名張毒ぶどう酒事件
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名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは1961年に三重県名張市の葛尾(くずお)地区の公民館において起きた毒物混入事件である。中毒により5人が亡くなり「第二の帝銀事件」として騒がれた。容疑者として逮捕された男性は、現在まで無実を主張して係争中である。
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[編集] 事件の経過
1961年3月28日夜、三重県名張市葛尾の公民館分館で、地区の生活改善クラブ「三奈の会」の総会が行われた。この席で女性用に出された白ワインを飲んだ15人が急性中毒の症状を訴え、内5人が亡くなった。
事件発生当初の4月3日、農薬混入の自白をしたとして、「三奈の会」会員の男性が逮捕された。妻と愛人との三角関係を一気に解消しようとした、というのが犯行の動機とされる。しかし男性は、取り調べ途中から犯行否認に転じる。
1964年12月23日、一審の津地方裁判所は、無罪の判決を下す。目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況等と、男性の自白との間に矛盾を認めたためである。検察側は、判決を不服として名古屋高等裁判所に控訴した。
1969年9月10日、二審の名古屋高裁は、一審の判決をくつがえし、死刑の判決を下す。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたが、名古屋高裁は時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした。男性は、判決を不服として最高裁判所に上告した。
1972年6月15日、最高裁は上告を棄却。男性の死刑が確定する。
1974年、1975年、1976年、1977年、1988年、と5次にわたる再審請求はすべて棄却される。1993年に異議申立の棄却、1997年に特別抗告の棄却、同年に第6次再審請求の棄却、1999年に異議申立の棄却、2002年に特別抗告の棄却、同年に第7次再審請求。
2005年4月5日、再審の開始が決定される。王冠を傷つけずに開栓する方法が見つかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT、有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だとわかったこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスが見つかったこと、などを認めたためである。4月8日には、検察が異議申立を行い、現在も再審調査は続いている。
[編集] 関連項目
[編集] 文献
- 青地晨『魔の時間 ―六つの冤罪事件―』社会思想社、1980年
- 江川紹子『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』文芸春秋、1994年4月、ISBN 4163484205
- 田中良彦『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』鳥影社、1998年5月、ISBN 4795229899