三里塚事件
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三里塚事件(さんりづかじけん)とは1954年(昭和29年)2月17日に千葉県成田市三里塚で発生した殺人事件である。凶器をどのようにして殺害に使用したかという法医学者らの鑑定が二転三転したため、冤罪の可能性が疑われている。
[編集] 事件の概要
1954年2月17日、千葉県成田市三里塚の駄菓子屋の女性(当時58歳)が自宅で殺害された。容疑者として近所の18歳の男子高校生が逮捕され、凶器は自宅にあった竹割りであるとされた。しかし竹割りには血痕が付着しておらず、証拠も自白のみであったが1審の千葉地裁は無期懲役の判決であった。2審からは正木ひろしが弁護にあたり、彼は無実を主張し世論に訴えるため「ある殺人事件」を出版したりしたが、凶器に対する鑑定が何度も変節するなど疑わしかったにもかかわらず、最終的には1963年2月21日に最高裁は上告を棄却し無期懲役が確定した。その後再審請求がなされたが認められなかった。なお容疑者は服役し1977年3月に仮出所したが1978年8月に病死(享年42)した。