」松本清張
- 「悪魔が来りて笛を吹く」横溝正史
- 「エラリー・クイーンの国際事件簿」エラリー・クイーン
- 「邪魅の雫」京極夏彦(作中においてこの事件に関わったとされる人物などの記述がある)
[編集] 映画
- 『帝銀事件 死刑囚』(1964年 監督:熊井啓)