大隅国
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大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。西海道に含まれ、その領域は現在の鹿児島県の東部と奄美群島にあたる。隅州(ぐうしゅう)と呼ばれることもある。延喜式での格は中国、遠国。
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[編集] 沿革
和銅6年 (713年) 4月3日に、日向国の肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡の四郡を分けて設けられた。この姶羅郡は、現在の鹿屋市旧吾平町周辺を指し、後に肝属郡に編入された。現在の姶良郡は、始羅(しら)郡がこの姶羅と混同されたための名称である。また、菱苅郡(現在の伊佐郡菱刈町周辺)・桑原郡(姶良郡湧水町周辺)・始羅郡(姶良郡姶良町周辺)は、成立当初はの囎唹郡に含まれる。
天長元年 (824年) 10月1日に、現在の屋久島と種子島にあたる多褹国をあわせた。
[編集] 国府・一宮など
国府は現在の霧島市(旧国分市)にあったと推測されているが、遺跡はまだ見つかっていない。
延喜式神名帳には大社1座1社・小社4座4社の計5座5社が記載されている。大社は桑原郡の鹿児島神社(現 鹿児島神宮、霧島市)で、一宮となっている(名神大社ではない)。二宮以下は不詳である。総社は祓戸神社(霧島市国分府中)とされるが明証がない。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1197年~1203年 - 島津忠久
- 1217年~1224年 - 北条義時
- 1225年~1245年 - 北条朝時
- 1250年~1272年 - 名越時章
- 1283年~1291年 - 千葉宗胤
- 1295年~1317年 - 北条時直
- 1323年~1333年 - 桜田師頼
[編集] 室町幕府
- 1333年~1363年 - 島津貞久
- 1363年~1376年 - 島津氏久
- 1376年~? - 今川貞世
- 1391年~1411年 - 島津元久
- 1411年~1425年 - 島津久豊
- 1425年~1470年 - 島津忠国
- 1470年~1474年 - 島津立久
- 1474年~1507年 - 島津忠昌
- 1507年~1515年 - 島津忠治
- 1515年~1519年 - 島津忠隆
- 1519年~1527年 - 島津勝久
- 1527年~1566年 - 島津貴久