チュニジア
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- チュニジア共和国
- الجمهورية التونسية
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(国旗) (国章) - 国の標語 : نظام، حرية، عدالة
(アラビア語: 自由、秩序、公正) - 国歌 : チュニジアの国歌
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公用語 アラビア語 首都 チュニス 最大の都市 チュニス 大統領 ザイン・ベン=アリー 首相 モハメッド・ガンヌーシ 面積
- 総計
- 水面積率世界第89位
163,610km²
5%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第81位
9,974,722人
61人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
379億チュニジア・ディナールGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第65位
319億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第61位
687億8,000万ドル
6,900ドル独立
- 日付フランスから
1956年3月20日通貨 チュニジア・ディナール (TND) 時間帯 UTC (+1)(DST: (+2) 2005年〜) ccTLD .TN 国際電話番号 216
チュニジア、正式名称チュニジア共和国は、北アフリカに位置するアラブ諸国のひとつ。テュニジアとも表記される。首都はチュニス。
地中海に面し、アルジェリア、リビアと国境を接する。地中海対岸にはイタリアがある。
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[編集] 国名
正式名称は、الجمهورية التونسية(ラテン文字転写 : al-Jumhūrīya al-Tūnisīya; アル=ジュムフーリーヤ・アッ=トゥーニスィーヤ)。通称は、تونس(Tūnis; トゥーニス)。
フランス語表記は、République Tunisienne。通称、Tunisie。
公式の英語表記は、Republic of Tunisia。通称、Tunisia。
日本語の表記は、チュニジア共和国。通称、チュニジア。
アラビア語名のトゥーニスは、首都チュニスのアラビア語名と同じで、「チュニスを都とする国」といったような意味合いである。トゥーニスやチュニスの語源は紀元前4世紀にチュニスの地に存在した古代都市トゥネス(Thunes)で、英語名など欧米諸言語や日本語の国名チュニジアは、トゥネスが転訛した Tunus 地名語尾の -ia を付してつくられた。
[編集] 歴史
詳細はチュニジアの歴史を参照
古代にはフェニキア人が交易拠点として、この地に移住し、紀元前814年頃にはカルタゴが建国され、地中海貿易で繁栄した。しかしイタリアからの新興勢力ローマと3度にわたるポエニ戦争を戦ったのち紀元前146年に滅亡。ローマの属州アフリカとなった。ローマ支配下では優良な属州としてローマ化が進みキリスト教も伝来した。西ローマ帝国滅亡後にヴァンダル人が439年に侵入。ヴァンダル王国が建国された。ヴァンダル王国は海運で繁栄したものの、534年には東ローマ帝国に滅ぼされ、東ローマ帝国に組み入れられた。
7世紀にはイスラム教のもとに糾合したアラブ人が侵入し、土着の遊牧民族ベルベル人を支配し、イスラム世界に入った。中世にはアッバース朝のカリフに臣従するかたちでアグラブ朝、ムラービト朝、ハフス朝などの自治王朝が興亡した。その間イブン・ハルドゥーンなどが活躍した。1574年に、オスマン帝国の属領となった。しかし、「ベイ」と呼ばれる軍司令官が派遣されてきたが、ヨーロッパ列強侵略によるオスマン帝国の弱体化が進みと、「ベイ」たちはイスタンブルのオスマン政府から独立した統治を行うようになり、チュニジアには1709年にフサイン朝ができた。
フサイン朝は250年間に亘り統治を行うが西洋よりの政策と富国強兵策によって、財政が破綻した。1878年のベルリン会議でフランスの宗主権が列国に認められると、フランスによるチュニジア侵攻が行われ 、1881年のバルドー条約、1883年のマルサ協定でフランスの保護領となった。 この結果、ベイは名目のみの君主となり、事実上の統治はフランス人総監が行い、さらに政府および地方自治の要職もフランス人が占めた。
1907年にはチュニジア独立を目的とする結社、「青年チュニジア党」が創設され、それは「ドゥストゥール党」に発展し、チュニジア人の市民権の承認、憲法制定、チュニジア人の政治参加を求める運動を展開する。 またハビーブ・ブルギーバの「新ドゥストゥール党」はチュニジアの完全独立を要求した。このようなチュニジアの民族運動の高まりを受けてフランス政府は1956年にベイのムハンマド8世アル・アミーンを国王にする条件で独立を受け入れた。初代首相にはブルギーバが選ばれ、「チュニジア王国」が成立独立した。しかし、翌1957年には王制を廃止。「チュニジア共和国」 となり大統領制がとられた。首相から横滑りで大統領となったブルギーバは1959年に憲法を制定し社会主義政策をとるが、1970年代には自由主義に路線を変更した。しかし長期政権の中、ゼネストと食糧危機など社会不安が高まり、1987年には無血クーデターが起こり、ベン・アリー首相が大統領に就任し、ブルギーバ政権は終焉した。 1991年の湾岸危機ではイラクのサダム・フセイン政権を支持し、アラブ人の連帯を唱え、イスラム原理主義に傾いたが、現在では、イスラム諸国のなかでは比較的穏健なソフトイスラムに属する国であり、中東と西洋のパイプ役を果たしている。観光地としても発達し、アフリカの国の中では良好な経済状態である。
[編集] 政治
1987年以来、ズィン ・エル・アビディン・ベン・アリ が大統領の座にある。
[編集] 地方行政区分
詳細はチュニジアの地方行政区画を参照
チュニジアには24のウィラヤ(県)(アラブ語表記:ولاية)に分かれている
- アリアナ県 Ariana
- ベジャ県 Béja
- ベンナラス県 Ben Arous
- ビゼルト県 Bizerte
- ガベズ県 Gabès
- ガフサ県 Gafsa
- ジェンドゥーバ県 Jendouba
- ケルアン県 Kairouan
- カスリーヌ県 Kasserine
- ケビリ県 Kebili
- ケフ県 Kef
- マーディア県 Mahdia
- マヌーバ県 Manouba
- メドニン県 Medenine
- モナスティル県 Monastir
- ナブール県 Nabeul
- スファックス県 Sfax
- シディブジッド県 Sidi Bou Said
- シリアナ県 Siliana
- スース県 Sousse
- タタウイヌ県 Tataouine
- トズール県 Tozeur
- チュニス県 Tunis
- ザグアン県 Zaghouan
[編集] 地理
東はリビア、西はアルジェリアに隣接する。北岸、東岸は地中海。 北部地中海沿岸にはテル山地があり、その谷間を北東にメジェルダ川が流れている。 その南にはドルサル山地がある。 ドルサル山地より南はガベス湾までステップ気候になっていて、西部はステップ高原、東部はステップ平原と呼ぶ。 ステップ高原の南にはジェリド湖(塩湖)がある。 南半分はサハラ砂漠。
首都のチュニスが主要都市である。その他の主要都市は、
- カルタゴ(Carthage)
- スース(Sousse)
- シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)
- ケルアン(Kairouan)
- ハマメット(Hammamet)
- ナブール(Nabeul)
- タバルカ(Tabarka)
[編集] 経済
[編集] 国民
住民はベルベル人とアラブ人が98%。混血が進んだため、民族的にはほとんど分けることが出来ない。残りはヨーロッパ人が1%、ユダヤ人その他が1%である。
[編集] 言語
アラビア語が公用語であるが、独立前はフランスの保護下にあったことからフランス語も広く普及している。
[編集] 宗教
イスラム教が国教であり、98%はスンナ派イスラム教徒である。その他、ユダヤ教、キリスト教(主にカトリック)、ギリシャ正教。イスラム教も比較的戒律は緩やかで、女性もスカーフをかぶらず西洋的なファッションも多く見られる。
[編集] 文化
- 遺跡 - カルタゴ
[編集] 祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | ||
移動祝日 | 犠牲祭 | イスラム暦による | |
移動祝日 | イスラム暦新年 | イスラム暦による | |
3月20日 | 独立記念日 | ||
3月21日 | 青年の日 | ||
4月9日 | 革命犠牲者弔日 | ||
移動祝日 | モハメット誕生日 | イスラム暦による | |
5月1日 | メーデー | ||
7月25日 | 共和国記念日 | ||
8月13日 | 女性の日 | ||
10月15日 | フランス軍撤退記念日 | ||
移動祝日 | ラマダン明け | イスラム暦による | |
11月7日 | 大統領就任記念日 |
[編集] 関連項目
- チュニジア関係記事の一覧
- タトゥイーン - ロケがチュニジアで行われた。
[編集] 外部リンク
- 世界の国々 > アフリカ
-
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