阿波国
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阿波国 (あわのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、南海道に位置する。現在の徳島県にあたる。阿州(あしゅう)と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、中国。
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[編集] 沿革
古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために粟国(あわのくに)、南の地域は長国(ながのくに)と呼ばれていたが、大化の改新の後に粟国に統一された。和銅6年 (713年) 、元明天皇の命により地名を二字で表記するため粟は阿波に変更された。
中世、鎌倉時代においては鎌倉幕府により佐々木氏、小笠原氏が守護に任ぜられた。室町時代には三管領家の一つである細川氏の支配するところとなるが、戦国時代の到来により小笠原氏の庶流である三好氏がこれに代わることになった。
その後、土佐国の長宗我部氏の侵攻にあうが、豊臣秀吉の四国征伐後に蜂須賀氏が阿波に封ぜられ明治に至る。江戸時代には、徳島藩と富田藩(徳島藩支藩)が置かれた。
[編集] 国府・一宮など
国府は名方郡にあり、現在の徳島市国府町と推定されるが、未だ遺跡は見つかっていない。
延喜式神名帳には大社3座3社・小社47座の計50座が記載されている。大社は以下の3社で、全て名神大社である。
阿波国一宮を称する神社は複数ある。現在「阿波国一宮」と言った場合は大麻比古神社とすることが多いが、大麻比古神社が一宮とされるようになったのは中世以降のことである。古くから一宮とされていたのは上一宮大粟神社(名西郡神山町)であった。平安時代後期に、一宮大粟神社から国府の近くに分祀して一宮神社(徳島市一宮町)が創建された。上一宮大粟神社および一宮神社は式内名神大社の天石門別八倉比売神社の論社であるが、八倉比売神社(徳島市)も天石門別八倉比売神社の論社であり、こちらも一宮とされる。また、忌部神社は阿波国最高の社格を有していたこともあり、「四国一宮」を称している。
総社は国府八幡大明神宮(徳島県徳島市国府町観音寺)とされるが、明証がない。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- ?~1200年 - 佐々木経高
- 1205年~? - 佐々木経高
- ?~1221年 - 佐々木高重
- 1221年~? - 小笠原長清
- 1223年~? - 小笠原長経
- ?~1333年 - 小笠原氏
[編集] 室町幕府
- 1339年~1340年 - 細川和氏
- 1341年~1352年 - 細川頼春
- 1352年~1372年 - 細川頼之
- 1373年~1379年 - 細川頼有
- 1379年~? - 細川政氏
- 1381年~1392年 - 細川頼之
- 1392年~1402年 - 細川義之
- 1411年~1430年 - 細川満久
- 1430年~1449年 - 細川持常
- 1449年~1478年 - 細川成之
- 1479年~1488年 - 細川政之
- 1488年~1494年 - 細川義春
- 1494年~1512年 - 細川之持
- 1512年~1553年 - 細川持隆
- 1553年~? - 細川真之
[編集] 国司
[編集] 阿波守
- 細川和氏
- 三好長治
- 蜂須賀至鎮 - 阿波徳島藩初代藩主。
- 蜂須賀忠英 - 阿波徳島藩第2代藩主。
- 蜂須賀光隆 - 阿波徳島藩第3代藩主。
- 蜂須賀綱通 - 阿波徳島藩第4代藩主。
- 蜂須賀宗英 - 阿波徳島藩第7代藩主。
- 蜂須賀宗鎮 - 阿波徳島藩第8代藩主。
- 蜂須賀重喜 - 阿波徳島藩第10代藩主。
- 蜂須賀治昭 - 阿波徳島藩第11代藩主。
- 蜂須賀斉昌 - 阿波徳島藩第12代藩主。
- 蜂須賀斉裕 - 阿波徳島藩第13代藩主。
- 蜂須賀茂韶 - 阿波徳島藩第14代藩主。第11代東京府知事。第2代貴族院議長。
[編集] 阿波介
- 山田古嗣 - 846年(承和13年)任官。