名古屋グランパスエイト
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名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
スポンサーが”トヨタ自動車”であることなのだろうか、資金力はJリーグ屈指で、多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。
目次 |
[編集] クラブ概要
前身はトヨタ自動車工業サッカー部で1939年に創部。日本サッカーリーグにも参戦した東海の強豪だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロ主体のトップチームを愛知県を拠点としたグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に残留する選手は静岡県裾野市にある「トヨタ東富士FC」(1993年度旧JFL・J2参加も1年で撤退)に選手を区分けした。
ホームタウンは愛知県名古屋市。ホームスタジアムは名古屋市瑞穂公園陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する。(2001年までは岐阜・長良川陸上競技場も準本拠としていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の鯱(名古屋城の金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。
[編集] 歴史
Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつ。Jリーグ開幕初年の1993年は1986年ワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーを擁して臨んだが下位に低迷。
1994年途中にユーゴスラビア代表主将ドラガン・ストイコビッチを獲得。当初は短期間の腰掛け移籍のつもりだったストイコビッチだが、結局2001年まで在籍してクラブの歴史に欠かせない存在となる。1995年にアーセン・ベンゲル監督を迎え、一躍台風の目となったグランパスは1995年度の天皇杯で優勝する。最初の黄金時代を築いた。
Jリーグでのリーグ戦タイトルこそまだないが、1996年は1シーズン制だったのでチャンピオンシップは開催されず、その代わりとして「サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル」と題する大会が開催される。その時はリーグ戦・ナビスコカップの上位2チームが進出し、名古屋グランパスがリーグ戦2位で出場権を獲得。準決勝ではナビスコ王者の清水エスパルスをPK戦の末[3-1]で勝利。決勝戦ではその年のJリーグチャンピオンの鹿島アントラーズと対戦し、ストイコビッチの延長Vゴールにより[1-0]で下して優勝。Jリーグの初栄冠に輝き、1996年の事実上のJリーグ総合王者となる。翌1997年には前年までJリーグの年間総合優勝クラブが出場したサンワバンクカップの出場権が与えられた。 しかし1996年の半ばにアーセン・ベンゲル監督がイングランドのアーセナルへ引き抜かれ、それ以降はチームは徐々に弱体化する。
1999年度にはジョアン・カルロス監督のもと、再び天皇杯で優勝。
2000年には小宮好雄副社長のトップダウン人事でチームの顔であった平野孝、望月重良、大岩剛をシーズン途中に突如解雇する。 小宮氏によると「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と解雇の理由を説明したが、未だにこの決断はファンの間に物議を醸している。
2001年の1stステージでは、8年の長きに渡り、ファンタジーあふれるプレーで、チームを支えてきたストイコビッチが現役を引退。チームは新たな過渡期を迎える。
2002年シーズンに、前ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニック監督が就任し、チームの潜在能力を引き出した。
2003年の2ndステージでは、勝ちきれない体質を改善するため、ネルシーニョ監督を招聘した。チームは8位に終わったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。
2005年シーズンは、序盤戦では2位に乗るなど幸先良いスタートを切ったが、マルケスが退団するとチームの勢いは失速した。元ブラジル代表FWルイゾンを補強したが、成績不振でネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、J2への降格すら現実味を帯びるほど不振をきわめた。しかし、11月20日の首位ガンバ大阪戦を2-1で勝利すると、つづく23日の東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分けJ1残留を果たした。
2006年シーズンは、オランダ人監督のセフ・フェルホーセン氏が就任。さらに、開幕前に日本代表FW玉田圭司を柏レイソルより完全移籍で獲得すると共に、韓国代表MF金正友らを、シーズン途中にノルウェー代表FWフローデ・ヨンセンを補強するなど巻き返しを計ったが、例年通りの順位でシーズンを終了したが、終盤に好調を維持して賞金圏内には入った。
[編集] エピソード
[編集] 名古屋の『中位力』
トヨタ自動車をスポンサーとした強力な資金力を背景に毎シーズン積極的かつ強引きわまりない戦力補強を行っているが、全く結果には結びついておらず、近年は常に優勝争いにも残留争いにもカップタイトルにも絡まない「万年中位」の座に甘んじている。また、上位のクラブに勝利しながら下位のクラブにころりと敗戦してしまうことも多く(ともに記録的な成績の最下位で降格した2002年のコンサドーレ札幌、2005年のヴィッセル神戸に、J1全クラブ中名古屋のみが2連敗を喫している)、他クラブのサポーターからは「名古屋はわざと中位を狙っている」「名古屋は中位になる力、即ち中位力を持っている」「グランパス8(エイト)位」「弱きを助け強きをくじくJリーグのバランサー」「トヨタ・ハイブリッド・(ランキング)・システム」などと滑稽な揶揄をされることも多い。
毎年優勝争いをする中日ドラゴンズに比べれば、応援のし甲斐の無さや情報量の少なさといった点で名古屋のサッカー人気はいまいちであるといった感がある。グランパスエイトの強豪化は名古屋でのサッカー人気復権だけでなく、東海地方の衛星都市でもJ2からのチームが発足できる環境作りに一役買えるはずである。
[編集] Jリーグ年度別成績
年度 | リーグ | J1/J2 | 順位 | 成績 |
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1993年 | サントリー | J1 | 9位(10) | 7勝11敗 |
〃 | ニコス | J1 | 8位(10) | 5勝13敗 |
1994年 | サントリー | J1 | 8位(12) | 9勝13敗 |
〃 | ニコス | J1 | 12位(12) | 6勝16敗 |
1995年 | サントリー | J1 | 4位(14) | 15勝11敗 |
〃 | ニコス | J1 | 2位(14) | 17勝9敗 |
1996年 | 年間 | J1 | 2位(16) | 21勝9敗 |
1997年 | 1st | J1 | 12位(17) | 6勝10敗 |
〃 | 2nd | J1 | 5位(17) | 10勝6敗 |
1998年 | 1st | J1 | 3位(18) | 12勝5敗 |
〃 | 2nd | J1 | 6位(18) | 11勝6敗 |
1999年 | 1st | J1 | 8位(16) | 7勝7敗1分 |
〃 | 2nd | J1 | 2位(16) | 11勝3敗1分 |
2000年 | 1st | J1 | 12位(16) | 7勝7敗1分 |
〃 | 2nd | J1 | 7位(16) | 7勝7敗1分 |
2001年 | 1st | J1 | 3位(16) | 10勝3敗2分 |
〃 | 2nd | J1 | 6位(16) | 7勝7敗1分 |
2002年 | 1st | J1 | 3位(16) | 10勝5敗0分 |
〃 | 2nd | J1 | 13位(16) | 5勝9敗1分 |
2003年 | 1st | J1 | 7位(16) | 5勝2敗8分 |
〃 | 2nd | J1 | 8位(16) | 6勝5敗4分 |
2004年 | 1st | J1 | 8位(16) | 5勝5敗5分 |
〃 | 2nd | J1 | 5位(16) | 7勝5敗3分 |
2005年 | 年間 | J1 | 14位(18) | 10勝15敗9分 |
2006年 | 年間 | J1 | 7位(18) | 13勝12敗9分 |
合計 | - | J1 | - | 229勝201敗46分 |
※カッコ内はチーム数
[編集] 獲得タイトル
- 1995年 天皇杯
- 1996年 ゼロックス・スーパーカップ
- 1996年 サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル優勝
- 1997年 サンワバンクカップ優勝
- 1999年 天皇杯
- 2000年 第五回東海チャンピオンシップ優勝
[編集] 歴代監督
- 平木隆三(1992年-1993年)
- ゴードン・ミルン(1994年-同年11月)
- 三浦哲郎(1994年11月-同年末、監督代行)
- アーセン・ベンゲル(1995年-1996年9月)
- ジョゼ・アルベルト・コスタ(1996年9月-同年10月、監督代行)
- カルロス・ケイロス(1996年10月-1997年11月)
- 田中孝司(1997年11月-1999年4月)
- ダニエル・サンチェス(1999年4月-同年8月)
- マザロッピ(1999年8月)監督代行
- ジョアン・カルロス(1999年9月-2001年8月)
- 三浦哲郎(2001年8月-同年末)
- ズデンコ・ベルデニック(2002年-2003年8月)
- ネルシーニョ(2003年8月-2005年9月)
- 中田仁司(2005年9月-同年末)
- セフ・フェルホーセン(2006年)
[編集] チームカラー
- チームカラーは赤、黄色
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[編集] ユニホームスポンサー
- 胸 トヨタ自動車
- 袖 ヒサゴ
- 背番号 豊田自動織機(2005年まではTOYOTA L&F→2006年から「豊田織機」にロゴ変更)
- パンツ トヨタファイナンス(TSキュービックカード)
- (練習着はUCCがスポンサー)
[編集] 過去のスポンサー
- デンソー(背番号 2004年)
- トヨタ自動車は創設当初から1999年まで袖部分のスポンサーだった。2000年に「TOYOTA」のロゴを入れるまで、胸部分はグランパスのチームロゴを入れていた。
[編集] ユニホームサプライの遍歴
[編集] マスコットキャラクター
マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス(Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。
現在グランパスファミリーは4匹。 (※参照マスコットキャラクター一覧)
・グランパスくん ・グランパコちゃん(妻) ・グランパスくんJr.(息子) ・グララ(娘)
[編集] グランパスの試合を中継する放送局
グランパスのホームの試合は、NHKと名古屋の民放(東海テレビ、中京テレビ、名古屋テレビ)が多く中継をする。またごく稀に、CBC、テレビ愛知が中継をする。
しかし、ほとんどが深夜の録画中継もしくは、中継なしの場合のため、J SPORTSをはじめとしたスカパー、衛星放送を視聴する、または、現地観戦をお勧めする。
また、ラジオは東海ラジオが、ホーム戦をごくごくたまに生中継する(タイトルは、東海ラジオ ワイルドサッカーとして)。しかし、試合結果等を伝える場合に、ホーム戦のみ、中継なしの試合録音実況音声を使用するため、生中継こそはないがホームスタジアムに実況アナウンサー&解説者を派遣しているようだ。
[編集] 関連項目
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- スポーツスタジアム (中京テレビ)
- どらぐら
- グランパスエキスプレス
- グランパスR
- ケン・マスイ(オフィシャルスタジアムDJ)
[編集] 外部リンク
名古屋グランパスエイト - 2006 |
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1 楢崎正剛 | 3 スピラール | 4 大森征之 | 5 古賀正紘 | 7 中村直志 | 8 金正友 | 9 ヨンセン |10 藤田俊哉 | 11 玉田圭司 | 13 山口慶 | 14 吉村圭司 | 15 鴨川奨 | 16 増川隆洋 | 18 中島俊一 | 19 杉本恵太 | 22 川島永嗣 | 23 豊田陽平 | 24 本田圭佑 | 25 須藤右介 | 27 片山奨典 | 28 渡邊圭二 | 30 竹内彬 | 31 阿部翔平 | 32 青山隼 | 33 和田新吾 | 35 井上渉 | 37 津田知宏 | 39 橋本晃司 | 監督 フェルホーセン | クラブ | |
Jリーグ 2007 | |
---|---|
J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
コンサドーレ札幌 | ベガルタ仙台 | モンテディオ山形 | 水戸ホーリーホック | ザスパ草津 | 東京ヴェルディ1969 | 湘南ベルマーレ | 京都サンガFC | セレッソ大阪 | 徳島ヴォルティス | 愛媛FC | アビスパ福岡 | サガン鳥栖 |
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過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |