柏レイソル
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柏レイソル(かしわレイソル、Kashiwa Reysol)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
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[編集] クラブの概要・歴史
1995年Jリーグ加盟。母体は日立製作所本社サッカー部(その後日立製作所サッカー部に改名)。 ホームタウンは千葉県柏市。 なおクラブでは「東葛地域」の柏、我孫子、印西、鎌ケ谷、白井、流山、野田、松戸の8市を活動エリアとして、サッカースクールや各市の市民招待デーなどを企画している。 また、東京都青梅市(日立製作所工場所在)にも「柏レイソル青梅」として下部組織のチームを運営するクラブがある。 チーム名はスペイン語の「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で、太陽王を意味する。
1992年Jリーグ準会員(平塚(現湘南)、磐田とともに適用第1号)となる。
1993年、ブラジル代表カレカを獲得し昇格を目指したが、旧JFL1部(旧・J1)で5位に終わり昇格見送り。
1994年にJFLで2位となり、1995年シーズンから悲願のJリーグ昇格を果たした。
1996年からはニカノール監督が指揮を執り、エジウソンや両サイドバックが激しく動く攻撃的なサッカーを展開する。
1999年には横浜フリューゲルス(現横浜C)から薩川了洋、ベルマーレ平塚(現湘南)から洪明甫を獲得し、チーム強化を図った。 そしてチーム初のタイトルとなるナビスコカップ優勝。
続く2000年も好調を維持し、リーグ戦2ndステージでは終盤まで優勝を争う。 しかし最終節、勝った方が優勝という鹿島アントラーズとの直接対決でスコアレスドローとなりし、優勝を逃す。 結局年間最多勝ち点となったものの、1st/2ndステージ勝者が年間1位/2位となるため、総合3位でシーズンを終えた。
2001年は、西野監督の長期政権による硬直した選手起用・世代交代の遅れなどの弊害も表面化し、監督の途中解任も功を奏さず、凡庸な成績に終わる。 この年の途中から指揮を執ってきたスティーブ・ペリマン体制で始まった2002年には連敗を重ね、J2降格危機に陥る。 2ndステージから監督となったマルコ・アウレリオは玉田圭司など若手の育成に力を入れるが、2003年もチームは低迷。
2004年、生え抜きの池谷友良がコーチから監督に昇格したが成績はかわらず、1stステージ終了後に池谷監督は辞任。 新監督には元ガンバ大阪監督の早野宏史が就任するも歯止めは効かず、J1最下位に終わったが、J1・J2入れ替え戦でアビスパ福岡に勝利しなんとか残留にこぎつけた。
2005年は早野監督みずからが獲得に乗り出した崔成国やクレーベルを迎え、立て直しを図る。 しかし、活躍の期待された韓国代表FW崔成国は結果が残せず7月31日付けでレンタル移籍を終了した。 また、4月23日には一部サポーターが相手サポーターを暴行し処分される騒ぎ(その項にて詳述)が起きるなど、サポーターもチームを後押しできなかった。 その後低迷打破のため、元ブラジル代表FWフランサの獲得や、ビーチサッカー日本代表監督などとして活躍してきたラモス瑠偉をコーチに起用するなど、てこ入れを図った。 彼のコーチとしてのデビュー戦となった9月17日、ホームの日立柏サッカー場のガンバ大阪戦で、先制されたもののその後2点を取り、逆転勝利で白星を飾った。 ところが10月15日、アウェーの駒場スタジアムの浦和レッドダイヤモンズ戦では、2人の退場者を出すなどし,0-7で大敗。 その後、チームは勢いを失い、入れ替え戦のラインである16位を彷徨う。 11月26日、ホームの東京ヴェルディ1969戦では大量得点で5-1の大勝したもののにの、柏と残留争いをしていた清水エスパルスが残留を決めたため、2年連続でJ1・J2入れ替え戦にまわることになってしまった。
J1・J2入れ替え戦ではヴァンフォーレ甲府と対戦。第1戦はアウェイで1-2での惜敗、第2戦ではホームで2-6の大敗を喫し、Jリーグ加盟11年目にして初のJ2降格となった(因みに第2戦はバレーが6得点を挙げ、Jリーグ初のダブルハットトリックを達成した)。 ブラジル人選手に10億もの大金を注いだといわれる補強をもってしても降格を防ぐことはできなかった。早野監督は天皇杯(対ガンバ大阪戦)前に辞任。後任は東京ヴェルディ1969のコーチだった石崎信弘が務めることになった。
2006年、チームの主力だった明神智和がガンバ大阪へ、波戸康広・土屋征夫が大宮アルディージャへ、玉田圭司も名古屋グランパスエイト、大野敏隆が東京ヴェルディ1969、矢野貴章・永田充がアルビレックス新潟など、主力級選手が揃って他チームへ完全移籍していったものの、フランサの残留や北嶋の復帰などにより圧倒的な攻撃陣が機能し開幕戦は引き分けるものの2節から6連勝と首位を独走。終盤ペースを落とし横浜FC・ヴィッセル神戸との自動昇格枠争いとなり、2位神戸と勝ち点差1の3位で迎えた最終節に勝利、神戸が敗れたため2位での自動昇格を決め、1年でのJ1復帰を果たした。守備では48試合60失点と元気がなかったが、攻撃では84得点と2006年シーズンJ2最多得点をマーク。石崎監督にとっては自身初のJ1昇格となった。
キャッチフレーズは「生活がスタジアム。ホームタウン柏、そして感動が聞える街へ」。 2006年のチームスローガンは「タフネス~タフな選手で、タフに戦い、タフに勝利する」。
[編集] 獲得タイトル
- 1999年 Jリーグヤマザキナビスコカップ
[編集] ホームスタジアム
- 日立柏サッカー場
- 柏の葉公園総合競技場
- 練習は上記のスタジアムのほか、日立柏サッカー場に隣接する日立柏総合グラウンドと、柏市内にあるあけぼの山農業公園芝生広場が使われる。
[編集] 本拠地問題
- Jリーグ立ち上げの際、笠松運動公園陸上競技場をホームスタジアムとして加盟申請したが却下されている。レイソルは日立製作所発祥地の日立市がある茨城県をホームタウンにすることも検討していたが、日立市では「日立製作所のチーム」になってしまうことが懸念され、当時は笠松競技場もJリーグ規格を満たしていなかった上に、住友金属工業蹴球団(後の鹿島アントラーズ)が鹿島町を本拠地にしたこともあって実現しなかった。そのほか、習志野市の秋津公園サッカー場なども検討されたが、自前のスタジアムがある柏市に落ち着くことになった。
- 当初、レイソルはJリーグからの勧告(出来るだけ地方自治体保有のスタジアムを本拠とすること)もあり柏の葉公園総合競技場(以下柏の葉)を本拠とすることを前提として、日立柏サッカー場(以下柏サッカー場)を暫定的にJリーグ基準のキャパシティー(J1の場合は15000人以上収容)に沿ったスタジアムにすることで準会員承認を受けた。しかし、不況の折から柏の葉の設置工事実施が遅れJリーグ昇格を果たした1995年になっても完成のメドが付かなかった。この為、レイソルでは柏サッカー場の収容人数をJリーグの基準の15000人に合わせるためJリーグ昇格決定後に改修工事を実施し現在の15900人収容のスタジアムとすることで基準を満たし柏の葉の完成後に本拠地を移転することとした。
- ようやく1999年4月24日に柏の葉は竣工したが、杮落としの浦和レッドダイヤモンズとの対戦において、一部のサポーターが暴動を起こし、またレイソル応援席から「史上最低のスタジアム」「本拠地移転を認めない!!」「陸上競技場でサッカーやるな」「好き好き日立台、いやいや柏の葉」などと書かれた横断幕が掲示された。その理由として以下が挙げられている。
- 交通の便が非常に悪いこと(東武野田線江戸川台駅から徒歩30分以上かかる。なお試合日には江戸川台駅と柏駅からの臨時バスが運行されているが、運行本数が少なく乗り切れない人が出る上に、柏駅からの便は渋滞により到着時間が読めない。なお、つくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅が開業したため、東京方面からの交通アクセスは幾分改善された)。
- 陸上競技場との併用であるためスタンドとピッチの間に距離があり、特にコーナー部からバックストレッチ部分のスタンドが低いため非常に見づらい(スタンドの傾斜が低いことについてはクラブ側も不満を隠していない。Jリーグ・鈴木昌チェアマンも「ファンに失礼」と『柏レイソル10年史』で述べている)。
- 元々柏サッカー場はクラブの聖地であり、ファンには愛着がある。
- クラブ側も、コーナーからバックストレッチ部分のスタンドの改善や駐車場スペースの確保などを行うよう管理者である千葉県に対して求めているが、県はスタジアム完成から間もないとして大規模な改修には慎重である。
- また、柏サッカー場もメインスタンドの一部を除いて鉄骨製の簡易的なものであるため、施設の老朽化が著しい。故に柏市とサポーターがスタジアムの増築により現在の15900人収容のスタンドを25000人程度が収容できる本格的なものにし、温水プールや体育館を兼ね備えて整備することを目指した「市民スタジアム」計画を立ち上げた。柏市は調査費用を予算に盛り込んできた。
- しかし、柏市は現状スタジアムの改修に乗り出すための予算費用が取り付けられないとして増築・改修を現在見合わせている。レイソル側も2003年のシーズンから柏サッカー場を規模縮小し鉄骨製スタンドを撤去して練習場として使用し、試合会場は柏の葉に完全移転することを一旦決めた。しかし、サポーターは「柏サッカー場に愛着があるから」などの理由で本拠地の完全移転に反対し、柏サッカー場での試合継続を求めて署名活動を行った。また他チームのサポーターにとっても日立台のほうが観戦しやすいため、移転に反対する声が出た。
- 結局2003年度以後も柏サッカー場をメインにして、柏の葉では年間数試合(特に多くの観客が見込める試合=主として浦和レッズ、ジュビロ磐田、鹿島アントラーズ、FC東京、アルビレックス新潟などとの対戦)に限定してホームゲームを開催している。
[編集] ユニフォーム
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[編集] クラブカラー
- 黄・黒
[編集] ユニフォームスポンサー
[編集] ユニフォームサプライヤーの遍歴
- 1992年 - 1994年(Jリーグ準会員) アディダス
- 1995年 - 1996年 リーグ戦はミズノ(2ndモデルの配色は、シャツ・紺、パンツ・白、ソックス・紺)、カップ戦はアディダス(2ndモデルの配色は、シャツ・白、パンツ・白、ソックス・白)
- 1997年 - リーグ戦・カップ戦ともにアンブロに統一
[編集] 関連項目
- 柏レイソルの選手一覧
- ちばぎんカップ
- CAN DO レイソル
- 影山ヒロノブ(当チームのサポートソング「ウィ・アー・レイソル」を歌唱。)
- パッパラー河合(公式ホームページでコラムを執筆している。)
[編集] 参考文献
- 『DECADE 柏レイソル10年史』:ISBN 4-434-04119-3
[編集] 外部リンク
[編集] チームオフィシャルサイト
[編集] レイソル本拠地移転問題関係
柏レイソル - 2007 |
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1 南雄太 | 2 小林亮 | 3 近藤直也 | 6 中谷勇介 | 7 大谷秀和 | 10 フランサ | 11 ディエゴ | 13 小林祐三 | 15 瀬戸春樹 | 16 ノグチピント | 17 永井俊太 | 18 山根巌 | 20 李忠成 | 21 桐畑和繁 | 22 鈴木達也 | 23 藏川洋平 | 24 平山智規 | 25 北嶋秀朗 | 26 石川直樹 | 27 柳澤隼 | 28 谷澤達也 | 29 長谷川悠 | 30 石舘靖樹 | 31 加藤慎也 | 32 岡山一成 | 34 大河原亮 | 35 ドゥンビア | 40 鎌田次郎 | 41 深津康太 | 42 佐藤由紀彦 | 監督 石崎信弘 | クラブ | |
Jリーグ 2007 | |
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J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
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過去に存在したクラブ | |
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