波崎事件
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波崎事件(はさきじけん)とは茨城県波崎町(現在は神栖市)で発生した青酸化合物による殺人事件であるが、被疑者として起訴され死刑が確定した人物は、実は冤罪ではないかといわれている事件である。
[編集] 事件の概要
1963年8月26日の深夜、茨城県波崎町の男性(当時35歳)が帰宅後に苦しみだし、搬送先の病院で死亡した。遺体からは青酸化合物が検出され警察は殺人と断定、被疑者として私文書偽造、同行使の容疑で逮捕していた男性(当時46歳)を11月に起訴した。また同時に1959年に発生した殺人未遂についても起訴したが、そちらは無罪が後に確定した。
[編集] 事件の疑問点
男性を犯人と断定した根拠は、帰宅前の被害者に最後に接触した可能性があり、また毒物を飲ませることが出来たはずだという状況証拠だけであり、また動機は生命保険金目当ての犯行であるとしたが、毒物の入手先を検察側は実証していなかったうえに鑑定方法にも疑問があったうえに、男性は一貫して無罪を主張していた。しかし裁判では被告人が無罪を証明する明らかな証拠を提出していないとして、1審、2審とも死刑が宣告され最高裁で1976年4月に上告が棄却され刑が確定した。その後、2度にわたり再審が請求されたが棄却され、3度目の再審請求準備中の2003年12月に死亡(享年86)した。