尾張国
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尾張国(おわりのくに)は、日本のかつての地方行政区分である令制国の一つで、東海道西部に位置し、現在の中京地方の中枢部、愛知県西部に相当する。尾州(びしゅう)と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、近国。
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[編集] 沿革
室町時代以降では北隣の美濃国とは木曽川を国境とした。この点で現在の愛知県と岐阜県の県境と同じだが、当時の木曽川は今より北を流れていたため、尾張国は愛知県よりは北に広かった。
木曽川は、豊臣政権時代の天正14年 (1586年) に氾濫してほぼ現在と同じ流路を流れるようになった。以前の木曽川と新しい木曽川にはさまれた地域と、新たに木曽川の中州になった地域は、これに伴って美濃国に移った。古い木曽川は境川下流となった。国を移った中洲は、現在の各務原市川島にあたる。
愛知県西部にありながらずっと尾張国に属さなかった地区に、現在の稲沢市祖父江町の一部がある。これは令制国の廃止後に、市町村の境界変遷で所属する県が移ったものである。
[編集] 歴史
[編集] 畿内政権の時代
律令時代には、尾張国は防人の通行路の一角で、畿内から東の一地方という地域であった。律令制以前より尾張氏の勢力の中心地域で、伊勢国・美濃国・三河国などとともに尾張王権と表現される強力な独立国家を形勢していた。律令制以後も尾張氏が尾張国造に任ぜられた。
[編集] 幕府の時代
特に戦国時代になると、尾張国からは織田信長(清洲に本拠地あり)と豊臣秀吉(名古屋出身)といった大物武将を出した。この他、尾張国出身の武将としては、山内一豊(一宮出身)が有名である。
江戸時代の尾張国は、尾張徳川家が治める尾張藩という地方王国となった。尾張藩は62万石の石高を持ち、その城下町(地方王国の首府)たる名古屋は、日本で十指に入る都会となった。尾張藩は陶磁器を独占産業として位置付けたため、その名残で、瀬戸は陶磁器の街になっている。
[編集] 東京政権の時代
明治維新で中央集権国家が形成されると、名古屋は明治政府による地方支配の拠点都市となり、現在に至っている。又、鉄道敷設などの近代化政策が進められた頃、一宮は織物産業の中心地として栄えた。この時期には、犬山には明治用水が引かれるなどの公共事業が実施された。
- 第二次大戦後
高度経済成長期が到来すると、尾張地方は工業生産の中心地となり、中京工業地帯が形成された。
[編集] 律令制の行政機関
(国府、守護所、総社、一宮、国分寺) 国府は地名を手がかりに、二箇所が候補にあがっている。一つは稲沢市松下及び国府宮(この二つは隣接している)の双方に国衙という小字があり(現在は松下n丁目、国府宮n丁目)、近辺が推定されている。数度の発掘調査が行われているが、木簡や銅印などは出土しているものの、遺構は発見されていない。又、もう一つは稲沢市下津町に東国府、西国府の小字があり、近辺が推定されているが、発掘調査は行われていない。
鎌倉時代の守護所の位置は不詳だが、将軍の宿泊地に必ず萱津が当てられ、守護はその接待をした事からその近辺だという説がある。いつ頃からは定かでないが、室町時代には下津(稲沢市)にあった。
延喜式神名帳には大社8座8社・小社113座の計121座が記載されている。大社8社のうち4社は愛智郡の熱田神社(現 熱田神宮)とその摂社3社である。他の大社は以下のもので、熱田神社も含め、全て名神大社に列している。
一宮は一宮市真清田の真清田神社である。1165年の史料に、既に真清田神社が一宮として記載されている。一宮市の大神神社という説もあり、大神神社の社伝では真清田神社・大神神社の両社が相殿として一宮とされたとしている。二宮は大県神社で、1143年の史料に記述があり、一宮もこの頃定まったと考えられる。三宮は名古屋市の熱田神宮である。古代からの大社である熱田神宮が一宮にならなかった理由は、当初、伊勢国における伊勢神宮と同様に別格で一宮とされなかったが、一宮・二宮が定められた後に三宮として追加されたという説、単に国府から遠かったためとする説もある。四宮以下はない。
国分僧寺は、最初は現在の稲沢市矢合町椎ノ木に置かれた。伝承に基づいて発掘調査を行った所、塔跡と金堂跡が発見された。日本紀略に火災があり、そのため、定額願興寺を国分寺としたとある。その定額願興寺の所在地として、名古屋市中区正木4丁目が比定されている。その後衰退して廃寺になっている事から、その後に国分尼寺が僧寺に転用されたという説もある。中世以降の国分僧寺については不詳。国分尼寺は稲沢市法花寺町と推定されている。法花寺町の法華寺がその名残とする説がある。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1195年~? - 小野成綱
- ?~1221年 - 小野盛綱
- 1240年~? - 中条家平
- 1252年~? - 中条頼平
- 1290年~? - 中条景長
- 1314年~? - 北条氏一門(名越氏?)
- ?~1333年 - 北条宗教
[編集] 室町幕府
- 1336年~1338年 - 中条秀長
- 1339年~1340年 - 高師泰
- 1351年~1387年 - 土岐頼康
- 1388年~1391年 - 土岐満貞
- 1391年~? - 一色詮範
- 1392年~? - 畠山深秋
- 1393年~1398年 - 今川仲秋
- 1398年 - 今川氏兼
- 1398年~? - 畠山基国
- 1400年~1418年 - 斯波義重
- 1424年~1433年 - 斯波義淳
- 1433年~1436年 - 斯波義郷
- 1436年~1452年 - 斯波義健
- 1452年~1460年 - 斯波義敏
- 1460年~1461年 - 斯波氏
- 1461年~1466年 - 斯波義廉
- 1466年 - 斯波義敏
- 1466年~? - 斯波義廉
- 1468年~1499年 - 斯波義良
- 1511年~1517年 - 斯波義達
- 1536年~1554年 - 斯波義統
- 1554年~1556年 - 斯波義銀
[編集] 郡
[編集] 現代の尾張地方
尾張地方のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方、中京地方 |
面積 | 2,020.27km² |
総人口 | 4,998,977人 (2005年3月31日) |
※尾張国(愛知県西部)全域。 |
[編集] 呼称
現代でも、「尾張」を地域名として用いることがあり、その場合以下のような異なる範囲が参照される。
- 尾張国と同じ範囲とする場合。
- 尾張国の範囲から、名古屋市を除く場合。
- 数的規模などの面から、名古屋市を分けて記述したり、組織編成したりする場合に「名古屋・尾張(名古屋を除く)」などと区分する。
- 尾張国の範囲から、名古屋市と知多半島を除く場合。
- 地域性や文化などの面から、「名古屋・尾張・知多」と区分する。
- この場合に置いて尾張国を細分化した場合、地域区分は必ずしも一定していないが、区分表記に当たっては、尾張の頭に方角を付けるほか、「尾東」「尾西」「尾北」という表記もある。また、知多半島を「南尾張」とする表記も見られるが、「尾南」という表記は見られない。
本来なら、「名古屋」は名古屋市を指すべきであるが、中京地方の三県以外では、「名古屋」の地名が名古屋市に限らず、名古屋エリアとして混同され、愛知県なかんずく尾張地方を指したりする事がある。このため、一般に歴史や文化、経済や地域区分など以外では、単独で「尾張」を呼称する機会は少ない。
[編集] 自然地理
[編集] 現在の交通網
[編集] 鉄道
など
[編集] 道路
[編集] 参考
[編集] 関連項目
- 令制国の一覧
-
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