セレッソ大阪
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セレッソ大阪(せれっそ おおさか、Cerezo Osaka)は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。新聞紙面などの略記では、C大阪・セ大阪と記される(大阪を冠したJリーグクラブに「ガンバ大阪」が存在するため。こちらはG大阪・ガ大阪と略記される)。
目次 |
[編集] クラブの概要
ホームタウンは大阪府大阪市。ホームスタジアムは長居スタジアムと隣接する長居公園第2陸上競技場。練習は南津守さくら公園スポーツ広場と舞洲スポーツアイランドのセレッソ大阪グラウンド、尼崎市ヤンマーグラウンドが使用される。普段は南津守さくら公園スポーツ広場が練習やサテライトリーグで使用される。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で桜の意味。桜は大阪市の花でもある。 マスコットは狼で愛称はロビー。ロビーの本名はノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ。高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家の"オオカミの息子"という意味。
[編集] クラブの歴史
[編集] 前身
前身はヤンマーディーゼルサッカー部。1957年に創部し、JSLの創設とともに関西代表として参加した名門。JSL時代には、釜本邦茂やネルソン吉村らを擁したチームはリーグ4回、JSLカップ2回、天皇杯3回を獲得し関西の雄として輝いた。
[編集] 1993年~現在
- 1993年 - ヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪を立ち上げる。
- 1994年 - 早期Jリーグ昇格を見据え選手の大幅補強とブラジルからパウロ・エミリオをセレッソ大阪初代監督として迎える。JFLで優勝。天皇杯ではJFL所属ながらもヴェルディ川崎、浦和レッズ、横浜マリノスらJリーグ勢を次々と破り決勝進出。タイトルを狙うもベルマーレ平塚に 0-2 で敗れ準優勝に終った。1995年からJリーグ昇格。
- 当時のメインスタジアムは長居陸上競技場に隣接した長居第2競技場だった。これは長居競技場が1997年の国民体育大会(なみはや国体)開催に伴う全面改修工事を行ったため。しかし、Jリーグの開催基準に適合しないため、1994年夏季から改修工事を施し、この年の後半戦にバックスタンドを座席に変更。1995年の開幕時にナイター照明塔と電光掲示板を設置し改修を完了させている
- 3月8日 - 神戸市立中央球技場(現・神戸ウイングスタジアム)にウルグアイの名門ペニャロールを迎えてセレッソ大阪としての旗揚げ戦を行う。結果は 0-0 の引き分け。
- 10月20日 - 最終節前、台風の影響で延期になっていた藤枝(現・アビスパ福岡)との試合を尼崎記念公園にて戦う。セレッソはこの試合前時点で単独首位。勝てばJリーグ昇格圏の2位以内はほぼ確定だったが、同時に負ければ自力昇格を失う試合でもあった。試合は90分をスコアレスドローで終える緊張感高まる展開になったが延長後半12分、見崎充洋による決勝ゴールで事実上のJリーグ昇格が決まった。
- 10月23日 - JFLの最終節、コスモ石油四日市戦を勝利し柏レイソルを抑えてJFL優勝。Jリーグ昇格に花を添える。
- 1995年 - Jリーグ加盟。
- 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督が辞任。後任はコーチだった楚輪博が監督に昇格。
- 1997年 - 監督に当時ブラジルの若手有望監督だったレヴィル・クルピを迎える。カプコンが出資から撤退。
- 1998年 - 松木安太郎が監督に就任。リーグ戦では 34試合中 13試合が 3失点以上という異様な失点のシーズンとなった。韓国代表選手の黄善洪が入団。
- 1999年 - レネ・デザイェレが監督に就任。
- 5月8日 - 対名古屋グランパスエイト戦は、長居スタジアム・長居第2陸上競技場ともに「国際グランプリ陸上・大阪大会」に使用する関係で使えず、会場を近鉄花園ラグビー場に変えて行った。これには当時関西にJリーグの公式戦基準のサッカー専用グラウンドがなかった(神戸中央球技場が改修工事中だった)ことから、関西のファンに球技専用グラウンドでサッカーを楽しんでもらいたいという趣旨があるといわれている。
- 黄善洪がJリーグの得点王とベストイレブンを獲得。
- 12月 - 天皇杯を前にレネ監督が辞任。辞任の理由はレネ監督のプライベートなトラブルといわれている。後任は戦術面を担当していた副島コーチが監督代行としてチームを指揮。
- 2000年 - 前年に監督代行として天皇杯の指揮をとった副島博志が監督に就任。
- 1月29日 - 大阪サッカークラブ株式会社の代表取締役社長が前任の鬼武健二から藤井純一に交代。鬼武健二は会長に就任。
- 1月31日 - バイエルン・ミュンヘンと3年間のアドバイザリー契約を結ぶ。3年後の2003年からは単年契約となったが2005年を最後に契約を満了。以後バイエルン・ミュンヘンは浦和レッズと業務提携を結ぶ。
- 3月30日 - 大阪市議会において大阪市によるセレッソ大阪への1千万円の出資が承認。
- 5月27日 - 西澤明訓と森島寛晃の軸を中心に西谷正也と盧廷潤の強力なサイドアタックでリーグを席巻。あと1勝で1stステージ優勝というところまでいきながら最終戦で川崎フロンターレにVゴールで敗れステージ優勝を横浜F・マリノスにさらわれる。1stステージの成績は2位に終わった。
- 森島寛晃がJリーグのベストイレブンを獲得。
- 2001年 - 1stステージの成績不振から強化部・監督が相次いで辞任し、その影響からシーズン途中に契約し1ヶ月も経っていない外国人選手を次々と登録抹消して新たな外国人選手と契約するなどチームが大混乱をきたす。J1で年間成績最下位となりJ2降格したがその結果は当然の帰結と言えよう。天皇杯で二度目の決勝進出も清水エスパルスに延長の末2-3で敗れ、またもや準優勝に終わる。
- 2002年 - J2で2位となり1年でのJ1復帰を果たした。この年はワールドカップシーズンだったが J2では試合日程の編成に日本代表の強化試合や合宿に対する配慮がまったく行われず、森島・西澤・尹晶煥ら各国の代表選手不在という苦しいチーム編成で日程をこなす事となった。ただし代表選手不在により大久保嘉人の出場機会が増え、彼の大きな成長を促すシーズンともなった。
- 2月25日 - 未明に大阪ミナミで眞中靖夫が暴漢に襲われ頭蓋骨前頭部にひびの入る重症を負う。
- 3月21日 - この日の昼間には長居第2競技場でJ2のセレッソ大阪と川崎フロンターレとの試合を行い、夜には隣接する長居スタジアムで日本代表とウクライナ代表との試合が行われたため、セレッソとしては選手・ホームスタジアム・関心など全て日本代表に奪い取られる最悪の日程となった。
- 11月16日 - 最終節の一つ手前の43節でJ1昇格を争い、そのシーズンで一度もセレッソが勝てなかったアルビレックス新潟との直接対決。1994年Jリーグ昇格の藤枝戦と同じく勝てばJ1昇格が決定だが負ければ自力昇格が無くなる試合にセレッソが 3-0 と勝利しJ1昇格を決めた。
- 2003年 - 1stステージは健闘したが、2ndステージに入ると勝てなくなり、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村昭宏監督はシーズン途中で解任となったが、ここから監督交替のオンパレードとなる(詳しくは「歴代監督」の項を参照のこと)。また三度目の天皇杯決勝に進むもジュビロ磐田に0-1で敗れ、またしても準優勝に終わる。
- 2004年 -1stステージは相次ぐ監督交替もあって最下位に終わる。 2ndステージからは大分トリニータで監督を務めた小林伸二が監督に就任したが、西村から数えてわずか9ヶ月ほどで6人が監督を務める異常事態となった。しかし、一丸となったチームは12位に、年間順位でも最終節で柏レイソルを逆転し15位となんとか残留に成功した。
- 2005年 - 当初9位を目標としていたが、積極的な補強と守備の立て直しが奏功し快進撃を続け、第33節でガンバ大阪を抜いて首位に立ったが、勝てば優勝が決まり負ける又は引き分けで自力優勝が消えるという厳しい状況に立たされた最終節、FC東京戦でロスタイムを乗り越えれば優勝が決まるという状況でコーナーキックでの競り合いでこぼれ玉を今野泰幸に決められ、またも優勝を逃してしまった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝1敗6分け、第18節のG大阪戦の敗戦を最後に16試合を負け知らず(Jリーグ無敗最長記録)で乗り切った。天皇杯も含めれば、準決勝で清水エスパルスに敗れるまで20試合負けなしだった。
- 2006年 - -昨年の快進撃から優勝を目標にするが、開幕から不振が続き、J2降格危機に立たされる。チームは小林伸二監督を4月18日付で解任し、塚田雄二を新監督に就任して巻き返しを図った。
- 4月22日 - アウェイのサンフレッチェ広島戦で佐藤寿人に開始8秒でゴールを決められる。Jリーグ最速得点・失点記録。
- 6月15日 - RCDマヨルカから大久保嘉人が復帰。
- 8月13日 - ジュビロ磐田から名波浩がレンタル移籍で加入。
- 11月26日 - 大宮アルディージャ戦で柿谷曜一朗が16歳10ヵ月でプロデビュー。チーム最年少出場記録を更新する。
- 12月2日 - J1最終戦で川崎フロンターレに敗れ、ヴァンフォーレ甲府と引き分けたアビスパ福岡に勝ち点は並んだものの、得失点差で年間17位となり、2007年は5シーズンぶりにJ2転落。監督の塚田は降格の責任をとり辞任した。後任は前東京ヴェルディ1969ヘッドコーチの都並敏史氏。
[編集] チームの傾向
Jリーグ加入当時から、Jリーグ屈指の攻撃力、得点力を誇った。しかしその分守備力に難があり、大量得点・大量失点の試合が多かった。しかし2005年には小林伸ニ監督により、守備を重視し、1点を守りきる堅守速攻の戦術に変化した。また何故かトーナメント戦には強く、天皇杯で3度ファイナルまで進み、2度のリーグ優勝のチャンスをつかむ等、一旦流れに乗ると、勝ち続けるチームではある。しかし、優勝争いの翌年に必ずと言ってもよいほど低迷し、2001年,2006年(共に、前年優勝争いをした)にJ2降格を喫するなど、浮き沈みが激しく、しばしばジェットコースターと形容される。そして何度も優勝に手が届きながら、そのどれもが不運な形で優勝を逃す(しかも翌年に低迷や降格をする)悲劇的なチームでもある。
[編集] 獲得タイトル
- 1994年旧JFL(ジャパンフットボールリーグ)優勝
[編集] チームカラー
- チームカラーはピンク色、紺色
カラー | 上衣 | パンツ | ストッキング |
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フィールドプレーヤー(正) | ピンク×紺 | 紺 | 紺 |
フィールドプレーヤー(副) | グレー | グレー | グレー |
ゴールキーパー(正) | 黄 | 黄 | 黄 |
ゴールキーパー(副) | 緑 | 緑 | 緑 |
[編集] ユニホームスポンサー
[編集] 過去のユニホームスポンサー
- カプコン(1994年-1996年 - 94年前半のみ胸、94年後半から日本ハムとのスポンサー交換で背番号に)
- 大阪オリンピック招致委員会(袖 1998年ごろ)
- タマノイ酢(袖 2000年-2005年)
- 2006年からは胸番号がヤンマー、背番号が日本ハムとなった。
[編集] ユニホームサプライの遍歴
- 1994年(Jリーグ準会員時代) リーグ戦・カップ戦ともミズノ
但し1996年度はリーグ戦とカップ戦では別々のユニホームを着用した。
[編集] 歴代監督
- 1994年~1996年:パウロ・エミリオ(ブラジル)
- 1996年:楚輪博(日本)
- 1997年:レヴィル・クルピ(ブラジル)
- 1998年:松木安太郎(日本)
- 1999年:レネ・デザイェレ(ベルギー)
- 2000年~2001年:副島博志(日本)
- 2001年:ジョアン・カルロス(ブラジル)
- 2001年~2003年:西村昭宏(日本)
- 2003年:塚田雄二(日本)
- 2004年:ナドベザ・ペーター(クロアチア)※契約はしたが心臓病で来日は果たせず。
- 2004年:フアド・ムズロビッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
- 2004年:アルベルト・ポボル(クロアチア)
- 2004年~2006年:小林伸二(日本)
- 2006年:塚田雄二(日本)
- 2007年~:都並敏史(日本)
[編集] 関連項目
- セレッソ大阪の選手一覧
- 近鉄花園ラグビー場
- Vダッシュ!!セレッソ
- おはようコールABC(金曜日に「おはようセレッソ」を放送)
[編集] 外部リンク
セレッソ大阪 - 2007 |
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1 多田大介 5 前田和哉 6 ゼ・カルロス 8 森島寛晃 9 古橋達弥 11 徳重隆明 13 苔口卓也 14 江添建次郎 16 名波浩 17 酒本憲幸 19 山崎哲也 20 西澤明訓 21 鈴木正人 22 吉田宗弘 23 下村東美24 堂柿龍一 25 森島康仁 26 藤本康太 27 丹野研太 28 山下達也29 香川真司 30 柿谷曜一朗 31 中山昇 32 有村直紀 35 宮本卓也 36 大久保嘉人 不明 濱田武 不明 小松塁 監督 都並敏史 編集 |
Jリーグ 2007 | |
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J1 | |
鹿島アントラーズ | 浦和レッドダイヤモンズ | 大宮アルディージャ | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 柏レイソル | FC東京 | 川崎フロンターレ | 横浜F・マリノス | 横浜FC | ヴァンフォーレ甲府 | アルビレックス新潟 | 清水エスパルス | ジュビロ磐田 | 名古屋グランパスエイト | ガンバ大阪 | ヴィッセル神戸 | サンフレッチェ広島 | 大分トリニータ |
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J2 | |
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過去に存在したクラブ | |
横浜フリューゲルス | |
ナビスコ杯 | オールスターサッカー | チャンピオンシップ | 入れ替え戦 | アウォーズ |
Jリーグのシーズン |
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1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 |