リベリア
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- リベリア共和国
- Republic of Liberia
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(国旗) (国章) - 国の標語 : The love of liberty brought us here.
(英語: 自由への熱愛が我々をここに導いた。) - 国歌 : All Hail, Liberia Hail
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公用語 英語 首都 モンロビア 最大の都市 モンロビア 大統領 エレン・ジョンソン・サーリーフ 首相 なし 面積
- 総計
- 水面積率世界第101位
111,370km²
13.5%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第129位
3,390,635人
30人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(Xxxx年)
xxx,xxxリベリア・ドル (L$)GDP(MER)
- 合計(Xxxx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第156位
32億6,100万ドル
1,000ドル独立 1847年7月26日 通貨 リベリア・ドル (L$) (LRD) 時間帯 UTC (0)(DST: なし) ccTLD .LR 国際電話番号 231
リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、アフリカ西部の国。ギニア、シエラレオネ、コートジボワールと国境を接する。首都はモンロビア。
アメリカの解放奴隷が作った国。1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。1989年に起きた内戦により15万人以上が死亡し、30万人以上が国外へ難民となるなど、西アフリカ最悪の紛争地域と言われた。
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[編集] 国名
正式名称は英語で、Republic of Liberia(リパブリック・オブ・ライビリア)。通称、Liberia。
日本語の表記は、リベリア共和国。通称、リベリア。
国名は、ラテン語のLiber(自由な)から来ている。
[編集] 歴史
- 1816年 - アメリカ合衆国で設立されたアメリカ植民協会が、黒人解放奴隷のアフリカへの帰還を計画。
- 1822年 - 初のグループが上陸。再移住区を建設していき、33年、Liberty(自由)からとったリベリア連邦と命名。
- 1824年 - 当初は「キリストの都市」と呼ばれていた首都の名前を、アメリカ合衆国第5代大統領のジェームズ・モンローからとったモンロビアに改名。白人系アメリカ人、ジェフディ・アシュマンとラルフ・ランドルフ・ガーリーも入植者の再建を行う。
- 1833年 - 別にメリーランド共和国を建設。
- 1847年に合衆国憲法を基本にした憲法を制定して、独立を宣言した。
- 1848年から1856年にジョセフ・ジェンキンス・ロバーツが初代リベリア大統領を務め、1872年から1876年の間の第6代の大統領も務める。
- 1857年 - メリーランド共和国を併合。
- 1870年 - エドワード・J・ロイ、大統領に就任するが1871年に暗殺される。
- 1878年 - アンソニー・W・ガーディナー、大統領に就任。
- 1896年 - ウィリアム・D・コールマン、1900年まで大統領に就任。
- 20世紀 - 元々住んでいた人たちへの差別と圧政への抵抗が強くなった。財政が悪化。
- 1903年 - アーサー・バークレー大統領に選ばれ、1904年も大統領に再選。
- 1926年 - アメリカのファイアストーン社にゴムノキ農園用地を99年間貸して、財政援助を受ける。
- 1930年代の不況でリベリアは破綻寸前となり、1933年の政府歳入はわずか32万1000ドルに落ちこむ。さらに、1930年代初期は政治的主権も危うくなり、リベリア政府高官が荷担して、リベリア人労働者がスペイン領フェルナンドポー島(現赤道ギニアのビオコ島)に船積みされており、その状況は奴隷貿易と異ならないという噂が国際的に広まったためである。チャールズ・D・B・キング大統領の要請により、国際連盟は調査団を派遣し、こうした国際的非難にはある程度の根拠がある事、そして副大統領の関与をほのめかした。このため副大統領は辞任して、キング大統領も衝撃を受け大統領を辞任する。同年の1930年にキング大統領の後継者としてアーサー・バークレー元大統領の甥エドウィン・バークレーが大統領になる。
- 1934年 - ファイアストーン社の新しいゴム農園、生産を開始。
- 1944年 - ウィリアム・タブマン、大統領に当選し、5年任期で再選する。タブマン大統領はアメリコ・ライべリアンと先住部族との経済的、政治的、社会的な大きな格差を緩和する事で、国家の統一を図る。
- 1971年 - タブマン大統領死去、副大統領だったウィリアム・R・トルバートがタブマンの引継いで大統領になる。トルバート大統領はすべてのリベリア人の平等を表明。縁故主義的支配廃止などを進める。
- 1979年 - 政府の米価の値上げ発表に対して反対デモ。トルバートの元国務次官書記だった反政府MOJAの中心メンバーであるガブリエル・バッカス・マシューズがトルバート政権への大規模な抗議運動を主導したとして、騒乱罪で死刑を宣告される。
- 1980年 - リベリア先住部族クラン族出身のサミュエル・ドウ曹長によるクーデターでトルバートを暗殺、アメリコ・ライベリアンの少数支配が終わる。トルバート政権の崩壊でマシューズが釈放され、ドウ政権の下で外相・内閣官房長官に歴任する。
- 1989年 - チャールズ・テーラー率いる反政府のリベリア国民愛国戦線(NPFL)の組織が蜂起して内戦。西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)も軍事介入。
- 1990年 - 内戦が全土に拡大。
- 1991年 - NPFLから分裂したプリンス・ジョンソン率いるNPFLの派閥がドウ大統領を捕らえ処刑、ドウ政権は崩壊し、エーモス・ソーヤーが暫定政権を立てる。NPFLは認めずに、1992年からソーヤー派の戦線との戦闘が激化。NPFLが隣国シエラレオネ政府のリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに進入。NPFLの同胞だったシエラレオネ反乱軍のアハメド・フォディ・サンコー率いる統一革命戦線(RUF)も戦闘に参加。
- 1993年 - 当事者代表が包括和平交渉に合意。
- 1995年 - 和平協定に調印。
- 1996年 - 停戦が発効される。
- 1997年 - 大統領・副大統領・上院・下院選挙実施 チャールズ・テーラー大統領就任 第3共和制成立。
- 2003年 - セクー・コネ率いる反政府勢力リベリア民主和解連合(LURD)とリベリア民主運動(MODEL)が蜂起し首都へ侵攻。2003年の6月17日に政府と停戦合意。7月8日アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領アフリカ訪問、リベリアへの平和維持部隊へのアメリカ軍の参加を求める声が高まる。7月25日ブッシュ大統領はリベリアの沖合いにアメリカ軍を配置するよう正式に指示。8月アメリカを始めとする平和維持軍による介入により、テーラー大統領がナイジェリアに亡命し、モーゼス・ブラー副大統領が暫定的大統領に就任。9月に国連安保理決議1509により国連リベリアミッション(UNMIL)が派遣され10月にリベリア行動党のジュデ・ブライアント議長による暫定政府発足。
- 2005年 - 暫定統治下において10月11日に第一回大統領選が行われ、元サッカー選手ウェアが得票率で上回ったが11月8日、決選投票を実施。選挙管理委員会が公表した11月23日の最終開票結果で、国連開発計画元アフリカ局長エレン・ジョンソン・サーリーフ (Ellen Johnson-Sirleaf) が、対立候補ウェアを破り、アフリカで初めての選挙で選ばれた女性大統領となった。
- 2006年 - 3月29日、隣国シエラレオネの内戦に関与していたとし戦争犯罪の罪などで起訴されていた、テーラー前大統領が亡命先のナイジェリアで身柄を拘束され、ナイジェリアからリベリア経由でシエラレオネに移送される。
[編集] 政治
リベリアは建国以来、アメリカの議会制度にならい、上下院の二院をもつ。内戦終結後は一院制の暫定議会を有し、2005年10月に上下院および大統領選挙を行った。2006年には正式政府発足の予定である。
[編集] 地方行政区分
リベリアは全13州に分かれている。
北西部
- グランド・ケイプ・マウント州(Grand Cape Mount)州都ロバーツポート
- ボミ州(Bomi)州都タブマンバーグ
- ロファ州(Lofa)州都ヴォフンジャマ
北中部
- ニンバ州(Nimba)州都サノコレ
中部
- グランド・バッサ州(Grand Bassa)州都ブキャナン
- ボン州 (Bon)州都グバンガ
- マージビ州(Margibi)州都カカタ
- モンセラード州(Montserrado)州都モンロビア
- リヴァー・セス州(River Cess)州都セス・リヴァー
南東部
- グランド・クル州(Grand Kur)州都バークレービル
- グランド・ゲテ州(Grand Gedeh)州都ズウェドル
- シノエ州(Sinoe)州都グリーンビル
- メリーランド州(Maryland)州都ハーパー
[編集] 地理
赤道周辺の西アフリカに位置し、大西洋に面しており、海岸の多くはサンゴ礁やマングローブの密林で覆われている。内陸部は草原で農地は限られている(国土の1%)。 気候は多温多湿の熱帯気候で気温は高い。ハルマッタンと呼ばれる砂混じりの熱風が吹く時がある。
- 主要都市 モンロビア、グリーンビル、ハーベル、ブキャナン、サノコレ、タブマンバーグ、ハーパー
[編集] 経済
隣国シエラレオネと接するボミヒルズでは鉄鉱石が採掘されている。ニンバ山にも推定10億トンの鉄鉱石が埋蔵していると言われている。ほかダイアモンドや金なども発掘される。農作物ではアブラヤシ、コーヒー、ココアから米やサトウキビなど。 ゴムも国の重要な資源でモンロビア近くにあるハーベルにアメリカのファイアストーン社がゴム農園を開いていた。 しかし長年による内戦でリベリアの経済は崩壊している。
[編集] 便宜置籍国
- 安価な手数料や船舶国籍証書の発行の便宜を図る便宜置籍国として知られる。登録している船舶数はパナマに次ぐ規模であるが、あくまでも書類上の船籍であるため、ほとんどの船舶はアフリカ西海岸への航海を行わぬまま船の一生を終える。
[編集] 交通
国内の道路のほとんどは舗装されていない。全長490Kmの鉄道は鉄鉱石を輸送するために建設されており、ほかの利用は少ない。 空港は首都モンロビアに国際空港のロバーツ・フィールド空港がある。第2次世界大戦中にアメリカが建設した。内戦以前には、使用可能な滑走路が国内に49ヵ所にあった。国内線は、モンロビア郊外のスプリングス・ペイン空港で運航されている。
[編集] 国民
住民はほとんどがアフリカ系の先住民であり、主な部族としてクペレ族、バサ族、クル族、ゴラ族など16の部族がいる。また、アメリコ・ライベリアンと呼ばれている、アメリカの解放奴隷たちの子孫が2.5%、カリブ諸国からの移民の子孫も2.5%いる。
言語は英語が公用語であるが、話したり書いたり出来るのは一部の人々に限られている。その他に28に及ぶ各部族の言葉が使われている。
宗教は伝統的な宗教が40%、キリスト教が40%、イスラム教が20%である。
[編集] 有名人
- ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ リベリアの初代大統領
- マチルダ・ニューポート 最初の入植者への攻撃を追い払うのを助けた女性の国民的英雄
- ジョージ・ウェア 元サッカー選手でサッカーのリベリア元代表
[編集] 文化
モンロビアのアメリコ・ライベリアンはアメリカの解放奴隷だったため、奴隷時代の名残りでアメリカ南部の深南部の文化を身に着けている。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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[編集] 関連項目
- リベリア関係記事の一覧
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 政府公式サイト
[編集] その他
- 日本外務省 リベリアの情報
- Liberia: Past and Present of Africa's Oldest Republic
- Geografria - Libria
- リベリアン・インターナショナル・シップ&コーポレート・レジストリ社(LISCR) 公式HP(日本語版)
- Liberia
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