西サハラ
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- サハラ・アラブ民主共和国
- الجمهورية العربية الصحراوية الديمقراطية
Al-Jumhūrīyâ al-Arabīyâ as-Ṣaḥrāwīyâ ad-Dīmuqrātīyâ -
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : なし
-
公用語 アラビア語、スペイン語 首都 アイウン 最大の都市 アイウン 大統領 ムハンマド・アブデルアジズ 首相 アブデルカデル・タレブ・オマール 面積
- 総計
- 水面積率世界第83位
266,000km²
極僅か人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第182位
267,405人
1人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(Xxxx年)
xxx,xxxディルハムGDP(MER)
- 合計(Xxxx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(????年)
- 1人当り世界第???位
???ドル
???ドル独立 スペインから
1976年2月27日(但し隣接するモロッコの妨害により正式な独立は困難)
通貨 ディルハム (MAD) 時間帯 UTC ±0(DST: なし) ccTLD .なし(.ehを予約) 国際電話番号 212(モロッコの国番号、これとは別に282を予約) - 注1 : モロッコが領有権を主張している。
西サハラ(アラビア語: صحراء غربية、スペイン語: Sahara Occidental)(サハラ・アラブ民主共和国)は、アフリカ北西部、大西洋岸にあり北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに面する地域。旧スペイン領サハラ(もとのリオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ地区からより成る)。面積26万6,000平方キロ、人口約27万人(2004年)。帰属については議論があり、サハラ・アラブ民主共和国(日本は未承認)とモロッコが領有を主張している。国連の「自治政府をもたない領域」(United Nations list of Non-Self-Governing Territories)リストに掲載されている。
ほとんどの地域をモロッコが実効支配しているが、モロッコによる領有権の主張は、相当数の国から認められていない。サハラ・アラブ民主共和国はアフリカと中南米を中心に国家として承認されているが、日本を含む先進諸国からはモロッコとの関係上国家として承認されておらず、また国際連合にも加盟していない。
世界でもっとも人口密度の低い地域のひとつ。
目次 |
[編集] 国名
スペイン領時代にはスペイン領サハラと呼称された。亡命政府の名称はサハラ・アラブ民主共和国で、その略称SADRは英語名Sahrawi Arab Democratic Republicの頭文字からきたもの。
[編集] 歴史
アフリカ分割においては、ギニア湾岸を除く西アフリカのほとんどの地域が東西5000km、南北4000kmにも及ぶ広大なフランスの植民地(フランス領西アフリカ)となった中で、西サハラとモロッコ最南部はスペイン領の島として残った。
1886年にスペインの保護領となり、1912年にイフニとモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)と合併してスペイン領西アフリカを形成したが、1958年モロッコ南部保護領(タルファヤ地方)、1969年イフニを、それぞれモロッコに返還。1975年のマドリード協定によりスペインは撤退し、1976年、モーリタニア とモロッコ が分割統治。一方、西サハラの分離独立を目指すサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線 (POLISARIO, 通称ポリサリオ戦線)はアルジェリア の支援を得て武力闘争を開始、1976年にはアルジェリアの首都アルジェ で亡命政権サハラ・アラブ民主共和国(SADR)を樹立した。
1977年、ポリサリオ戦線の軍事的勝利、および度重なる多額の戦費は1978年のモーリタニアにおける無血クーデターを呼び、1979年にはモーリタニアがポリサリオ戦線と単独和平協定を締結、モーリタニア政府は西サハラ領有権を放棄した。しかし同年、モーリタニアが放棄した部分をモロッコがすぐさま併合したため、現在に至るまで独立をめぐる問題は続いている。1984年にはモーリタニアがサハラ・アラブ民主共和国を国家承認している。
1988年に国連事務総長の和平提案をポリサリオ戦線、モロッコとも合意した。提案内容は独立とモロッコへの帰属を決める住民投票を実施するというものである。1991年、国際連合の仲介でポリサリオ戦線とモロッコは停戦し、国連提案にあった住民投票を実施することになり、国連平和維持活動(PKO)として国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が創設された。しかし遊牧民が多く、有権者の認定が困難を極めるため、投票は無期延期となっている。またモロッコ国王モハメド6世の相次ぐ西サハラ訪問、モロッコによるインフラ整備などにより、モロッコは西サハラ領有を既成事実化し、独立を阻止しようとしている。
モーリタニア国境を中心に地雷が埋設されている。モロッコは主にモーリタニア国境に沿って「砂の壁」と呼ばれる防壁を築き、ポリサリオ戦線を排除している。砂の壁はモロッコ国内からつながっている。
サハラ・アラブ民主共和国(SADR)はアフリカ連合 (AU) に加盟しており、アフリカ、中南米、南アジア諸国を中心に約80カ国からの国家承認もある。モロッコがアフリカ州の国家の中で唯一AUに加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国(SADR)のAU加盟に反発して脱退したため(なお、AUの加盟国総数は53であり、アフリカの国連加盟国数53カ国と数は同じであるが、サハラ・アラブ民主共和国はAUのみ加盟、モロッコは国連のみ加盟となっている。)。
[編集] 地方行政区分
[編集] 地理
南方のモーリタニアと並び、大西洋に至るまでサハラ砂漠が広がっているため、わずかなオアシスと一部の沿岸部を除き、全土が砂漠である。東部は山岳地帯であり、大西洋に向かって標高が下がっていく。
北部はアトラス山脈の山ろくにあたり、岩石砂漠が広がる。山ろく沿いにアルジェリアからモーリタニア、西サハラを横切り大西洋につながるJatワジがある。秋季には水をたたえるため、農業に適する。これ以外の地域、特に内陸部はワジはないものの、降水が地下水となってオアシスを形成している。
ケッペンの気候区分によると全土が砂漠気候 (BW) である。秋季に数10mm程度のわずかな降雨がある。干ばつやバッタの被害を受けやすい。
[編集] 主要都市
[編集] 経済
国土の大部分がサハラ砂漠で、オアシスでの農業やベルベル人 による遊牧が行われる。1963年豊富なリン鉱床が内陸部のブーカラーで発見され、その採掘が主産業。最大都市アイウン(ラユーン)のほか、良港を持つ港湾都市ダフラ を抱える。
[編集] 国民
[編集] 文化
[編集] 外部リンク
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