アーネスト・ホースト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | アーネスト・フリッツ・ホースト |
あだ名 | ミスターパーフェクト |
階級 | スーパーヘビー級 |
国籍 | オランダ |
誕生日 | 1965年7月11日 |
出身地 | オランダ領ギアナ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 114 |
勝ち | 96 |
KO勝ち | 61 |
敗け | 17 |
引き分け | 1 |
無効試合 |
アーネスト・フリッツ・ホースト(Ernesto Frits Hoost、1965年7月11日 - )は、オランダ出身のキックボクシング選手である。身長189cm、体重106.0kg。ボスジム所属。血液型A型。
目次 |
[編集] 人物
93年のK-1グランプリ第一回大会に参戦し、強豪モーリス・スミスを完璧な左ハイ・キックでKOし一躍注目を浴びる。その後、老獪なテクニックとコンビネーションを駆使してK-1グランプリを97,99、2000、2002と4度制覇、特に1999と2000の両年はピーター・アーツ以来の史上2人目の連覇を成し遂げた。世界最高峰の技術の高さから、尊敬の念を込めてミスター・パーフェクトと呼ばれる。
その完璧なまでの技術の前に対戦相手は自分の良さを出し切れず、ホーストのリズムで戦うことを余儀なくされる。老獪さばかりが目立つホーストではあるが1996年~1997年にかけては7試合連続KO勝利という記録も残している。
最近は日本のメディアへの露出も増えており、日本語を目下勉強中だという。 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」では、鼻毛を抜かれたり、吉幾三の「Dream」を見事な日本語で歌い上げ、ダウンタウン達を驚かせた。また「銭形金太郎」にも、女子総合格闘技「スマックガール」所属のナナチャンチンが貧乏さんとして出演した回にゲストサポーターとして出演した。
4度の王座に着くなどずば抜けた戦績を残している割に人気はそれほどでもなく、ホーストがよく「フォー・タイムス・チャンピオン」と連呼し実績を誇示する理由はそこにある。故アンディ・フグの知名度・人気は今でも圧倒的なのだが、ホーストはそれを「なんでみんな、アンディアンディばかりなんだ!」と嫉妬しているらしい。現在はK-1のトップ戦線から退いているボブ・サップに2連敗しているのも、ホーストの人気が今ひとつな理由であろう。とはいえ、現在のK-1運営のバランスがスポーツからショウへと傾く中で、相対的にホーストの持つトップレベルの技術が再評価されつつある。
2005年9月23日K-1GP開幕戦は持病のアトピー性皮膚炎とひざの怪我で欠場。その大会中に今後はワンマッチのみを行い一日に数試合戦わなければならない過酷なグランプリには出場しないと宣言し、その後2006年中に引退試合を行う予定だった。
2005年12月31日に行われた、11月19日にK-1王者になったばかりのセーム・シュルトとの新旧王者対決でTKO負けを喫した。
だが2006年7月30日K-1 WORLD GP 2006 札幌大会での発表で、9月に行われるグランプリ開幕戦を経て12月2日のグランプリ決勝大会で優勝し、「ファイブ・タイムス・チャンピオン」になった上での現役引退を目指すと宣言した。
そして、2006年12月2日K-1 WORLD GP 2006決勝大会に出場。一回戦でGP開幕戦にて武蔵を破ったハリッド・"ディ・ファウスト"と対戦。小柄でスピードがありパンチが得意なハリッドに対して、リーチの差や的確なタイミングのローキックを活かし、判定で勝利。2回戦では2005年末にTKO負けしたセーム・シュルトと対戦し今度は3ラウンド戦い抜いたものの、長身と強靭な肉体を誇るシュルトに有効な攻撃を与えることができずに判定で敗れた。この試合後、観客の暖かい拍手を受けながら四方に礼をし、ミスター・パーフェクトはリングを降りた。
[編集] 戦績
- キックボクシング: 116戦 98勝 61KO 18敗 1分
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
? | 1988年 | 勝 | 5R | 判定3-0 | ピーター・アーツ | オランダ | - |
? | 1989年10月 | 勝 | 3R | 反則 | ブランコ・シカティック | クロアチア | - |
046 | 1993年4月30日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | ピーター・アーツ | オランダ | K-1 GRAND PRIX 1993 準々決勝 |
047 | 1993年4月30日 | 勝 | 3R 1:18 | KO | モーリス・スミス | アメリカ | K-1 GRAND PRIX 1993 準決勝 |
048 | 1993年4月30日 | 負 | 1R 2:49 | KO | ブランコ・シカティック | クロアチア | K-1 GRAND PRIX 1993 決勝 |
049 | 1993年9月4日 | 勝 | 3R 0:45 | TKO | タシス・ペトリディス | オーストラリア | WKA&WMTA世界ライトヘビー級ダブルタイトルマッチ |
050 | 1993年12月19日 | 勝 | 延長1R | 判定2-0 | マンソン・ギブソン | アメリカ | K-2 GRAND PRIX 1993 準々決勝 |
051 | 1993年12月19日 | 勝 | 1R 2:13 | TKO | アダム・ワット | オーストラリア | K-2 GRAND PRIX 1993 準決勝 |
052 | 1993年12月19日 | 勝 | 4R 0:40 | TKO | チャンプア・ゲッソンリット | タイ | K-2 GRAND PRIX 1993 決勝 |
053 | 1994年3月4日 | 勝 | 2R 2:45 | KO | 佐竹雅昭 | 日本 | K-1 CHALLENGE |
054 | 1994年4月30日 | 勝 | 3R | 判定 | トニー・ルシアーノ | - | K-2 PLUS TOURNAMENT 準々決勝 |
055 | 1994年4月30日 | 勝 | 2R | TKO | マーク・ラッセル | イギリス | K-2 PLUS TOURNAMENT 準決勝 |
056 | 1994年4月30日 | 勝 | 1R | KO | ボブ・シュライバー | オランダ | K-2 PLUS TOURNAMENT 決勝 |
057 | 1994年9月18日 | 勝 | 2R2:42 | TKO | マーク・ラッセル | イギリス | K-1 REVENGE |
058 | 1994年12月10日 | 負 | 2R 1:18 | KO | ブランコ・シカティック | クロアチア | K-1 LEGEND“乱” |
059 | 1995年3月3日 | 勝 | 4R 2:25 | TKO | フーベルト・ヌムリッヒ | ドイツ | K-1 GRAND PRIX 1995 開幕戦 |
060 | 1995年5月4日 | 勝 | 2R 0:45 | KO | ジョニー・クレイン | オランダ | K-1 GRAND PRIX 1995 準々決勝 |
061 | 1995年5月4日 | 負 | 延長1R | 判定3-0 | ピーター・アーツ | オランダ | K-1 GRAND PRIX 1995 準決勝 |
062 | 1995年7月16日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | アンディ・フグ | スイス | K-1 LEGEND ~翔~ |
063 | 1995年9月3日 | 勝 | 2R 2:45 | TKO | マイケル・トンプソン | イギリス | K-1 REVENGE Ⅱ |
064 | 1995年12月9日 | 勝 | 1R 2:13 | TKO | モーリス・トラビス | アメリカ | K-1 HERCULES |
065 | 1996年3月10日 | 勝 | 2R 0:09 | KO | スチュアート・グリーン | イギリス | K-1 GRAND PRIX 1996 開幕戦 |
066 | 1996年5月6日 | 勝 | 3R 1:27 | KO | ミルコ・クロコップ | クロアチア | K-1 GRAND PRIX 1996 準々決勝 |
067 | 1996年5月6日 | 負 | 延長2R | 判定2-1(延長1-0、本戦1-1) | アンディ・フグ | スイス | K-1 GRAND PRIX 1996 準決勝 |
068 | 1996年9月1日 | 勝 | 2R 0:20 | KO | カール・ベルナルド | 南アフリカ | K-1 REVENGE 1996 |
069 | 1996年10月18日 | 負 | 2R 2:57 | KO | ジェロム・レ・バンナ | フランス | K-1 STAR WARS 1996 |
070 | 1996年12月8日 | 勝 | 4R 0:25 | KO | レイ・セフォー | ニュージーランド | K-1 HERCULES 1996 |
071 | 1997年3月16日 | 勝 | 3R 1:49 | TKO | バンダー・マーブ | 南アフリカ | K-1 KINGS 1997 |
072 | 1997年4月29日 | 勝 | 4R 1:03 | TKO | マイク・ベルナルド | 南アフリカ | K-1 BRAVES 1997 |
073 | 1997年6月7日 | 勝 | 1R 1:12 | KO | ショーン・ジョンソン | アメリカ | K-1 FIGHT NIGHT ~THE DECISION~ |
074 | 1997年9月7日 | 勝 | 2R 0:34 | KO | ステファン・レコ | ドイツ | K-1 GRAND PRIX 1997 開幕戦 |
075 | 1997年11月9日 | 勝 | 1R 1:15 | KO | ジェロム・レ・バンナ | フランス | K-1 GRAND PRIX 1997 準々決勝 |
076 | 1997年11月9日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | フランシスコ・フィリォ | ブラジル | K-1 GRAND PRIX 1997 準決勝 |
077 | 1997年11月9日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | アンディ・フグ | スイス | K-1 GRAND PRIX 1997 決勝 |
078 | 1998年4月9日 | 負 | 5R | 判定 2-0 | ピーター・アーツ | オランダ | K-1 KINGS 1998 |
079 | 1998年5月24日 | 勝 | 1R 2:17 | KO | ジャン・リビエール | カナダ | K-1 BRAVES 1998 |
080 | 1998年7月18日 | 勝 | 3R 2:52 | TKO | 武蔵 | 日本 | K-1 DREAM 1998 ~7対7全面対抗戦~ |
081 | 1998年9月27日 | 勝 | 4R終了時 | TKO | トスカ・ザ・キング・オブ・スティング | オーストラリア | K-1 GRAND PRIX 1998 開幕戦 |
082 | 1998年12月13日 | 負 | 2R終了時 | TKO | サム・グレコ | オーストラリア | K-1 GRAND PRIX 1998 準々決勝 |
083 | 1999年4月25日 | 負 | 1R 1:37 | KO | フランシスコ・フィリォ | ブラジル | K-1 REVENGE 1999 |
084 | 1999年7月18日 | 勝 | 3R 0:51 | KO | イゴール・ボブチャンチン | ウクライナ | K-1 DREAM 1999 |
085 | 1999年10月3日 | 勝 | 5R | 判定3-0 | ジャビット・バイラミ | スイス | K-1 GRAND PRIX 1999 開幕戦 |
085 | 1999年12月5日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | アンディ・フグ | スイス | K-1 GRAND PRIX 1999 決勝戦 準々決勝 |
086 | 1999年12月5日 | 勝 | 2R 0:26 | KO | ジェロム・レ・バンナ | フランス | K-1 GRAND PRIX 1999 決勝戦 準決勝 |
087 | 1999年12月5日 | 勝 | 3R 1:09 | KO | ミルコ・クロコップ | クロアチア | K-1 GRAND PRIX 1999 決勝戦 決勝 |
088 | 2000年4月23日 | 勝 | 3R終了時 | TKO | サム・グレコ | オーストラリア | K-1 THE MILLENNIUM |
089 | 2000年5月28日 | 勝 | 3R終了時 | TKO | ラニ・ベルバーチ | フランス | K-1 SURVIVAL 2000 |
090 | 2000年7月30日 | 勝 | 3R 2:20 | KO | パリス・バシリコス | ギリシャ | K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋 |
091 | 2000年7月30日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | ロイド・ヴァン・ダム | オランダ | K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋 |
092 | 2000年7月30日 | 負 | 1R終了時 | TKO | ジェロム・レ・バンナ | フランス | K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋 |
093 | 2000年12月10日 | 勝 | 延長1R | 判定3-0(本戦0-0) | ミルコ・クロコップ | クロアチア | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 準々決勝 |
094 | 2000年12月10日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | フランシスコ・フィリォ | ブラジル | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 準決勝 |
095 | 2000年12月10日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | レイ・セフォー | ニュージーランド | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 決勝 |
096 | 2001年4月15日 | 勝 | 5R | 判定2-0 | 武蔵 | 日本 | K-1 BURNING 2001 ~火の国熊本初上陸~ |
095 | 2001年6月16日 | 勝 | 1R 3:02 | KO | セルゲイ・グール | ベラルーシ | K-1 WORLD GP 2001 in メルボルン 準々決勝 |
096 | 2001年6月16日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | マーク・ハント | ニュージーランド | K-1 WORLD GP 2001 in メルボルン 準決勝 |
097 | 2001年6月16日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | マット・スケルトン | イギリス | K-1 WORLD GP 2001 in メルボルン 決勝 |
098 | 2001年12月8日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | ステファン・レコ | ドイツ | K-1 WORLD GP 2001 決勝戦 準々決勝 |
099 | 2002年4月21日 | 勝 | 1R 1:46 | KO | 中迫剛 | 日本 | K-1 BURNING 2002 ~広島初上陸~ |
100 | 2002年5月25日 | 勝 | 1R 1:48 | KO | ステファン・レコ | ドイツ | K-1 WORLD GP 2002 in パリ |
101 | 2002年8月17日 | 勝 | 3R 1:29 | KO | ヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤ | 南アフリカ | K-1 WORLD GP 2002 in ラスベガス |
102 | 2002年8月28日 | 分 | 5R | 判定0-0 | セーム・シュルト | オランダ | Dynamite! |
103 | 2002年10月5日 | 負 | 1R終了時 | TKO | ボブ・サップ | アメリカ | K-1 WORLD GP 2002 開幕戦 |
104 | 2002年12月7日 | 負 | 2R 2:53 | KO | ボブ・サップ | アメリカ | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 準々決勝 |
105 | 2002年12月7日 | 勝 | 1R 1:49 | KO | レイ・セフォー | ニュージーランド | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 準決勝 |
106 | 2002年12月7日 | 勝 | 3R 1:25 | KO | ジェロム・レ・バンナ | フランス | K-1 WORLD GP 2002 決勝戦 決勝 |
107 | 2003年3月30日 | 勝 | 1R 2:55 | KO | ジェファーソン“タンク”シウバ | ブラジル | K-1 WORLD GP 2003 in さいたま |
108 | 2003年6月14日 | 勝 | 5R | 判定3-0 | マーティン・ホルム | スウェーデン | K-1 WORLD GP 2003 in パリ |
109 | 2003年7月13日 | 勝 | 2R | 判定3-0 | シリル・アビディ | フランス | K-1 WORLD GP 2003 in 福岡 |
110 | 2003年12月31日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | モンターニャ・シウバ | ブラジル | FieLDS K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! |
111 | 2004年3月27日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | ジャビット・バイラミ | スイス | ARUZE K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA |
112 | 2004年9月25日 | 勝 | 3R | 判定3-0 | グラウベ・フェイトーザ | ブラジル | ARUZE K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦 |
113 | 2004年12月4日 | 負 | 延長1R | 判定3-0 | レミー・ボンヤスキー | オランダ | ARUZE K-1 WORLD GP 2004 決勝戦 準々決勝 |
114 | 2005年12月31日 | 負 | 2R 0:41 | TKO | セーム・シュルト | オランダ | FieLDS K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! |
115 | 2006年5月13日 | 勝 | 3R | 判定2-0 | ピーター・アーツ | オランダ | FieLDS K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM |
116 | 2006年9月30日 | 勝 | 3R 2:09 | KO | 藤本祐介 | 日本 | FieLDS K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦 |
117 | 2006年12月2日 | 勝 | 延長1R | 判定3-0 | ハリッド"ディ・ファウスト" | ドイツ | FieLDS K-1 WORLD GP 2006 決勝戦 準々決勝 |
118 | 2006年12月2日 | 負 | 3R | 判定3-0 | セーム・シュルト | オランダ | FieLDS K-1 WORLD GP 2006 決勝戦 準決勝 |
- プロレス: 1戦 1勝
[編集] 来歴
- 1965年7月11日 オランダ領ギアナ(現在のスリナム共和国)で生まれる。
- 1970年 オランダに移住。
- 1987年10月 ムエタイオランダ選手権大会優勝。
- 1988年5月 ムエタイヨーロッパ選手権大会優勝。
- 1988年6月 フルコンタクトヨーロッパ選手権大会(ISKA主催)優勝。
- 1988年6月 サバテヨーロッパ選手権大会優勝。
- 1988年9月 キックボクシングヨーロッパ選手権大会(WKA主催)優勝。
- 1989年5月 サバテ世界選手権大会優勝。
- 1989年10月 ムエタイ世界選手権大会優勝。
- 1990年1月 キックボクシング世界選手権大会(WKA主催)優勝。
- 1993年12月 K-2GRAND PRIX93優勝。
- 1994年5月 K-2GRAND PRIX優勝。
- 1994年11月 フルコンタクト世界選手権大会(ISKA主催)優勝。
- 1997年11月 K-1 GRAND PRIX 97優勝。
- 1999年12月 K-1 WORLD GP 99優勝。
- 2000年12月 K-1 WORLD GP 2000優勝。
- 2002年12月 K-1 WORLD GP 2002優勝。
- 2004年12月4日 K-1 WORLD GP’2004決勝戦に出場。一回戦で前大会王者のレミー・ボンヤスキーに判定負けするも、ジャッジの評価に怒りを露わにした。(また、同大会では敗退した選手によるK-1側へのジャッジに対する不満や抗議の声が上がった)
[編集] 獲得タイトル
- I.K.B.F.世界ライトヘビー級王座
- I.S.K.A.世界ライトヘビー級王座
- K-1 GRAND PRIX93 準優勝
- K-2 GRAND PRIX93 王者
- K-1 GRAND PRIX 95 ベスト4
- K-1 GRAND PRIX 96 ベスト4
- K-1 GRAND PRIX 97 王者
- K-1 GRAND PRIX 98 ベスト8
- K-1 WORLD GP 99王者
- K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋準優勝
- K-1 WORLD GP 2000 王者
- K-1 WORLD GP 2001 in メルボルン優勝
- K-1 WORLD GP 2001 ベスト8(準々決勝に勝利するも負傷リタイア)
- K-1 WORLD GP 2002 王者
- K-1 WORLD GP 2004 ベスト8
- K-1 WORLD GP 2006 ベスト4