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アイヌ - Wikipedia

アイヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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アイヌ民族(ウィキメディア・コモンズより)。
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アイヌ民族(ウィキメディア・コモンズより)。
アイヌ
総人口 約25,000人(調査に応じた人口)
主な居住地 日本北海道東京他)、
ロシア樺太
主な言語 日本語アイヌ語
主な宗教 仏教アニミズム
関連する民族 大和民族ウィルタニヴフ

アイヌ民族は、日本ロシアにまたがる北方先住民族で、歴史的には本州東北部から北海道千島列島樺太サハリン)を生活圏としていた。現代においては北海道を中心に関東ほか都市部で生活を営んでいる。ウタリはアイヌ語で同胞、仲間を意味し名称などで使用されるが、民族呼称ではない。

千島のアイヌは1875年樺太千島交換条約後、その殆どが当地を領有した日本政府によって色丹島へ強制移住させられた。樺太のアイヌは第二次世界大戦後にその殆どが当地を占領したソビエト連邦政府によって北海道へ強制送還されたが、現在も樺太には少数ながら住んでいる。

目次

アイヌの意味と位置

アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する「人間」という意味であったとされている。世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない。アイヌの社会では、アイヌという言葉は本当に行いの良い人にだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。

これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、日本人(シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増えてきた17世紀末から18世紀初めにかけてだとされている。理由はアイヌが、「蝦夷(えぞ)」と呼ばれるのを嫌い、「アイノ(アイヌ)」と呼ぶように求めたとされているが、呼称そのものが普遍化したのは明治以降になってからのことである。

中世以降、日本人はアイヌを蝦夷、北海道を蝦夷地と称してきた。北方の民族からはクギなどと呼ばれてきた。朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷」、あるいは「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」をアイヌと捉える向きもあり、アイヌを東北地方以北の全土(飛躍した説では琉球までを含む日本全土)に住んでいた原日本人の一つする説もある。これまで起源論や日本人との関連については考古学・比較解剖人類学・文化人類学医学言語学などからアプローチされてきたが、近年DNA解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになってきた。

しかし明治以来、アイヌは他のモンゴロイドに比べて、彫りが深い、体毛が濃い、四肢が発達しているなどの身体的特徴を根拠として、人種論的な観点からコーカソイドに近いと言う説が広く行き渡っていた時期があった。20世紀のアイヌ語研究者の代表とも言える金田一京助も、この説の影響を少なからず受けてアイヌ論を展開した。アイヌ=縄文人近似説が主流になるまで、アイヌ=ヨーロッパ人近似説には日本の学会において強い影響力があった。このような認識はまた、日本政府の様々な政策(同化政策、ロシア国境地帯からの強制移住など)にも色濃く反映された。

彼らの祖先は日本人の主体となっているいわゆる和人と同じように縄文人の一部を形成し、おおまかには続縄文文化擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至ったことが明らかになっている。しかし、その詳細な過程、縄文人集団から和人集団とアイヌ集団への分化過程については不明な点が多く、かろうじて各地の地名に残るアイヌ語の痕跡、文化(イタコなど)、言語の遺産(またぎ言葉、東北方言にアイヌ語由来の言葉が多い)などから、祖先または文化の母胎となった集団が東北地方にも住んでいた可能性が高いことが推定されている。特に擦文文化消滅後、文献に近世アイヌと確実に同定できる集団が出現するまでの経過は、考古学的遺物、文献記録ともに乏しい。

江戸時代には松前藩がおもにアイヌの人々と交易を行っていた。当時、アイヌは和人のことを「シサム」「シャモ」と呼称していた。シサムは隣人という意味のアイヌ語で、シャモはその変化形の蔑称または「和人」のアイヌ読みともいわれる。

現在、アイヌの大部分は北海道に住んでいるが、北海道を離れて生活するアイヌも、けっして少なくは無い(東京周辺だけでも北海道在住アイヌの一割を超えるとの説もある)。

歴史

アイヌ文化の成立

アイヌ文化は北海道で13世紀に成立した。資料が十分でないため、アイヌ文化成立について考古学や文献でその事情を跡付けることはできない。しかし基本的には、北海道の前時代にあった擦文文化を継承しつつ、オホーツク文化と融合し、本州の文化を摂取して生まれたと考えられている。

擦文時代の前にあたる続縄文時代の土器の文様には、アイヌの衣装に描かれる模様(アイヌ文様)と似ると指摘されるが、アイヌ文様はアムール川流域や樺太中部~北部の諸民族の文様とも類似しており、その発生・系統を実証することはできない。

オホーツク海南沿岸にあったオホーツク文化には、熊を特別視する世界観があった。これはアイヌ文化と共通するが、擦文文化にない。アイヌにとって重要な祭祀である熊送り(イオマンテ)がオホーツク文化にあった可能性も示唆されている。

また、擦文文化とアイヌ文化の生活体系の違いは、日本からの移入品の量的増大にあり、アイヌ文化にとっては交易で入手する物が重要な要素になっていた。この点からは、アイヌ文化を生んだ契機に日本との交渉の増大があると考えられている。

アイヌ文化の展開

樺太アイヌは北方のツングース系民族とも交流があり、それを介して大陸の中華王朝とも関係を持った(アイヌの文化と生活を参照)

  • 1264年 樺太に住むアイヌ(骨嵬)とニヴフ(吉烈迷)の間に紛争勃発。蒙古軍が介入し、アイヌに朝貢を取り付ける。

和人の進出

文字記録をもたないアイヌには歴史の記録がない。現代まで和人の視点からの記録が歴史とされている。アイヌからの視点で歴史を記述することが、歴史学の課題でもある。

  • 13世紀 - 安藤太蝦夷代官職になる。
  • この頃がアイヌを征討する。
  • 1268年 - 津軽でエゾの蜂起があり、安藤氏が討たれる。
  • 1295年 - 日持上人が樺太南西部(後の樺太本斗郡本斗町阿幸)に上陸し、日蓮宗の布教活動を行った。
  • 15世紀 - 和人が蝦夷地南部12箇所に勢力を張る。道南十二館(どうなん じゅうにたて)という。勢力を張った和人土豪はアイヌとの交易や漁場への進出を通して成長する。
  • 1457年 - コシャマインの戦い
    • 和人の蝦夷地進出に対してアイヌの首長コシャマインが起こした蜂起。花沢館の館主である蠣崎氏の客将、武田信広が制圧し、蠣崎家を相続すると、道南十二館を統一して蝦夷を単独支配した。
  • 1550年 - 安東舜季、蝦夷地の国情視察を目的に蝦夷地に渡る。(東公の島渡)
    • 蠣崎家はその後、豊臣秀吉からも所領安堵されて「蝦夷島主」とされた。さらに江戸幕府からアイヌとの交易独占を認められ、それからは「松前氏」と名乗った。松前藩の支配下におかれてから、松前商人が不平等な交易をするようになったため、アイヌの不満は高まり、下記に示すような蜂起にいたることになる。
    • それらの戦いでは銃器を大量に投入できた和人側に利があったが、アイヌも火縄銃を利用したといわれる。幕府はアイヌに銃を渡すことを禁じたが、ロシア由来の銃も利用された。
    • クナシリ・メナシの戦いに破れて以降、アイヌによる組織的な武力抵抗は見られなくなった。
  • 1669年 - シャクシャインの戦い
  • 1679年、松前藩の穴陣屋が久春古丹(後の樺太大泊郡大泊町楠渓)に設けられ、日本の漁場としての開拓が始まる。
  • 1789年 - クナシリ・メナシの戦い
  • 18世紀後半 - ロシア蝦夷地を訪れる。
  • 1798年 - 近藤重蔵が東蝦夷を探検、択捉島に「大日本恵土呂布」の標柱を立てる。
  • 1799年 - 東蝦夷地を幕府が直轄化。
  • 1800年 - 伊能忠敬が蝦夷を測量。
  • 1801年 - 最上徳内や富山元十郎などが千島列島得撫島を探検し、「天長地久大日本七属島」の標柱を立てる。
  • 1802年 - 江戸幕府、蝦夷奉行を置く。後に箱館奉行となる。
  • 1804年 - ニコライ・レザノフ日露の通商を求めて長崎に来日、通商を拒絶される。
  • 1807年 - ニコライの部下、フォボストフらが択捉島や樺太に上陸、略奪や放火などを行う(フォボストフ事件)。幕府は東北諸藩の兵で警備を強化。西蝦夷地を幕府直轄化。箱館奉行を廃止し松前奉行を置く。アイヌに対する和風化政策がおこなわれる。
  • 1808年 - 幕府が、最上徳内、松田伝十郎、間宮林蔵を相次いで樺太に派遣。松田伝十郎が樺太最西端ラッカ岬(北緯52度)に「大日本国国境」の標柱を建てる。

長崎フェートン号事件

千島・樺太のアイヌ

千島樺太のアイヌは日露両国の進出、南北千島の分断統治、樺太と千島の交換、日露戦争ロシア(当時はソ連)の北方領土占領によって国際的に翻弄された。

千島列島には先史時代から居住者がいたが、記録に残っているのは18世紀からである。千島アイヌは千島列島を南北に移動して交易していたが、この頃、日本の北進とロシアの南進によって、彼らは生産・交易活動を両国に依存することが多くなっていった。1799年、エトロフ(択捉島)までを支配下に収めた江戸幕府は、1803年、エトロフ-ウルップ(得撫島)間のアイヌの移動を禁止した。これによりウルップ島以北のアイヌは日本との交易が困難になり、ロシアの影響を強く受けるようになった。1854年日露和親条約によって千島列島は日露両国が南北を分断して統治することになったが、1875年には樺太・千島交換条約に基づき千島列島が全て日本の領土になった。その際居住者は日本国籍を得て残るか、ロシア国籍を得て去るか選択させられ、大部分は日本国籍を得た。

1884年には若干の千島アイヌが日本領北端のシュムシュ(占守島)に残っており、北の国境に民間人を置いておくよりも南の地で撫育した方が良いと考えた日本政府は、97名を半ば強制的に色丹島へ移住させ、牧畜・農業に従事させた。しかし先祖代々続いた漁撈を離れ、新しい土地で暮らすことに馴染めず、健康を害するものも現れた。望郷の念を募らせる千島アイヌに対し、日本政府は1898年以降、軍艦に彼らを乗せ北千島に向かわせ、臨時に従来の漁撈に従事させる等の措置をとったものの、1923年には人口は半減していた。更に第二次世界大戦における日本の敗戦に乗じたソ連による千島・北方領土の占領に伴い、千島アイヌを含んだ日本側居住者は全て強制的に本土に移住されられ、各地に離散した。1970年代に最後の一人が死去した時点で千島アイヌは消滅したと思われる。

樺太のアイヌも国際情勢の変化の影響を強く受けた。樺太・千島交換条約に伴って樺太がロシア領になることから、同条約発効に先立つ1875年10月、もともと樺太南部の亜庭湾周辺に居住し日本国籍を選択した108戸841名が宗谷に移住させられ、翌年6月には対雁(現江別市)に移された。生活環境の変化に加え、運の悪いことに1886年コレラ、さらには天然痘の流行が追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。1905年の日露戦勝によって南樺太が日本領になると、1906年、漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。ところが第二次世界大戦後に樺太全域がまたもロシア(当時はソ連)の占領下となり、同国政府によって樺太アイヌの殆どが北海道へ強制送還された。しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。

文化と生活

生活形態は、経済的には狩猟、漁猟、採取(山林・海洋)、農耕、及び交易を組み合わせて生活に必要な物資を確保するものであった。

をカムイチェプと呼び主食の中心と捉えており、秋に遡上してきた鮭を大量に採集し漁場の近くに構えた専用の加工小屋兼住居で簡単な薫製を施した干物にし、保存食とした。これは自らの自給的な食糧として重要であっただけではなく、和人との交易品としても大量に確保する必要がある、主要産品のひとつであった。

オオウバユリ(トゥレプ)の球根(鱗茎)から採取・塊状保存した澱粉と、澱粉を採集したあとの滓を発酵させ、乾燥保存したものも主食の一つであり、この澱粉利用の伝統があったので、馬鈴薯が伝わるとすぐに受容した。

穀物栽培もけっして知らなかったのではなく、ヒエ(ピヤパ)の栽培が古くから行われ、祭事に用いるトノトというをこれから醸造した。ほかにアワ(ムンチロ)、キビ(メンクル)の栽培が行われた。これらを炊飯したものをチサッスイェプ、かゆに炊いたものをサヨと呼んだ。

信仰は非常に汎神論的(アニミズム)で、あらゆるものにカムイ)が宿るとしていた。イオマンテ熊送り。代表例 : 熊祭、熊の霊送りの踊り)を行ない、(熊の猟時には熊の)命を敬う独自の文化をもっていた。これにともない、明治時代に入るまで神前裁判の風習を色濃く残していたことが、日本人のアイヌ蔑視に結びついたという説がある。

現在では、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日常生活は表面的には和人と大きくは変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中、アイヌとしての意識は、少なくはない人々の間で健在である。アイヌとしての生き方はアイヌプリとして尊重されている。

アイヌの歴史や教訓、生活知恵などが描かれている叙事詩として語る「ユーカラ」が、口承されており、その記録活動もはじまっているが、継承者が亡くなっていくなど難航している。ユーカラの研究者としては、知里真志保(ちり ましほ)、金田一京助などが知られている。

差別問題

アイヌ差別の端緒は古代までさかのぼることもできるが、ここでは江戸時代以降の話に限定する。また、アイヌ差別を正確に把握するには、当時の日本の状況も把握しておく必要がある。

江戸時代の日本社会においては「独自の文字がない=読み書きができない」ということは能力の欠如を意味していた。また、アイヌの中には「実力行使の前に徹底的に話し合う」という風習を持つところも少なくなかったため、戦いを避けようとする姿勢を侮られた部分もあると考えられている。同時に、この風習的抑圧が、数度にわたるアイヌの大規模な軍事行動を生んだと見る向きもある。

一方、帝国主義時代に開国と文明化を余儀なくされた明治時代の日本人にとって、古くからの因習と風俗を守り続けているアイヌは「弱者」にあたる存在だった。もともと北海道進出の歴史が対ロシアとの緊張(ゴローニン事件など)で加速されたこともあり、「北海道をロシアにとられないため」という防御的な理由と「未開地は支配しても良い(欧米と同じように)」という攻撃的な理由とが存在していた点も忘れてはいけない。

さらに、明治維新という出来事が、日本の社会体制を「地域社会型」から「都市集中型」に切り替えたことも、重要になってくる。当初、明治政府は戊辰戦争で賊軍になった諸藩に開拓団を出させていたが、これが軌道にのると、内地(本州)で起きていた人口流動のはけ口のひとつが北海道になったという面がある(後に満州開発が始まると、移民はそちらへと移っていった)。

こうした背景もあり、明治政府はアイヌを平民として日本人(大日本帝国臣民)に組み入れることで、北海道という土地を明確に自国領として取り扱った。また、明治人(特に知識人)の間では、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。

この時期のアイヌを、アイヌの側から見てみると、非文明的という受け入れ難い理由により、伝統的な狩猟や医療(シャーマニックな祈祷)が禁止されたばかりか、和人入植者である「新土人」の対語として作られた「旧土人」という分類に勝手に区分され、土地に関する差別的な扱いを受けていったといえる。この「土地の所有に関する問題」は、北海道地券発行条例から始まり、北海道旧土人保護法に至る流れで確定的となった(段階的に土地に関する法令が生まれていった背景にも、アイヌに対する日本人側の矛盾した見方が関与していると考えられる)。

なお、家族主義的な傾向が強かった当時の日本では、「未開人」または「弱者」であるアイヌとの婚姻をことさらに疎む者もいた。アイヌの場合はこれが戦後もしばらく続いたという点で、より深刻と言える。こうした傾向から、「アイヌ」という呼称そのものが差別的に用いられる事例もあらわれ、ますます差別的な流れが確定していった(このことから、アイヌ語で「親戚・同胞」を意味する「ウタリ」を民族呼称として用いるケースが増えていき、後に北海道アイヌ協会が北海道ウタリ協会へと改名することにつながった。今現在も「アイヌ」と「ウタリ」を意識して使い分ける者がいるのは、こうした理由による)。

そして戦後になると、さらにアイヌを巡る状況は複雑になっていく。

もともと北海道では、国鉄・鉱山の労働組合が大きな影響力を持っていたこともあり、戦後まもなく、社会主義運動の波が押し寄せてきた。また、戦後まもない頃の北海道は、外地からの帰国者の就労場所であり、さまざまな利権が渦巻いていた。これにより北海道は、55年体制に入った日本における、自民党社会党の利権争奪の場となった。これにアイヌも巻き込まれた。この時、アイヌの多勢が社会党側についたことが、北海道旧土人保護法の撤廃を遅れさせた(55年体制下では一貫して野党であった社会党がなかなか法案を出さず、社会党とは対立関係にあった与党の自民党が法案を通す見込みもなかった)遠因ではないかとの指摘もある。

さらに北海道アイヌ協会が北海道ウタリ協会に団体名を変更したことも、「アイヌ」という言葉を自ら忌避しているかのような印象を与え、「アイヌ」を差別用語として社会に認知、定着させてしまうことに寄与したと見ることもできる。これは差別をめぐる客観的状況に対応した措置であったが、皮肉にもこれにより、「アイヌ」という言葉自体が公に流通しにくくなり、差別撤廃への全国的なアピールが遅れたという側面も大きい。

それでも1980年代に入ると、北海道における差別は徐々に弱まり、理解も広がっていった。こうして1988年北海道旧土人保護法の撤廃とアイヌ文化保護のためのアイヌ新法に関する議論を北海道の総意として国に提出するまでに至る。国政の場では、土井たか子に代表されるマドンナブームで社会党が大躍進。期待が膨らんだが、成果を出すまでには至らなかった。

情勢が大きく動いたのは6年後の1994年萱野茂が「アイヌ」のアイデンティティを掲げる者としては初の国会議員に当選してからのことだ。これによりメディアにも「アイヌ」という言葉が使われるようになり、ようやく北海道旧土人保護法という法律が今も残っていることが全国に認知された。こうして自社さ政権である村山内閣のもとで1995年、内閣官房長官の懇談会としての「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が設立される。その2年後にあたる1997年、ようやくアイヌ新法が制定され、北海道旧土人保護法が撤廃される運びとなった。

以上を経緯を考えれば、日本人(和人)側の「教える」「導く」「守る」という、一方的な善意と、それと表裏一体となった利己的な振る舞いとが、アイヌという集団を翻弄してきたと言える。

1990年代をすぎると、サブカルチャーとしてのゲームにアイヌを題材にしたものが登場してきたこと、彫りの深い顔立ちを「アイヌ的」という表現で若者が良い方向に評価するようになったことなどから、アイヌに対する民族差別的な偏見は薄らいでいくことになった。だがこれは、初期においては政策的な、戦後は社会的な同化政策が続いたことにより、アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけと見ることもできる。そして、純粋なアイヌ文化は稀少化することで却って肯定的に捉えられたものであり、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。

起源論

  1. 生物学・自然人類学的アイヌ
  2. 歴史学・考古学分野での探求
  3. 言語学の成果

関連項目

Wikimedia Commons
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外部リンク

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