関根勤
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関根勤 (せきね つとむ、 1953年8月21日 - )は、東京都港区生まれのタレント・俳優。浅井企画所属。娘はタレントの関根麻里。旧芸名はラビット関根。通称:「ラビット」、「ラビ」、「ラビー」、「カンコンキン」、麻里からは「おっちゃん」とも呼ばれている
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[編集] 経歴
東京都内に四人兄弟の末っ子(兄ふたりに姉ひとり)として生まれる。関根が生まれた1953年8月21日は、東京で最高気温38.4℃を記録し、1994年8月3日に39.1℃を記録するまで、東京では観測史上1位の最高気温であった。父は東京消防庁勤務の消防士で、謹厳実直な家庭であったと関根自身が回想している。東京都立八潮高等学校を卒業。薬師丸ひろ子は高校の後輩に当たる。
1974年、日本大学法学部管理行政学科在学中にTBSテレビ「ぎんざNOW!」の素人コメディアン道場で初代チャンピオンとなる。その時の審査員の一人にいた現所属事務所・浅井企画の浅井社長に見出され、芸能界デビューすることになる。
- 関根の回想によれば、放送後に浅井社長と川岸副社長に呼び止められ近くの喫茶店に行った所、浅井と川岸の二人による交渉が始まった。川岸の「体は丈夫~?」の第一声に始まり「ウチの事務所でお笑いをやらない?」と説得されたものの、関根自身はプロの芸人になる事は考えていなかったので回答を渋っていた。ところが突如、浅井社長が「君なら出来る!君なら出来るよ!ウチはコント55号を育てたんだから。明日の朝10時に事務所に来なさい!」と関根に言うと、すぐさま帰ってしまった。
- あっけにとられたものの翌日、関根は場所を間違いながらも事務所に到着。そこには浅井社長が待ち構えており、そのまま契約交渉に入った。「はい!これ契約書、よく読んで!ウチは怪しいモノじゃないから読み終わったらサインして!」とまくしたてる社長に圧倒された関根は契約を済ませ、浅井企画所属のタレントとして芸能界に本格的デビューする事となった。
この際、桂三枝が、うさぎ年にちなみラビット関根の芸名を命名。年が明けるごとに干支にちなんだ芸名に変え続ける案もあったらしい。これは「一回り(12年)しても売れなかったらあきらめなさい」という意味もあったようだ。当初はジャイアント馬場や千葉真一のものまねで注目される。他にも大滝秀治や宇津井健、輪島功一、青木功などレパートリーは多数。特に長嶋茂雄のものまねは日本で初めて関根が行なった。ちなみにものまねをする際は最初に名前を口走ることが多く、「誰のものまねをしたか。」を当ててもらうのには不向きであるが、「ひでじ」を連呼する大滝秀治のものまねのように名前の正しい読みが浸透したという例もある。『徹子の部屋』の前身番組である『13時ショー』にレギュラー出演し、「徹子の部屋」開始当初に設けられていたクイズコーナー(タイトルはフラッシュクイズ)の司会を務めていたこともある。後に、人気公開番組『カックラキン大放送』(日本テレビ系)のレギュラーとなり「カマキリ拳法」「田村正和拳法」などのネタで脚光を浴び人気が上昇、ドラマ数本にも出演。
事務所の後輩で、親友でもある小堺一機と組んだコサキン(当初は「コサラビ」)のコンビで、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に「クロコとグレコ」役でレギュラー出演。この時、事務所の先輩である萩本欽一の指示で、芸名を本名と同じ関根勤に改める(注)。この番組をきっかけに全国区的な人気を獲得した。だが、関根は改名後しばらくしてからに萩本に対し、「ラビット関根」は桂三枝に付けてもらったと告白した。それを聞いた萩本は、「何でそれを言わなかったの~。怒られちゃうじゃないの~」と困惑したという。三枝には改名した詳細をずっと伝えていなかったが、2005年10月22日にTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」に三枝がゲスト出演した際に告白した。
現在では、テレビのみならず、米国映画『悪魔の毒々モンスター東京へ行く』 (1989) を含む映画にも多く出演。1985年には小堺主演の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』に出演を開始し、1989年には自らを座長とした舞台『カンコンキンシアター』をスタートさせた(カンコンキンは、関根勤を音読みしたもの。また、同年を最後に『おすまし-』は降板)。以後、毎年夏に「裏関根」全開の公演を行っている。
また、コサキンコンビでメインパーソナリティーを務めるTBSラジオの番組『コサキンDEワァオ!』は、1981年以来放送時間や番組タイトルを変えながら放送期間25年を超す長寿番組となっている。同番組からは小堺との共著を含む数十冊の著書が出版された。また、同番組での人気コーナー「似てねえものまね」で、現在の芸風の基盤である、ものまねの世界を作り上げる。
現在もバラエティ番組を中心に活動、ターゲットをごく一部に絞るような独特のコメントで人気を博している。タモリ・明石家さんま・ビートたけし・島田紳助・所ジョージ・ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・ナインティナイン・とんねるずなど共演者を選ばない名バイプレイヤーぶりには定評があり、彼らからの信頼も絶大。その出演番組は数多く週に何本ものレギュラー番組を抱える。その一方で、コメディアンとしての初心は忘れず、本業はものまねをメインにお笑い芸人として活躍。
(注)関根・小堺の二人は世間では萩本の「弟子」と言われることが多いが、正確に言うと弟子入りしたわけではない。
[編集] 人物
- 芸能生活30年を超え、いわゆる一流芸能人であるが、一般常識と庶民感覚をしっかり備えているといわれる。自動車を買おうとディーラーに足を運んだ所、同じディーラーで扱う外車を薦められ、ローン回数から考えはじめて悩んでしまったなど、小市民ぶりはラジオでしばしば披露している。
- 愛妻家であり(悦子夫人はかつてコサキンのラジオ本のタイトルになった事がある)、娘思いの良き父親で(ラジオでは妻は冷たく、娘は自分に低い評価しかしてくれない、とぼやきまくっているが)、日本ファーザーズ・デイ委員会の「イエローリボン賞」(ベストファーザー賞)を受賞している。任天堂・ライオンのCMやトヨタカローラ店のキャンペーンなどでも、夫・父親役として起用されており、世間的にも「良いお父さん」というイメージを確立している。
- しかしテレビタレントとしては好感度の高い彼も、ラジオでは「裏関根」と呼ばれる毒舌でマニアックな面も発揮している。テレビでは同じ業界の人間を悪く言う事はまず無い(例外もある。後述)が、ラジオや舞台ではバンバン言っている。特に芸能レポーターの前田忠明を目の敵にしており、小堺が苦笑いしながらなだめるほど。これを「コサキンリスナー」(=コサキンのラジオの聴取者)は先に挙げたイメージとのギャップをニヤニヤしながら楽しんでいる。近年ではラッパーに対する辛辣な発言が目立つ。常識人としての側面とあまりにも差があるためか、萩本欽一は1990年代になっても「関根はわからないな~」と言っていた。
- 娘の麻里もタレント志望で、2005年12月の『ライオンのごきげんよう』年末スペシャルでは小堺と関根親子で司会を務めたが、2006年6月に本格的に芸能界入りを果たした。所属は父親と同じく浅井企画。
- 「ライル」という犬(ゴールデンレトリバー)を飼っており、ダウンタウンDXでは、「腐鮪鯖男(クサレマグロサバオ)」(元はラジオのリスナーの投稿ネタ)と呼んでいる。「ライル」という名前は、浅井企画の後輩ずんの飯尾和樹の名字にちなんで付けられた(飯(ライス)尾(テイル)⇒ライステイルの略)ものである。
- 非常に笑い上手である。特に素人の何気ないことを「笑う」ことで、見る人に面白く思わせる一種の「技術」は天下一品である。『さんまのSUPERからくりTV』ではその才能が遺憾なく発揮されている。拍手や「ハウゥ!!」と外れた声を出したりと、変わった笑い方をする。
- 大学時代に、『燃えよドラゴン』の洗礼を受けた(著書によれば「33回も見た」)ことがきっかけで格闘技マニアとなり、K-1やプロレス番組でもリングアナウンサーやゲスト解説者としても姿を見かける。しかし自身はかなりのなで肩でマッチョとはかけ離れた体格。(娘から「手足が細くて昆虫みたい」と言われた事もある。)そこで「オランダの小学生より弱そう」という自虐的なネタを放つことがある。なおもっとも得意なスポーツはゴルフ。シングルの腕前である。
- 若い頃から「女人鑑定家」やら「女人評論家」などと自称するほどのアイドルマニアの側面があり、ラジオではその手の女の子がゲスト出演してくれるたびに、小堺と共に浮かれてはリスナー達に翌週の餌食にされるのがお約束。また、以前はアダルトビデオにも詳しく、AV女優の秋元ともみや松本まりな、及川奈央がラジオ出演した事もあった(なお、及川はAV女優を引退してからの出演)。TVでは「ウラ関根TV」のコーナーでマニアぶりが発揮された。
- 一方で男女間の恋愛に対してはかなりストイックな姿勢を見せ、ラジオでは「恋愛なんて幻想なんだよ!」と頻繁に発言している。ただし関根自身は夫人とは恋愛結婚である。
- 小堺はかなりの映画マニアであるが、関根も映画マニアである。「関根勤のサブミッション映画館」「関根勤のフルコンタクト映画館」などの映画本を著している。
- 小堺は服やDVDを衝動買いしてしまうが、関根はゴルフクラブやコートに目が無く、気に入るとすぐに買ってしまう。
- 一人で新宿のゲームセンターに行くことがあるほどのゲーム好き。後輩の若手芸人の家で『みんなのGOLF4』を6時間もやっていたことがある。
- かつて『奇跡体験!アンビリバボー』で、新人当時の小倉優子の態度に苦言を呈した事がある。なお、現在は和解し、笑っていいとも!の金曜レギュラーとして共演をしていた(現在、小倉は水曜日レギュラー)。
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- スタジオでのトークの際、今の様なキャラクターではなかった小倉に「お父さんもイビキうるさい?」と何気なく質問したが、小倉は関根の質問を無視し、「それは置いといて」と連発して自分の事やその回のテーマとは関係の無い事を話していた。(当時、多忙となっていた山川恵里佳の代役として急遽抜擢された小倉は、スカウトされてからわずか数週間でのテレビ出演が決まったばかりであり、「何をするにも“いっぱいいっぱい”だった」と後日、述懐している)「人が聞いた事は、ちゃんと答えてよ~」と関根は笑顔で対応していたが、所ジョージや清水圭は小倉に対し少し強い口調で注意をしていた。その回で関根は小倉とその後は口を聞いていない。後日、「笑っていいとも!増刊号」の放送終了後トークの中で、その時の出来事を話し、小倉の事を「礼儀がなってないから本当はアタマにきてたんですよ~」と発言。
- その背景としては、厳しい芸の世界で長く生きてきた関根の哲学があると考えられる。関根は常に「自分は下積みがないままデビューしてしまったから苦労した」と語っている。盟友である小堺一機と初めて会った時も、「プロになりたいんです」と言う小堺に対し「下積みがないと大変だよ」とアドバイスしている。その事から、関根は後輩の小倉の不作法に関し厳しい目を向けたとも考えられる。
- その後、小倉は大学進学のため一時的に芸能活動を控えていたが、「こりん星」の姫と称する不思議少女系のキャラとして復帰し、大ブレイクした。
- なお、現在では関根は「あの時は虫の居所が悪かった」と反省している。基本的に「嫌いな人のモノマネはしない」という関根が小倉のモノマネをレパートリーに加えたことからも、関係修復はうかがえる。芸能界において自身が「特異なキャラ」を長年に渡り演じ、その意味や辛さを知っているからこそとも言える。ただし、関根は小倉に対し、「タレント」としての興味はあるが「女性」としての興味はない、と明言もしている。
- 幽霊や超常現象などには非常に懐疑的。しかしレギュラーである『奇跡体験!アンビリバボー』はその番組スタンスが「検証」よりも「現象の紹介」に重点が置かれている。もちろん関根は番組出演者としてのリアクションをするが、ファンは「ホントは『そんなわけあるかよ』『うそくせ~』と思ってるんだろうなぁ」という目で見ている。
- 「さんまのまんま」に出演時、千葉真一のコスプレで登場、番組中ずっと千葉真一が来たという設定で番組終了までモノマネで通すという伝説を作った。ちなみに千葉は関根の自分のものまねがお気に入りで、自身が出演していた時代劇『徳川無頼帳』で千葉がよく演じていた柳生十兵衛(この作品では西城秀樹が演じている)の偽者が登場する回に偽者役として関根を指名。関根は全編で「千葉の演じる柳生十兵衛のマネ」で演じた。
- 「笑っていいとも!」には現在金曜日レギュラーで出演しているが、休暇時期恒例の「身内自慢コンテスト」の司会をする。(紹介者いじりも毎回の恒例)またエンディング前の「曜日対抗いいとも選手権」には出演者の中では一番やる気になっている。なお、かつては曜日レギュラーではなく、日曜日の「笑っていいとも!増刊号」の司会者を務めていた時期もある。
- 芸人志向の強いウエンツ瑛士をライバル視し、寝言に出して悦子夫人に驚かれるほどである。逆に言えば、ベテランであるにも関わらずその地位に安住して気を抜を抜くようなことをしていない、関根の自身の芸に対する厳しさを示す逸話でもある。
- 酒は一滴も飲まず、タバコも吸わない。「オス」としての機能を生涯保ち続けるためである。一説に、酒を飲まないのは体質的に受け付けないからで、粕漬けを食べただけで靴のひもが結べないような状態になってしまったことがあるという。
- 大のカレー好きである。
- 嫌いな食べ物はキュウリと生のトマト。2006年のカンコンキンシアター公演千秋楽のラストで恒例のプライベート裁判を逆に娘・関根麻里にかけられ、無理矢理プチトマトを食べさせられ危うくその後のエンディングをものすごい低いテンションでやる羽目になる所であった。
- 下記にあるように多数のものまねレパートリーを誇り、長島茂雄や大滝秀治などからは公認されるなどしている。そして彼の不文律として「亡くなった人をネタにしない」という点がある。実際にジャイアント馬場(彼も関根のものまねは公認していた)が亡くなった時、「馬場さんのものまねは封印する」と宣言。実際にそれ以降、ジャイアント馬場のものまねは公式には1度も披露されていない(しかし、馬場とのエピソードを披露する時のみ一言二言程度まねをしている)。ラジオ番組においても、故人を元にしたネタは採用されない。この辺りに関根の実直な性格がうかがえる。なお馬場のものまねは2006年3月12日の(TBS放送分)「コサキンDEワァオ!」で久々に披露された。
- まだ萩本欽一に認められていなかった頃のこと。萩本の家へ行った際、萩本の息子とプロレスごっこをして遊ぶことになった。彼が手加減なしで攻撃してくるので非常に痛かったのだが、必死に耐えた(終わった後、やりすぎたということに気付いたのか彼は関根にサインを求めてきたりしたという)。それを見ていた萩本から「なかなかやるな」と言われ、認められるきっかけになったと言う。
- 時々弟子志望の人が訪ねてくるが、「弟子になると芸ではなく弟子のプロになって終わってしまう」という理由で断り、所属の浅井企画が主催しているオーディションやセミナーへ行くことを勧めている。
- モンティ・パイソンが大好きで、それを言い続けていた所、モンティ・パイソンのメンバーであるテリー・ジョーンズの映画『エリック・ザ・バイキング』に出演することになった。奴隷を始終日本語でずっと叱ると言うスレイブマスター役で、「一体彼は何人なんだ、何でここにいるんだ」と突っ込まれる。なお、関根によれば台本の台詞(当然英語)を暗記していったところ、関根の罵詈雑言を交えたトーク芸を知っていたジョーンズからは「このシチュエーションにあわせた感じで、日本語で罵詈雑言を適当にしゃべってくれ」といわれたという。
- 先輩に対する敬意は相当なもので、出演番組のゲストなどが揶揄するようなことがあると、穏やかながらも懸命にフォローする姿が多く見られる。カックラキン大放送出演時でも先輩を呼び捨てにしたアイドルを見て「○○はないだろ、○○さん、だろ」と言った姿が目撃されている。この上下関係観は学生時代の自動車部で培われたと、本人は語っている。
- さんまのSUPERからくりTV(TBS系)では、司会のさんまにゲストで来ていた速水もこみちになったらどうするかと聞かれて、関根は意味もなく街中を歩くと答えた。
[編集] 出演
[編集] レギュラー番組
[編集] テレビ
- 奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ系)
- 笑っていいとも!(フジテレビ系)※金曜レギュラー、1985年4月から出演、タモリ以外のレギュラー陣としては最長。
- タモリのジャポニカロゴス(フジテレビ系)
- 王様のブランチ(TBS系) - ※隔週レギュラー
- さんまのSUPERからくりTV(TBS系)
- もしもツアーズ(フジテレビ系) - ※隔週レギュラー
- ダウンタウンDX(よみうりテレビ・日本テレビ)- ※準レギュラー
- ごきげんよう司会(フジテレビ系、2004年8月〜9月の間、病気により一時休養した小堺一機の代役として)
- とんねるずのみなさんのおかげでした(コーナーレギュラー)
以下、終了番組
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ系)
- 新装開店!SHOW by ショーバイ!!
- 明石家マンション物語(フジテレビ系)
- ウラ関根TV(テレビ東京系)
- ジャングルTV〜タモリの法則〜(TBS系)
- 超アジア流(日本テレビ)
- 11PM(日本テレビ系)
- パオパオチャンネル(テレビ朝日系)
- 徹子の部屋(テレビ朝日系)
- よっ!大将みっけ(フジテレビ系)
- クイズ!早くイッてよ(フジテレビ系)
- 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ系)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ系)
- コサキン勝手にごっこ(日本テレビ系)
- パパ大好き!(TBS系)
- 痛快!ロックンロール通り(TBS系)
- 関根&ルーの!クイズサクセス(フジテレビ系)
- ヒューヒュー(日本テレビ系)
- コサキンルーの怒んないで聞いて!!(TBS系)
- カックラキン大放送(日本テレビ系)
- ズームイン!!朝!(日本テレビ系、初期のリポーター)
- 金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ系)
- ぎんざNOW!(TBS)
- ただいま放課後 (1980年 ラビット関根時代のドラマ出演)
- 爆笑問題のバク天!(TBS系)
- くりぃむしちゅーのたりらリラ~ン(日本テレビ系)
- 100人目のバカ(フジテレビ系)
- 100人目のバカ〜毎日がお正月SP!(フジテレビ系)
- ニンゲンBOX(フジテレビ系)
- ジャパン☆ウォーカー(日本テレビ系)
- 最強魂(日本テレビ)
- 超K-1宣言!(日本テレビ系)
- ハッチポッチステーション(NHK BS2での放送時代)
- 世にも奇妙な物語「死体くさい」(フジテレビ系)※単発
[編集] ラジオ
- 関根勤 TOKYOベストヒット(ニッポン放送ほか) - ※終了番組
[編集] テレビ(ゲスト)
[編集] 映画
- 『トラック野郎 爆走一番星』(1975年 ラビット関根時代)
- 『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』(1986年)
- 『卒業プルーフ』(1987年)
- 『エリック・ザ・バイキング バルハラへの航海』(1987年 イギリス)
- 『悪魔の毒々モンスター 東京へ行く』(1989年 アメリカ)
- 『ヒーローインタビュー』(1994年)
- 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』コサキンで出演(2001年)
[編集] CD
- ラテンの如く - ルー大柴、ラッキィ池田とともに、「オラセラル」として。(1991年、テイチク)
- PSYCHEDELIC SOUND PARADISE - 同じく「オラセラル」として。(1991年、テイチク)
- TRUE - 米光美保(東京パフォーマンスドール)、伊集院光とともに、「米光倶楽部」として。(1993年、EPICソニー)
- トークマンス 男のための女大作戦 - あらゆる女性の口説き方を伝授するという、ネタ作品。(1994年、日本コロムビア)
[編集] DVD
コサキン関連はコサキンDEワァオ!を参照のこと。
- カマキリ伝説
- カマキリ伝説2
[編集] CM
- トヨタ自動車トヨペット店「知るほどトクするキャンペーン こんどは、ラッシュ」
- SRIスポーツ ダンロップゴルフボール・ミラクルエブリオ(2006年4月放送開始)
- ヤクルト本社 プレーンタイプヨーグルト「ソフール LCS100」(2006年4月放送開始)
[編集] 過去の出演CM
- One Day シャンプー&リンス(牛乳石鹸共進社)
- バーコードバトラーII(エポック社)
- マリオゴルフファミリーツアー(任天堂)
- アデランス - メインキャラクターは当時のマネージャーだった色摩茂雄。
- パソコン・フローラ(日立製作所) - 長嶋茂雄と共演
- 住友銀行 - 佐藤雅彦作のCMキャラ「熊のバンクー」の声
- ニュージャパン観光
[編集] 舞台
- カンコンキンシアター「クドイ!」1~20(2006年8月現在)
[編集] 過去の出演舞台
- 小堺クンのおすましでSHOW
[編集] 著書
- バカポジティブ 関根の法則
- ウラ関根
[編集] ものまねのレパートリー
非常に似てるものもあれば、似てないのものもあり(ラジオ「コサキン」では「似てねェモノマネ」が番組のコンセプトの一つでもある)、一部にはものまねと言い難いレパートリーも含まれるが、ファンからはそれが関根らしさ、と認知されている。
- おすぎ
- ピーコ
- 関根と小堺がどちらかを担当して、「おすぎとピーコ」としてやることが多い。
- 大滝秀治
- ジャイアント馬場(本人逝去のため封印)
- ケント・デリカット
- ウド鈴木
- 加山雄三
- 藤岡弘、
- 山崎弘也(アンタッチャブル)
- 安部譲二
- 中村玉緒
- 小倉優子
- 釈由美子
- フリーディア
- 高島忠夫
- 高嶋政伸
- 児玉清
- 長嶋茂雄
- 石原良純
- 輪島功一
- 織田裕二
- 内田有紀の母(想像)
- 安藤優子
- 聖徳太子(想像)
- 水森亜土
- ヒロミ
- 浜田剛史
- 竹内力
- C・W・ニコル
- 青木功
- 荒俣宏
- 宇津井健
- 関口宏
- ルー大柴
- 千葉真一
- 林家正蔵
- 松井秀喜
- 山口智充
- ペリー(想像)
- 有田哲平
- 中居正広
- 水野晴郎
- 草野仁
- 村上弘明
- 伊集院光
- 山川恵里佳
- ボビー・オロゴン
- チェ・ホンマン
- 小野妹子(想像)
- アーネスト・ホースト
- フランシスコ・フィリオ
他多数
-
- 以下の6人に関してはラジオ「コサキン」の企画で本人の目の前でモノマネして、本人から直々にモノマネをしていいという公認をしてくれた芸能人である。
- 青田典子
- 若槻千夏
- 安めぐみ
- 大沢あかね
- 熊田曜子
- 小林綾子