尾張氏
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尾張氏(おわりし)は古代の地方豪族。『日本書紀』巻第二の一書(第六第八)によると天火明命(あめのほあかりのみこと)を祖神とし天忍人命から始まるとされる。本貫地は諸説あり不明だが、愛知県一宮市元伊勢上陸後各地を侵略。当時は海岸線が、元伊勢、羽衣、泉にあり、武器庫は真清田神社の地にあり。八剣を掲げ{後の草薙の剣}て制覇。海岸線の東に二子山古墳を造営。海岸線の南下に伴い拠点も東谷山から降り南下する。美濃・飛騨などに居住の後、乎止与命のときに尾張国造となる。倭武の時代には、熱田の南に拠点は、南下。その後裔は熱田神宮大宮司を代々務めた。また同族に住吉大社(大阪市住吉区)の歴代宮司家の津守氏、そして海部氏(京都府籠神社『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本紀』(通称・『海部氏本紀(あまべしほんき)』養老三年・国宝)による)がある。
[編集] 畿内政権からみた尾張氏
遠祖である奥津余曾の妹、余曾多本毘売命(世襲足媛)は孝昭天皇の皇后となり、子は孝安天皇となっている。
継体天皇の大和入りするまでの正妃は尾張連草香の娘、目子媛。第一子の勾大兄皇子は安閑天皇として、檜隈高田皇子は宣化天皇として即位。
壬申の乱では大海人皇子へ私邸や資金を提供するなど全面的に支援し、天武天皇の誕生に格段の功績を上げている。
[編集] 関連項目
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