加藤茶
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加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 -)は、日本の男性コメディアン・歌手・ドラマー・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員である。本名、加藤 英文(かとう ひでゆき)。血液型はAB型。愛称は「加ト茶」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など。
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[編集] 来歴
[編集] ドリフ入りまで
- 東京都出身だが、幼い頃両親が離婚し、物心つく前に母親に引き取られ福島県福島市で妹と共に暮らす。学法福島高校入学。愛媛県出身だという説もある。
- 高校中退後、1960年東京の叔母を頼って上京。
- 上京後、トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイをやるが、ある日手当ての100円をマネージャーに催促したところ、マネージャーに100円を投げつけられたことをきっかけに、マネージャーと暴力沙汰の喧嘩をしてクビになる。その後、ドラマーとしてクレージーウエストにメンバー入りし、仲本コージ(現、仲本工事)と出会う。
- 1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」にメンバー入り。
※以上は『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)による。尚様々な文献で、年代や住所等の証言が食い違い、高校は卒業となっていたり、両親離婚後は父親と共に日本中を旅歩いていた等々の記述も見られる。どれが本当かは不明である。
[編集] ドリフ時代
- 1964年には、ドリフの初レギュラー番組『ホイホイミュージックスクール』にて、「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者となる。これは、付け髭の糊が剥がれやすかったために、度々2本指で押さえていたものがギャグとして通用したと本人が語っている。
- 1964年、ドリフ内部で発生したクーデター(詳細はザ・ドリフターズを参照)の際、碇矢と共にドリフに残り、新生ドリフを立ち上げる。新生ドリフ結成直後、当時所属していた渡辺プロダクションの先輩・ハナ肇に「芸事で飯を食っていこうとするのなら、水に係わりのある芸名にした方がいい。お前は、みんなから、「加トちゃん」って呼ばれてるんだから、加藤茶にしなさい」と言われ、芸名が加藤茶となった(これは「茶」が水と関連しているからとも言われている)。
- 1969年より『8時だョ!全員集合』にて、様々な一発芸をヒットさせ、1970年代前半には小学生の間でカリスマ的存在となる。この時代のトレードマークは禿げヅラにビン底メガネにちょびヒゲであり、現在タレントショップ等で売られている彼のキャラクターグッズも、それらを装着した姿をモチーフにしたものが多い。
- 社会や人間関係の縮図をディフォルメした初期のコントや映画に於いては、お笑い(いつも損をする役、イジメられ役、笑われ役)の中心で、ドリフメンバーの中で最も持ちネタやギャグが多かった。特に1972年から1973年までの間「全員集合」で毎週たった一度だけ「タブー」の曲に合わせて踊る「ちょっとだけよ」は大ブレークし日本のコントの歴史に残るギャグとなる。
- 2004年、いかりや長介が死去したことにより、ザ・ドリフターズの最古参メンバーとなった。いかりや長介の葬儀の際には、最古参メンバーということで、年長の高木ブーに代わって弔辞を読んだ。この中で、加藤は「これから俺たち4人で、ドリフターズ、やっていくよ。あんたが残した、財産だからね。あ、でもそっちからいきなり「全員集合」って言われても、俺たちすぐには行けないからね…」と読んでいる。これはいかりやに向けた、加藤の、また新生ドリフの決意表明でもあった。
- 現在「加トちゃんBAND」、「こぶ茶バンド」のメンバーを兼任し、お笑いだけでなく、ミュージシャンとしても活躍している。
[編集] エピソード
- ドリフ全盛期の頃いかりや長介に怒られたとき、こっそりいかりや長介の私物にいたずらをしていたことを暴露した。
- ザ・ドリフターズを知らない最近の若者・子供でも、志村けんと共にまず知らない人はいない知名度を誇る芸人(タレント)である。
- スピード狂のところがあり、1970年に交通事故を起こしたり、1987年には首都高速を80キロオーバーの時速143キロで走るなどのスピード違反で数回処分歴あり。後の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でも、カーアクションシーンでの運転(実際のアクション部分はもちろんスタントか代用人形だったが)はだいたい加藤である(ただし、これは志村が運転免許を持っていないため志村の運転だとリアリティに欠けるというのも一因である)。
- 弟子は不明だが全員集合時代、付き人兼居候に志村けん、運転手にすわしんじ(現・すわ親治)がいた。
- 1987年11月に結婚した夫人と2003年3月に熟年離婚したが、病気療養中のいかりや長介に心配をかけないようにとの心遣いから、このことはいかりやの死後まで公表しなかった。
- いかりや曰く「ネタを積極的に出すタイプではなかったが、笑いを誘う間が良かった。ミュージシャンとしての才能、特にリズム感がお笑いでも生きている」。音楽活動やドラマ、トーク番組と今でも活動範囲は広い。
- ドラマーとしての評価も高い。全員集合で披露した素晴らしい演奏は語り草である。
- 新生ドリフは、全員集合終了までソロ活動を行なわせなかったといかりやは語っているが、加藤のみクレージーキャッツの植木等と映画で共演していた。
- 60歳を越えた現在でも銀座通いを続けているらしく、本人いわく夢は「100歳になるまで同伴出勤」。仕事の無い日は一晩中呑んで帰宅し、朝7時に就寝する生活をしていることを『クイズ!紳助くん』内で激白し、司会の島田紳助から「ただのアホな子どもですやん!62(歳)で朝7時に寝るジジイおらんで」とツッコまれている。
- 深夜に起きている生活からか、『松紳』などの深夜番組をよく見ているらしい。
- 最近では、それぞれの県や観光地ごとに自身がキャラクターモデルとなった「御当地加トちゃん」が発売されている。「御当地加トちゃん」の第1号は、2000年に静岡県限定で発売された「茶っきり加トちゃん」である。
- 最近はバラエティ番組においても「家に帰っても誰もいないんだよ」などと自らの離婚をネタにしたトークを繰り広げることが多くなった。とくに、「行列のできる法律相談所」において離婚を決意した日のことを語ったときにはあまりの内容の重さに司会の島田紳助から「その続きはその時歴史が動いたでやってもらいましょ」といわれるほどだった。
- 細木数子の番組「ズバリ言うわよ!」にてゲスト出演した際、初体験が小学校4年の時であることをカミングアウト。本人曰く、「運が良かったんでしょうね」。細木数子は、加藤茶のギャグに受け、笑いが止まらなくなったりもした。そんな加藤を細木は、「加藤さんは、私の未来の旦那様」と言った。
- ギャンブルは穴狙いで、「木梨サイクル」にて見事的中させる様子が放映された。大量の札束をポーカーフェイスで受け取る加藤に対し、木梨憲武が「加藤さん」と言ってその後絶句したが、加藤は「え、なに?」と一切興奮した様子を見せなかった。
- フジテレビ「恐怖の食卓」(2005年4月26日放送分 カスペ!枠)にて、前述の銀座通いも含め、不健康な食生活等をまとめたVTRを拝見した(当時)顧問医師8名全員から、警告診断を喰らった。本人は「これ、『新春かくし芸大会』だったら満点なんだけどね…」と絶句。しかし、それが現実化してしまった。2006年10月30日、微熱と体のだるさが1か月以上続く体調不良により緊急入院。同年12月のこぶ茶バンド公演も出演中止が決まった。心臓疾患の疑いが有るとも言われ、今後の活動等も含めて心配される。
[編集] 加藤茶のギャグ
- 「1、2、3、4、やったぜ加トちゃん!!ぐるりと回ってウンコチンチン!」
- 「加トちゃんペッ!」…ヤクルトのアレックス・ラミレスがホームランを打った後のパフォーマンスの一つでもお馴染み。
- 「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ~」
- 「いかりやに~おこられた~」
- 「仲本(加藤)さん、○○されましたなぁ」「いや~、参った参った」(仲本工事とのペア。初期ではその後に荒井注が「私も○○されましたなぁ。いや~、参った参った」と言おうとして、いかりやに突っ込まれるパターンがあった)
- 「痛いの痛いの飛んでけー」
- 「俺たち○○するかなぁ?」「分かりません。」「ピッカピッカの~1年生、ビシッ!」(志村けんとのペア)
- 「タバコ、する?」
- 「ひっきしっ!!(くしゃみ)」(このギャグは加藤の代名詞的ギャグで、本当でないくしゃみをさせたら日本一旨いくしゃみ真似をする人として老若男女が知る秀逸のギャグである)
- 「どうもすんずれい(失礼)しました~」(お巡りさんに扮し「女のみち」を歌い自転車で登場する際の挨拶)
- 「ヴエー(吐き真似)」
- 「おーおー珍し珍し」
- ヒゲダンス
- 歌舞伎役者
- 牛乳飲み
- 「バッカみたい」(ザ・ビートルズの日本公演での前座でのギャグ)
- 「5秒前!4、3、2、1」「でーん」(変な顔をする)
[編集] 出演
ここではソロ活動のみ記述する。ザ・ドリフターズとしての出演作品はザ・ドリフターズを参照。
[編集] テレビ
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)
- KATO&KENテレビバスターズ(TBS)
- ゲーム・史上最大の作戦(司会、TBS)
- やったぜ!加トCHAN(司会、TBS)
- 空と海をこえて(後藤久美子主演のスペシャルドラマ)(TBS)
- ダウトをさがせ!(毎日放送・TBS系・舞台出演中の江守徹のピンチヒッター)
- 加トちゃんケンちゃん光子ちゃん (フジテレビ)
- はぐれ刑事純情派(テレビ朝日―三波・鑑識主任役)
- 君が教えてくれたこと(TBS―ともさかりえ扮する雨宮繭子の父・洋平役)
- 歌のビッグファイト!(テレビ東京)
- 女医・優~青空クリニック~(東海テレビ・フジテレビ系)
- クイズ加トちゃんの1!2!3!(フジテレビ)
- 加トちゃんマチャミのお台場CHA・CHA!!(フジテレビ)
- 地元発信! 東京ジモティ(フジテレビ)
ほか。
[編集] 映画
- てなもんや東海道 !(1966年東宝)
- 夢は夜ひらく(1967年日活)
- 喜劇 大風呂敷 (1967年日活)
- てなもんや幽霊道中 (1967年東宝)
- 幕末 てなもんや大騒動 (1967年東宝)
- 日本一の裏切り男 (1968年東宝)
- クレージーメキシコ大作戦 (1968年東宝)
- クレージーのぶちゃむくれ大発見 (1969年東宝)
- 日本一のワルノリ男 (1970年東宝)
- 日本一のショック男 (1971年東宝)
- だまされて貰います (1971年東宝)
- 流れ板七人 (1997年東映)
- ビッグ・ショー!ハワイに唄えば (1999年東宝)
[編集] ラジオ
- 6時だョ加トちゃんのビバノンラジオ全員集合 (ニッポン放送)
- 加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ! (ニッポン放送)
- 加トちゃんのスーパー黄金伝説 (ニッポン放送)
[編集] CM
- アビバジャパン
- 東京三菱キャッシュワン
- ロート製薬
- サントリーC.C.レモン (歌とクシャミのみ)
- ケーズデンキ(いかりや長介亡き後初めてドリフのメンバー4人で出演)
- 加ト吉 冷凍さぬきうどん、お好み焼
- サンヨー食品 サッポロ一番からくちラーメン
[編集] ゲーム
[編集] ディスコグラフィ
- はじめてのボクです (B面が志村けんの東村山音頭)
- ラップミヨちゃん
- 加トちゃんのスキャットマン
- ズンドコ伝説
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
ザ・ドリフターズ | |
現メンバー: | 加藤茶・高木ブー・仲本工事・志村けん |
元・新生ドリフメンバー: | いかりや長介・荒井注・すわ親治 |
所属レコード会社: | 東芝EMI |
所属事務所: | イザワオフィス・渡辺プロダクション |
渡辺プロダクション3大タレント | |
ハナ肇とクレージーキャッツ: | ハナ肇・植木等・谷啓・犬塚弘・安田伸・石橋エータロー・桜井センリ |
ザ・ドリフターズ: | いかりや長介・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けん・荒井注 |
ザ・ピーナッツ: | 伊藤エミ・伊藤ユミ |