鹿島アントラーズ
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鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、Kashima Antlers)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。主要タイトル(Jリーグ年間、天皇杯、リーグカップ)において、Jリーグ史上最多の9冠を誇る名門クラブ(スーパーカップ、A3チャンピオンズカップを含めると13冠)
目次 |
[編集] クラブの概要
チーム母体は住友金属工業蹴球団。1991年Jリーグ加盟。 ホームタウンは茨城県鹿嶋市(合併前は鹿島郡鹿島町と大野村)・潮来市・神栖市に2006年からは鉾田市、行方市も加わった。1995年に鹿嶋市が誕生して以後もチーム名は鹿島のまま。なお当時ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた。ホームスタジアムはカシマサッカースタジアム、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンド。
チーム名の「アントラー (antler)」は英語で鹿の枝角を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。
チームは、一年ごとのスローガンとは別に「FOOTBALL DREAM」を常に掲げ、地域と共に頂点を目指す。
チームマスコットは、クラブ創設時より「しかお」。シカをモチーフにしたキャラクターである。さらに1997年3月2日にしかおと結婚したと言う設定で、「しかこ」が登場。1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したと言う設定でアントンが登場した。
サッカー以外にもミニバスケットボール、テニスのスクールを開催している。テニス競技とは結びつきが強く、デビスカップ開催時にはアントラーズのボランティアスタッフが試合運営をアシスタントした。
また、監督により戦術を頻繁に変えるチームが多いJリーグにおいて、開幕からほとんどの試合をDFを4人配置する4バックで戦うなどチーム戦術に一貫性のある数少ないチームである。
なおJリーグが開幕した1993年以降、所属した外国籍選手は全員がブラジル人選手(2006年現在)である。
2006年のスローガンは「一新制覇」。
[編集] クラブの歴史
[編集] 住友金属時代
太平洋戦争後の間もない1947年、空襲の爪跡を残す大阪市に住友金属蹴球同好会を創部した。1956年には住友金属蹴球団に改称。1973年に日本サッカーリーグ2部に昇格。1975年に茨城県の小さな町だった鹿島町(現・鹿嶋市)に移転した。さらに1部昇格を狙うには、いろいろな苦労があった。当時、他の実業団チームは契約制を導入し始めていた。外国人選手をはじめ国内でも実力の高い選手と契約を交わしてプロとしての意識づけを行い、レベルを高め、戦力の強化を達成してきた。
しかし、住友金属は徹底したアマチュアイズムを貫いており、また社内にはほかに多くのスポーツ団を抱えていたので、蹴球団だけを特例としてノンアマチュア化(プロ化)することはできなかった。
1985年、1部への昇格を果たす。しかし結果は12チーム中11位と再び、2部リーグに降格せざるをえなかった。 1986年には、1部への返り咲きを果たした。しかし1部リーグでは12チーム中10位。翌年には12チーム中11位とまたしても2部に降格した。転機となったのは1989年。プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立が具体化され、住友金属蹴球団もプロリーグ参加を表明。しかし「2部リーグのチームの力じゃ、プロリーグでやっていけないだろう」、「人口が少なくサッカーが盛んとはいえない鹿島で観客を集めることは困難」と誰もがそう思っており、さらに当時のJリーグ会長・川淵三郎からは「とにかく住金が加入できる確率は限りなくゼロに近く、99.9999%ダメだ」と言われたが、住友金属蹴球団は、「まだ0.0001%の可能性はあるんですね」と言い返した。その後、1人のブラジル人がやってきた。それがブラジルが生んだスーパースターで、元ブラジル代表主将ジーコ(前日本代表監督、現:フェネルバフチェ(トルコ)監督)である。ジーコが加入してきたのは1991年(川淵三郎によると、「当初、紹介した古河電工(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)にそのまま加入してもらおうと思っていたが、当の古河電工はジーコ入団に難色を示し、その後断りをいれた。そのため、新たに住友金属を紹介したところ、住友金属のアピールもあって、ジーコの入団が実現した」と話している)。当時チームは2部リーグに甘んじていたが、ジーコのスーパープレイは他チームの選手を翻弄した。そして、日本初の本格的サッカー専用スタジアムとして建設されたカシマサッカースタジアムをホームスタジアムとして、念願だったJリーグ加盟を果たし、チーム名も「鹿島アントラーズ」と改称、プロクラブとして新たなスタートを切った。
[編集] アントラーズ時代
初代監督には本田技研サッカー部の宮本征勝が就任。選手も長谷川祥之や本田泰人などJリーグ入りを断念した本田技研の選手を中心に補強。ジーコ・アルシンドなどブラジル人選手を中心にJリーグ開幕を迎えた。開幕戦は名古屋グランパスエイトとのホームゲームで「ジーコとリネカーの対決」が注目されたが、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールで5-0で圧勝、白星スタートを切った。勢いに乗ったチームは開幕シリーズである1993年1stステージを制覇。
ジーコ引退以降も、「後任」のレオナルドの活躍などで1シーズン制で行われた1996年には、初めての年間王者に輝くがチャンピオンズファイナルでは決勝戦で名古屋グランパスに敗れ96年シーズンの完全優勝を逃がす。1997年には、ヤマザキナビスコカップと天皇杯を初制覇して「カップ・ダブル」を達成。 1998年には、当時ライバル関係にあったジュビロ磐田を下して、2度目のリーグ年間優勝を果たした。
そして2000年度にはJリーグ発足以来初の日本サッカー三冠(ナビスコ杯、Jリーグ年間王者、天皇杯)を獲得した。
2001年には、2年連続リーグ年間優勝、2002年には、ヤマザキナビスコカップ優勝を果たした。ジーコの人脈を活かしたブラジル人選手の獲得、日本人有力選手の入団など戦力補強を上手く進めており、今やJ屈指の優勝争いの常連となっている。
年間王者には最多の4度輝いているが、実は年間総合の勝ち点で1位になったのは96年と97年の2度しかない。(磐田とヴェルディ川崎は3度)リーグ戦で安定した成績を残してきたライバル磐田に対して、鹿島はここ一番での勝負強さが光るチームである。このことがJリーグ最多9個のタイトル獲得をもたらした。 ジーコは日本代表監督就任に伴って2002年にテクニカルディレクターを辞任したが、2005年まではジーコの盟友ともいうべきトニーニョ・セレーゾが監督を務め、就任した当初から数々のタイトルを獲得した。ただ、2003年以降からは、リーグ制覇こそ成し得なかったものの、リーグ上位の成績を残しながら世代交代を押し進めた。
2006年シーズンは、ブラジルの名門サンパウロFCをFIFAクラブ世界選手権(現:FIFAクラブワールドカップ)優勝へ導いたパウロ・アウトゥオリ監督が就任。更にFWの柳沢敦が復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だったMF小笠原満男がメッシーナ(イタリア)へ移籍。2点以上失点するゲームが多く、リーグ戦での成績は伸び悩んだものの、ヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出。 4年ぶり、10個目のタイトルがかかったナビスコカップ決勝ではジェフ千葉に敗れた。
10冠獲得のためには、移籍した小笠原満男の大きな穴をいかに埋めるかと、安定したディフェンスの再構築が急務と言える。
[編集] 観客減
2004年シーズン以降、ホームゲームの観客減に悩まされるようになっている。
Jリーグ開幕後しばらくの間は、「地域密着が最も上手く行った事例」として幾度もアントラーズが取り上げられ、1990年代後半の「Jリーグバブルの終焉と低迷期」においても平均動員数をキープし続けていた。しかし、ピークとなった2001年から、2006年までの5年間に約30%も平均動員数が落ちてしまっている。
減少の原因として、元々他県からカシマにまで遠征してくるサポーターが多い。コアサポーターと一般観客との温度差(一般客の敬遠)、2003年以降タイトルを獲得できていない事などが挙げられる。また、カシマサッカースタジアムの改修工事期間に国立競技場で試合を行っていたことやスタジアムのキャパシティが大きくなったことにより「いつでも行けるから今日行かなくてもいいだろう」という観客側の心理面の変化も影響していると見られる。
クラブ側も2005年シーズンから、周辺地域住民のホームゲーム無料招待を行い始めるなど、減っている観客動員数を増やそうと対策を行っている(2005年シーズンの観客動員が前年比プラスになったのはこのためである)が、効果は短期的なものにとどまり、2006年は平均動員数が前年比17%もの減少(2005年度18,641人→2006年度15,433人)となった。なお平均動員数が16,000人を割ったのはカシマスタジアムの拡張前の1998年以来となる。
[編集] Jリーグ年度別成績
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | ステージ順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | J1サントリー | 18 | - | 13 | 5 | - | 1位 |
J1ニコス | 18 | - | 10 | 8 | - | 4位 | |
1994年 | J1サントリー | 22 | - | 16 | 6 | - | 3位 |
J1ニコス | 22 | - | 11 | 11 | - | 5位 | |
1995年 | J1サントリー | 26 | - | 14 | 12 | - | 8位 |
J1ニコス | 26 | - | 14 | 12 | - | 6位 | |
1996年 | 年間 | 30 | - | 21 | 9 | - | 1位 |
1997年 | J1・1st | 16 | - | 13 | 3 | - | 1位 |
J1・2nd | 16 | - | 11 | 5 | - | 4位 | |
1998年 | J1・1st | 17 | - | 11 | 6 | - | 5位 |
J1・2nd | 17 | - | 15 | 2 | - | 1位 | |
1999年 | J1・1st | 15 | 19 | 6 | 8 | 1 | 9位 |
J1・2nd | 15 | 24 | 8 | 7 | 0 | 6位 | |
2000年 | J1・1st | 15 | 24 | 8 | 7 | 0 | 8位 |
J1・2nd | 15 | 31 | 10 | 4 | 1 | 1位 | |
2001年 | J1・1st | 15 | 25 | 6 | 8 | 1 | 11位 |
J1・2nd | 15 | 39 | 13 | 2 | 0 | 1位 | |
2002年 | J1・1st | 15 | 27 | 9 | 6 | 0 | 5位 |
J1・2nd | 15 | 27 | 9 | 6 | 0 | 3位 | |
2003年 | J1・1st | 15 | 23 | 7 | 6 | 2 | 8位 |
J1・2nd | 15 | 27 | 6 | 2 | 7 | 4位 | |
2004年 | J1・1st | 15 | 23 | 7 | 5 | 3 | 5位 |
J1・2nd | 15 | 24 | 7 | 5 | 3 | 4位 | |
2005年 | 年間 | 34 | 59 | 16 | 7 | 11 | 3位 |
2006年 | 年間 | 34 | 58 | 18 | 12 | 4 | 6位 |
合計 | J1 | - | - | 279 | 163 | 33 | - |
[編集] Jリーグ対戦通算成績(2006年終了時)
[編集] 対戦通算成績と得失点
対戦チーム | 勝ち | 引分 | 負け | 得点 | 失点 | |
---|---|---|---|---|---|---|
浦和レッドダイヤモンズ | 22 | 3 | 7 | 59 | 37 | |
大宮アルディージャ | 4 | 0 | 0 | 9 | 1 | |
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフ市原) | 23 | 1 | 10 | 68 | 40 | |
FC東京 | 8 | 3 | 3 | 24 | 20 | |
川崎フロンターレ | 3 | 0 | 3 | 12 | 9 | |
横浜F・マリノス(←横浜マリノス) | 16 | 2 | 16 | 52 | 51 | |
アルビレックス新潟 | 3 | 2 | 1 | 17 | 8 | |
ヴァンフォーレ甲府 | 1 | 0 | 1 | 4 | 3 | |
清水エスパルス | 14 | 2 | 18 | 49 | 55 | |
ジュビロ磐田 | 17 | 4 | 9 | 56 | 38 | |
名古屋グランパスエイト | 20 | 1 | 13 | 67 | 45 | |
京都パープルサンガ | 11 | 1 | 4 | 41 | 15 | |
ガンバ大阪 | 20 | 4 | 10 | 66 | 42 | |
セレッソ大阪 | 10 | 4 | 10 | 29 | 25 | |
サンフレッチェ広島 | 18 | 1 | 13 | 43 | 43 | |
アビスパ福岡 | 12 | 1 | 1 | 38 | 13 | |
大分トリニータ | 3 | 3 | 2 | 10 | 6 | |
コンサドーレ札幌 | 5 | 0 | 1 | 15 | 9 | |
ベガルタ仙台 | 2 | 1 | 1 | 4 | 3 | |
柏レイソル | 17 | 1 | 6 | 51 | 31 | |
東京ヴェルディ1969(←ヴェルディ川崎) | 17 | 1 | 14 | 46 | 49 | |
湘南ベルマーレ(←ベルマーレ平塚) | 11 | 0 | 5 | 36 | 22 | |
ヴィッセル神戸 | 13 | 1 | 4 | 44 | 17 | |
横浜フリューゲルス | 9 | 0 | 9 | 48 | 36 | |
計 | 279 | 33 | 163 | 887 | 618 |
[編集] 海外対戦チーム
開催年月日 | 大会名 | 対戦相手 | 開催スタジアム | スコア | 勝敗 |
---|---|---|---|---|---|
02年5月26日 | メディアチャレンジマッチ | イタリア代表( イタリア) | 国立霞ヶ丘競技場 | 1-2 | 敗戦 |
02年8月26日 | 国際親善試合 | ASローマ( イタリア) | ― | 0-6 | 敗戦 |
03年2月16日 | A3チャンピオンズカップ | 大連実徳( 中国) | 国立霞ヶ丘競技場 | 3-1 | 勝利 |
03年2月22日 | A3チャンピオンズカップ | 城南一和天馬( 韓国) | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-0 | 引分 |
04年7月4日 | 日韓親善国際サッカーフェスティバル | 浦項スティーラース( 韓国) | 青森県総合運動公園 | 4-2 | 勝利 |
04年8月1日 | 国際親善試合 | FCバルセロナ( スペイン) | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-5 | 敗戦 |
04年8月4日 | 国際親善試合 | バレンシアCF( スペイン) | 国立霞ヶ丘競技場 | 0-1 | 敗戦 |
05年7月28日 | 国際親善試合 | マンチェスター・ユナイテッド( イングランド) | 国立霞ヶ丘競技場 | 2-1 | 勝利 |
06年3月10日 | 上海国際サッカートーナメント | アトレチコ・マドリード( スペイン) | 上海虹口スタジアム | 1-3 | 敗戦 |
06年12月14日 | 上海国際サッカートーナメント | マンチェスター・シティ( イングランド) | 上海虹口スタジアム | 4-3 | 勝利 |
[編集] ダービーマッチ
- 茨城ダービー
- 日本のクラシコ
- 鹿島アントラーズvsジュビロ磐田
- 日本のナショナルダービー、「日本のクラシコ(伝統の一戦)」と言われている一戦。ここ数年は両チームが優勝争いで突き抜けるといった面は見ないが、熱い戦いが繰り広げられる。
- 鹿島アントラーズvsジュビロ磐田
- レッドダービー
- 鹿島アントラーズvs浦和レッドダイヤモンズ
- 両チームともユニフォームカラーが赤色によるもの。両サポーターが非常に熱狂的であることでも知られる。地域性などで生まれたわけではないものの、盛り上がりという観点からすれば日本で最も盛り上がるカードのひとつであろう。
- 鹿島アントラーズvs浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 獲得タイトル
[編集] 国内タイトル
- 天皇杯:2回
- 1997年、2000年
[編集] 国際タイトル
2000年にJリーグ年間・天皇杯・リーグカップを制し3冠を達成。 現在Jリーグの公式タイトル(Jリーグ年間・天皇杯・リーグカップ)は9冠。2002年から10冠への足踏みが続いている。
[編集] 個人別タイトル
- 1993年 大野俊三、サントス、本田泰人
- 1995年 相馬直樹
- 1996年 相馬直樹、ジョルジーニョ
- 1997年 相馬直樹、秋田豊、ビスマルク
- 1998年 相馬直樹、秋田豊、柳沢敦
- 2000年 高桑大二朗、秋田豊
- 2001年 秋田豊、名良橋晃、小笠原満男、中田浩二、柳沢敦
- 2002年 曽ヶ端準、小笠原満男
- 2003年 小笠原満男
- 2004年 小笠原満男
- 2005年 小笠原満男
- 1997年 ジョルジーニョ 最優秀選手(MVP)
- 2000年 中田浩二 最優秀選手(MVP)
- 2000年 鈴木隆行 ニューヒーロー賞
- 2001年 曽ヶ端準 ニューヒーロー賞
- 2002年 小笠原満男 最優秀選手(MVP)
[編集] 個人記録
[編集] ハットトリック
- 4得点
- 柳沢敦【1998年1st第4節(4月4日)・対京都パープルサンガ】
- 3得点
- ジーコ【1993年サントリー第1節(5月16日)・対名古屋グランパス】
- アルシンド【1993年NICOS第11節(6月19日)・対名古屋グランパス】
- 長谷川祥之【1995年NICOS第5節(8月26日)・対ガンバ大阪】
- マジーニョ【1997年1st第1節(4月12日)・対ヴィッセル神戸】
- 長谷川祥之【1997年2nd第13節(9月20日)・対ベルマーレ平塚】
- 柳沢敦【1998年1st第11節(5月5日)・対ジュビロ磐田】
- 平瀬智行【2000年1st第9節(4月29日)・対ヴィッセル神戸】
- 鈴木隆行【2004年2nd第5節(9月18日)・対ジュビロ磐田】
- 柳沢敦【2006年第1節(3月5日)・対サンフレッチェ広島】
- フェルナンド【2006年第24節(9月24日)・対FC東京】
- 野沢拓也【2006年第34節(12月2日)・対ジュビロ磐田】
[編集] 歴代監督
- 宮本征勝
- エドゥー
- ジーコ(総監督&監督代行)
- ジョアン・カルロス
- ゼ・マリオ
- 関塚隆(監督代行)
- トニーニョ・セレーゾ
- パウロ・アウトゥオリ
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
- チームカラーはディープレッド
- ユニフォームは袖に9個の星(優勝の数)がつけられている。
[編集] ユニフォームカラー
- ユニホームカラーには、ディープレッド・紺・グレーを使用している。
[編集] ユニホームスポンサー
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] スクール
[編集] ユース
- 高円宮杯 第17回全日本ユースサッカー選手権大会ベスト8
[編集] スクール校
- 鹿島校
- 日立校
- つくば校
- ひたちなか校
- 水海道校
- 美浦校
- 玉造校
- 内原校
- 高萩校
[編集] クラブショップ
- クラブハウス店(アントラーズクラブハウス内)
- 水戸店(水戸駅前 丸井ビル1階)
- カシマスタジアム売店(スタジアムコンコース数箇所 試合開催日のみ)
- つくば店(つくば駅前 つくばクレオスクエア「Q't」3階 つくば駅A5出口、エスカレータ直結)
[編集] チームマスコット
- しかお
- しかこ
- アントン
[編集] メディア
[編集] 新聞
- 茨城新聞 -「ヴァモスアントラーズ」(マッチデイ・プログラム 試合日にスタジアムで配布)
- 茨城新聞 -紙面詳細報道
[編集] ラジオ
- エフエムかしま
- 「アントラーズスピリッツ」 毎週金曜 18:00~18:40
- アントラーズのホームゲーム(カシマスタジアム開催)ではFMかしまが実況放送(試合開始30分前~試合終了後)
- 茨城放送
- 「がんばれ!!鹿島アントラーズ」毎週月曜 18:15~18:45
[編集] インターネット
- 鹿島アントラーズ公式サイト内「メンバーズルーム」(有料会員制)動画配信・最新情報等
- 鹿島アントラーズ公式サイト -ホームゲーム開催時、無料で音声実況を配信
[編集] 情報誌
- 月刊アントラーズフリークス
[編集] サポーター著名人
[編集] スタジアムの広告看板
- ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマスタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズの協賛スポンサーの広告を切り替えて表示している。これは浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャの主催試合にも使われている。(かつてはヴェルディ川崎の国立での主催試合にも一時使われていた。)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
鹿島アントラーズ - 2006 |
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1 小澤英明 | 2 名良橋晃 | 3 岩政大樹 | 4 大岩剛 | 6 本田泰人 | 7 新井場徹 | 9 アレックス・ミネイロ | 10 本山雅志 | 11 深井正樹 | 13 柳沢敦 | 14 羽田憲司 | 16 フェルナンド | 17 ダ・シルバ | 18 ファビオ・サントス | 19 田代有三 | 20 内田篤人 | 21 曽ケ端準 | 22 中後雅喜 | 23 興梠慎三 | 24 青木剛 | 25 野沢拓也 | 26 増田誓志 | 27 田中康平 | 28 首藤慎一 | 29 杉山哲 | 30 大道広幸 | 31 後藤圭太 | 32 吉沢佑哉 | 33 山本拓弥 | 34 佐々木竜太 | 監督 アウトゥオリ | クラブ | 編集 |
Jリーグ 2007 | |
---|---|
J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
|
J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガFC | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
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過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |