モーニング娘。
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モーニング娘。(モーニングむすめ)は、日本を代表する女性アイドルグループ、歌手グループである。
ほとんどの楽曲の作詞・作曲及びプロデュースをつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。大手芸能事務所アップフロントエージェンシー所属。
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- 作品・出演の一覧については「モーニング娘。の作品・出演一覧」を参照
目次 |
[編集] メンバー
[編集] 2006年12月時点のメンバー
[編集] 卒業及び脱退メンバー
このグループでは、記者会見や所属事務所の決定による公式発表で最終公演日程などを前々からファンに知らせて公式にグループから離れる事を「脱退」または「卒業」という。音楽グループにおいてしばしばけんか別れ的な場合に使用される「脱退」という表現を避け、明日につながる、という様な前向きな意味合いの言葉を使う事で、マイナスイメージをぼやけさせているものと思われる。
初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用しており、結成から中澤卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されているASAYAN(テレビ東京系)公式サイトなどは現在でも脱退という表現で統一されているが、現在では公式には主として卒業という表現が使用されており、過去に遡って卒業という表現で統一されている事も多い。ただ、例外として2005年4月の矢口真里は、写真週刊誌FRIDAYにおいて俳優・小栗旬との交際が報道された事による“引責脱退”を「理由」としていて、公式にも「脱退」という表現がなされている。
なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田明日香の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されている。
中澤以降のメンバーは、モーニング娘。から籍を抜いているだけで、そのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続しているが、紺野のみが学業専念による完全な脱退である。また小川はハロー!プロジェクトに籍を残しての留学とされている。
後藤までは卒業(脱退)の1~2ヶ月程度前に発表されていたが、後藤と同時に卒業が発表された保田以降は、緊急脱退となった矢口を除いて卒業の半年から1年前に発表される様になった。また、2006年4月28日に発表された紺野と小川の場合は、3~4ヶ月前と、それまでの慣例よりはやや短くなっている。
「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ASAYAN」その他TV番組に於いて大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって、モーニング娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にして来た。「卒業」が年中行事化する中、本来は「モーニング娘。は早く卒業する事を目標とすべき枠である方が良い」という自立という意味合いの卒業であるが、卒業後もモーニング娘。との共演の仕事も多く、籍もハロー!プロジェクトに残っているため、完全な自立とは言えない状況から、中澤以降はハロー!プロジェクト内での「定期人事異動」的色彩が濃くなった。
名前 | 発表日 | 卒業・脱退日 | 期 | ハロプロへの在籍状況 |
---|---|---|---|---|
福田明日香 | 1999年1月17日 | 1999年4月18日脱退 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
石黒彩 | 1999年12月5日 | 2000年1月7日脱退 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
市井紗耶香 | 2000年5月7日 | 2000年5月21日脱退 | 2期 | ハロプロからも卒業 |
中澤裕子 | 2001年3月7日 | 2001年4月15日卒業 | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
後藤真希 | 2002年7月31日 | 2002年9月23日卒業 | 3期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
保田圭 | 2002年7月31日 | 2003年5月5日卒業 | 2期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
安倍なつみ | 2003年7月27日 | 2004年1月25日卒業 | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
辻希美 | 2004年1月3日 | 2004年8月1日卒業 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍 |
加護亜依 | 2004年1月3日 | 2004年8月1日卒業 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍 |
飯田圭織 | 2004年5月23日 | 2005年1月30日卒業 | 1期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
矢口真里 | 2005年4月14日 | 即日脱退 | 2期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
石川梨華 | 2004年5月23日 | 2005年5月7日卒業 | 4期 | ユニットとしてハロプロに在籍 |
紺野あさ美 | 2006年4月28日 | 2006年7月23日卒業 | 5期 | ハロプロからも卒業 |
小川麻琴 | 2006年4月28日 | 2006年8月27日卒業 | 5期 | ソロとしてハロプロに在籍 |
[編集] 歴代リーダー
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 中澤裕子 | 結成~2001年4月15日 |
2代目 | 飯田圭織 | 2001年4月16日~2005年1月30日 |
3代目 | 矢口真里 | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 吉澤ひとみ | 2005年4月15日~ |
[編集] 歴代サブリーダー
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 保田圭 | 2001年4月16日~2003年5月5日 |
2代目 | 矢口真里 | 2003年5月6日~2005年1月30日 |
3代目 | 吉澤ひとみ | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 藤本美貴 | 2005年4月15日~ |
- 保田圭就任以前(中澤裕子リーダー時代)はサブリーダーという役職は存在しなかったと思われる。石黒彩在籍時は石黒が年齢が上から2番目で中澤に次ぐNo.2と見なされる事はあったが、サブリーダーに就任したという発表はなかった。
- 保田圭及び吉澤ひとみについては就任前にサブリーダーに就任する旨の発表があったが、矢口真里及び藤本美貴については就任時点で発表された訳ではなく、テレビ番組(矢口:ハロー!モーニング。2003年8月3日放送分、藤本:音楽戦士 MUSIC FIGHTER2005年7月15日放送分)でのトーク中に「現在サブリーダーである」と語られただけであるため、サブリーダーに就任した日時が正しくない(空席の期間がある)可能性がある。
[編集] グループ編成
[編集] メンバー構成推移
このグループの最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。
メンバー数が流動的で、5人(結成時)~16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間(1999年4月~8月及び2005年4月以外)に20代と中学生のメンバーが同時にいる。2006年12月1日時点の平均年齢は18.13歳。
[編集] 推移年表
日時 | メンバー | 増減 | 人数 | 平均年齢 |
---|---|---|---|---|
1997年9月7日結成 | 【1期】中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香 | - | 5人 | 17.40 |
1998年5月3日 | 【2期】保田圭・矢口真里・市井紗耶香加入 | +3 | 8人 | 16.75 |
1999年4月18日 | 福田明日香脱退 | -1 | 7人 | 18.29 |
1999年8月22日 | 【3期】後藤真希加入 | +1 | 8人 | 18.00 |
2000年1月7日 | 石黒彩脱退 | -1 | 7人 | 18.14 |
2000年4月16日 | 【4期】石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依加入 | +4 | 11人 | 16.55 |
2000年5月21日 | 市井紗耶香脱退 | -1 | 10人 | 16.60 |
2001年4月15日 | 中澤裕子卒業 | -1 | 9人 | 16.56 |
2001年8月26日 | 【5期】高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙加入 | +4 | 13人 | 15.77 |
2002年9月23日 | 後藤真希卒業 | -1 | 12人 | 16.92 |
2003年1月19日 | 【6期】藤本美貴・亀井絵里・道重さゆみ・田中れいな加入 | +4 | 16人 | 16.56 |
2003年5月5日 | 保田圭卒業 | -1 | 15人 | 16.47 |
2004年1月25日 | 安倍なつみ卒業 | -1 | 14人 | 16.86 |
2004年8月1日 | 加護亜依・辻希美卒業 | -2 | 12人 | 17.42 |
2005年1月30日 | 飯田圭織卒業 | -1 | 11人 | 17.64 |
2005年4月14日 | 矢口真里脱退 | -1 | 10人 | 17.40 |
2005年5月1日 | 【7期】久住小春加入 | +1 | 11人 | 16.91 |
2005年5月7日 | 石川梨華卒業 | -1 | 10人 | 16.70 |
2006年7月23日 | 紺野あさ美卒業 | -1 | 9人 | 17.78 |
2006年8月27日 | 小川麻琴卒業 | -1 | 8人 | 17.75 |
2006年12月10日※ | 【8期】光井愛佳合格 | +1 | 9人 | 16.11 |
※モーニング娘。としての活動開始(お披露目)日程が未定のため加入決定日。活動開始後、他のメンバーと同様に修正。
[編集] モーニング娘。の低年齢化について
しばしばモーニング娘。は初期と比べて低年齢化していると言われる。しかし実際にメンバーの平均年齢を計算してみればすぐに分かる様に、モーニング娘。の平均年齢は数多くのメンバーの入れ替わりがあったにも関わらず、16歳台から18歳台の間を上下しているだけであって、特に全体が低年齢化しているという様な事実は存在しない。それにも関わらずモーニング娘。の低年齢化が言われるのは、
- 中澤裕子という飛び抜けて年齢の高いメンバーが居なくなった事。
- 初期の最年少メンバーである福田明日香や、後藤真希があまり年齢の低さを感じさせないタイプであったのに対して、それ以後の年少メンバーが辻希美や加護亜依を中心にして子供っぽさを前面に押し出す様になった事。
- 結成時には5人中1人だけが中学生だったのに対して、追加メンバーは18人中14人が加入時には中学生であり、その後時間が経過しても加入時の中学生のままのイメージで捉えられがちであった事。
などの理由により、グループ全体の「イメージ」が低年齢化したためであると考えられる。
[編集] グループ編成の比較考察
モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループであると公式に表明しており、メンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わった音楽評論家の福田一郎(故人)が提案したと言われている。
また、一部では結成以後のいろいろな状況を考えると、最初から意図してメンバーの加入や脱退を行ったのではなく、ある時期まではその時、その時の個別の理由によってメンバーの加入や脱退を行っていくうちに、この様な形態になったのではないかという憶測もある。
- 当初は2期メンバー加入時に「これが最後のオーディションで以後新規加入はない」と明確に宣言していた事。
- 福田明日香脱退発表後に出演した「うたばん」(TBS系)で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」と答えていた事。
但し、これらの件に関して、後に事務所の先輩でもある田中義剛も自身のブログにおいて山崎会長の指示によってグループを結成した経緯が掲載されており、ASAYAN自体はモーニング娘。のPR的な番組でしかなく、番組も過剰な演出で知られているため、これらの発言も演出的なものに過ぎないという意見もある。
いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田、石黒、市井)を補充する名目でASAYANに出続けられた影響は大きい。Say a Little Prayerやdosなど同じく同番組出身のグループやアーティストがモーニング娘。メジャーデビュー以前にデビューしていたが、デビュー後に同番組から離れると次第に話題性が乏しくなり、CDなどの売り上げが低下し、最終的に活動停止・解散に陥ったものがあった。これに対し、追加メンバーオーディションを行う事で『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になった事が、番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。 これは派生ユニットであるタンポポの結成時にも第2期メンバーから選抜するオーディションをASAYANの番組内で開催した事などからも推察される。
事務所が公式に関連性を発表しているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界において、メンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、アイドルを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためだ。後につんく♂や振付師である夏まゆみが2003年4月放送の「エンタの神様」(日本テレビ系)の中で宝塚とモーニング娘。が夢の共演をした際に、曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分がある事を語っている。モーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるという指摘もある。また、一般的な用語であるため断言はできないものの、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組やおとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も、宝塚に由来するのではないかとする見方がある。また、2006年8月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトが手塚治虫原作「リボンの騎士」のミュージカル化をした際も宝塚との共演が実現され、ミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司がモーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っているとコメントをしている。
しかし、「期」と呼んで分けるやり方も結成時からでなく途中からではないかとも言われる。1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は、当時単に「新メンバー」又は「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、2000年4月の第4期メンバーが追加された時に彼女達は「第3次追加メンバー」と呼ばれており、少なくとも同年までは「期」とは呼ばれていなかった。SMAPとモーニング娘。が「国民的アイドル」の名を二分していた状況や複数のグループに分けての活動や戦略的売り込み方法など類似点が数多いため、1999年~2004年頃は宝塚より女性版ジャニーズと捉えられる事の方が多かった。また、幾つかのグループに分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニ、ミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。また、安倍なつみを本体の顔という理由で、彼女はグループ内グループには所属せず、矢口と加護は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子をソロとするなど全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
その後、2001年の第5期メンバー加入の頃からは「第○次追加メンバー」ではなく「○期メンバー」と呼ばれる様になり始めた。また、均等にグループを分割して「組」と分けるのは2003年からである。以上の事から、宝塚を意識し始めたのはグループ結成の1997年当時からではなく、2001年にリリースしたリードボーカルを担当する3人が男装したシングル『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』の頃からかと推察される。
[編集] アイドルグループとの比較考察
宝塚以外にも、モーニング娘。の比較対象として幾つかのアイドルグループが持ち上がる。
美少女クラブ21(現・「美少女クラブ31」)
- 芸能プロダクションのオスカープロモーションと比較される事が多い。
- 宝塚と同様に女性ばかりの集団で、芸能界において10代女性アイドルが多数在籍する存在であるというのが要因の様である。その中で、2003年にモーニング娘。に対抗して「美少女クラブ21」が結成された。グループ結成の記者会見席上において、オスカー側の関係者が質疑応答で、「将来はモーニング娘。の様なグループを目指し、グループ作りをして行きたい」と発言している事や、「森田クラブ」「ティーンエイジクラブ」「D.D.D」などのグループ内ユニット展開の他、フットサルチーム「表参道BEAUTY」などの活動展開は明らかにモーニング娘。を意識した戦略であり、オスカープロモーションがモーニング娘。に対して非常に強い意識があると考えられ、それらの共通性が比較対照とされる要因である。
- モーニング娘。と美少女クラブの相違点はグループとしての活動よりもソロでの活動割合が多い、歌手活動を重視で活動するモーニング娘。に対し、女優又はグラビア重視で活動しているという活動状況である。
おニャン子クラブ
- 1985年~1987年に活動していた女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がある。
- おニャン子からの工藤静香や国生さゆりなどのソロデビュー、「うしろゆびさされ組」などのグループ内ユニット展開が共通点である(おニャン子のグループ内ユニット展開は、宝塚の影響ではなく、モデルにした「オールナイターズ」からの流れである)。
- 相違点としては、おニャン子は番組企画のテレビ局主導グループで番組のアシスタント的役割であったのに対し、モーニング娘。は山崎直樹会長直々による所属事務所主導グループである点(そのため、おニャン子の場合は夕やけニャンニャン(フジテレビ系)の番組内でしか生きる術がなく、番組終了と同時にグループ活動を終えている。)、出身番組がバラエティ番組とオーディション番組だった点(初めから歌手デビューを目指して番組に参加したモーニング娘。とバラエティ番組のアシスタント的立場から始まったおニャン子の目的意識の違い)、プロデューサーの立場的違い(つんくは♂音楽プロデューサー、秋元康は番組構成作家)、そしてつんく♂と秋元の2人で行われた対談で、秋元はおニャン子は女子校の放課後をイメージさせた素人の延長線上の素人集団だったが、モーニング娘。は歌唱力、ダンス、仕事に対する意識など、完成されたプロの集団であると語った事などが挙げられる。
- 2000年~2001年頃までおニャン子と比較されていたが、第5期メンバーが加入した頃になると比較されなくなっていった。
- また、おニャン子と同様に秋元プロデュースで、素人性を売りにしている事などで、平成のおニャン子と言われるAKB48とも夏まゆみが関係している事で、一部で比較される事がある。
野猿
- 「サマーナイトタウン」や「抱いてHold On Me!」がヒットしていた1998年~1999年頃は、「うたばん」で野猿vsモーニング娘。対決を行っていたり、番組の企画でメンバーの入れ替えが行われたり、中澤のOL出身という経歴と野猿の番組スタッフ出身という、一般人から芸能人へ転身したところが似ていると石橋貴明が発言していたりと、番組内で野猿と比較される事もあった。
- 相違点としては、野猿は男性グループである事、とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)で企画された番組企画のグループである事、とんねるず以外のメンバーは芸能活動と並行して番組スタッフを続けた事である。
ザ・ドリフターズ
- ナンシー関(故人)は、男性グループザ・ドリフターズ(以下、ドリフターズ)と比較していた事もあった。こちらも1999年~2001年位の間となるが、中澤裕子をいかりや長介、安倍なつみを加藤茶、後藤真希を志村けんに例えるものである。2001年の中澤卒業を、いかりや長介の居ないドリフターズになるという指摘がファンサイトなどでなされていた事、福田明日香の脱退後に勢いに陰りが見えたモーニング娘。が後藤真希加入で息を吹き返したところが、ドリフターズの荒井注脱退・志村けん加入と重なるという指摘である。その後の中澤卒業・第5期メンバー加入及びナンシー関氏の逝去により、ドリフターズとの比較はなされなくなった。
MOMOCOクラブ
- つんく♂は、2005年に徹子の部屋(テレビ朝日系)でゲスト出演した時に当時の写真付きで紹介される程、「MOMOCOクラブ」(主に菊池桃子)の大ファンだったと公言していた事で、同グループとの関連性も指摘される。
東京パフォーマンスドール
- つんく♂は、1990年代初期から中期に掛けて主に原宿ルイードを拠点に活動していたアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」(篠原涼子、仲間由紀恵、穴井夕子などを輩出したグループ、以下、TPD)のライブ会場(通称:ダンスサミット)に何度か足を運ぶなどTPDに魅了されていた事、当時シャ乱Qのメンバーとして、TPDがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した際に、将来はTPDの様なグループを作りたいと発言している事からも、TPDがモーニング娘。に与えた影響は少なくはないという意見もある。
- 共通点としては、モーニング娘。の様にグループ内ユニットとして「ゴルビーズ」「原宿ジェンヌ」など他にも複数のユニットがあった事、メンバーのソロデビュー展開、卒業と新規加入が行われ、研修生などが存在した事、ダンスや歌唱力などプロとして高いレベルのエンターテインメントを表現していた事、姉妹ユニットの存在などである。また、モーニング娘。同様TPDも宝塚から影響を受けていると言われている。
- 相違点としては、TPDはレコード会社主導のグループで、メンバーの所属事務所がバラバラだった事、TPD専用の箱(イベント会場)を持っていた事などである。
- なお、東京パフォーマンスドールの姉妹ユニットである大阪パフォーマンスドール(OPD)からはメンバーの稲葉貴子がハロー!プロジェクト入りしている。
SPEED
- モーニング娘。と同様に同世代の少女達の憧れの対象として、多少活動期間が前後するが、「SPEED」との比較も1998年~2000年3月の解散辺りまであった。
- 当時は高いレベルでダンスパフォーマンスをするグループ同士として、ライバルとしての比較も多かったが、年齢的にも近く、飯田圭織がSPEEDのメンバーである上原多香子と東京都立代々木高等学校定時制で同級生だったといった事などもあって、中澤裕子などが後に語っている様にメンバー間は仲が良かった様である。
- また、ハロー!プロジェクトと沖縄アクターズスクールは多数の女性アーティストやダンスグループ、スクールや研修生の存在など組織的に似ている事から比較対照に挙がる事がある。
ピンク・レディー
- 多人数グループと2人組の相違はあるが、活動状況が類似している事で、昭和のASAYAN的なオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)をきっかけにデビューが決まった「ピンク・レディー」とも比較される。
- モーニング娘。と同様にオーディション番組がきっかけでデビューが決まっている経緯と、デビューまでの過程で番組内において厳しい試練が与えられ、それをクリアしなければデビューできないという大河ドラマ的な演出で視聴者を魅了していった点、メジャーデビュー以前にインディーズでシングルを発売している点、男女関係なく大人から子供まで幅広い支持層を得ていた国民的アイドルだった点、同世代の少女達の憧れの対象だった点、親しみ易い歌の振り付けを基本にしていた点、玩具から文房具、お菓子、食品、漫画など幅広いキャラクター商品展開などの商業的戦略が非常に酷似している点、ピンク・レディーは『UFO』、モーニング娘。は『LOVEマシーン』とそれぞれ誰もが知っているミリオン級の大ヒット曲(代表曲)を持っている点、モーニング娘。のつんく♂と同様にピンク・レディーの曲の作詞のほとんどを阿久悠1人で手掛けている点、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの振付師である夏まゆみと同様に、ピンク・レディーの振付を担当していた専属の振付師土居甫が居た事など、共通点が多い。
- 後にピンク・レディーとモーニング娘。が共演した際にピンク・レディーの2人(未唯、増田惠子)が「私達とモーニング娘。は似ている」とコメントしている。
- 相違点としては、ピンク・レディーの場合はメンバーが固定されており、メンバーチェンジなどは一切行われなかった事である。
[編集] グループ加入メンバー年齢の変化
結成当時は年齢が13歳から23歳までとメンバーの年齢が幅広いグループであったが、1999年当時13歳であった後藤真希の成功によって、それ以降に加入する新メンバーは例外(藤本美貴)を除き、15歳以下のメンバーを採用する様になる。それに伴い、これ以降は新メンバーを含むハロー!プロジェクトのメンバーが出演する「美少女日記」「美少女教育」(2000年~2003年、テレビ東京、共に所属事務所アップフロント提供)など美少女を冠する番組がシリーズ化された。一方、20歳以上のメンバーは常に在籍しており、メンバー全体としての年齢の幅広さは変わっていない。
事務所の公式見解、そしてアイドル評論などから数多くのグループ編成に関する推察がなされているが、メンバーの入れ替えを常に前向きに捉えていく姿勢はモーニング娘。独自のものと言えるだろう。
[編集] グループ名の由来
『モーニングセットの様にお得感があり楽しめるユニット』という事で命名された。
なお、その他の候補としては、「87」(全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が東京・京都・北海道であるため)、「たこ焼きシスターズ」、「モーニングサービス」、「モーニング・ファイブ」などであった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし最終的には「モーニング娘」が採用された。
[編集] 「モーニング娘。」の「。」について
- 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし「ASAYAN」でのユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示され、司会のナインティナイン・岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した(福田以外は感想はなく微妙な笑い)。
- TBS系の音楽番組「うたばん」で、「。」について聞かれた時にメンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に出演したフジテレビ系のバラエティ番組「ハッピーバースデー!」(1999年6月13日放送)での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いた事で画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子が「『。』は大事。」と語っている。
- シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に『。』が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
- モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
- 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられた事がある。
[編集] 「モー娘。」という略表現について
- メンバー自身(特に初期のメンバー)は自分達のグループを「モーニング」又は「むすめ」と呼ぶ事が多い。また、メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶ事は台本などで強制されない限り、まずない。ファンも同調し、「もーむす」とは基本的に呼ばない。
- 「モー娘。」という表記自体は最初はファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
- 「モー娘。」という表記が一般的に使われる様になった以後にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使う事もある。
- モーニング娘。の熱狂的なファンの事を「モーヲタ」と呼ぶ。また、そのモーヲタは彼女らの事をモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。
- モーニング娘。、Morning Musume。及びモー娘。は株式会社アップフロントグループの登録商標(商標登録第4555529号 、第4566621号、第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」及び「モームスメ」(「モームス」でない事に注意)である。存続満了日は2012年(平成24年)(但し更新可能)。
[編集] 歴史
[編集] 誕生(1997年)
- 1997年9月7日、テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から安倍なつみ・飯田圭織・中澤裕子・福田明日香・石黒彩の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として、「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っている事などと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないかとする説もある。グループ名は翌9月14日放送分において「モーニング娘。」と決まった。
- 結成後はインディーズで活動を開始した。しかしメジャーデビューを目指すにはシングル「愛の種」を5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、11月3日から大阪・心斎橋のHMVを皮切りにこの「愛の種」の発売キャンペーンを開始した。大阪での売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(因みにHMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。そして30日のナゴヤ球場での発売キャンペーンで9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
- 楽曲の権利関係については、「愛の種」及び「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担する事と引き替えにモーニング娘。に関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して、セカンドシングルの「サマーナイトタウン」以後の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
- アップフロントグループの山崎直樹会長は、後に「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1ヶ月で500万円の経費が掛かるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やす事にした。」と語っている。また、この時に「モーニング娘。の音楽的な事はつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといった事はすべて私が決めていた。」と、当時のASAYANの演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行っており、一部で物議をかもした。
- 最初の追加メンバー募集の発表の時、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子は、その重大発表の内容は「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはその様な雰囲気があった事を伺わせる。
- ブレイクすると共に急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では、歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたし、穴が開いたら自分で繕っていた。また歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でテレビに出る事もしばしばあった。またASAYANなどが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーも居ない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。
[編集] ブレイク期(1998年~1999年)
- 1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。
- 1998年4月~6月に初主演ドラマ「太陽娘と海」(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。その間の5月に追加メンバーとして保田圭・矢口真里・市井紗耶香が加入し、同月に2nd『サマーナイトタウン』が27日に発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
- 1998年夏に初主演映画「モーニング刑事。~抱いてHOLD ON ME!~」(平家みちよと共演)が上映される。
- 1998年9月6日の新聞の番組表で、初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
- 続く3rdシングルで『抱いてHOLD ON ME!』(9月9日発売)で初のオリコンシングルチャート1位を獲得。またオリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で1998年の第40回輝く!日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、またNHK紅白歌合戦も第49回で初出場を果たす。
- 1998年10月、最初の「グループ内ユニット」である「タンポポ」の結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
- 1999年1月、福田が学業優先を理由に脱退を表明して、4月18日のコンサートを以て脱退した。その福田脱退後しばらくは人気に陰りが見え、7月14日に鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売としてASAYANで煽られた6thシングル「ふるさと」ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
- しかし9月、第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(9月9日発売)で再ブレイクし、ミリオンセラー(195万枚)となる。また、オリコンカラオケチャートでは当時の新記録である17週連続1位を達成した。18週目の1位を阻止したのがモーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』もミリオンを突破し一気にスターダムにのし上がったのがこの時期だった。
[編集] 黄金期(2000年~2002年前半)
- 2000年に入ると、直後の1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると約123万枚の売り上げを記録した。その後に発売された『ハッピーサマーウエディング』(5月17日)と『恋愛レボリューション21』(12月13日)も100万枚を越える大ヒットを記録した。
- 石黒が2000年1月に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、さらに翌5月には市井が卒業した。
- この頃から飲茶楼(JT)やDream Netを始め、CMに多く出演する様になる。
- 2000年3月29日に発売されたサードアルバム「3rd~LOVEパラダイス~」で、モーニング娘。のアルバムでは初のミリオンを達成した。
- 2000年4月には、「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)と「フライデーナイトはお願い!モーニング」(日本テレビ系(テレビ岩手製作)、2001年9月終了)の放送がスタートした。この2つの番組に出演してから「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。の企画が放送された。
- 2000年5月に東映系で主演映画「モー娘。走る!ピンチランナー」が公開される。
- 2001年1月に矢口をリーダーに結成されたミニモニ。が早くも低年齢層に受け入れられ、一気にファン層を拡大した。
- 2001年頃から、メンバーそれぞれの個人活動が多くなると共に、併せてメンバーのソロ写真集が発売される様になる。
- 2001年1月31日に発売されたベストアルバム「ベスト!モーニング娘。 1」がトリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
- この頃、ほとんど毎週の様に「うたばん」(TBS系)に出演し、個人の知名度が一気に向上する。
- また、「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容する様になった。
- 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーTV番組「モー。たいへんでした」(日本テレビ系)も始まる(2001年4月~2002年3月)。
- 2001年4月に初代リーダーだった中澤が卒業し、同時に後任のリーダーに飯田が就任、飯田より年上だった保田はサブリーダーに就任した。また、同時期に石川がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。
- 2001年5月3日~27日に初主演ミュージカル「LOVEセンチュリー~夢は見なけりゃ始まらない~」を上演した。もちろん卒業した中澤も出演した。
- 2001年8月には、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)のメインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、翌2002年も2年連続でメインパーソナリティを務める。
- 2001年8月26日にテレビ東京系で放送された「LOVEオーディション21」の結果、5期メンバーとして高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙が加入し、史上最多(当時)の13人体制となる。
- 2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ「モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ」(TBS系)が放送され、5月24日~6月23日にはミュージカル「モーニング・タウン」を上演した。
[編集] 転換期(2002年後半~2004年)
- 2002年7月31日に後藤・保田の卒業発表やタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバー改変などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。モーニング娘。及び同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている。」という意見もある)。
-
- なおこの後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表される事になる。特に2003年8月の安倍の卒業決定から2005年5月の石川の卒業までの間は常に「卒業時期が既に決定しているメンバー」が在籍していた。
- 2002年12月には、ハロー!プロジェクト・キッズ(6月30日デビュー)との共演で映画『仔犬ダンの物語』が上映された(但し出演したのは当時のミニモニ。のメンバーと高橋を除いた8人及びハロー!プロジェクト・キッズの11人)。
- 2003年1月の「LOVEオーディション2002」の合格者発表(最終選考に残った亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人共加入)を前に、2002年3月からソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。藤本も含め、メンバーは史上最多(2006年12月現在まで)の16人となる(但し16人での活動は同年5月の保田の卒業コンサートのみで、それまでに発売されたシングル2枚及びアルバム1枚は12人で出している。)。
- 2003年8月には、石川に代わって紺野と藤本がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」として活動を開始した。
- 2003年9月には、新展開として15人のメンバーを「モーニング娘。さくら組」「モーニング娘。おとめ組」の2つに分けての活動も開始した。それぞれ、シングルCDを2枚ずつリリースし、全国ツアーも行った。しかし、辻と加護の卒業後は、正式アナウンスがないまま、2組共活動休止状態となる。
- 2004年1月に長くエース格にあった安倍が卒業した。さらに同月には辻と加護が揃っての卒業発表、そして5月には飯田と石川の卒業も発表され、人気メンバーが相次いで卒業する事になる。
- 2004年5月29日~6月13日にミュージカル「HELP!熱っちぃ地球を冷ますんだっ」を上演した。その後19日と20日には幕張メッセで第1回モーニング娘。文化祭を開催した。この時期には小池百合子環境大臣を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
- 2004年8月には辻と加護が揃って卒業した。なお、卒業直前の5月に2人のユニット「W」を結成した。
- 2004年9月にメインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(「ラッキー7オーディション」)。しかし、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材が居ないという理由で、前代未聞の「該当者なし」という結果に終わった。
- 2004年12月31日の第55回NHK紅白歌合戦では、先に卒業した辻と加護のユニットWと共演し、初のメドレーを歌唱した。
[編集] 以後の展開(2005年~)
- 2005年1月、2代目リーダーだった飯田が卒業し、結成当時のメンバーはすべて卒業した。
- 2005年2月より「モーニング娘。オーディション2005」を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。このオーディション開催中の4月14日に3代目リーダーだった矢口が緊急脱退(理由は前述)し、吉澤が4代目リーダーに就任した。
- 2005年5月7日に石川が卒業した。なお、石川は2004年9月に自らをリーダーとする美勇伝を結成した。
- 2005年8月27日には、27thシングル『色っぽい じれったい』で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント「モーニング娘。/色っぽい じれったい」発売記念東名阪握手サーキットを横浜・名古屋・大阪で開催した。シングルDVDには応募コードは同封されず、シングルCDの売り上げ回復を狙う。7期メンバー追加と同時のイベント効果により、オリコン初週は過去2作の累計を超えて22ndの水準まで戻した。イベント戦略は初動にのみ効果があり、2週目以降の累計は前作同様であった。
- 2005年10月には、横浜で第2回モーニング娘。文化祭を開催した。今回も環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけた(翌2006年9月にも横浜で第3回モーニング娘。文化祭を開催)。
- 2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦では、卒業メンバー(引退又は事務所を移籍した福田・石黒・市井を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった「LOVEマシーン」を歌った。この回でもメドレー扱いとなったが、今回は松浦亜弥と共演した。
- 2006年7月には、久住が初のモーニング娘。内ユニット(ソロユニット)月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)でCDシングルデビューした。また、9月にはGAMで藤本も松浦と共にユニット活動を開始する。モーニング娘。現役メンバーを含むユニットによるシングルCDの発売は、カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の2004年8月以来、2年1ヶ月ぶりである。
- 2006年7月には紺野が学業専念のために、8月には小川が語学留学のためにそれぞれ卒業した。小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時にハロプロからも卒業となった。ハロプロでの活動継続を公言しない卒業は市井以来、「勉学」による芸能活動休止は福田以来である。前の卒業者である石川との間には1年2ヶ月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤と後藤の1年5ヶ月に次ぐ長さである。加入も計算に含めた同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1ヶ月を上回り最長となる。同一メンバー構成でシングルを4枚リリースするのも過去最多記録である(これまでの記録は2nd~4th、13th~15th、16th~18th並びに19th~21stのそれぞれ3枚。)。
- 2006年8月1日~27日に「リボンの騎士ザ・ミュージカル」を上演した。
- 2006年10月31日~12月3日の2006世界バレーにWaT×ハロー!プロジェクトとしてWaT、DEF.DIVA、Berryz工房と共にオフィシャルサポーターに任命された。主にWaTが女子大会に対して、ハロー!プロジェクトは男子大会の宣伝・応援を行った。
- 2006年11月8日発売の31thシングル『歩いてる』(2006世界バレー挿入歌)で、2003年4月の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来3年7ヶ月ぶりとなる、通算10枚目のオリコンシングルチャート週間1位を獲得し、ピンク・レディーの9作を抜いて女性グループ歴代首位に立った。6・7期メンバーにとっては初の1位となり(藤本はごまっとう名義の『SHALL WE LOVE?』で1位獲得経験あり)、中でも7期メンバーの久住は1990年代生まれ初のオリコン1位獲得者となった。
- 2006年8月より「モーニング娘。Happy8期オーディション」を開催し、12月10日に光井愛佳が8期メンバーとして加入する事が発表された。
- 2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦に「GAM&モーニング娘。」として出場する。この回もメドレー形式となる予定。
[編集] モー娘。の現状
1999年~2001年に絶頂期を迎えたモーニング娘。だが、以降は人気が徐々に低下している。
- 2005年以降、モーニング娘。としてのテレビCM出演がなくなる。
- 2006年には、CDの売上も結成時手売り条件の5万枚をオリコン累計で割り込む様になっている。
- 音楽番組もかなりの出演が激減した。
人気低下の原因としては、以下の点などが考えられる。
- シングル『LOVEマシーン』のヒットを起点とした「モーニング娘。」ブームの沈静化。
- 本来グループの存亡に直結するはずであるメンバーの加入・脱退さえもマンネリ化してしまった事。
- 知名度や人気の高いメンバー、笑いを取れるメンバーを次々卒業させた事により知名度の低いメンバーが大部分になってしまった事(つんく♂は「モーニング娘。は早く卒業する事を目標とすべき枠である方が良い」という故福田一郎氏の助言を忠実に守っており、そのセオリー通りなのだが、卒業したメンバーのその後の活動実績、例えばオリコン調べでのCD売り上げなどは娘。時代の活動実績に及んでいるとは言い難い。)。
- 派生ユニットの乱発や楽曲の傾向の変化により、固定ファン以外には個々の曲の印象が残りにくい曲ばかりになった事。
- ハロプロのユニット数増加によりつんく♂の負担が増え、良い曲が生まれづらくなった事。また、つんく♂の負担を押さえるため、森村メラやBULGEなど外部の作詞・作曲家を起用するが、良い曲が他のユニットに回される事が増えた事。
- 卒業メンバーのソロ及びユニットや松浦亜弥、メロン記念日、Berryz工房、℃-uteなど他のハロプロメンバーに人気が分散してしまった事。
- テレビ出演よりも、コンサート(興行)が優先された事。
- 歌番組でのファン層以外にアピールする機会に恵まれない事。出演できない、又は出演したとしても視聴率が低く、出演時間や露出時間が少なくなった。中でもミュージックステーション(テレビ朝日系)では2001年頃までは1曲発表する毎に2回出演し、且つ特別番組にも出演するなど、出演時間も長めであったが、最近では直前のミニ番組「ミニステ」でのトークに出演せず、また1曲発表する毎に1回同番組に出演する時間も歌披露のみに留まって来ている。また、卒業メンバーのソロ及びユニットも同番組に1曲発表する毎に1回出演し、且つ「ミニステ」にも出演していた事があったが、最近は1曲発表しても全く同番組に出演していない。また、うたばん(TBS系)でも2000年~2001年にほとんど毎週の様に出演していたが、最近では同番組もほとんどがお笑いタレントが出演しているためか、他の出演アーティストと同様に出演時間も歌披露のみに留まって来ている。
- ワイドショーでも露出時間が少なくなった。中でもめざましテレビ(フジテレビ系)の「メディア見たもん勝ち」では2000年~2002年頃に頻繁にこのコーナーに露出していたが、最近ではこのコーナーに露出する日が大幅に減少している。
グループの「進化」の部分だが、各賞受賞歴やオリコン順位を考えると、デビューから3年間程度は当てはまると思われるが、2002年以降は「進化」ではなく悪く言えば「退潮」、よく言えば「安定期に入った」と言える。2006年現在でもマスコミによって「国民的アイドルグループ」と形容される事もあるが、「国民的~」の呼称が形骸化して残っているだけという感は否めない。
今なお、日本国内では老若男女を問わずグループとしての知名度は圧倒的に高いが、その老若男女が知る娘。とは絶頂期の娘。の記憶であり、現在の娘。についてはメンバーの名前・顔・曲・人数とも全くと言っていい程把握していないのが現実である。とはいえ、娘。以降、これ程の人気を博した女性アイドルグループの出現がない事もあり、日本で女性アイドルグループといえば、今なおモーニング娘。が第一人者である事は間違いない。2002年後期以降のモーニング娘。の活動を前向きに捉えようとする見方もある事は事実である。
[編集] 特徴
ここでは、モーニング娘。でしか見られない現象について記す。
[編集] 教育係
モーニング娘。には「教育係」という名目で、先輩が後輩に指導するならわしがある。中でも、3・4期メンバーではASAYANで教育指導の模様が放送されている。
- 2期メンバー
- 教育係の制度はなかった。しかし、ASAYANでは中澤が叱っている姿が放送された。
- 3期メンバー
- 市井→後藤
- 4期メンバー
|
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- 5期メンバー
- 教育係の制度はない。
- なお、2001年11月2日に放送されたミュージックステーション(テレビ朝日系)での5期メンバー初登場時に、吉澤→高橋、石川→小川、安倍→紺野、矢口→新垣、という組み合わせで新メンバーの紹介を行ったため、この組み合わせが教育係だと言われた事もあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている。
- 6期メンバー
- 教育係という制度としてではないが、6期メンバーの教育は主に保田が担当している。
- 7期メンバー
- 道重→久住
[編集] メインパート争奪
初期の楽曲がメイン(主旋律)とハモリ(ハーモニー)で構成されていた事から、メイン争奪戦が起こった。
「LOVEマシーン」以降のリレー式歌唱でも、サビの歌唱を中心とし歌唱パートが多いメインとその他に区別される。多人数グループでありながら、メンバー入れ替えが多い事から中心となるメンバーが固定されず、メイン争奪となる。人数の増加に伴い、歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心を「センター」と呼ぶ。センターとメインは必ずしも一致しない。メインやセンターを一度も経験せずにモーニング娘。を卒業したメンバーも多い。
メイン及びセンターの遷移は以下の通り。但しメインやセンターについて公式発表される事もあるものの、多くの場合、公式発表はされないため、誰が見ても明らかな場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず意見が分かれる場合も多い。
順番 | タイトル | 発売日 | メイン・センター |
---|---|---|---|
1st | モーニングコーヒー | 1998年1月28日 | 安倍なつみメイン(飯田圭織サブ) |
2nd | サマーナイトタウン | 1998年5月27日 | 安倍なつみメイン |
3rd | 抱いてHOLD ON ME! | 1998年9月9日 | 安倍なつみ・福田明日香メイン |
4th | Memory 青春の光 | 1999年2月10日 | 安倍なつみ・福田明日香メイン |
5th | 真夏の光線 | 1999年5月12日 | 安倍なつみメイン |
6th | ふるさと | 1999年7月14日 | 安倍なつみメイン(実質安倍のソロ) |
7th | LOVEマシーン | 1999年9月9日 | - |
8th | 恋のダンスサイト | 2000年1月26日 | - |
9th | ハッピーサマーウェディング | 2000年5月17日 | - |
10th | I WISH | 2000年9月6日 | 後藤真希メイン(加護亜依・石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美サブ) |
11th | 恋愛レボリューション21 | 2000年12月13日 | 安倍なつみ・後藤真希メイン |
12th | ザ☆ピ~ス! | 2001年7月25日 | メインなし、石川梨華センター |
13th | Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~ | 2001年10月31日 | 吉澤ひとみメイン(吉澤及び安倍なつみ・後藤真希の3人のみ歌唱) |
14th | そうだ! We're ALIVE | 2002年2月20日 | メインなし、矢口真里センター |
15th | Do it! Now | 2002年7月24日 | 安倍なつみ・後藤真希メイン(高橋愛・紺野あさ美サブ) |
16th | ここにいるぜぇ! | 2002年10月30日 | - |
17th | モーニング娘。のひょっこりひょうたん島 | 2003年2月19日 | - |
18th | AS FOR ONE DAY | 2003年4月23日 | 石川梨華メイン |
19th | シャボン玉 | 2003年7月30日 | 田中れいなメイン |
20th | Go Girl~恋のヴィクトリー~ | 2003年11月6日 | -(4グループに分けられ、各グループでユニゾン) |
21st | 愛あらば IT'S ALL RIGHT! | 2004年1月21日 | - |
22nd | 浪漫~MY DEAR BOY~ | 2004年5月12日 | 石川梨華・高橋愛・藤本美貴メイン(吉澤ひとみサブ) |
23rd | 女子かしまし物語 | 2004年7月22日 | - |
24th | 涙が止まらない放課後 | 2004年11月3日 | 紺野あさ美メイン(道重さゆみサブ) |
25th | THE マンパワー!!! | 2005年1月19日 | 吉澤ひとみ・高橋愛メイン |
26th | 大阪 恋の歌 | 2005年4月27日 | 石川梨華・高橋愛・藤本美貴メイン、高橋センター |
27th | 色っぽい じれったい | 2005年7月27日 | 高橋愛・藤本美貴・田中れいなメイン、高橋センター |
28th | 直感2~逃した魚は大きいぞ!~ | 2005年11月9日 | - |
29th | SEXY BOY~そよ風に寄り添って~ | 2006年3月15日 | 高橋愛・藤本美貴・田中れいなメイン |
30th | Ambitious! 野心的でいいじゃん | 2006年6月21日 | 高橋愛・藤本美貴・田中れいな・亀井絵里メイン、田中センター |
31st | 歩いてる | 2006年11月8日 | 高橋愛・藤本美貴・久住小春メイン |
[編集] パート割り
- メイン争奪と共に2番手以降でも歌唱パートの争奪戦が行われる。常時10人以上(現在は9人)の大所帯のため、ソロ歌唱フレーズなし、1フレーズという事もある。
- 『女子かしまし物語』では、ライナー(歌詞カード)に記述された。
- 『LOVEマシーン』までは全員分で曲全体のレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。その後、レコーディングでのプロツールス導入に伴い、レコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジする事が多くなる。
[編集] エース格メンバー
エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味合いである。エースに該当しないメンバーが素質的又は才能的、そして人気が劣っているという意味合いではない。但し、エースについてはつんく♂ら関係者やマスコミによってしばしば言及されることがあるものの、リーダーなどの様に公式発表される事はないので、ある時点で誰がエースなのか、特定の時点でのエースは1人に限られるのか、そもそもエースと呼びうる存在がいるのかといった点で意見が分かれる場合が多い。
モーニング娘。の歴史の中で、一般的にエース格メンバーとされているのは、安倍なつみ・後藤真希・石川梨華の3人である。
結成時から後藤加入の頃までの初期のモーニング娘。のエースと考えられるのは安倍なつみである。安倍はモーニング娘。の初期の曲のすべてでメインボーカルを務めており、中でも「ふるさと」はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにも関わらずソロパートがあるのが安倍1人であり、他のメンバーは単にバックコーラスを務めているに過ぎない。モーニング娘。の歴史の中でこの様な例は他には存在しない。かつて、つんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。の顔であり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている。」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」とほぼ同じ意味だと思われる。なお、安倍は歌手としてのソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、ソロでのCM、本格的なドラマ出演、写真集の発売などはいずれもモーニング娘。のメンバーの中では安倍が初めてである。
石川は在籍時代にはセンターを務める事が余りなかったため、必ずしもエース格とされていた訳ではないが、卒業発表から卒業までの過程においてエース格であると認識するマスコミが多くなった。広義には高橋愛・藤本美貴・田中れいな・久住小春らを指す事もある。石川がエース格を務めたのはグループ人気にやや陰りが見えた時期であるため、人気の高かった時期にエースを務めた安倍・後藤と同列視すべきではないとする意見もあるが、つんく♂も雑誌の記事で石川はエースとして頑張って来たと発言しており、石川がエースとして果たして来た役目は決して小さな物ではないという意見もある。
2003年1月に、当時ソロ歌手として活動していた藤本のモーニング娘。入りが発表された時、プロデューサーのつんく♂が「紅白歌合戦でモーニング娘。のメンバーをバックに歌っている藤本を見てモーニング娘。に入れてみたいと思った」などと語ったため、マスコミで「藤本美貴、即戦力のエースとしてモーニング娘。に加入」などと報道された。
2004年9月の7期メンバーの募集時に、オーディションの目的が「エースを探す」であるとされたため、その時点のモーニング娘。にはエースがいない(又はいなくなる)事になるのか議論になった。このオーディションは結果該当者なしだったため、翌2005年2月に再度7期メンバーを募集し、5月にモーニング娘。に加入した久住小春について、つんく♂は「エースを超えるミラクル」であると評した。「絶対的エース」が不在になったと言われたのはその頃からである。別の見方では、つんく♂の「今の娘。はみんな4番打者だ」という発言により、良い意味での平均化がなされたとも言える。
マスコミでは、ハロプロ系に詳しいサンケイスポーツが「エース」の呼称を頻繁に使用し、以下のメンバーに用いられた。
- エース: 安倍なつみ、後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時)、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)
- 新エース: 高橋愛(2002年7月ハロプロ改変時)
- 6期生のエース: 田中れいな(あぁ!結成時)
- エース候補: 久住小春(石川卒業時)
[編集] ラブマの法則
石黒彩から安倍なつみの卒業まで、「LOVEマシーン」のシングルジャケット写真8人の立ち位置右上から6人が以下の様に並び通りの順番となった(石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ)。
飯田 | 保田 | 中澤 | 石黒 |
矢口 | 安倍 | 後藤 | 市井 |
通算3人目の卒業者となる中澤卒業時にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論された事が確認されている。安倍卒業時にマスコミでも話題となったが、「LOVEマシーン」リリース時に在籍していない辻希美と加護亜依の卒業により、法則は破られたと考えられた。だが、最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」リリース時に在籍していなかったという批判がある上、その後飯田圭織が卒業した後、ジャケット写真8人の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないという考え方もできる。この当時に在籍していた8人で考えるのが順当と言えるかもしれない。
そして、2005年4月14日に最後の1人である矢口が脱退し、「ラブマの法則」はここに完結した。
翌5月11日放送のフジテレビ系の番組「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」においてこの法則が紹介された。しかし、それ以前にもアッコにおまかせ!(TBS系)や情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ系)で報道していた。また、矢口が脱退した時もブロードキャスター(TBS系)内の「お父さんのためのワイドショー講座」で放送される前に教えた。
石黒、市井の順番で結婚、妊娠をしているので、新『ラブマの法則』として次は中澤の結婚、妊娠かという憶測も生まれている。
[編集] 楽曲オリジナルメンバー
2006年12月現在、モーニング娘。の最古参メンバーは4期メンバーの吉澤ひとみであるため、シングル曲で9枚目の「ハッピーサマーウェディング」より前の曲は、オリジナルとして歌ったメンバーが1人も現存しない(「そうだ! We're ALIVE」にカップリング曲として収録された「モーニングコーヒー(2002 ver.)」などリメイクされたものは除く)。
過去の曲は、コンサートにて卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌う。なお、2005年夏のハロー!プロジェクトのコンサートでは当時の『卒業メンバー』である中澤・飯田・安倍・保田・後藤・石川・辻・加護が「LOVEマシーン」を披露する(矢口は司会扱いで不参加)一方、その後のモーニング娘。コンサートでは、現役メンバーが同曲を歌っている。
[編集] グループ内ユニット・レンタル
モーニング娘。は、グループ内ユニットとしての「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などの活動も活発であった。
そもそも、このグループ内ユニットとは結成からずっとメイン歌唱の安倍なつみに対しコーラス担当となっていた飯田圭織と石黒彩の歌唱力を活かすため、グループ内ユニットであるタンポポが発案され結成された事が始まりである。また、追加メンバー3名からは声の相性を重視して矢口真里が選抜された。ASAYANとしての企画としても注目が集まり、「メンバーの個性を高めてモーニング娘。に還元する」循環の成功事例となった。
この成功に続いて、プッチモニが結成され、モーニング娘。に続くミリオンセラーとなる。続くミニモニ。は、ハロー!プロジェクトからココナッツ娘。のミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録し、成功する。この方向性をさらに進め、モーニング娘。のメンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。
2002年のユニット改編(タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え。各項目を参照の事。)は、それぞれのファンからの反発を買う事になった。結果、改編後タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはあったものの、シングルリリースなしで、両ユニット共活動休止状態となる。ミニモニ。も、改編後の路線変更を前後して売り上げは半減し、2004年5月にミカの卒業を以て活動停止した。
2004年にエコモニ。が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど活動を続けている。
さらに2006年には、グループ内ソロユニットの月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)や、ハロプロ枠内のユニットGAMといったユニット活動が再開している。
[編集] 円陣および気合い入れ
モーニング娘。は、ライブやテレビ番組の本番前などにメンバー全員で円陣を組み、右手を重なり合わせ、掛け声を掛け合う気合い入れを行う事が仕来りになっており、モーニング娘。の歴史において欠かす事のできない独特の習慣である。これはメンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という意思確認の目的で結成当時から行われており、ファンの間でも有名である。
- がんばっていきまっしょい!!
- リーダー格のメンバーが『がんばっていきまっ』の部分を単独で発言し、残りのメンバーが呼吸を合わせ一斉に『しょい!!』と掛け声を合わせる形を取っている。この気合い入れはモーニング娘。のライブDVDやASAYAN、ミュージックステーション(テレビ朝日系)などでも公開されている。敷村良子原作で1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した小説「がんばっていきまっしょい」が由来。1998年には映画化もされ、これが縁で飯田圭織と同映画主演の田中麗奈が親友になった。
- ダンシング シンギング エキサイティング
- こちらは主にハロプロライブの時にハロプロメンバー全員での、気合い入れ時の掛け声である。メンバー全員で両手を繋ぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。『ダンシング シンギング エキサイティング』を2度繰り返し、最後に『オー』という形になる。こちらも度々ハロプロのライブDVDなどに収録されている。
この他にも、ハロプロの各グループ毎に独特の気合い入れや掛け声が存在する。
[編集] 主な記録
- 女性グループシングルCDオリコン1位回数:10作、歴代最多
- 女性グループシングルCDオリコン1位連続年:6年(1998年~2003年)
- 通算CDセールス1,000万枚突破(19thシングル「シャボン玉」にて突破、女性グループ史上3組目)
- 女性グループシングルCD総売上げ第2位(2006年12月現在、1位はピンク・レディー)
- 女性グループシングルCDオリコントップ10回数:31作すべて、歴代最多
- 女性グループシングルCDオリコン連続トップ5記録30作(継続中)
- ミュージックDVDオリコン1位回数:12作
- 『1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数』の世界記録:15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベントにおいて)
- NHK紅白歌合戦関係
- 女性グループとして最多出場:9回(1998年~2006年)
- 女性グループとして最大人数:19名(2005年の第56回にて)
- 紅組最年少出場:12歳10ヶ月(加護亜依、2000年の第51回にて)
- 最多初出場(3回):後藤真希(モーニング娘。、後藤真希、DEF.DIVA)(1999年の第50回、2003年の第54回、2005年の第56回)、藤本美貴(藤本美貴、モーニング娘。、GAM)(2002年の第53回、2003年の第54回、2006年の第57回)
- 平成生まれの出場歌手第1号:田中れいな、道重さゆみ(2003年の第54回にて)
- ※2005年の第56回にて久住小春が加わるが、2006年現在この3名以外に平成生まれの出場歌手は出ていない。
[編集] 獲得音楽賞
- ゴールドディスク大賞7年連続(1998年~2004年)
- ベストヒットアーティスト8年連続(1998年~2005年)
- 第40回日本レコード大賞最優秀新人賞(1998年)
- 第31回全日本有線放送大賞「新人賞」
- 第13回日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」
- 第36回ゴールデンアロー賞「音楽新人賞」
- 第32・33回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」
- 第41回日本レコード大賞「優秀作品賞」
- 第37回ゴールデンアロー賞「音楽賞」
- 第14回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ちょこっとLOVE・LOVEマシーン・恋のダンスサイト)
- 第42回日本レコード大賞「優秀作品賞」(恋のダンスサイト)及び「特別賞」
- 第24回日本アカデミー賞「新人俳優賞」及び「話題賞」(モー娘。走る!ピンチランナー)
- 第15回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ハッピーサマーウェディング)
- 第44回日本レコード大賞「優秀特別賞」(Hello!projectとして受賞)
[編集] オーディション
なお、以下のオーディション以外にもモーニング娘。入りの可能性があった。
- 2002年4月~6月に行われたハロー!プロジェクト・キッズオーディションにおいて、「将来のモーニング娘。入りもあり得る。」とされていたが、2006年12月現在、該当者はいない。
- 2004年4月~8月に行われたハロプロエッグオーディション2004においてもモーニング娘。入りの可能性もあるとされていたが、こちらは実現しなかった。
また、落選者の中には下記で挙げられた以外に磯山さやかがいるが(本人の項を参照の事)、どのオーディションかが明確にはなっていない。
[編集] モーニング娘。追加オーディション
- 応募資格:明記なし
- 当初は「合格者は5名の予定」とされていた。また、「これが最後のメンバー追加である。」という説明もあった。
- 1998年春に「ASAYAN」で応募して放送(選考過程の放送はほとんどなかった)
- 応募総数:約5千名
- 課題曲・合宿なし
- 落選者の中に三好絵梨香(美勇伝)、椛田早紀(CLOVER)、渡辺奏子(星野奏子: BeatmaniaIIDX)
- 合格者:保田圭、矢口真里、市井紗耶香
[編集] モーニング娘。第2回追加オーディション
- 応募資格:中1以上の女性
- 当初は「合格者は2名の予定」とされていた。
- 1999年夏に「ASAYAN」で応募して放送
- 応募総数:約1万1千名
- 都内某所にある寺で合宿
- 合宿課題曲:モーニング娘。2ndシングル「サマーナイトタウン」
- 2次審査通過者21名の中に倖田來未(神田来未子)、大山恵理乃(元・大阪パフォーマンスドールで、後のキーヤキッス)、櫻田有幾子(スペランツァF.C.高槻所属の女子サッカー選手)
- その他の落選者の中に南海キャンディーズのしずちゃん(山崎静代)
- 合格者:後藤真希
[編集] モーニング娘。第3回追加オーディション
- 応募資格:不明(ASAYANでは「音楽、歌好きな女性限定」と表記)
- 当初は「合格者は3名の予定」とされていた。
- 2000年冬に「ASAYAN」で募集して放送
- 応募総数:2万5千名(当時ASAYANで開催されたオーディションでは最大だった)
- 都内某所にある寺で合宿
- 合宿課題曲:あか組4「赤い日記帳」
- 1次審査通過者35名の中に藤本美貴、里田まい(里田舞)、藤森麻由、中村美佳、脇坂早織、斉藤友梨
- その他の落選者の中に片岡あづさ、若槻千夏(後にwi☆thとしてデビュー)
- 合格者:石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依
[編集] ミュージカル一般公募共演者オーディション
- 2001年5月3日~27日に東京・日生劇場にて上演されたモーニング娘。初の主演ミュージカル『LOVEセンチュリー~夢はみなけりゃ始まらない~』の一般公募共演者のオーディションだった。
- 募集の際にプロデューサーのつんく♂がモー娘。の新メンバーに加える可能性も示唆したため、高い注目が集まった。また合格発表時も「次期メンバーの有力候補が勢揃い」などと報道された。
- 対象年齢:2001年3月中学卒業見込みから20歳までの女性
- 2001年春に「ハロー!モーニング。」で募集して放送
- 応募総数:約2千人
- 合格者:菊地美香(17歳 埼玉県出身)、東條江身(18歳 山梨県出身)、池田沙耶香(15歳 広島県出身)、菊田夏美(15歳 東京都出身)、須堯麻衣(すぎょうまい 15歳 福岡県出身)、陸守絵麻(りくもりえま 14歳 福岡県出身)、吉鶴舞(13歳 神奈川県出身) ※年齢は合格当時
- 吉鶴舞は応募条件(年齢)を満たしていなかったが、ボーカルが評価され「特別合格」とされた。アップフロントミュージックスクール出身である。
- 須堯麻衣はアップフロント系事務所のサイバーガーデンエジェンシー所属で、後に3年B組金八先生(下田江里子役)などに出演している。
- 東條江身は後に秋桜というユニットでデビューしている。
- 菊田夏美はミュージカルに参加しなかった。
- 最終的にこのオーディションの合格者からのモーニング娘。入りはなく、ミュージカル終了後に「LOVEオーディション21」を開催する様になった。
[編集] モーニング娘。LOVEオーディション21
- 応募資格:中1以上の女性
- 当初は「合格者は1名の予定」とされていた。
- 2001年夏に「MUSIX!」で募集し、テレビ東京系の特番(8月26日21:00~22:48、司会:みのもんた)で放送(当時は通常21:00から「ASAYAN」、21:54から「MUSIX!」を放送していたため、同日は両番組を休止していた。)
- 応募総数:2万5,827名
- カントリー娘。の里田まいや美勇伝の三好絵梨香もこのオーディションを受けていた。
- 後に6期メンバーとなる田中れいな(応募当時は田中麗奈)が当時小学生で応募資格がなかったにも関わらずこのオーディションに応募しており、その模様が「MUSIX!」の公式サイトに写真入りで掲載されていた。この事が6期オーディションの実施時にネット上で話題になり、その直後公式サイトから画像が削除された。
- なお、このオーディションには田中れいな以外にも応募資格のない小学生の応募が非常に多かったらしく、その事が翌2002年6月30日にハロー!プロジェクト・キッズ15人を選出したハロー!プロジェクト・キッズ オーディションを実施した理由にされている。
- 静岡県某所で合宿(寺合宿)
- 合宿課題曲:松浦亜弥3rdシングル「LOVE涙色」
- 最終選考通過者9名(中学生8名・高校生1名)の中に嘉陽愛子、西田奈津美、木下優樹菜
- その他の落選者の中に片岡あづさ
- 合格者:高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙
- 発表開始時点までは最終選考通過者9名が並んでいたため、つんく♂から合格者を発表した時に、合格者4名が現役メンバーの前まで移動した。発表後に当時の現役メンバーが合格者4名の目の前で「ザ☆ピ~ス!」を歌唱した。
[編集] モーニング娘。LOVEオーディション2002
- 応募資格:中1から高3までの女性
- 当初は「合格者は1名から2名の予定で、場合によっては合格者なしかも。」とされていた。
- 2002年秋に「MUSIX!」で募集し、翌2003年1月19日の「日曜ビッグバラエティ」(司会:徳光和夫)で放送(当時「ASAYAN」は既に終了したためその枠に「WINNERS」を、「MUSIX!」は火曜22:00から放送していた。)
- オーディションの告知は、テレビ東京よりも、フジテレビ系の番組「情報プレゼンター とくダネ!」(2002年10月14日放送)で先に告知されて、同番組でもオーディションの模様を取り扱った。
- 応募課題曲:「Do it! Now」
- 応募総数:1万2,417名
- 選考経過は「MUSIX!」で放送された。途中からオーディションの途中で応募者全員の映像を公開して国民投票を行う事が発表された(募集時にはその旨の発表はなく、出演を拒否した応募者も居た。)。
- 当初は応募者全員の中から誰でも投票できる様になっていたが、途中から上位10人に対してのみ投票できる様になった。
- 最終選考の発表直前に藤本美貴がオーディション組とは別に6期メンバーとしてモーニング娘。になる事が発表された。
- 国民投票の結果、6位の道重さゆみ、9位の田中麗奈、不参加の亀井絵里が最終選考(合宿)に進出した。その際に国民投票の結果がどの程度考慮されたのかは不明である。
- 国民投票の結果は次の通りだった。
順位 | 番号 | 票 | 備考 |
---|---|---|---|
1位 | 2436番 | 18,420票 | 嶋田歩 |
2位 | 0194番 | 17,840票 | |
3位 | 0331番 | 17,106票 | 斎藤美海(現・カントリー娘。のみうな) |
4位 | 0461番 | 16,425票 | |
5位 | 0473番 | 9,914票 | 西田奈津美 |
6位 | 2825番 | 6,486票 | 道重さゆみ |
7位 | 0044番 | 6,478票 | |
8位 | 1005番 | 6,462票 | |
9位 | 1803番 | 6,040票 | 田中麗奈(現・田中れいな) |
10位 | 5267番 | 4,992票 | 富田淳子 |
[編集] モーニング娘。ラッキー7オーディション
- 参加資格:中3(2005年3月に中学校卒業見込み)から20歳未満(同4月1日時点)で、且つオーディション参加時点で芸能事務所などの芸能活動を行う団体に所属及び契約などをしていない女性
- 「エースを捜す」事が目的とされていた。
- 「ラッキー7オーディション」の名前はこれによって娘。入りする事になるメンバーが「第7期」になるという事と、全国7ヶ所(大阪、福岡、仙台、岡山、札幌、名古屋、東京)でオーディションの予選を実施するという事、モーニング娘。が結成7年目になる事の3つから名付けられた。
- 2004年9月に「ハロー!モーニング。」で募集して放送
- 参加総数:不明
- 書類選考なし(アカペラ歌唱)
- 全く事前の書類選考を行わなかったため、上記の参加資格にも関わらず当時芸能事務所に所属していた者が東京での予選通過者として放送されるというハプニングも発生した。後日同人は「辞退した」と放送された。
- 山梨県某所で合宿
- 合宿課題曲:春の歌(アルバム「愛の第6感」より)
- 予選時には、応援リポーターとしてTXN系放送局のアナウンサー(仙台のみ系列局がないので東北地方出身のTXアナウンサー)が応援&リポートを行っていた。
- 結果:該当者なし(最終選考には6人)
[編集] モーニング娘。オーディション2005
- 背景:前回のオーディション「モーニング娘。ラッキー7オーディション」で合格者なしだったために再度やり直し、このオーディションが開催される。
- 参加資格:2005年4月1日時点で中1以上22歳以下で、且つオーディション応募時点で芸能プロダクションなどの芸能活動を行う団体に所属及び契約などをしていない女性
- 前回に続いて「エースを捜す」事が目的とされていた。
- 2005年2月に「ハロー!モーニング。」で募集して放送
- 応募総数:2万1,611名
- カメラ付き携帯電話からの応募も可能だった。
- 前回最終候補者の6人中5人は、3次審査までは残ったが、全員そこで落選している。
- 最終選考まで残った5人のうち、須磨愛は、後にハロプロ関西オーディション2005で合格し、「ハロプロ関西レッスン生」としてハロプロ入りしている。
- 合宿は行われず、最終選考候補者の自宅へ訪問しオーディションを行った。最終選考候補者は当初「合格者は3人」と言われていた。最終選考後につんくは「もしこのオーディションでも結果が該当者なしだったら『ふりだし』になります。」と言っていた。
- 合格者:久住小春
- 発表後に彼女の学校で合格が通知され、娘。達が祝福した後、当時の現役メンバーが彼女を含む生徒全員の前で「THE マンパワー!!!」を歌唱した。
[編集] モーニング娘。Happy8期オーディション
- 2006年7月、紺野あさ美卒業を報じる新聞各紙での先行報道を経て、同月30日放送の「ハロー!モーニング。」で正式に募集が告知された。
- 参加資格:2007年4月1日時点で中学生以上21歳未満で、且つオーディション応募時点で芸能プロダクションなどの芸能活動を行う団体に所属及び契約などをしていない女性
- 書類選考はなく、全国10ヶ所(札幌、仙台、東京、金沢、名古屋、大阪、広島、福岡、鹿児島、那覇)の会場に直接応募書類を持参する方式を取った。但し、札幌・広島・鹿児島・那覇はテレビ東京系列以外のテレビ局(札幌テレビ・広島ホームテレビ・鹿児島讀賣テレビ・沖縄テレビ)のスタジオで行われた。事前の申し込みは不要だった(アカペラ歌唱)。
- 参加総数:6,883名
- ラッキー7オーディションの最終候補者1人も仙台でオーディションを受けていたが、2次審査で落選した。
- ラッキー7オーディションと同様に全く事前の書類選考をしなかったため、上記の参加資格にも関わらず東京での2次審査を通過して、3次審査の前に辞退した者も居た。
- 4次審査はそのまま最終審査となり、最終候補者となった6人が進出し、下記の要領で行われた。
-
- 都内にある某所で恒例の合宿を1泊2日の日程で行った。
- ダンス審査と歌審査を3人2組に分け、次の曲を踊ったり歌ったりした。また、ステップ審査も行われた。
-
- ダンス課題曲:「Ambitious!野心的でいいじゃん」
- 歌課題曲:「歩いてる」
- 最終選考はスタジオ審査をテレビ東京天王洲スタジオで行った。直前に1人が辞退し、残る5人が進出し、それぞれの歌を歌唱した。
- 合格者:光井愛佳
- 発表後、合格者の前で現役メンバーが「歩いてる」を歌唱した。このオーディション終了後に、つんく♂から2007年のモーニング娘。について「アジアの中の日本」である事を位置付ける発表があった。この事については2006年12月11日の所属事務所の公式サイトや新聞各紙では伝えられたものの、朝のワイドショーでは全く取り上げられなかった。
[編集] その他
- メンバーの平均身長は一般人女性とほぼ同じで、同年代の女性芸能人より背が低い。歴代メンバー22人のうちで身長160cm以上あるのは石黒・飯田・吉澤・道重・久住の5人のみである。身長差の最大は歴代通算では飯田と矢口の24cm差、現役メンバーでは吉澤と田中の12cm差である。
- 中学生メンバーは茶髪・ピアスは禁止。中学生時代にピアスを付けていたのは後藤と田中で2人共オーディション時だった。また、石黒は耳の他に鼻にもピアスをしていた。
- 歴代メンバー出身地を都道府県別に分けると、最も多いのは北海道で、石黒・飯田・安倍・紺野・藤本の5名を輩出しており、結成時から紺野卒業時までは常に2名以上のメンバーが同時に在籍(最高は石黒以外の4名)していた(2006年12月現在は藤本のみ)。以下、東京の4名、(福田・後藤・辻・亀井、同時在籍は「後藤・辻」と「辻・亀井」のみ)、神奈川の3名(矢口・石川・新垣、全員が同時在籍していた時期が長いが、最多タイ止まり。)と続く。小川の卒業により2006年9月時点のメンバーは史上初めて全員の出身都道府県が異なるという状態になり、8期合格の12月以降も続いている(吉澤=埼玉、藤本=北海道、高橋=福井、新垣=神奈川(生まれは鹿児島)、田中=福岡、道重=山口、亀井=東京、久住=新潟、光井=滋賀)。
- 2003年6月3日、横浜市と日本演劇興行協会が構造改革特区の1つとして午後10時まで延長する「子役特区」を提案した。鴻池祥肇特区担当大臣が「モーニング娘。特区」と名付け、実施を目指していたが、坂口力厚生労働大臣は「義務教育を受けるためにも限界がある」と慎重な姿勢を示していた。内閣府で行われた9月3日の会談で、坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、翌2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日より全国的に演劇などへの13歳未満の子役の出演が従来の午後8時までから午後9時までに延長される事になった。
- 2004年1月23日、テレビ東京の菅谷定彦社長は年頭の記者懇親会で、「藤本美貴と石川梨華のツートップにするのがいいんじゃないか。そうすれば(今後も)大丈夫だ。」と発言し、同局がこれからも、モーニング娘。などのつんくファミリーをリードしたい意思を示した。
- しかし、モーニング娘。出演の同局系レギュラー番組は音楽制作者連盟(アップフロントグループも加盟)と著作権・肖像権問題で対立しているため、BSジャパンで放送されていない(過去に同局で放送されたのは同局との共同制作だった「MUSIX!」と単発番組の一部などごくわずか)事や、系列局の少なさもあり、テレビ東京とアップフロントグループは必ずしも蜜月関係とはいえない。
- モーニング娘。は海外にも熱狂的ファンが多数存在し、特にアジア(主に台湾、香港、韓国)では他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は早安少女組)。但し、エイベックスやジャニーズ事務所などと比較すると当該地域へのプロモーション活動はあまり積極的とはいえなかったが、2006年7月に卒業メンバーの後藤真希が韓国で同国のファンを相手にイベントを開催し、11月には同国でライブを開催した。前述にある通り、モーニング娘。も2006年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」事としており、今後もハロプロ全体でアジア戦略を模索している。
- その他に英語・フランス語・ドイツ語でのファンサイトも存在し、日本を「クール」と見る諸外国の人々からは一定の認知を受け世界的なアイドルスターと言える。
- 2003年9月にモーニング娘。及びハロー!プロジェクトのメンバーによるフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」が結成された。現在では他の芸能プロダクションを巻き込んで芸能界全体がフットサルで盛り上がっている。
- 自衛官募集のポスターには、有名人が起用されても自衛官の制服を着て写っているのが通例だが、モーニング娘。はそのポスターで初めて自衛官の制服を着ない形でポスターに採用された事がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本のアイドルグループ | 日本の歌手グループ | モーニング娘。